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今の気持ちを”四字熟語”で。

こう肌寒くなり、一年も残すところ二月とちょっとになると、色々な思いが込み上げて来ます。

「このまま、今年を終えていいのか?」
「あれ?ほとんど何もやってないんじゃないのか?」
「刺激が欲しい!!」
とか・・・・・。

で、あたくし今の気持ちを”四字熟語”で表して見ました。

まずは↓
ファイル 1989-1.jpg

次に、↓
ファイル 1989-2.jpg

で、↓
ファイル 1989-3.jpg

気合いを入れて!!↓
ファイル 1989-4.jpg

ってな感じです。
つーか、”強行突破”って四字熟語じゃネーし!!
思いだし。


皆さんはどうですか?
このまま、今年を終えていいのですか?

でしょう!!
まぁ、取り敢えず今日は金曜日と言うこともあるので、ここらで反省会&決起集会でも
丸か加藤商店でやりませんか!?

きっと、何かあるはずです、何かが。。。。。


伝説を作りたいですね。。。。。

学生服って、今から思うと・・・・・。

今日、出勤前に(って言っても昼ですけど)学生服姿の男子を
見かけました。通学時や下校時に交通機関など利用している
人たちは普通かも知れませんが、あたくし的には新鮮でした。

4人でチャリに乗ってました。
「学ランか・・・・・」と、もう30年も前のことなんですよね。(笑)

で、思ったのは「学ランって、きちんと着れば格好良かったんだよな~」と。
当時は、中1の時くらいまで普通にカラーなんかも付けて着ていたんですが、
その後は乱れがちになっていました。

学生帽子もツバを折り曲げたり、つぶしたりと。

中3~高校時代は今から考えると小汚いと言うか、清潔感のない
格好でした。あの時は真面目に学生服なんかを着ている方がダサくて
学生服の前ボタン第2、第3ボタンをしなかったり、全部開けたり、
長いのや短いのを着たり、ズボンもダボダボだったりと。

でも、この歳になるときちんとボタンも閉めて襟に白いカラーをして
普通の長さの学生服とストレートのズボンを穿くのが清潔感もあり、
ピシッ!としていて良いと思います。

何か、学生服の話をしたら「たまに、着てみたいな~」と思いましたが、
どう考えても悪趣味なコスプレにしかならないので止めておきますね。。。。。

追記 つーか、奴らも昼に何やってたんだか・・・・・。(笑)

どうした!?何があった!?

今さっき、銀行に行こうと石山通りの交差点に居ましたら
「加藤社長」と声を掛けられました。

振り返ると、うら若き20前後の女性でした。
ベージュのスーツでエロメガネ(TVで出てくる秘書のような)を掛けて、しかもミニスカート!!

び・つ・く・り!!!!!

申し訳ないのですが、イマイチ(姿、格好のせいかな?)覚えていません。
名前を言われましたが、いきなり道端でうら若い女性に声を掛けられて
完全に舞い上がっていました!!

「って言うか、寒くないの?」とミニスカートを指さしたら「寒いです!」と元気返事。
「気を付けてね」と別れました。(それしか言えませんでした)

銀行の帰りの信号待ちで、銀色のアタッシュケースを持った半袖のポロシャツを着た
男性を見かけました。

先ほどのミニスカートいい、半袖ポロシャツ男性といい大丈夫なのでしょうかね?

因みの、本日の札幌の天気は最高10℃、最低4℃ですけど。。。。。

追記 青ご夫妻、昨日は遅くまでありがとう。

今年の健康診断で思うこと・・・・・。

今日は年に一度の健康診断の日でした。
昨年は11月1日でしたから、調度一年ではないですが、
それでも「もう一年か!?」と言う感じです。

今回は久しぶりにスタッフも一緒で”欽ちゃん支店”の優と。
でも、”優”が若いので40歳以上の生活習慣病まっしぐら
”ザ・人間ドッグ加藤”君よりもかなり早く終わっておりました。(笑)

まぁね、たかだか人間ドックなのですが、何と言うかね、
ほら、色々とこの一年を思い出すのですよ、これがまたね。

昨年、いや一昨年からやりたいことがあったんですけど、
何だかんだと言いながら延び延びになっていると言うか、本気度が
低いと言うかね・・・・・。

いつの間にか「出来ない理由」に託(かこ)つけている自分がいるん
ですよね。これも年齢のせいなのでしょうかね。(ほら、また年齢に託けてる)

分かってるんですよね、このままだと思い通りのダメな自分と近い将来が。
何か闘志が湧かないとかではないんですよね。

単なる、守りであったり、怠けであったり、クソみたいなちっぽけな現状維持
という、ある意味”生活習慣病”に陥っているんでしょうね。

そう、限りなく不摂生のね。

エネルギーでしょうか?交感神経でしょうか?副交感神経でしょうか?
それとも自律神経が低すぎるのでしょうか?いずれにせよ元々優秀でもない
脳がここにきていよいよ退化(老化?)しているのか。

やっぱり、食生活、適度な運動など、もしくは最近やっていない自己啓発
などを積極的にやるしかないですね。ただ、あたくしの場合降り幅が大きいので
急激にやり過ぎて疲れてしまい、ここ最近は続かないんですよ、悲しいことに。

それでも昨日久しぶりにちょっとしたセミナーに行って来て、「他人の話」を聞き
新鮮な気持ちになったので、今日からやることはやって行きます。

人生、愉しまないとね。
仕事も愉しむ感覚が一番効率も能率も向上心も発揮されるんですよね。
嫌な仕事や苦手な人も、むしろ「ありがてーな~!」と思うようになるから、
毎日が愉しくなるんですよね。

そんな感じで愉しんでいたのは何時だったかな~。。。。。

追記 皆さん知ってましたか?体の部分に似ている食べモノってその部分に
良い効果があるって。例えば、”人参”は目に良いと言われていますが、人参を
切った断面は目の玉の模様に似てますよね。”椎茸”が肝臓に良いって言いますが、
良く考えたら椎茸は肝臓に似てますもんね。
最近、”くるみ”が脳に良いって言われますが、そう言えばくるみって脳に似てませんか?

えっ?”おちんちん”を大きくしたいって?
ん~・・・・・、太っといサラミ?じゃないよね、やっぱ一時的には”すっぽん”ですかね。
恒常的にだっら、食べモノではなく”鍛える”しかないんじゃないですか?

って、なに真剣に酒場の会話してんだよ!
酒場?たまに飲みに行こうかな・・・・・。

ファイル 1986-1.jpg今年は10年に一度の不作で、そろそろ終わりますよ。
”祥子”早く取りにおいで。

ちょっと怖いお話ですけど、十分に起り得ます。

”エボラ出血熱”が西アフリカだけでなく、米国でも感染者が出ています。
日本政府や国内では、まだあまり深刻に考えていないようですが、
あたくしはもっと、神経質になった方がいいと思いますけどね。

と言うのも、一番の脅威はお隣の国がアフリカで大量に自国の労働者を
雇っています。特に感染被害の多い、リベリア、シエラレオネ、ギニアには
10年も前から巨額の援助と2万人以上のチャイナの人がいます。
しかも、インフラ整備を手掛けていますので都市部だけではなく未開の奥地にも
働いているので、当然危険が危ない状態なのです。

現在、日本への観光客数でも一番多い分、万が一チャイナで感染者が
出てしまうと、かなり脅威です。

どうも、この辺り日本政府もマスコミも甘いのか?もしくはお得意の「刺激しない
ように」などと、自国民よりも他国の顔色を見ているのか。

でも、冗談ではなく市町村レベルでも対応策や情報を喚起させた方が良いと
思います。

追記 あたくしはもう一つ(本当は恐ろしくてあまり言いたくはないけど)ありまして、
それは、これを”テロ”に使われたらお終いだなと。よく言われるのが”核”よりも
”細菌兵器”は安上がりで発展途上国や北朝鮮、テロリストなんかに利用される
可能性は無視できないと。

今回、米国での”エボラ出血熱”騒ぎを米国と敵対しているテロ組織は必ず
動静を注視しています。下手な自爆テロよりもよっぽど人々を恐怖に落とし込み
最大限の効果を発揮しますからね。

これからは”核”の脅威ではなく、”サイバーテロ”で通信網やインフラを麻痺させて
”細菌兵器”又はこのような感染力と致死力の強い”病原体”をまき散らす戦いに
なるのでしょうか。だからこそ、今から万が一に備えて(訓練も兼ね)日本政府は
シュミレーションを行うべきなのです・・・・・
あたくし的な"最終兵器"は二日酔いですけどね。。。。。

最近、手帳を使ってないな〜・・・・・。

携帯やスマホってメールなどする時には変換機能が付いているので便利ですよね。

けど、あたくしのやり方が悪いんだと思いますが、マイ携帯では似たような言葉が
勝手に変換されてしまいます。例えば、「変換」だけを打ち込もうとすると
「をする」まで付いて来て「変換をする」なんて事が多々ありますので、
今はこの変換システムは便利どころか二度手間、三度手間の存在になりつつあります。

あたくしは現在、スケジュールや目ざましは全て携帯にしています。
以前は手帳を持ち歩いていました。その内に携帯だとアラーム機能が付いていて
予定時間の前にアラームを設定しておけば非常に便利なので、しばらくは手帳と
携帯を併用してスケジュール管理をしていましたが、ここ2年くらいは携帯のみです。

何か気が付いたことも携帯にメモしてスケジュール化し、翌日の会議前に
アラームを掛けておけばタイムリーに思い出せます。

と言いつつ、手帳時代にはヒラメキやアイディア、その時々に思ったことなどを
書きこむ作業が好きでしたね。

何気ない光景から米粒ほどのヒラメキでアイディアが泉のように溢れだして
企画や新店舗の構想などで成果を上げたりもしました。

後から見直すと、その時の想いや感情が見事に字体に現れているので
数年経っても「あ〜、かなり闘志がみなぎっていたな〜」とかね。
しかも、そのような時って忘れない内に急いで書くので、結構いい加減な漢字に
なっているんですよね。(笑)
で、早く、書きやすいボールペンに凝ってしまうんです。(笑)

この時期になるとカレンダーと共に手帳売り場も活気づいて来ます。
それを見るたびに「手帳買おうかな〜」と思うのですが、カバンを持っている時は
いいけど、手ぶらの時には邪魔になるんですよね。勢い、飲みに行って
どこかに忘れでもしたら大ショックですからね。(一度、ありました)

また、スケジュールを一杯にすることに対して妙に優越感と言うか満足感と言うか、
とにかく活字で一杯にすることで「どうだ!俺は仕事してるぜ!!」とか
人に見られて「凄い、スケジュールですね!!」なんか言われて得意げになって
いたのもあったんですよね、実際。(笑)

でも、思いついたことを携帯にカチカチ打ち込むよりも、手帳に書いている様の
方が賢く見えるので、やっぱ手帳にしてみようかな〜と、今思いました。

ファイル 1984-1.jpg

ファイル 1984-2.jpgとにかく、スケジュールを一杯に。

ファイル 1984-3.jpg何かね、感銘を受けた言葉なんかを書いては、誰かと話す時にチラ見
したくらにしてね。(笑)

追記 字が下手なくせに字を書くのが好きなんですよね〜。

あっ、因に小学三年だか四年だかに辞めた習字は四級でした!!(笑)

数え切れないほどの勉強しました・・・・・。

あたくしはこの仕事に就いて26年になりますが、やはりベースは
”タスコシステム”の時代です。最もあたくしがアルバイトで入った時には
”(有)タカダ・インダストリー”でしたけどね。

アルバイトから半年余りで店長になり、才能豊かなあたくしは業績を
上げて一年半後には”大東京”というレストランバーの新店舗へ抜擢されました。
まぁ、その後紆余曲折×10くらいありましたが、どうにか生きています。(笑)

今日は、そんな時代に脳裏に残っている光景の2つをご紹介しますね。

一つ目は、大東京の店長になった時には、当時の”山田常務(後に専務)”が
オープン店などをやったことのないあたくしと一緒に立ち上げをしてもらいました。
飲食でもペーペー、しかもFOOD店もオープン店もゼロのあたくしにとっては
”山田常務”本当に頼もしい存在でした。

しかも、最初の2ヶ月ほど手伝ってもらいました。
その間、あまり業績が良くなかったので、当時あたくしが得意でなかったメニュー替えや
キッチンとのコミュニケーションをとって頂き本当に助かりました。

その反面、生意気にも”山田常務”の仕事のやり方に対して少なからず「?」と疑問符
も付き始めていたのでした。

まぁ、少し慣れたので自我が出たのでしょうね。
「俺一人でも出来るよ!!」という・・・・・。

それを察したのかどうかは分かりませんが、最初は1日通してが、数時間に、そして
ちょっと顔を出して終わりと”山田常務”が出勤する日も少なくなって来ました。

で、あたくしが切り盛りをして数ヶ月たった11月位の週末に(この頃にはお陰さまでお店も
繁盛して来ました)”山田常務”が手伝いに来てくれたのですが、その時も「何でよ!
俺一人で出来るって!邪魔なんだよ!!」的な思いがありました。(笑)

当時のあたくしは、少しでもお客さんを効率良く入れようと、お客さんの居心地なんか
考えずに他に席が開いていても、2名はカウンターかテーブルの2名席で、せっかくカップルや
年配のお客さんが飲食と雰囲気を楽しみに来ているとかを考えずに、ビシビシに席を詰めて
座らせていました。

でも、”山田常務”は客層や様子を見て2名でも4名席にエスコートしていなのですが、
あたくしは、それがとても気に食わなくて顔にも態度に出していました。(笑)

「損して得取れ」ではないですが、長くお客さんから支持される店は店本意ではなく
”いかにお客さんのことを考えて”が大切かを後々分かりました。

まぁ、言い訳をすると、あたくしは「どんな状況でも、絶対にお客さんが帰る時には
楽しませて帰す!!」という自信があったのもありましたけどね。(若気の至りでした)

その時、B5・6卓(分かんないよね)にエスコートをし”山田常務”が椅子を引いた
光景が今でも脳裏に残っていますし、それを「勝手なことをして!」と苦々しい表情で
見つめていた自分を覚えています。

今なら、これから来るであろうお客さんの事ばかりではなく、今目の前に来ているお客さんを
いかに気持ちの良い時間を過ごしてもらえるかを考えてエスコートを心掛けます。
(まぁ、ケースバイケースですが)

もう一つはタスコがメトロビルを買った時に、少ししてからテナントに入っているスナックの
ママが当時南3西1の事務所へ来ました、ノーメイクで。

あたくしは、社長室へ向う見覚えのあるママを見て「あっ、00のママだ!」と思いましたが、
それほど親しくはなかったので目で追うだけでした。

20~30分ほどしてママは出て行きました。
その後に社長が溜息と同時に疲れた表情で「家賃を坪1000円下げてくれってさぁ。」と
あたくしに言いました。

それから社長が言ったのは、「たかだか坪1000円を下げても、月15000円だぞ。
それなら、売上を15000円上げる努力を考えるべきだよな。」と。

あたくしも全くその通りだなと思いました。
きっと、客単価が7000円前後ですので月に約二人のお客さんを呼ぶ努力をする方が
店にとっても大切なことですからね。

もし自分ならば、「値切り交渉に行く時間とストレスを考えたら、やはり一人でも多くの
お客さんを呼ぶ方法を見直したり、考えます」。って言うか、それが本業ですからね。

今日、話した事柄は皆さんにとって「?」かも知れませんが、その後のあたくしの考え方や、
今の(有)丸か加藤商店の基礎になっているんですよね。

場面、場面の印象的なことは覚えているものですね~。。。。。
(まだまだ、数え切れないほどあります)

追記 
ファイル 1983-1.jpgお客さんが個展をやってます!!

今日はですね〜・・・・・。

本日10月16日は何を隠そう、「食堂たかだ」のお父さんの81歳の誕生日です!
13日の祝日に運動がてら歩きで行って来ました。

薄暗い店内で新聞を読んでいました。

「ガラガラガラ、こんにちは!醤油下さい!」
「は(へ)?○×□△」(聞こえてネーや)
「醤油下さい!!」
「醤油ね。要らないものはないですか?」
「・・・・・?大丈夫です。」(違う意味で大丈夫かな?)
「さっき来たお客さんがメンマは要らないって言っていたから」(そう言うことね)
「いえ、大丈夫です」

いつものように幕が開き〜♪
(ちあきなおみさんの”喝采”のフレーズで遊んでみました!)

いつものように中々の騒音のダクトが「ゴー!」と鳴り響いいて。
待っている間に↓
ファイル 1982-1.jpgどうですか!?昭和にタイムスリップです!!

ファイル 1982-2.jpgこれ、探しても中々見つからないんですよね。

ファイル 1982-3.jpg出た〜!三角マッチ!!

ファイル 1982-4.jpgコップがお洒落なグラスになりました!!

ファイル 1982-5.jpg一応、ラーメン丼ぶりをイメージしています!!(笑)

「はい、おまちどうさま」
「いただきます!!」

ん〜、「ハ〜、テレビねぇ、ラジオもねぇ、(吉幾三の”俺ら東京さ行ぐだ”でも
遊んでみました!)」ではないですが、本当に静かなお店です。
お父さんも気を使って、もやしとかメンマの仕込みをしていますが、それにしても
静かです。(一応、冷蔵庫の上にラジオの箱は置いてありますが・・・・・)

でまた、先ほども言いましたが店内は薄暗い。
そりゃそうですよね、この時期の午後4時過ぎ、しかも曇り空の東向きの窓には
どう考えても薄暗いのです。

けど、なぜか気にならないんですよね。
自分の部屋とか実家っていつの間にか薄暗くなっても気にならない感じです。(笑)

仕込みもひと段落して、静まり返った店内はあたくのスープをすする音のみ。
さすがのお父さんも気を使って出て来た言葉が、

まさかの「最近はすっかり日が暮れるのが早くなりましたね〜」でした。
しかし、そこは57年間も頑固にラーメン道を貫いて来たお父さん。
電気を点ける素振りもしませんでした!!(笑)

何はともあれ、お誕生日おめでとうございます!!
いつまでも元気で美味しいラーメンを作り続けてもらうためにも、
また、ボケ予防(ゴメンなさい)のためにもちょくちょく通います。。。。。
ファイル ラーメン.jpg

追記 狸小路を歩いていたら、2丁目にある”名取川靴店”が創業81年と書いていました。
お父さんと同じ月日を歩んできたんですね。。。。。

季節の変わり目、特に今時期はね・・・・・。

こうのように寒くなったり季節の変わり目になると、人の感情や体調に変化が
起き始めますよね。

で、様々な問題や悩みなどが引き起こされます。
きっと、これって本来は春夏秋冬に合わせて人間をリセットさせるように出来ていたものが、
昨今の偏食や仕事のストレス、超情報化社会(なのに、孤独)などで神経に異変を来たして
体調を悪くしたり、心の悩みが外に出たりするんですね。

また、あたくしの経験上では、この位の時期から12月始めに掛けて色々と問題が
起ります。そのほとんどは人の問題ですけどね。

寒くなると人間は物悲しくなってくるからなのでしょうかね?

仕事にプライベートにと、様々な悩みや問題が・・・・・。

でも、大なり小なり、多かれ少なかれ、金持ちだろうがそうでなくとも、
有名人だろうがそうでない人も、社会的に地位の高い人だろうがそうでない人も

皆、悩みや迷い、問題は同じなんですよね。

そう、
ファイル 1981-1.jpg

楽ありゃあ、苦もある。
その逆もまたしかり。

唯一言えることは、
『前に向いて歩く』ことです。

そう、『前に向いて歩く』こと。。。。。

中年の星を目指すのか!?俺・・・・・。

ここ何日か、20数年前のことをまるで10年くらい前の感覚で
捉えていることがあり、慎重に数えて「25年前なの?」と分かった
瞬間の恐ろしいと言ったら、まるでゾンビ映画で急に目の前に血まみれ
ゾンビが現れたような恐怖感です。

その当時の情景や話した内容、また、その時に感じたことなども
しっかりと覚えているのに、もう25年も前と言うことは、そんだけあたくし目も
歳を取っていると言うことなので、その事実に二度恐怖を感じるのです。

特に冠婚葬祭などで親戚との会話や情景などが思い出されますし、
その裏で「あ~、と言うことは部長の時だったかな~」と言うように仕事とも重ね
合わせて考えます。

よくもまぁ、ここまで歳をとったもんですね。
我ながら感心しますよ。

自分自身では、まだ30代中盤ぐらいの気分だし、20代のスタッフも
居るので、あまり考え方や行動に差が無いと大いなる錯覚している所にも
関心するのです。

って言うか、あたくしって年相応に見えるですかね?
20代前半の頃は30代前半(調度、一周り上)に見られていたし、
30代前半には年齢よりも上と言うか何と言うか、きっと見かけだけ大人びた
感じに見られていました。

30代中ごろからようやく実年齢と、相手から言われる年とが合って来ました。
飲食店って、お客さんも働いている人も年齢の幅が広い人たちと接しているので、
若い時は上に見られるし、それなりの年でも同じ年の人に比べれば若々しく見られる
傾向にあるんですよね。

それは、この仕事をしている人(キッチンを抜かして)は晩婚なので制約のない生活を
しているのに比べて、同じ年の人は結婚して子供も出来て・・・・・と言った感じで家庭を
持つと生活感が滲み出るからなんですよね。(どっちが良いとかではなく)

また、常に人から見られているので意識をするからかも知れません。

でも、あたくしのように30代後半から店にほとんど出くなると変に老けて
来ると言うか、なんて言うかね・・・・・。

で、「そうだ!店に出れば若々しくなれるのか?」と思えば、それは違って
若い時は体力があるので疲れが顔に出ませんが、年齢を重ねればそれだけ
体や表情に疲れが出てしまうので何とも言えないの現実なのです。(泣)

諦めて、年相応に中年の道をひた走るか?
往生際悪く無駄な抵抗をするのか?

取り敢えず、少し考えます。
と、思ったこと自体が”あっ!”と言う間に「あんなことも考えていたのも15年前か・・・・・」
となるんでしょうね、きっと。

あっ、25年にしなかったのは、そこまで生きている確信が持てないからです。(笑)

追記 そうか、若者から憧れられる格好いい”おっさん”になればいいのか。

取り敢えず、”ライトニング”でも買ってこよっと。
(ってか、カタカナでしか書けない所が、既にダサイ”おっさん”の図)

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