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一方通行・・・・・。

皆さん、こんちは。
”スマイリー・小原”です。

と、何事もなく今日2回目の”トップギア!!”を書いています。
(どこまでもミスを認めない”祥子”のような性格ですけど、何か?)

まぁ、気持ちを変えて行きます!

先日この”トップギア!!”で震災瓦礫のことを書きました?覚えていますか?
「お前じゃネーよ!」と思うかも知れませんが、一応これです。

で、そういえばここで書いているだけなら単なる愚痴だよな?と思い、
札幌の上田市長宛にメールを送りました。(嫌な奴ですみません)

今日で三日目ですが、まだ返信が来ません。
すると先ほどラジオで「上田市長は今のところ瓦礫を受け入れる気は
ないようです」と軽快な口調で話されておりました。
でも、その話の前に稚内市は受け入れる方向だと言っていたので、
何だか札幌市は情けないな〜と思いました。

ラジオでも「いつから日本人はこのように情けなくなったんでしょうか?」と
言っていました。

瓦礫を受け入れると観光客が減るからか?市民(ほとんどはヒステリックな
アホな団体)がうるさくて、次の選挙で落選する恐れがあるからか?

友人の”内藤君”に似ている”上田市長”は何を考えているのでしょうか?

何らかの返信が欲しい所です・・・・・。

取り合えず、仕事します。

2回目、ありがとうございます。

アイマイミー・・・・・。

ん〜、実に人間と言うのは曖昧なものですね。
(因みに、曖昧(あいまい)と言う字を”夏目雅子”さんが
作家の”伊集院静(光じゃないよ)”さんがスラスラと
書いたのを見て惚れたとか)

昨日の”トップギア!!”を書いて”投稿”したつもりが、
されていませんでした。一瞬、いつもホームページを管理して
もらっている”スーさん”のサイバーテロかな?とも思いましたが
どうやら違うみたいでした。

単なるあたくしが「うっかり八兵衛」だったようです。
未だに納得していませんが・・・・・。

なので、日付を変えて昨日書いたことにしました。
(そうすると今日も書かなきゃいけなくなるけど)

そう言えば先々週くらいに大腸検査へ行きました。
待合室で待っていると事務の方が「かとうさん、以前にも
受診されていましたか」と聞くので、「してませんね」と
答えました。

受付の2、3人がコソコソと話していて、「かとうさん?
タスコシステムという会社にお勤めになられていません
でした?」「はい、いました」

すると紙を持ち出してきてそれを見ると、あたくしの
素晴らしく(以前、お客さんの中学の先生に、うちの生徒
以下だね。と言われた曰くつきの字ですが)達筆な字で
「タスコシステム 加藤孝司」と書いておりました。

「来てたんですね・・・・・」
「はい・・・・・」

そう言われれば、そこのクリニックの上に会社がありました。
きっと何かの検査できたのでしょうね。

で、昨日は風邪気味でしたので近くにある診療所へ点滴を
打ちに行き、違う検査で近々市立病院に行くので先生が
予約をしてくれると。

で、点滴最中に看護婦さんが「かとうさん?以前市立病院に
掛かりましたか?」と聞くので「いえ、掛かっていません」と
答えました。

少ししてまた「かとうさん?中央区南4条東3丁目ピープル
?の701号室に住んでいませんでした?」

「受診しました」
「そのようですね」

市立病院に部屋番号までのデーターがあるのでは、認めざる
得ませんからね。

何だか、最近は本当に記憶が曖昧です。。。。。
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一応、夏目雅子さんのファンでもあり、且つ姑息にも「モテタイ!」願望が
あって、この”曖昧”を何度も練習なんぞをしていましたけど、何か?

でも、やっぱり”スーさん”が怪しい・・・・・。

押してもダメなら、もっと押しな。

何か流れが悪い時には、一旦、様子を見るか?
ジッと動かないで時が解決するのを待つのか?
もしくは、悪い流れを絶つために積極的な行動に
打って出るのか?とあります。

その時の重要度や優先順位によって違いますが、
どちらかというとあたくしは、積極策を取る方です。

まぁ、臆病者なのでジッとしているのが苦手なのも
ありますが、ドシドシとやって苦境や悪い流れを
気にしない、又はそんなことをクヨクヨと考えている暇が
ないほど積極的に行きます。(怖いから)

その昔、学校で友人達とちょっとした悪い事をして、
先生に視聴覚室などと普段は滅多に人の出入りのない
教室へ一人一人呼ばれて白状させられるのですが、
あの時に順番を待っている緊張感がと~ってもイヤで
かなり胸がドキドキしたもので、そのせいか、どうせなら
嫌なことは早いとこ済ませてしまえ!的な考えがあります。
(何の経験だよ)

いい人が辞めたので、寂しい。
なら、もっと沢山の人を入れよう!

何だか、近頃会社(店)が変な雰囲気だな。
よーし!一発全員を集めて何が問題か?何に不満が
あるのか?どうすればいいのか?を、ぶっちゃけ話し掛ける。

まぁ、ほとんど意見は出てこないけどね。
本当は一人一人と話すのが一番効果があるのですが、
そのような根回し的なことが嫌いなので、一気にやります。

そして、何があっても絶対に引かない覚悟を見せ付けて
その中でも勇気を振り絞って意見を言う人を待ちます。

その人は、自分のことだけではなく周りのことや会社(店)の
ことを真剣に考えている人だから、今度はその人を信頼し
物事の打開を進めます。(もっと悪くなる時もあるけど)

本当はもっと知恵があり、物事を大局的に考えられる
人物なら良かったのですが、どうもあたくしは不安にかられて
いる時や空気が重い時には余計に焦ってしまい、その結果
”逆切れ”状態になってしまうのです。(ダメじゃん!)

でも、そういう時は単に焦っているだけではなく
「こんな不安や逆境に負けてたまるか!舐めんなよ!」と
なっているのも事実なんですよね。

状況が悪い時には自分が原因の時もありますし、
そうでない場合もあります。どっちにせよいずれ解決しなければ
行けないのなら、あれこれと先のことを考えるよりも、今のこの
状況を何とか好転させるために、かなり強引でも行動に移します。

「それは経営者だからできるんだろ?」とかではなく、
そのような状況に何も出来なく振り回される自分自身が嫌ですし、
また、そのような生き方が出来ないだけなんです。

”不器用な奴ですから” by 健さん

分かったかな?明智君

トップの大切な決断。

経営者の一番の仕事は生業でも企業でも継続をして行くことです。
それは、従業員やお世話になっているお客さんや取引先の業者さんの
ためにも。(継続は力なり。とはよく言ったものです)

あたくしも会社を創業する時には「本当にやっていけるのだろうか?」とか、
「スタッフや取引先にお金を払えるのだろうか?」と、新しく起業する期待感
よりは断然不安の方が大きかったです。
(今でも月末や業績が悪い日が続くと、ドキが胸胸します。逆か)

先ほどランチのバイトの”せりな”から「社長、名刺が来てます」と言われて、
今更ながら「おれ、社長なんだよな?」と、すっとぼけたことを思ったりしました。
(8年目なのに)

社長業として大切なことを巷では色々と言われているし、そのような
啓発本も出ていますね。
「ビジョンが大切だ」「成長させることが重要」「社会に貢献できる起業を目指せ」
「スタッフを幸福にしろ」「企業はお客様のためにある」「銀行と上手く付き合え」
「自社の20年後、30年後、50年後を創造しろ」「不況に強い会社を作りなさい」
と数え上げればキリがありません。(じゃあ、お前がやれよ。と思うけど)

まぁ、確かにどれも正解ちゃあ正解なんですけどね。

皆、どちらかというと”ごもっとも”なことや”勇ましい”ことを書けば
間違いはないから、どうしてもそのような感じになってしまう。

けれども、あたくしは経営者に一番必要なことは?というと、
調子の良い時や何か新しいことをする時のエネルギーもそうだけど
停滞、後退した時にどのような判断をしてどのように決断、実行していくか?
と言う事だと思うのです。

何か新しいことをやる時には、新しい人も増えるしワクワクして楽しい。
けれど、後退する時には事業(店)を縮小しなければならない。
縮小すると言うことは当然、売上が減るわけでそれでも資産があったり
社長の自腹で余った人員の給料を払えるのなら構わないけど、
普通はそうはいかなく、やはり辞めてもらうか給料を下げるしかない。

当然、そうなると社内的にモチベーションが下がるのも怖いし世間の目も気になる。
で、ぐずぐずとやっている内に会社全体に被害が及んでしまい、手遅れになってしまう。

あたくしにも経験があります。この8年間本当にヤバかったことが
何度もありました。(今も、まったく油断できないけど)

どうしても見栄やいいふりをして、気がつけばにっちもさっちも行かない。

我ながら、典型的なダメ経営者ですよね。
経営者の仕事は、もちろん会社を成長させるのも当然のことですが、
それと同時に、勇気をもって縮小(撤退)する決断を下すのも”リーダーシップ”
の一つだと思うのです。(いや、むしろ格好いい)

そのような”紆余曲折”を経て、少しずつ真の経営者になっていくんですよね。。。。。

まったく、関係ないんですけど”みのもんた”って凄い名前の芸名ですよね。

あっ”欽ちゃん”で大人のスイーツやってます。
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限定ですけど。(笑)

アホか。

今度の日曜日で、あの東北大震災から1年が経つと言うので、テレビなどは
こぞって震災関係の番組を放映しています。

絆が大事、頑張れ!負けないで、早く復興を!痛みを分け合おう!
一人じゃない!気持ちを一つに!一日でも早く皆さんの笑顔を!
本当に悲惨な出来事でした、被災地や被災者のことを考えると・・・・・
などと、好きなことを言って自分に酔いしれています。

岩手県、宮城県、福島県の3県が大きな被害を被りましたが、中でも
福島県は原発とそれに対する風評被害もあり、きっとこの3県の間では
一番復興が遅れるのではないでしょうか。

口ではそれらしいことを言っていますが、実際に食べ物もそうだし、
福島で作られるものにはほとんどの自治体で反対運動が出ました。
酷い時には福島県民と言うだけで、「そばに寄るな」とも言われましたね。

そしていま震災瓦礫の問題もそうです。
なぜ、日本全国の自治体がこぞって手を挙げないのでしょうか?
安全なレベルなのに、何を躊躇しているのでしょうか?

本当に震災に遭われた方や被災地の復興を望むのであれば、多少の
リスクがあったとしても手を貸すのは当然の事です。

戦後の左翼教育がここまで人間のモラルを退廃させてしまいました。
政治家、教育者、マスメディア、そして知らん振りでここまで来た国民自身は
充分反省するべきです。

あたくしの住んでいる北海道の高橋はるみ知事、暮らしている札幌市の
上田市長は逃げちゃいけない。

今は綺麗事を言っている場合じゃない。国民として手を差し伸べる行動を
起こして、若者や子供達に「大人の覚悟と正義」という後ろ姿を見せることです。

それもしないで口だけで綺麗事を言うのを”偽善者”というのです。。。。。

お母さん、ぼくは家に帰ってきたんか。

親と子といえば、私にはどうしても忘れられない逸話があるんです。

土井敏春という中尉の話です。

昭和16年の安慶の攻略線の際、土井中尉は部下5人を連れて
将校斥候に出たのですが、敵の地雷に引っ掛かってしまった。

    (中略)

一瞬にして5人の部下が
即死してしまったのだから惨いことです。

助かったのは土井中尉一人。
しかし、彼自身も両足と片腕を吹き飛ばされ、
爆風で脳、眼、耳が完全にやられてしまった。

あまりの苦しさに舌を噛み切って自害するといわれますが、
土井中尉は上下の歯もガタガタになってしまった。
死ぬに死ねません。これほど悲惨なことはありません。

どこにいて、何をしているのかもわからない。
声だけは出るものですから、病院に担ぎこまれても、
ただ怒鳴り散らすばかりです。

まだ昭和16年のころでしたし、将校ですから、
病院や看護婦は至れり尽くせりの看護をしたのですが、
本人にしてみれば地獄です。

目は見えない、耳は聞こえない、自分で歩くことも、
物に触れることもできない。

食事も食べさせてもらうのはいいが、
しょっちゅう漏らして看護婦の世話になる。
ただ、怒鳴るだけしかできず、介護に反発しますから、
ついには病院中のだれにも嫌われてしまった。

それで内地送還になり、最後は箱根の療養所に落ち着くのです。
その連絡がお母さんのところに届きます。

すでに、夫を亡くしていたお母さんはその当時はみんなそうでしたが、
息子のために毎日毎日、陰膳を供えて彼の無事な帰還を祈っていました。

ですから、息子が帰ってきたという知らせに母は娘と夫の弟さんを連れて、
取るものも取りあえず、箱根に駆けつけたんですね。

療養所では面会謝絶です。院長にお願いしても、

「せっかく来られたのですが、
息子さんにはとてもあなた方のことはわからないでしょう。
 今日はお帰りください」

と聞き入れてもらえない。

しかし、母にとっては待ちに待った息子の帰還です。
何とか一目でいいから会わせてほしいと懇願し、
やっとの思いで院長の許可を取ることができました。

病院に案内されると廊下の向こうから「わぁー」という訳のわからない
怒鳴り声が聞こえます。
どうもその声は、自分の息子らしい。
毎日陰膳を供えて息子の無事を祈っていた自分の息子の声であったのです。

たまらなくなって、その怒鳴り声をたどって足早に病室に飛び込みます。

するとそのベッドの上に置かれているのは、
手足を取られ、包帯の中から口だけがのぞいている“物体”。
息子の影すらありません。声だけが息子です。

「あぁー」と母は息子に飛び付いて、
「敏春!」「敏春!」と叫ぶのですが、
耳も目も聞こえない息子には通じません。

それどころか、「うるさい! 何するんだ!」といって、
残された片腕で母を払いのけようともがくのです。

何度呼んでも、体を揺すっても暴れるだけです。
妹さんが「兄さん!兄さん!」と抱きついても、
叔父さんがやっても全然、受け答えません。
三人はおいおい泣き、看護婦も、
たまらずもらい泣きしました。

何もわからない土井中尉はただわめき、怒鳴っているばかりです。

こんな悲惨な光景はありますまい。しばらくして、
面会の時間を過ぎたことだし、

「またいいことがあるでしょう。今日はもう帰りましょう」

と院長が病室を出ると、妹さんと叔父さんも泣きながら、
それについて帰ります。

しかし、お母さんは動こうとしない。
どうするのか、見ていると、彼女はそばにあった椅子を指して
看護婦にこういうのです。


「すみません。
 この椅子を吊ってくださいませんか」

そして、それをベッドに近寄せるとお母さんはその上に乗るや、
もろ肌脱いでお乳を出し、それをガバッと土井中尉の顔の包帯の
裂け目から出ているその口へ、「敏春!」といって押しあてたのです。


その瞬間どうでしょう。

それまで、訳のわからないことを怒鳴っていた土井中尉は、
突然、ワーッと大声で泣き出してしまった。
そして、その残された右腕の人差し指でしきりに母親の顔を撫で回して

「お母さん! お母さんだなあ、 お母さん、
ぼくは家に帰ってきたんか。 家に帰ってきたんか」

と、むしゃぶりついて離さない。
母はもう口から出る言葉もありません。

時間です、母は土井中尉の腕をしっかり握って、
また来るよ、また来るよといって、帰っていきました。

すると、どうでしょう。
母と別れた土井中尉はそれからぴたりと怒鳴ることを
やめてしまいました。

その翌朝、看護婦がそばにいることがわかっていて、
彼は静かにいいました。


「ぼくは勝手なことばかりいって、申し訳なかった。
 これからは歌を作りたい。すまないが、
それを書きとどめていただけますか」


その最初の歌が、
 見えざれば、母上の顔なでてみぬ
 頬やわらかに 笑みていませる


目が見えないので、お母さんの顔、この二本の指でさすってみた、
そしたらお母さんの顔がやわらかで、笑って見えるようであった。

土井中尉の心の眼、心眼には母親の顔は豊かな、
慈母観世音菩薩さまのように映ったのに違いありません。


  (中略)

この話はその現場に立ち会っていた
相沢京子さんという看護婦から聞いたものなのですが、
その相沢さん自身も母親の姿を目の当たりにして、
患者の心になり切る看護というものに目覚めたということです。


道元禅師の言葉にこうあります。

「この法は、人々の分上に豊かにそなわれりといえども、
 未だ修せざるには現れず、証せざるには得ることなし」

「法」とは「仏性」のことです。ですから、
すべての生きとし生けるものにはみな仏性があると、
根本信条を諭されます。

しかし、道元禅師は、それも修行して磨きをかけないと
本当の光が出てこない。

本当に磨きをかけることによって、真実の父親、母親になれ、
その真実の人がそのものになり切ってこそ偉大な力を発揮する
ということになるのです。

「一流たちの金言2」より。

お前こそ、何者よ・・・・・。

「1時間3000円で、可愛い子がいますよ!」
普通なら無視。

けれど遅い時間(午後8時)から飲み初めで、テンションを
上げる為に焼酎の水割りにビールをチェイサー代わりに
しこたま飲んでしまっていた
あたくしとしては”無視”は出来ないのです。

「なに?何か用?」
「1時間3000円で、可愛い子が・・・・・」

「なに?一緒にラーメン食べに行くか?」
「えっ!?」
「何よ、嫌か!?」
「いえ、仕事中ですので・・・・・」

「いいって!ラーメン一緒に食べに行くぞ。いそのかづお」
「いそのかづおは自分も行ってますよ」
「じゃあ、行くぞ」
「いえ、仕事中ですので・・・・・」

「ダメだ、俺に声を掛けたんだから」

「いや、あのぉ・・・・・」
「まずはそのインカムとマイクを外せ」
と無理やりインカムとマイクを外しました。

今書いていても、なぜ?そのようなことを言ったのか?
そのような行為をしたのか?皆目不明です。

いそのかづおに入ろうとしたら満席で取り合えず店の外に
出ると、その呼び込みの上司と仲間が二人おりました。

「なんだ?お前たちは?」
「何の用ですか!?」
「お前たちが先に俺に用があったんだろ!?だから、ラーメンを
一緒に食べようとしてんだ、文句あんのか!?」
「仕事中ですので、それは出来ません」
「なら、俺に話しかけるな!俺を誰だと思ってんだ!
お前たちはどこの者だ!」

「どこの者でも・・・・・」
「だから、どこの者だ!どこの所属だ!?」

渋々「00です」
「そうか、いいか?お前たちをしょっぴこーと思えば何時でも
しょっぴれるんだぞ!分かったか!」
「・・・・・」

「ラーメン食べるか?」
「いりません」

一体、あたくしは何をしてんだろうか?
ススキノは酔っ払いに優しい土地で本当に感謝してます。。。。。

3月です!

さぁ、今日から3月です!別れや巣立ちの季節です。
今日あたりは卒業式をするところも多いのではないでしょうか。

会社関係でも人事異動や転勤の時期でもあります。やはり別れには寂しさがあります。
(中には清々するのもあるけど。コラッ!)

学生ならば就職するまでのつかの間、家族や友人・恋人との貴重な時間を
楽しく過ごして欲しいですし、会社関係ならばお世話になった取引先や上司、
先輩・後輩、同僚との引継ぎや交流、最後の北海道や札幌を満喫して
行って欲しいと思います。

新社会人になる人は期待と不安が入り混じっていると思いますが、
それも最初の1ヶ月。

これから長くて素晴らしい人生の一歩がはじまります。今までにない人間関係や
理不尽なこと、また失敗。

仕事の失敗もあるけど、恋愛での失敗もある。また、素晴らしい出会いも。
でも、それらは歳を重ねるごとに差し引きすれば”自分のためになっている”
から不思議な物です。。。。。


さぁ!それぞれの思いを胸に大切で貴重な3月を楽しんでくださいね!!

あっ、そうそうホームページにもあるけど丸か加藤商店ではいい感じで
メーカーさんの口車に乗せられて(笑)、3・4月は飲み放題でも『ザ・プレミアムモルツ』
を飲めちゃいます。

お世話になった人や、ちょっぴり豪華に送り出したい人、迎えたい人には
丸か加藤商店での宴会も考えてくださいね。

いつも祭りの後は寂しい・・・・・。

”ひさ”、”ゲン”二人ともお疲れさん。
そして”ありがとう”。

2月29日は・・・・・。

今日は2月29日です。
閏(うるう)年で、「今年は一年が366日あるんですよ!」と
いう話でありません。

丸か加藤商店の”満福や北口店”で働いていて来た
”山田久笑(やまだひさえ)”のラストの日なのです。

”青春の輝き”という、あたくしの小中学・高校時代位までの
想い出をコンセプトにしたお店に”ひさ”が入りました。

2004年の夏前のことです。

あれから7年半が経ちました。まさか、こんなに一緒に働くとは
当時は思っていませんでしたが、何かの縁だったのでしょうね。

よく”ひさ”は小さいので”ミクロマン(40代以上しか分からないか)”
と言われていました。確かに小さい。マジでちっちゃい。聞くところに
よると家族全員が小さいのだそうです。(正真正銘のファミリー)

けれども”ひさ”は人一倍頑張りやで、実はいつもニコニコしている
表情とは裏腹に、と~っても負けず嫌いなのです。普通にお客さん
として接している方たちには想像がつきませんが、”ひさ”は怒ると
目が三角になったりもします。

一度、”青春の輝き”で当時の店長でもある”斉藤順子”に
叱られて、”ひさ”は暗いビルとビルの間に入っていきました。

あたくしたちは「泣き止むまで少しそっとしておこう」と。
けれども、10分経っても20分経っても来ません。その内に
お店も忙しくなったものだから、叱った店長の”斉藤順子”も
忘れていました。(らしい・・・・・)

あたくしは外で立ち飲みブースを設けていて、サクラ的な存在で
外で飲んでいたので「ひさ、遅いな~」と思いながらも飲んでいました。

30分以上経ってもまだ来ないので、心配になり暗いビルとビルの
間に向かって「ひさ、大丈夫か!?もう、そろそろ出て来いよ~!」と
声を掛けると、遠くの方からか細い声で「はい」と一応返事が
来るのですが、暗いのもありますし小さいのもあって姿が見えない。

「ひさ、もう戻って来い。」「はい」と、か細い返事だけ。
「ひさ、君は完全に包囲されている。無駄な抵抗はやめて出て来なさい。」
「・・・・・」(これはイマイチか)
「ニャ~オ、ニャ~オ、ニャ~オ!」

やっと”ひさ”の笑い声。
ビルとビルの隙間の奥には広場に所になっており、そこに”ひさ”は
30分以上も篭城していました。(笑)

泣き顔を見られたくないのと、泣き止むまで出て行かないようにして
いたのと、それと言葉にならない自分自身に対しての悔しさ。
色々なものが混ざり合っていたのでしょう。

その時に「あ~、この子は容姿とは裏腹にとっても負けず嫌いな
子なんだな~」と思いました。

それから、紆余曲折の7年半。
丸かが出来て今年の4月で8年目になりますので、
今では”ひさ”は3番目に古いスタッフになっていました。

そう、”ひさ”はこの7年半沢山の人との出会いと別れを経験して来ました。
店長の”斉藤順子”も、満福や北口店の前身でもある”なのはなキッチン”
でオープンスタッフとして働いた、”みき”や”さき”。

”青春の輝き”時代からでは、ノリオ、浩太郎、天。

感激・感動やで涙もろくて、仲間やお客さん思い。誰からも
好かれる”ひさ”。

このように書くと、人一倍恥ずかしがり屋の”ひさ”は
「イヤイヤ、そ~んなことないですよ!ホ~ントにそんなことないですよ!
メッチャ恥ずかしい、顔が赤くなっちゃいます!」と言うのです。

今日で丸か加藤商店の一員としては最後だけど、この7年半で
培ったものは一生ものです。

原点でもある念願の保育士として、沢山の子供達を笑顔にして
下さい。きっと、子供達も”ひさ”に関しては先生というよりも同級生
だと思うのでしょうから。(笑)

遠回りしたけど”夢”が叶って良かったな”ひさ”。

”ひさ”が丸かの店で働いてくれて本当に感謝しています。

それでは、”ひさ”7年半本当にありがとうね!

”ひさ”のフラッシュです。
思えば”ひさ”はずーっと「青春の輝き」だったんだよな。。。。。

イライラ・・・・・。

昨日、南1条西10丁目にある会社から、北8条西2丁目にある第一合同庁舎
まで往復歩き行って来ました。

比較的歩くのが早いので、25分で着きました。帰ってきて、来北8条西4丁目
にある”満福や北口店”へ久笑(ひさえ)に会いに」また歩きで行きました。
これまた今度は23分で着きました。途中でおしっこをしなければ22分で着きます。
(手は洗わないパターンで)

生まれる前からせっかちなので(きっと、前世は競歩の選手かも知れない)、
ノロノロと歩くのが苦手です。

なので、あたくしの目の前をノロノロ・タラタラ歩いている人がいると、異常な
くらい頭に来ます。

ご老人や体の不自由な方は別ですが、女同士、おばちゃん同士(同じ女か)
それと最も腹が立つのが、若い男同士で横に3人くらいで並んで歩いて
いることです。

何でノロノロ・タラタラ歩くのでしょうか?
物凄く、物凄く身勝手な言い草なのは重々承知していますが、なぜ?
あたくしの目の前をノロノロ・タラタラと歩くのでしょうか?一体、日本は
いつからこのようにノロノロ・タラタラと歩く国民になったのでしょうか?

あたくしは声を大にして言いたい。
「あたくしの目の前をノロノロ・タラタラ歩かないで頂きたい!
ブラブラ歩きもやめて頂きたい!黙々と山伏の修行僧のように歩いて欲しい!」

じゃないと”うんち”が漏れるんだよ!!
の巻でした。。。。。

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