その昔、って言っても21、2歳の頃なので26、7年前ですが。(笑)
生まれて初めて夜の店で働いた今頃の話です。
バイトで約1ヶ月半位でしたけどね。
確か11月の下旬頃から12月末くらいだったかな・・・・・?
12月の繁忙期を向えるにあたりバイトを募集していて、
あたくしともう一人が同じくらいに入りました。
もう一人は大学生で今で言う所のつけ麺風じゃなくてイケメン風な
感じの人で、対するあたくしは”こんな感じ”・・・・・。
店長、チーフ、調理補助の女性(店長の彼女ぽい)、それとバーテン。
バーテン以外は全員キッチンなので、あたくしと大学生はホール。
まぁ、この商売を何も分からないのでいつも怒られていましたね。(笑)
そのバーテンさんもどちらかと言うと、その大学生の方を重視していましたし。
けど、仕方がないですよね。
仕事を教えてもらい覚える立場なんですから。
卓番(テーブル)を間違えたり、ヤクザが来たら「加藤、お前の担当な
と言われて担当させられたり。仕事も分からないし、何もする事が無いので
灰皿一つ、グラス一つでも下ってきたら常に洗っていましたね。
バーテンさんに「加藤、一々そんな一つくらいで洗わなくてもいいよ。
まとまってから洗えばいいじゃん」
「はい、でも、仕事が遅いので今の内に洗っておかないと後から迷惑を掛けるので」
(なんて、真面目で責任感のある青年なのでしょうか!!)
また、たまに社長さんが見に来て、時にはサロンを巻いて手伝ったり
していました。他にも旅行会社の代理店をやっていたと思います。
ある時12月の超忙しかった時に社長さんが来て、店長たちに「大入り袋」を
配っていました。仕事の出来ないあたくしとしては何時も忙しかったので(自分だけ)、
「今日も忙しいな〜」位しか思ってませんでしたけどね。(笑)
ひととおり皆に配り終わると、あたくしも「お疲れさん」と封筒を渡されました。
初めてのことに戸惑っているあたくしに社長さんが「ラーメン代だから」と。
後から見ると本当にラーメン代くらいの2000円でしたが(コラッ!)、
当時はそれでもラーメン3杯は食べれる金額でしたし、本気でキンケツマンで
ましてや何もできなく入って間もないあたくしにも「大入り袋」を頂いた事に
申し訳なさと嬉しさで複雑でしたね。
あれから26、7年経ちますが、あの店と大入り袋を渡してくれた社長の顔と光景は
今でも忘れられません。。。。。
追記 バーテンだったちょっぴり意地悪な先輩は、あたくしが”オペラ”で店長の時に
バイト募集で面接に来ました。もちろん、あたくしが店長なんて思いもしないで。
お互いに顔を見て「アッ!」と。(笑)
当時、あたくしの店では本格的なバーテンさんは募集して居なかったので、
チェーン店の”クールバー”へ紹介しました。(だよなと、先輩苦笑いしてました)
また、いつもキャベジンの大びんから胃薬を飲んでいた店長も、その”オペラ”に
バイトの学生たちと偶然来て、手前味噌ですが成長したあたくしを見て
「凄いな〜」と喜んでくれて、その後調理補助の彼女?と来てくれ、その後店長は
名古屋の車の部品工場へ、彼女さんは看護婦でそのからも看護婦仲間とお店を
利用してくれました。
丸かでも「大入り」をやり始めました。
渡す方も渡される方も、思い出に残るような繋がりをして行って欲しいとね。。。。。
大学生と二人でおしぼりをウォーマーへ入れていた時に何時もかかっていました。
pub盃唐亭と言うお店の懐かしい”想い出話し”でした。