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68回目の終戦(敗戦)の日を迎えて。

今日は終戦(敗戦)の日です。
この日になると、毎度のごとく政治家の「靖国神社参拝」を
問題にしますよね。特に今年は安倍政権なので。

個人的には正々堂々と誰彼に憚(はばか)ることなく、
参拝するのは自由だと思います。

どうせ騒ぎだすのは特定の国家の2つだけですから。
あとは、何かを勘違いしているマスコミと左翼政党くらいです。(笑)

大和の後部が白煙を上げているのが私にも分かりました。

なおも攻撃が続けられ、魚雷が的中した時は震度5にも
感じられるほど激しく揺れました。

次第に船は傾いていきます。

砲術学校では、戦艦は15度傾いたら限界と習ってきましたが、
25度、30度とどんどん傾いていきます。

それでも、戦闘中は命令がない限り、持ち場を離れることはできません。

その時「総員、最上甲板へ」との命令が出ました。
軍には「逃げる」という言葉はありませんが、
これが事実上「逃げろ」という意味です。

すでに大和は50度ほど傾いていましたが、この時初めて、
「大和は沈没するのか」と思いました。
それまでは本当に「不沈戦艦」だと思っていたのです。

もう海に飛び込むしかない。
そう思った時、衝撃的な光景を目の当たりにしました。

私が仕えていた少尉が日本刀を抜いたかと思うと、自分の腹を掻っ捌いたのです。

噴き出す鮮血を前に、私は凍り付いてしまいました。

船はますます傾斜がきつくなっていきました。
90度近く傾いた時、私はようやく海へ飛び込みました。

飛び込んだのも束の間、沈む大和が生み出す渦の中へ巻き込まれてしまいました。

その時、私の頭に過ったのは海軍で教わった「生きるための数々の方策」です。

海軍に入ってからというもの、私たちが教わったのは、ひたすら「生きる」ことでした。

海で溺れた時、どうしても苦しかったら水を飲め。
漂流した時は体力を消耗してしまうから

泳いではならない……。

陸軍は違ったのかもしれませんが、海軍では「お国のために死ね、天皇陛下のために死ね」
などと言われたことは一度もありません。

ひたすら「生きること、生き延びること」を教わったのです。

だから、この時も海の渦に巻き込まれた時の対処法を思い返し、実践しました。

しかし、どんどん巻き込まれ、あまりの水圧と酸欠で次第に意識が薄れていきます。

その時、ドーンという轟音とともにオレンジ色の閃光が走りました。

戦艦大和が大爆破したのです。

そこで私の記憶はなくなりました。

気づいたら私の体は水面に浮き上がっていました。
幸運にも、爆発の衝撃で水面に押し出されたようです。

しかし、一所懸命泳ぐものの、次第に力尽きてきて、
重油まみれの海水を飲み込んでしまいました。

「助けてくれ!」と叫んだと同時に、なんともいえない恥ずかしさが込み上げてきました。

この期に及んで情けない、誰にも聞かれてなければいいが……。
 
すると、すぐ後ろに川崎勝己高射長がいらっしゃいました。
「軍人らしく黙って死ね」と怒られるのではないか。

そう思って身構える私に、彼は優しい声で「落ち着いて、いいか、落ち着くんだ」と言って、
自分がつかまっていた丸太を押し出しました。

そして、なおもこう言ったのです。
「もう大丈夫だ。おまえは若いんだから、頑張って生きろ」

4時間に及ぶ地獄の漂流後、駆逐艦が救助を始めると、
川崎高射長はそれに背を向けて、大和が沈んだ方向へ泳ぎ出しました。

高射長は大和を空から守る最高責任者でした。

大和を守れなかったという思いから、死を以て責任を取られたのでしょう。

高射長が私にくださったのは、浮きの丸太ではなく、彼の命そのものだったのです。

昭和60年のことです。いつもピアノの発表会などでお会いしていた女性から喫茶店に
呼び出されました。

彼女は辺見さんが書かれた『男たちの大和』を取り出し、こう言ったのです。

「八杉さん、実は川崎勝己は私の父です」

驚いたなんていうものじゃありません。

戦後、何とかしてお墓参りをしたいと思い、厚生省など方々に問い合わせても
何の手がかりもなかったのに、前から知っていたこの人が
高射長のお嬢さんだったなんて……。

念願叶って佐賀にある高射長の墓前に手を合わせることができましたが、

墓石には「享年31歳」とあり、驚きました。
もっとずっと年上の人だと思い込んでいたからです。

その時私は50歳を超えていましたが、自分が31歳だった時を思い返すと
ただただ恥ずかしい思いがしました。

そして、不思議なことに、それまでの晴天が急に曇天となったかと思うと、
突然の雷雨となり、まるで「17歳のあの日」が巡ってきたかのようでした。
 
天皇も国家も関係ない、自分の愛する福山を、そして日本を守ろうと
憧れの戦艦大和へ乗った感動。

不沈戦艦といわれた大和の沈没、原爆投下によって被爆者になる、そして、敗戦。
 
そのすべてが17歳の時に一気に起こったのです。

人として生きたなら、その証を残さなければなりません。
大きくなくてもいいのです。
小さくても、精一杯生きた証を残してほしい。

戦友たちは若くして戦艦大和と運命をともにしましたが、いまなお未来へ生きる我々に
大きな示唆を与え続けています。

復員後、長く私の中に渦巻いていた「生き残ってしまった」という罪悪感。
それはいま使命感へと変わりました。

私の一生は私だけの人生ではなく、生きたくても生きられなかった
戦友たちの人生でもあるのです。
うかうかと老年を過ごし、死んでいくわけにはいきません。

未来の日本を託す若者たちが歴史を学び、
真の日本人になってくれるよう私は大和の真実を語り続け、
いつか再び戦友たちに会った時、
「俺も生かされた人生でこれだけ頑張った」 と胸を張りたいと思います。


「若者よ、君たちが生きる今日という日は
    死んだ戦友たちが生きたかった未来だ」


八杉康夫(戦艦大和語り部)

『致知』2006年7月号
特集「人学ばざれば道を知らず」より

追記 大和の乗員約3000名のうち、生存者は276名でした。
このように命がけで日本を、日本の未来を守って下さった英霊の方達の
お陰で今日があるのです。

なので、もっと自分や周りを大切にして、ましてや自ら命を絶つなんていう
ことは絶対にしないでもらいたいですね。。。。。

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八杉康夫氏

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お盆を迎えている家族へ。

この夏の七月二十九日、弔問のため九十九里に赴いた。
弔問客は四十人くらいであったが、私にとってこの葬式は、
抑えがたい悲しみと感動が相俟って、心に強く焼き付いた。

故人は、当社社長・中川の義弟・菊崎氏である。

中川の説明によると、故人は四十九歳。
妻(中川の妹)、高校三年の息子、
そして中学二年の娘を残して逝ってしまったのである。

故人は二十五日日曜日の昼過ぎに、
不運にも誰もいない自宅で倒れてしまったという。
 
奥さんはその日たまたま仕事に出ていた。
成東高校の三年生で、サッカー部のキャプテンを務める長男は、
練習のためやはり出ていた。
 
片貝中学二年の長女も、
所属するバスケットボール部の活動で出かけていて、
家族全員留守の間の出来事であった。

私が中川からその知らせを受けたのは、翌二十六日の朝であった。
午後には、通夜は二十七日の夜、葬儀は二十八日と決まったようだ。

ところが、夕刻過ぎに再び中川から電話が入った。
 
「実は、誰もいない所で死んだ場合は、
司法解剖をしなければならないそうです。
ですから、まだ葬式の日程を決められませんので、
決まり次第また連絡いたします」
 
とのことだった。

司法解剖の結果、死因は心不全と分かった。
日程を改め、通夜は二十八日午後七時、
葬儀は二十九日午前十一時から行われることになった。

その間、中川から菊崎氏の横顔を少し聞かされていた。
北海道出身で、高校時代は野球部に所属し、優秀な選手であったこと。
 
高校卒業後は野球ではなく、料理の修業のためにドイツへ三年間留学したこと。
お酒が好きだったこと……。

それにしても、四十九歳という若さで亡くなった本人の無念を思うと、心が痛む。
 
二十九日は、小笠原諸島付近に大型の台風があって、
珍しく西にゆっくり進んでいるとのことだった。
 
その影響で、朝のうち房総半島は時折にわか雨に見舞われる悪天候だったが、
十時前には雨も上がり、びっくりするほど澄み切った青空が広がった。
 
真っ白な浮き雲、灰色の雨雲が、
時折夏の強い日差しを遮りつつ勢いよく流れていった。

十一時少し前に、葬式の会場である九十九里町片貝の公民館に入った。
会場の大部屋は畳敷きで、棺の置かれた祭壇の前には、
すでに遺族と親戚の方々が座していた。
 
私は中川夫婦に黙礼をして後方に並んでいる折りたたみ椅子に腰掛けた。
 
祭壇の中央では、故人の遺影が こちらを向いてわずかに微笑んでいる。
 
ドキリとするほど二枚目で、その表情からは男らしさが滲み出ていた。

会場には私のほかに高校生が五、六人、中学生の制服を着た女の子が数人、
そして私のような弔問客が三十人くらい座していた。
広間に並べられた座布団の席はまばらに空いていた。

葬式は十一時ちょうどに始まった。
右側の廊下から入ってきた二人の導師が座すと、鐘の音とともに読経が始まった。

後ろから見ると、二人ともごま塩頭を奇麗に剃っていた。

読経の半ばで焼香のためのお盆が前列から順々に廻されてきた。
私も型通り三回故人に向けて焼香し、盆を膝の上に載せて合掌した。
 
しばらくして全員の焼香が終わると、
進行係の人がマイクでボソリと「弔辞」とつぶやいた。

名前は呼ばれなかったが、
前列の中央に座っていた高校生らしい男の子が立った。
 
すぐに故人の長男であることが分かった。
私には、彼の後ろ姿しか見えないが、
手櫛でかき上げたような黒い髪はばさついている。
高校の制服らしき白い半袖シャツと
黒い学生ズボンに身を包み、白いベルトを締めていた。

彼はマイクを手にすると故人の遺影に一歩近づいた。

「きのう……」。

言いかけて声を詰まらせ、気を取り直してポツリと語り始めた。

「きのうサッカーの試合があった。見ていてくれたかなぁ」。

少し間をおいて、
「もちろん勝ったよ」。

二十八日が葬式であったら、彼は試合には出られなかった。

司法解剖で日程が一日ずれたので出場できたのである。
悲しみに耐えて、父に対するせめてもの供養だとの思いが、
「もちろん勝ったよ」の言葉の中に込められていたように思えた。

「もう庭を掃除している姿も見られないんだね、
犬と散歩している姿も見られないんだね」

後ろ姿は毅然としていた。
淋しさや悲しみをそのまま父に語りかけている。

「もうおいしい料理を作ってくれることも、
俺のベッドで眠り込んでいることも、もうないんだね……」

あたかもそこにいる人に話すように、
「今度は八月二十七日に試合があるから、上から見ていてね」

その場にいた弔問客は胸を詰まらせ、ハンカチで涙を拭っていた。

「小さい時キャッチボールをしたね。
ノックで五本捕れたら五百円とか、十本捕れたら千円とか言っていたね。
 
二十歳になったら『一緒に酒を飲もう』って言ってたのに、まだ三年半もある。

クソ親父と思ったこともあったけど、大好きだった」

涙声になりながらも、ひと言、ひと言、ハッキリと父に語りかけていた。

「本当におつかれさま、ありがとう。
俺がそっちに行くまで待っててね。さようなら」

息子の弔辞は終わった。

父との再会を胸に、息子は逞しく生き抜くだろう。


「息子からの弔辞」

井坂晃(ケミコート名誉会長)

『致知』2004年11月号
連載「致知随想」より

うん~、迷うな・・・・・。

最近は電子書籍で本を読んでいる方を見かけます。
本だと持ち運んだり、読んだ本はかさ張るので、電子書籍ならば
便利ですよね。(って言うか、まだ仕組みを理解していませんが)

あたくしも以前ほどではないですが、本を読むのが好きです。
(西やんは活字が好きだ。と言って本を読んでいましたが)

最近本を読んでいない理由の一つとして、
1、読んだ後にかさ張る。
2、読みたい本を買いまくり、結局読まない事が多い。
の2点ですね。

1の本がかさ張るについては、「ブックオフにでも出せばいいじゃん!」
と思いますが、貧乏性故に「また、いつか読み直すかも知れない」と
思うので取っておくんですよね。

でも、ほとんど読み返さない。
それどころか(特に文庫本)、前に買ってあるのに忘れていて
また同じものを買い、「あれ?これって前にも読んだことが・・・・・?」
となる時があります。

戦国武将の本は時代背景や出来事・人物などどが似通っているので
特にそうなんですよね。大体が戦国物が好きなのと「戦国武将のリーダー論」
などと言うタイトルなどを見ると、

「そうか~、ちょっとの失敗や一度の敗戦で領土を奪われたり、
死ぬかも知れない時代の優れたリーダーはどのように考え、戦い、
また、どのような人生をおくったのか?」と、参考にしようと買うのですが、
その本を読んで一年、二年と経っている内に同じようなサイクルで
同じような立場・状況に立たされてしまい、ついつい手に取ると同じ本だった。
と言うことです。(結局、進歩していないという事ですね)

ちょっとそれてしまいましたが、そんなこんなであたくしも電子書籍デビューを
目論んでいます。普通にPCとしても使えるし。

けど、なんとなく後ろめたい気がするんですよね。
慣れていないのもありますが、どこか”勉強”をしている。と言う思いがあるので、
ちゃんと本を手に持ち一枚一枚ページをめくり、気になることや人物関係が
複雑な場合は読み返しながら読む癖がついていますし、

本当に自分自身に大切な箇所に赤線を引いたり、思いついたことを
書き込んだり出来るのも本のメリットだと思うのです。

そうそう、先日「セレンディピティ」と言う言葉を目にしました。
知っている方もいると思いますが、一応どう言意味かと申しますと
「何かを探しているときに、探しているものとは別の価値あるものを見つける
能力・才能を指す言葉である。何かを発見したという「現象」ではなく、何かを
発見をする「能力」を指す。平たく言えば、ふとした偶然をきっかけに閃きを得、
幸運を掴み取る能力のことである。」と。

分かるような気がします。
いや、分かります。あたくしが言いたかったことがこの”セレンディピティ”です。

結局、本を読むと言うことは知識だけでなく”思考”を得ることでよね。
しかも、何かを探している内に「別の価値あるもの」を見つけることって
本当のよくあります。

まったく仕事に関係ない小説を読んでいたのが、思いっきり仕事のヒントに
なったりと。で、ここで言う「幸運を掴み取る能力」に繋がるんですよね。

先日、出版社や取次関係者が参加した「東京国際ブックフェア」で、角川歴彦会長が
「電子書籍が近い将来、紙の落ち込みをカバーするにとどまらず、再販・委託制に
支えられてきた戦後70年間の出版業界全体を根底から変革するカギになる」と
説いたの対して。

お茶の水大学名誉教授の外山滋比古氏は「思考力を鍛える本の読み方-
乱読のセレンディピティ」と題して講演をして、「本の乱読」がセレンディピティに
最も適していて、知識をいくら増やしても思考がなければだめで、インターネット
など新しいメディアには期待できない。と、断言しました。

うん~、影響されやすいあたくしはこの記事を見て益々迷っています。。。。。

追記 今年、90歳になる外山氏は「知識は老化するが、思考は老化しない」
と主張しております。

益々、うん~・・・・・。

やっぱり、「南高梅黒酢ドリンク」人気です!!

”夏、またね!”夏バテ解消!!

今日から丸かでは夏のフェア第三弾(最後です)が始まります!
題して”夏、またね!”「南高梅の黒酢ドリンクと疲労回復メニュー!」
そうです、夏バテ解消がテーマです!!

で、選んだ飲み物が梅と黒酢を使った名前を聞いただけで「めっちゃ夏バテ解消じゃん!」
と言う代物を用意しました!!梅は紀州の南高梅!黒酢は純米黒酢と純玄米黒酢
(いずれも国産原材料100%!)、またハチミツは国産蜂蜜ですので、
なんと!安心・安全・信頼のオール日本産!!!(いいぞ~!)

しかも”無添加”で大変飲みやすく、疲労回復だけではなくて二日酔い防止や
美容にも良いとのこと。まさしく、夏で疲れた身体と肌に優しい『南高梅黒酢』を、
思う存分飲み尽くして下さい!

焼酎と高圧炭酸で割って、さっぱり酎サワーとしても!
焼酎のみでロックとしても!!
もちろん、南高梅黒酢の炭酸ジュースとしても!!!

自分に合った飲み方で、ぜひお楽しみください!!

それと、各店が嫌々ではなくて暑い中、あたくしに叱咤激励を受けて
作った夏バテ解消の商品群を「南高梅の黒酢ドリンク」と合わせて楽しんで下さい!!

こんな感じでお待ちしております!!

追記 この「南高梅の黒酢ドリンク」は本当に旨いですよ。女性にはもちろん
男性にも評判にが良いと思いますよ。筋金入りの飲兵衛のあたくしが
言うのですから信用して下さい!!(笑)

恥ずかしかった!

一昨日、蒸し暑過ぎて「そうだ!今日はTシャツ一枚で行こう!」と思い、
紺色の綿とポリエステルか白で綿100%か迷い、ベタベタしないように白にしました。

で、事務所へ来る途中で窓ガラスに映った姿を見ると・・・・・!!

なんと!くっきりと”乳首ちゃん”が見えるではありませんかー!!

ヤバイ!と思い、事務所へ来る間で人とすれ違う時は、わざとらしく
胸の前に腕が来るようにして背中や肩が凝ったフリをして”乳首ちゃん”を
隠しながら来ました!

「瀬口、乳首見えないか!?」
「み~え~ま~す~!」と顔を真っ赤にして笑いをこらえるようにして
(実際には笑っていましたけど)、確かに「見える」と言いました。

で、途中コンビニ寄った時に普段はレシートを貰わない所を「そうだ!これを貼ろう!」
と大切に保管して来たレシートを貼って「瀬口、これでどうだ?」と問いかけると

「余計に目立ちます~!」と、さっきよりも顔を真っ赤にくしゃくしゃにしながら
笑っておりました。

「絆創膏でも貼ろうかな?」
「剥がす時に痛くないですか?包帯とかに付ける白いテープでは?」

取り敢えず何か探していると、全く整理されていない中川の机の上に
水に強い絆創膏がありました。

「どうだ?瀬口」
「えぇ、さっきより目立ちませんよ」
「えっー!さっきより?」
「大丈夫ですよ、誰もそこを気にしませんから」

で、いつも全く整理されていない机の持ち主の中川が来たので、
「中川、何か違わないか?この辺(上半身を指す)」
「え?何かですか・・・・・?」
「違う!顔じゃなくてこの辺よ!上半身よ」
「えっ?」
(ダメだ、こいつは鈍い)と思い、「正確に言えば胸のあたりよ。
乳首に絆創膏貼ったんだけど目立たないか!?」
「あ~、何となくわかりますけど、大丈夫ですよ」と、安心して良いのかどうなのか
あまり納得はしていなかったけど、取り敢えず了承。

で、それがこれら↓
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見えますか?日中に外で汗を掻いたら、かなり目立ちます。

で、貼りました!↓
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何だか、ニップルシールみたいになりました。

で、貼った後のTシャツ↓
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どうですか!?目立たないですよね!!

って、何をバカな事をやっているのでしょうか。。。。。

追記 今日からお盆が始まっている方もいますね。
帰省などでの行き帰りに気を付けて下さいよ!!

中川が、友人たちとニセコのペンションへ行きました!!
楽しそうですね。(って言うか、中川って友達いたんだ・・・・・)

最近、思ったこと。
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ホラン千秋ちゃんって↓
ファイル 1614-5.jpg
ウエンツ君に似てませんか?

年を取るのも。。。。。

あたくしどもは3月決算なので、4月からが新年度が始まります。
つまり、「暦の上ではディセンバー でもハートはサバイバー♪」
って、あまちゃんのGMTの曲じゃん!(笑)
一応、こんな感じです。

つまり、暦の上ではディ・・・・・、1月から新年度ですが、経営収支の上では
4月からが一年の運営が始まります。

で、既に4か月が過ぎましたが、実に色々な事がありました。
業務上の事は日常茶飯事なので今さら気にはなりませんが、生死に関わることだったり、
プライベートやその後の人生に関わることなので、ここでは述べませんが
それにしてもつくづく「人生って、不思議だな~・・・・・」と。

人生って、たった1分前まで幸せだったカップルが何かの切っ掛けで
別れることになってしまったり、一言、一通のメールでその人だけはなく、
他人の人生にも影響するんですよね。

皆さんも過去にありますよね。
恋愛、友達、家族、仕事と・・・・・。

なぜ?あの時こうなったんだろう・・・・・?
なぜ?あんなことを言ってしまったんだろう・・・・・?
なぜ?あの時にあのような行動を取ってしまったんだろう・・・・・?

また、その逆も。

そう考えると、人生って何かの玉がグルグルと回っていて、何かのタイミングか?
もしくは何かに導かれたのか?は分かりませんが”スポッ!”と落ちてしまうんですよね。

それを周期(バイオリズム)とか、運命とかって言うんですよね。
又は、「物事には偶然はなく、この世の出来事は全て必然です。」と、
どうとも捉えられる言葉とかね。

しかし、やっぱり言えるのは「人生って”不思議”です。」と言うこと。

だって、親しい人が明日になったらこの世に居なくなっていたり、
カップルや夫婦が明日には別れていたり、昨日まで一緒に働いていた
人が居なくなっていたりと。

よく、「いつ死んでも良いように覚悟だけはして置いている」と言う人もいますが、
案外と予測しているとそのようにはならないんですよね。(笑)

まったく予想だにしなかったことが、突然に起るから驚くし、ショックも受けるし、
悲しくもなるんです。また、その逆で”良いサプライズ”が起きたりと。

それらを乗り越えて行くのには、やっぱり人生の経験なんですよね。

そう思うと、年を取るのもあんがいと悪くないもんですね。。。。。

今日は涼しいですね、今日もお待ちしています!!

こんな気持ちでいれたらいいね。

8月8日は末広がり。と、改めに・・・・・。

今日は8月8日、思わず「64!」と叫びたくなる
思いを胸に蒸し暑い一日を乗り切って行こうと思います。

あっ、8×8(はっぱ)=64と言うことですから。

最近になって改めてスタッフの心構えを再確認と、これから
新しく入るスタッフのために、「飲食店で働くとは」「その中で丸か
加藤商店では」と、ザックリですが文字にして作って見ました。

今迄は、店で採用されたスタッフは店長が教えて来ました。
基本的にはこれからも変わりはないのですが、店のオペレーションや
業務は営業をしながら教えていますが、その前段階の「心構え」に
関しては、先ほども書きましたが「飲食店で働くとは」「その中で丸か
加藤商店では」の根本を、何となくの流れで覚えてもらうのではなく、
最初に可視化して意識してもらおうと。

細かい業務的なことは各店舗違うので店に任せますが、
まずは何を始めるにも、基本的な「挨拶」とか「相手の気持ちに立って」の
考えや言動を記したものです。

調理人ならば、単に言われたとおりに料理を作ればいい、
ホールならば、単にオーダーを取って料理を運べばいい、
では生きていけません。少なくとも丸かでは。

生まれも育ちも違うし、今までまったく飲食で仕事をしたことがない、
又はあっても上記のような”単に”的な飲食店の意識のままだと
お客さんにも周りのスタッフにも、そしてせっかく何かの縁で働くことに
なった本人自身にも残念な事になりますからね。

ですので、その辺を店舗ではなく事務所で初期研修をやることに
しました。そこで、あたくしではなく店長にやらせて足りない所を補完
して行こうと。また、店舗で雇っても事務所へ来た事が無く、あたくしや
他の上司や先輩に合うことなく、1,2ヶ月過ぎたり、「辞めていた!」
と言うこともあるので、教える側の店長と新しく入った人を見極めるためにも
事務所で初期研修を行おうと思いました。

とは言っても、1時間弱ですけどね。(笑)

まぁ、これで一気に何かが変わるとかではないのですが、あとから
「こんな事までするとは聞いていません!」とか「そんな考えにはなれません!」
とか言われたり、思われたらお互いに嫌な思いをするし、残念な結果になるしね。

つまり、最初に「心構え」を解いて、働く意識を確認するのが目的なんです。
それと、それを教える側の意識と心構え、また責任と。

以前の会社ではお店が沢山あったので必ず「初期研修」を行っていましたし、
定期的に役職や段階的な研修や会議を行っていました。

あたくし自身「丸かで、そこまでやる必要ないよな」と思っていましたが、
やっぱり”必要”なことです。

だって、「丸か加藤商店の心構え」とは、あたくし”アームストロング・オズマ・
カトウタカシ”の仕事と人生においての『思想』を知ってもらうことですから。。。。。


追記 やっぱり8(八)は末広がりとも言いますので、
何だか良い事がありそうで気分が良いですね。

来てね!

さぁ!夏を吹き飛ばせ!!カラオケで歌え!!!

蒸し暑いと思えば・・・・・、事務所?

今日も蒸し暑い日が続きますが、まぁ、これも”短い夏”の証と
思えば、大したことはなく「ビールが旨いな!」くらいの心構えで
いたいと思います。

とは言っても、以前あたくしが働いていたような建築・建設現場の
人は冷房などの設備などが無い状況で大変です。特に、昨日や
今日のような蒸し暑さは本当にキツイです。

しかも、あたくしが働いていた仕事は特殊なガスバーナーで鉄筋を
あぶるので、それでなくともバーナーの近くは「モワッ」とするのに、
それにプラス蒸し暑さですからね・・・・・。(泣)

でも、まだ北海道だからいいのですが、先日電話で話した元同僚は
東京で同じ仕事をしているとのこと。何が悲しくて東京なのでしようか?

あたくしも関東で鉄筋ではなくレールをガス圧接したのを、デカイ
グラインダーで削る仕事をしておりましたが、熊谷と横浜の金沢文庫で
働いた時には「なんじゃこりゃ~!」と、太陽にほえろのGパン刑事の
殉職シーンのようになりました!!(Gパンって解る?)

頭の中は、アイスキャンデーとビールが交互にリフレインしていた
憶えがあります。

で、今さっき急に用事を思い出して外に出ると適度に風があって
あんまり蒸し暑くないんですね。(あれ?)

そうなんです、丸かの事務所得意技の”ザ・盆地気候!!”
冬特に寒く、夏特に暑い。(しかも、唯一の扇風機が製氷機の方で使っている)

ん~、恐るべし事務所!!

だから、ビールが恋しくなるのかな。。。。。

追記 明日から夏の甲子園ですね!!
北海道からは北北海道代表で”帯広大谷”が、南北海道代表は
”小樽北照”が出場します。しかも、”帯広大谷”は”おごじょの尚吾”
母校なんです!

是非とも北南と勝ち進んで、3年生にとっては1試合でも多く思い出を作って
欲しいと思います。。。。。

ビールを飲むなら”夏のフェア第二弾の「夏が来た!」の丸か加藤商店で!!”

解放感があっていいですね、外飲みは。

昨日は久しぶりに”てまひま”の外で飲みました。

最初は親戚と飲んでいましたが、途中から常連さんと入れ替わり、そのまま
0時位まで飲むことに。

上の”満福や”から餃子を頼むと、正に無敵の外飲みです!!

外で飲んでいると結構お客さんと会うんですよね。
「あっ、どうも!今日は!?」
「いや~、後から・・・・・」と言いつつ、ばつの悪い感じで通り過ぎて行きます。。。。。(笑)

でも、この時期に外で飲むのって涼しくて気持ち良いし、新鮮なので常連さんとの
会話も弾みますね。

お店には来ていますが、あたくして的にはあまり知らない常連さんとも
話が出来て中々意味のある飲み会でした。

それにしても尼崎の男はおもろい!!
酔いが深くなるにつれて、段々と溶けかかってくるのがまたおもろい!!

また、外飲みは解放感からでしょうか?
何故か店内で飲んでいる時よりも中々厳しい意見も聞けました。

貴重な意見、10杯目のビールのグラスが空いても、ちゃんと覚えていますからね!!

ありがとうございました。


でも、今日は暑い!
まだ、風があるからいいけどね。

やっぱ、時代か?

あたくしここ最近特に思うのですが、時代がそうなのか?
男女問わずシンガーソングライターの方は、歌い方や声が似ていますよね。

なんて言うのかな~、
スキマスイッチ系とか、YUIとかといった、少し鼻に掛かった歌い方や、
掴みどころのない歌い方とか・・・・・。

別に嫌いとかではないんですけど、何か個性が無いように思われます。

お店だって同じような店ばかりだったら、飽きちゃうし面白くないですよね、
「またか」ってね。

まぁ、「お前が、おっさんだからだ!」と、言われればそこまでなんですけどね。

20代の男子が給料を何に使うか?の質問で「貯金」と答えて、
何のための貯金か?と、更に一言多い質問には「子供のため」と、まだ彼女も
居ない男子が答えるくらいだから、やっぱ時代なんですかね・・・・・。

あたくし的には”大黒摩季”や”福原美穂”(偶然ですが、どちらも札幌の
南区出身なんですよね)のようなパンチに効いた歌がいいんですけどね。

やっぱ、時代か。。。。。

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