先日、メンタルクリニックの先生と話した時には最初の就職先を
辞めてからの話をしました。
この仕事に就くまでの2年余りで4つの仕事をしました。
トラックへの積み込みの仕事、四トントラックの運転手、生コン打設
の仕事と、2ヶ月ほどススキノでホール係。
全てバイトで、四トントラック以外は首にもならず頑張っておりました。
運転が下手なので、大きいトラックの運転には向かないようでした。(笑)
でも、あとで「また戻って来てくれないか?」と言われましたが、「もう、
違う仕事をしてますので」と断りました。
先生には1年って言いましたが、計算が合わないので2年間バイト
生活と、当時で言えばぷー太郎の期間を入れると2年ですね。
紙に書かないと、こんがらがる。
2、3ヶ月働いては同じくらい”ぷー太郎”になっていたので、やっぱり
2年間もバイト生活だったんですね。(笑)
「自分が何をしたいのか?何が合うのか?」と、二十歳前後の若者が
良く考える自分探し。(大切なことだと思います、人生を考えることは)
先生と話していて気づいたのは「自分に会う、自分が心から燃えられる、
使命感を持って働ける仕事=人生を見つけるために、最初の仕事を
辞めましたが、実は最初の仕事でも十分に”やりがいや使命感、生きがい”
を見出せたのかも知れませんでしたね」と話しました。
あたくしこれまで「自分探しの職見つけ」をして来たんだと思っていましたが、
実はそうではなかったんだと。
以前いた会社の社長に「好きこそ物の上手なれではなく、上手こそ物の
好きなれなんだよな」と言われたのを改めて思い出しました。
そう、単純に自分が上手く出来なく逃げていただけだったんですね。
まぁ、確かに若かったので朝から晩まで汗だくでグタグタになるまでの仕事を
「この先何年続けるのだろう?」と思っていたのもあって、身は入っていなかった
のは事実ですが。
これがもし結婚して子供が出来ていたら、また違った人生を送っていたかも
知れませんが、元来自由奔放なB型典型人なので、このようになる人生を
送ることになったのでしょうね。
昨日、「そろそろシャワーでも浴びようかな」と思ったら電話が。
「寺」と表示されておりました。
「寺」とは最初の就職先の寮で隣で仲の良かった”寺本”。
「もしもし」 「もしもし!カーか!?いま、これからあっきの店に行くんだけど
カーに怒られるから誘ってんだわ!!」とイイ感じの酔いどれ具合。(笑)
あたくしも忘れていましたが、”寺”が札幌に帰って来ていた時に、”あっき”という
あたくしとは地元の工業高校を一緒に卒業して最初の就職先も同じで
”寺”とも同期の友人が店をやっていて、そこに行っていたのを「なんで!俺を
誘わないんだ!!」と酔って絡んだそうで、「面倒くせーから電話した!」と、
こちらもかなり面倒くさい口調での電話でしたけどね。(笑)
0時からススキノへ出るには若干のお金と勇気が要りますが、ちょうど”あっき”に
も大事な話があったので取り敢えず支度をして行きました。
店を出る頃にはもう明るかったです。(そりゃそうだ、朝の4時ですから)
”寺”は「加藤は成功者だ!!」とか何だとか言っていました。
「俺は成功者でも何でもないよ、現に今でもいつどうなるか分からないし」
「そりゃあ、そーだ!!」(どっちなんだい!)
「でも、今までは一応成功者だろ!!少なくともあの国際技研のメンバーでは!!」
「寺、何を持って成功者と言うのか俺は分からない。寺のようなクソサラリーマン
だってそれぞれの価値観があって、自分が幸せならそれで良いんじゃネーの?」
(そうです、どんな人生であれ寿命を最後まで全うした人間が成功者なんですから)
「でも、経営者だろ!!」 「一応ね」
「加藤のブログは面倒くせーけど、俺たちが言えないことを書いてくれている」
「トップギア!!ね」 「面倒くせー!」
そんなやり取りをしながら朝までコース・・・・・。
”寺”、俺は一応、経営者だけど成功者でも何でもないんだ。
将来の展望(ビジネス用語ではビジョンなどと言うけど)も何もなく、様々な経営に
不安を抱え、ビビりながら日々を過ごしている単なるつまらない三流以下の
経営者なんだ、本当に。
ただ、若い時に自分の可能性を求め、やりがいを求め、使命感に燃え、
「天職かも?」と思える仕事と言うよりも仲間と出逢えたことが、俺のたった一つの
人生においての奇跡であって誇りなんだ。
俺が今こうしてるのも”そこ”があったからなんだよ。
また、じっくりと話そうぜ、色々とあるみたいだから。
今度は酔いどれになる前に。(笑)
追記 酔っていながらも、ちゃんと”寺”が何を言いたかったか分かってるから。
今度、時間を作ろうな!!
あの頃一緒に汗して働いて、飲んで、
その後の互いの人生があって、今があり、未来がある。