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東京。

今日は風が少し冷たい感がありますが、
めっきりと春を身近に感じます。

あたくし昨日、東京へ日帰りで行ってきました。
目的は桜の満開の時に「靖国神社」へ行き”英霊”への参拝です。

どうせ行くのなら”昇殿参拝”をしようと思い
それらも滞りなく行なってまいりました。

「靖国神社」と聞くだけで「A級戦犯が合祀されているんだぞ!」
とか「軍国主義者だ!」だとか、しまいには「中国や韓国に配慮
をしないのか!」と、まったくのトンチンカンなことを言う人が
いますが(マスコミの洗脳もあるけど)、まったく理解に苦しむ
アホな意見などは放って置きます。

「靖国神社」とは何か?「A級戦犯」とは何か?はこの場では
論じません。面倒なので。

でもまぁ、久しぶりに行く東京の春はいいですね〜。
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東京から来るお客さんとかは、「水が不足しているとか
節約でどうの」とおっしゃるので、「不便なのかな〜」と
思っていましたが、ま〜ったく元気でした。

確かにエスカレーターや冷房などは節約状態でしたが、
その他はいつも通りの”パワフル”な東京で安心しました。

朝早かったのと、「靖国神社」へ行くのに今では結婚式くらいにしか
”スーツ”などを着込んだりしないので疲れました。

疲れた原因は他にもあります。
それは九段下から日本橋へ行き、そこから羽田空港まで
都営浅草線(途中から京急線)に乗るのですが、

エアポート快特というのがあり、それは急行と違い各駅停車ではなく
主要な駅にしか止まらないので早く着くのです。

で、駅員さんに「羽田空港まで行きたいのですが、エアポート快特は
いつ来ますか?」と聞くと「今来る電車の次に乗れば早く着きます。
ANAなら一番前の方で、JALなら一番後ろに乗ると便利ですよ。」と
とても親切な駅員さんです。

おのぼりさんのあたくしは言われたとおりに、次の電車の後ろ側の
車両へ乗り込み、疲れていたのと終着が羽田空港ということもあり、
ついウトウトと・・・・・。

何度か”ガバッ!”と起きて目の前の女子高生と目が合ったり
しましたが、「快特のわりには着くのが遅いな〜」などと思い
ながらも「終着が羽田だから、まぁ、いっか」と眠りにつくのでした。

「次は上大岡、その次は金沢文庫〜」というアナウンスが耳に
入ってきました。「か・な・ざ・わ・ぶ・ん・こ?」その瞬間ガバッ!
と起き、「ヤバイ!俺はどこに行こうとしているんだ!?」と。

真っ直ぐに羽田空港へ行くものと勘違いをしていたあたくしは、
気がつくと横浜を越えてそのまま神奈川県の南端まで行き
太平洋に「バカヤロー!」などと叫ぶパターンに陥ってしまいました。

そうです、京急蒲田という駅で乗換えだったんです。
それなら別に後方に乗らなくても良くなくネッ!?
そんなことを言うから「これを乗ったら真っ直ぐに着くんだな〜」と
思っちゃうじゃねーかよ、田舎者は。
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こんな感じ。

急いで、上大岡で降りて東京方面の電車に乗り
本当は余裕で「空港でご飯でも食べて、おみやげでも買おう〜」
などの思いなんて、スペースシャトル級の勢いで吹っ飛んでしまい、
であとは早く着け、早く着け、早く降りろ、そして早く乗れと
祈るような思いで乗っておりました。

飛行機が18:50分発で、間違いに気がついたのは17:24分。
で、充電の少ない携帯で調べると羽田着が18:37分とのこと。

猛ダュシュしかありません。いえ、きっと間に合わないかも。
空港に着いて18:37分ならそこからカウンターまで走っても
3〜5分は掛かりますから。(この時ほど”カールルイス”を心底
羨ましいと思ったことはありません)

久ぶりに猛ダッシュをしました。まるで「踊る大捜査線」に
出てくる”青島刑事”のように。(でも、途中で足を引きずっていたけど)

しかも、”スカイマーク”なので一番奥なんですね、
で、カウンターに着くとやはり遅い人を待っている人がいまして
「札幌ですか?」 「はい。(ダメだったか・・・・・)」
すると意外な言葉が、「お急ぎしていただきありがとうございます。
18:50分発の札幌行きは定刻より少々遅れますので。」と。

「神はいた」

良いのか悪いのか別として”スカイマーク”さんは、あまり定刻
通りに飛ばないことがあるので、今日はそれに助かりました。

結局、20分ほどの遅れで離陸しました。

でも、良かったです。昔、建築業で「金沢文庫」で働いていたので
その地名を覚えていたんです、横須賀方面だって。

と言うか、あたくし改めて「都会の人の言葉は信じない!」と
決意した東京の春でした。

靖国境内の桜
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な〜にやってんだか。

いまや”放射能問題”が主流になっていますね。
しかも、一番の不安要素は先行きがまったく見えないことです。

ある意味、おこってしまったことはどうしようもない。
しかし、その後の対応をしっかりとやらないといけない。

それがないばかりに”風評被害”で福島及び近隣だけでなく、
日本全国様々なところで問題が発生してきているし。

観光、食品(貿易)、人的交流などはかなりのダメージです。
まさに”日本ブランド全体”が”風評被害”に掛かっているかの
ようになっております。

先日は、まじめに十数年も掛けて有機野菜でキャベツを作って
いた農家さんが”自殺”までしてしまいました。

いったい政府は何をやっているのでしょうか?
原発で先行き不透明なことはどうしようもないので(変にいい加減な
ことを言われるより)、そうではなく、生活をする場所の確保や補償
などに関してきちんと公約しないと、な〜んにも始まらない。

訳の分からない”マニュフェスト”にはこだわり、このような非常時の
命に関わることに関しては、ま〜ったく鈍い。

原発や放射能のことは専門家チームに任せて(勿論、政府も
責任は持ちますが)、それよりも被災に会った人や、職場、学校
などの件でこの先の人生に不安を感じている方、また”風評被害”
などで、どのように動いていいのやら、誰の指示に従えばいいのやら、
またこの先どうしたらいいのやら。といった方たちに、方向性と具体的な
指示は出さないと。

つまり、現時点での原発対応と人的補償やビジョンは分けて考えるということ。
それは東北の被災地や被災者の方たちも同じです。

どうしてこうも鈍くさいのでしょうか?情けないほど実務能力がない。

しかも、このバカどもはこんな事態にお揃いのご丁寧にロゴマークまで
つけた作業服を作る予定だそうです。約800万かけて。(トホホホです)
で、色は濃紺だそうですね。(まるで一昔前の族の”特攻服”じゃねーかよ)

って言うか、先日も「全国のホテル・旅館がキャンセルが凄いと。」
その関係のお客さんがおっしゃっておりました。
(薄野で有名な味噌ラーメン店も”ノーゲスト”でした)

観光だけでなく、事故前の缶詰もキャンセルだそうです。
それは主にアジア関連だということ。

あと、日本在住の外国人が日本から避難したり関西以南へ
行っているそうだし。また、中国人妻が子供を置いて一人で本国へ
帰って行ったそうです。(国民性か?)

どこまでビビリなんだつーの。
こら白人!お前らが落とした原子力爆弾でこちとらどのくらい酷い目に
あったと思ってんだ!

ハハーん。お前ら広島・長崎の状態の非を認めるのは嫌だから
今まで見て見ぬ振りをしていたけど、実は本当は心底恐れているんだな。

あれだけ悲惨な被害にあった日本はわりかし冷静で、加害者のお前たちは
そ〜んなにビビってるということだな!?(この”うんち”ヤロー!)

まぁ、この際逆にいいよね。変に外国人に頼るよりも、思いっきり
内需拡大で日本の中でお金を回すような仕組みにすればいいんだよ。
(難しくても”ヤ・ル・ノ!”)

まぁ、でも”トモダチ作戦”などと「20世紀少年」のような作戦名を
つけながら必死で協力をしている”米軍”はちょっとは見直したぞ。

取り合えず「原発問題」と「人的問題」は別個でやり、バスッ!バスッ!と区切りつけることです。

それも出来ないなら、
また頭を丸めて一生”お遍路さん”でもやってろ”ボケ”。

たまに良いことをすると・・・・・。

昨日、散歩&行きつけの立ち食い蕎麦屋へ行くのに、
地下歩道をいつものように秒速で歩いていましたら、
前からちょっぴり素敵な女性が歩いて来ました。

「あっ!なにか落とした!」と思い、咄嗟に拾い上げて見ると・・・・・

湿っぽいちり紙でした。。。。。

「すみません。ありがとうございます。」といわれながら、
その湿っぽいちり紙を渡した時にお互いに、

あたくし(触れない方がよかった?)
相手(本当は)と言うような、

なんとも言えない微妙な空気感とでも言いましょうか、
そんな感じに包まれました。

このような経験をすると、「次回からは躊躇してしまうだろうな~」などと、
歯に挟まったねぎを指で取りなが考えておりましたが、

「ヤベッ!湿っぽいちり紙を触ってしまった手だった!」
と、思うも後の祭り。

唯一の救いは“素敵な人”だったことです。。。。。

今日は”欽ちゃん”メンバーと地元芦別に行き、写真家の”水田さん”の
家に行き、それから”ホルモン”を食べに行きいま帰ってきました。

百年記念館へ行き「マジックビジョン」を見ようと思いましたが、
なんと!休館日でした・・・・・。

急遽、日程を調節しての芦別だったので事前にアポを取って
いなかったので仕方がないです。

いや~それにしてもやはり地元のホルモンは旨い!!
きっと”脳”が憶えているのでしょうね。

昔はこのような道路ばかりでした。
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時に、このような”アメンボ”などがおりました。
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”悪しき隣人”

飲食店をしていると、様々なお客さんがお見えになります。
ほとんどのお客さんは若干の差こそあれ、皆さん何事もなく
普通にお帰りになります。

ただ、ごくたまに「ん!?」という雰囲気に包まれる時がある
のですが、今までの経験上その原因はカウンターに初めて来た
一人のお客さんに多いように見えます。

酔って周りのお客さんに話しかける(絡む)や、軟派目的、
耳障りなくらい大きな声で「俺の話を聞いてくれ!」状態や、
一緒に来た人同士で激しい口論、まるで自分の家のように
振る舞いスタッフに対して召使い口調やパッシリ、挙句には
女性スタッフを口説く。などです。

これらの時に店側の対応は非常に大切になってきます。
「お客さんだから・・・・・」と、特に経験の浅いスタッフや若い
スタッフなどは、どのように対応をしていいのか?手をこまねいて
しまいがちになります。

この場合は2つの対応があります、
1つ目は、「あれ?このお客さんちょっとおかしいかな?クセが
あり過ぎるかな?」と思えば、必要以上の会話はしないこと。
変に「お客さんだから」とバカ正直に一緒懸命にやると、
「これでいいんだ」と思いややこしくなり、また変にスタッフがビール
なんぞをご馳走になんかなったりしたら、

「ご馳走してんだから、俺の好き勝手にやってもいいだろ。」と
勘違いを起こし、その結果、普通に飲食している他のお客さんに
迷惑な思いをさせるのです。

だから必要以上の会話をしない、つまり”相手の土俵に乗らない”
ようにすることです。

2つ目は”金富士”のオヤジさんの様にビシッ!と言う。
あたくしが目にした例で言えば、この道44年目のオヤジさんは
クセの悪いお客さんかどうかを見抜く目を持っていて

「お客さん、隣のお客さんに話しかけないでくれる。自分のペースで
飲んでいるんだから。」とか「マスター、お銚子もう一本!」と言われても
「お客さん、もう十分に飲んだから、もう帰ってくれるかい。」と。

ほとんどのお客さんはその言葉に従いますが、たまに「なんだよ!
自分の金で飲んで何が悪いんだ!酒を飲みに来て、ダメだなんて
言われたのは初めてだ!」と、捨て台詞を言いながら帰っていく
人もいますが、”毅然”とした態度は大切なことです。

「お客さんだから何を言っても、やっても許される。」などと言うのは
”悪しき隣人”です。だからこそ、その辺の店側の対応が大切なんですね。

人の集まる場所では、最低限のマナーとルールが必要です。
店はある程度の世間一般のマナーと店側に基づいた
ルールを持ち運営をしなければならないと言うことです。

日本人は、今回の被災にあたっての対応でもそうですが、
ルールを守るとか、道徳、礼節を重んじる国柄と言った
称賛を浴びるほどの国民性を持っています。

が、一方で相手に迷惑を掛けちゃいけない。
嫌な思いをさせるのではないか?と、それが過ぎて”お人好し”
になってしまうものです。

日本の技術力は世界でもトップクラスですが、
海外に行ったことのある方なら分かると思いますが、
日本のサービスもトップレベルです。

そこには、歴史が育んで来たものや精神性もありますが、
このお人好しなくらいに相手を気遣う心があるからです。
(キレイで早いラッピングは称賛の的ですしね。)

がしかし、善い人、善い国ばかりではありません。
そこに漬け込む”悪しき隣人や国”もいるのもまた事実なんですね。
(例えば、自国で餃子に毒を混入しておいて、日本国内で混入したとか
言う”盗人猛々しい”悪しき国とか)

だから時には”毅然”とした態度が求められるのです。
それをしないと相手はどんどんとつけ上がるのですから。

そういえば、普段は優しいけどマナーやルールを守らない相手には
”毅然”とした態度で臨む職種がありますね。

それは「ナースとスチュワーデス」。
どちらも命が掛かる仕事なので、普段は人当たりが良いですが
マナーやルールを守らない人には、急に恐い人になりますからね。(笑)

少し話はそれましたが、本当の商売というのは単に頭を下げて
揉み手をして、理不尽なことでも受け入れるのではなく、”毅然”とした
態度でお店全体のお客さんやスタッフを守る様にして行きたいものです。

と言うことで、天気も良いので一杯。。。。。
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お花の咲く頃。

”咲子”という字は、お父さんが「きれいな花が咲き乱れるような
優しく美しい心を」との思いでつけられました。

そのお父さんは”咲子”が生まれて直ぐに、春の訪れを待つように
病気で亡くなったので、毎年のように春になると咲子”のお母さん
から「咲ちゃんの名前はお父さんが、春になりきれないお花が
いっぱい咲いた時のように、きれいな心を持つようにとつけられたのよ。
だから咲ちゃんは、どんな時も人の悪口を言ったりしないで、
優しい心でいなきゃね。」と言われ続けていました。

高校1年生になり、明るかった”咲子”が日に日に暗くなって
行きました。お母さんはスーパーのレジやビル・飲食店の清掃などをして
一緒懸命に働き”咲子”を女で一つで育てて来ました。

夜遅くに疲れて帰ってきた家のテーブルには、”咲子”の為に
作っておいたご飯が手付かずで残っている日が多くなりましたが、
「きっと、慣れない学校生活で疲れているのだろう。」と、
その冷たくなったご飯をひとり食べるのでした。

そんなある日、お母さんがパートの合間を縫って夕ご飯の支度に
帰る途中に、まだ授業中のはずの”咲子”が見た感じあまり印象の
良くないグループと前から歩いて来たのです。

「咲ちゃん?学校はどうしたの?」と声を掛けると
「誰だよ”咲って!”」と今までに見たこともない剣幕で言い放ち、
「あんたみたいな、汚い女なんか知らない!!」と言いそのまま
立ち去って行きました。

突然のことに、奇異な目で通り過ぎる人たちの中で
ただただ呆然と立ち尽くすだけでした。。。。。

実は、”咲子”は学校でイジメに合っており、そのイジメの原因が
お母さんだったのです。”咲子”が高校に上がるとお母さんと同じ
スーパーで働いている同級生の母親がいて、

咲子”のお母さんがまじめに一所懸命に働くので、
お客さんからの評判もよく、いつも上司から褒められているので
その同級生の母親は面白くなく、家に帰って来ると娘に
「あんたの同級生の”井上さん”のお母さんはね、色目を使い
課長さんに可愛がられているのよ!そのお陰で私はいつも
比べられるの、本当に頭に来るわ!」との理由でその同級生の
グループに苛められ始めたのです。

何かにつけて”咲子”を苛めるようになっても、”咲子”は小さい時から
「人の悪口を言ってはダメよ。いつも優しい心でいるのよ。
その願いを込めてお父さんがつけたんだから」
と言われ続けていたので、酷いことを言われても

「悪口は言ってはダメ。優しい心で。」と心の中で何度も繰り返し
ぐっと我慢をしていましたが、ある時その苛めの中心人物が
「知ってる?この人のお母さんはね、いやらしいマネをしているの。
その汚いお金でこうして学校に来てるの?みんなどう思う?」

「最低ー!」「きったな~い!」「いやらしい臭いがするわ!」
などと容赦のない言葉を浴びせられたのです。

”咲子”はその時初めて知りました。「苛めの原因はお母さんにあり、
しかも大好きなお母さんが恥ずかしいことをしている」と。

そう信じ込んでしまった”咲子”は学校へも行かなくなり
母親の顔を見るのも口を聞くのも、ましてや汚い手で作った
料理なんて。と思うようになり、同じく学校へ行っていない
グループと遊ぶようになったのです。

そんな矢先に街で偶然に出くわし、先ほどの言葉になったのです。
初めてでした。今までは口答え一つしたことのないのに、あのような
暴言を吐いたのは。

心が咎めましたが、「あんたが悪いからだ、あんたが悪いから。」と
心の中で何度もつぶやいて必死で後悔の念を吹っ切ろうとしました。

夜遅くに家に帰ってくると、
いつも「”咲子”が暗い部屋に帰ってくるのは可愛そう」と言うことで、
部屋の電気は点けていてくれているのですが、その日に限って
部屋は真っ暗です。

その時”咲子”の心に何か嫌な直感が走りました。
急いで部屋に入り電気をつけると、テーブルの上には何もありません。
しかも、母親が帰ってきた形跡もないのです。

携帯のない時代です。”咲子”は急いで家の電話から母親の職場の
スーパーへ連絡をしました。すると、職場の人が「井上さんのお嬢さん?
いまどちらにいるの?お母さんが大変なの、すぐに病院へ行ってもらえる」

”咲子”は一瞬、頭が真っ白になりました。
それはちょうどお花がきれいに咲く季節でした。。。。。

今年も”咲子”は3歳になる女の子と2人でお花の咲き乱れる公園にいます。
大好きだったお母さんが脳溢血で亡くなって8年、しばらくは後悔ばかりして
いましたが、母親が亡くなって何年か目のお花が咲く頃の季節にお母さんが
夢に出てきました。

「おかあさん!生きていたの!死んだのはウソだったの?今までどこに
行っていたの?咲ねぇ、誤解してお母さんに酷いこと言ったから罰があたったと
思っていつも泣いていたのよ。おかあさん許してね。ねぇ、許してくれる?
これからは昔のように咲はおかあさんの言うこと聞くから。だから、また
一緒にお花を見に連れて行ってくれる?」

夢の中のお母さんはただ無言で微笑んで何度も何度も頷くだけでした。
”咲子”は泣きながら夢から覚めて、辺りを見ましたがおかあさんの姿は
ありません。が、確実にさっきまでお母さんがいたような感じがありました。
それは懐かしいにおいでした。

「ねぇ、”ゆうちゃん”あなたもこのお花のようにきれいで、
そしてあなたのおばあちゃんのように、優しくなるようにね。」

あれから毎年、沢山のお花が咲く公園に”咲子”はベンチに座り
時間の許す限り花を見続けて来たのです。

「きれいな、お花畑の思い出」より。

よし!今日から新年度です。

少し風は強かったけど天気も良く、新たな気分で
前進するには調度いい感じです。

手始めにあたくしは、2006年11月14日からほとんど
日曜日以外店舗向けに発信していた”メルマガ”を今日から
中川に担当させることにしました。

延べ1314回という、飽きっぽいあたくしとしては良く
頑張ったんじゃないかなと思います。

もともとの趣旨としては、あたくしの仕事への考え方や
生き方などを”メルマガ”を通して少しは理解してもらおうと。
と思ったのが始まりです。

本やインターネット、もちろん自分の経験や映画を観たり
自店や他店で感じたことなどを、あたくしなりの”思うこと”と
してメールで流してきました。

”てまひま”では、上の”満福や””欽ちゃん支店”と合同で、
また土曜日は”満福や北口店”のひさえが参加しての
朝礼で”メルマガ”を担当者が読み上げ、それにそれぞれが
自分なりの意見を言い合うというものです。

まぁ、店舗によっては自分だけサラッと読んでスタッフに「読んでおいて」と
いうようなことをしていた人もいましたが、そのような店はなぜか
人が育たないんですね。

なぜか?きっとあたくしとの信頼関係や考えが浸透していないのも
原因ですし、理解力が乏しい場合もありますし、単にスタッフとの
コミニュケーション能力が低い場合もあります。

店内で共有事項がなされていないので、例えばあたくしが店に
行ってもそこのスタッフとの会話が通じないんです。残念ですよね。

まぁ、必ずしも朝礼で”メルマガ”を読んだりした位では全ては伝わりません。
元来、一番伝わるのは身近で同じ仕事や生活をするのが良いのですが、
物理的に難しいですから。

だから”店長”の役目は非常に大きいんですけどね・・・・・。

まぁ、それでも”継続は力なり”とはよく言ったものです。
そして丸かにとってはこの”メルマガ”はとても大切なことなんです。

人間で言うところの”血”のようなものなのです。

で、その”血”の部分を今度は”中川”が担当します。

今まで社長である役割の一つを”委譲”するということは、ある意味に
おいて画期的なことです。特に超理不尽でワンマンなあたくしにとっては。

今年の丸かのテーマで「アクティブに行こうぜ!」というのがあるのですが、
このような他人から見ると些細なことかも知れませんが、あたくしたちから見ると
非常に重要なことです。

それはあたくし自ら”アクティブ”な部分を示して、今年で8年目に
なる組織を”イノベーション(企業改革)”をしていく必要があるから。
(カッコイー!取り合えず、昨日覚えた言葉を使って見ました!)

でも、あれですよね何かを得るには何かを手放す覚悟がないと
いけないんじゃないか?と思うのです。

まぁ、グタグタと書いてきましたが、本当はあたくし自身が何かを
変えていかなきゃいけない。と一番思っているんですよね。。。。。


なぜか、電車通りの真ん中を歩きたくなりました。
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なんだろ?なぜか”中川”が張り切っているんだけど。。。。。

つーか、”エイプリルフール”とは関係はないですから。

締め。

今日は一般的に年度末ですね。

丸か加藤商店も2010年度の締め日です。
1月1日から2011年は始まっていますが、会計的には
4月~3月までが会計年度、学校年度なんだそうで
明治時代から続いているそうです。(Wikipedia情報ですけど)

で、一年を振り返ろうと思いましたが、不思議なことに今年度に
限ってあまり思い出せません。いつもなら、良いことも悪いことも
つい3秒ほど前くらいに憶えているのですが(すみません、大げさに
言ってしまいました)、この度はほとんど憶えていません。

忙しすぎたとか、記憶を無くすくらいのョックなことがあったとか、
頭の中がアルコール漬けになっているからとか、そう言うのでもなく
単に受身だったからでしょうか?

冷静に一つ一つさかのぼれば、”鈴木徳太郎”メンバーの
独立だとかあるのですが、急な独立ではなく何ヶ月も前から
の話で、あたくし自身も「絶対にそっちの方が良かった」ので
そんなに大きな出来事でもなく、それ以外に急な人の入れ替え
やらも慣れなのか?それほどの記憶には残っておりません。

業績。
まぁ、何とか赤字は避けられました。年度末の結果で何とか
避けられたのは良いことですが、月で追うとまったく油断のできない
状態です。(マジで)

それでも少し前の”倒産”の二文字を常に(毎日)意識して
心臓が肥大していた時よりは、まだマシですけど。。。。。

恥ずかしながらあたくしにとっての2010年度は、結果的に
怠惰な年度だったようです!(自慢するとこじゃネーし)

それなのにこのように何とか会社が持っているのは、絶対的に
お客さんとスタッフに支えられてのことなんですね。

常連さん、年に数度のリピートのお客さん、新規のお客さん、
また1、2度来て残念ながら離れていったお客さん。

いつも必死に頑張っているスタッフに、これまた残念ながら
辞めていったスタッフ、元スタッフの協力と・・・・・。

なのに、あたくし一人が「バカ田大学」の卒業生のような
一年でした。(なんだそれ)

それなのに、のうのうと”トップギア!!”なんぞで、好き勝手な
ことを書いているのですから、本当につまらない奴ですよね。

いっそのこと「バカ田大学」のアメリカにある姉妹校の
「アッホー大学」と「バーカード大学」にでも行けばいいのに。
(これもWikipedia情報ですけど)

と、この期に及んでまだこのようなことを言っています。

まぁ、このように自ら2010年度の決算をして、明日からの
新年度へ向けて頑張っていこうと思いました!

と言うことで、忙しい中”自作自演”の反省会に付き合ってもらい
ありがとうございました。

皆さんも、こうして新年度へ向けて頑張ってね~!!!
(ダメだこりゃ)

頼りにしています!

本日は感謝の”トップギア!!”です。

この度の震災で改めて”自衛隊”の存在意義を確認
させられました。

あたくしどもにも、お客さんを含めてスタッフの家族が
自衛官で、被災地にて活躍しております。

中には家族が被災して、いまだに行方不明や連絡の
取れないでいる自衛官もいます。

もちろん、警察官や消防員の方もこの度は本当に
頑張っておられ、心より感謝とまた頼もしくも感じます。

しかし、「自衛官は災害か雪祭りなどでいい」という人もいますね。
なんせ、アホが「自衛隊は暴力装置」などと、いまだに革命の夢を見ている
ので仕方がないのですが、このようなアホのお陰でこれまでの自衛隊の
位置づけは中途半端なものでした。
(この件については”保守”を自認する”自民党”も目くそ鼻くそですけどね)

これだけの甚大な被害に、また原発事故でも自衛官は
生まれたばかりの家族が居ようが、家族が震災の被害に合い
家も流されようが、命令があれば自分のことを置いてでも
国や民の為に命がけで任務につくのです。

考えて見ると皮肉な物ですね。
今まで”自衛隊”を目の敵にしていた”左翼”が政権につき、
その自衛隊に頼らざる終えないのですから。。。。。

もう、分かったはずです。自衛隊は単なる”暴力装置”ではない
と。(でも、あのメガネうすらトンカチは判らんな)

日頃は警察や消防と違い、あまり身近で接することがない為に
何となく遠い存在ですが、自衛隊はこのようなときの為に、
いえ、万が一他国と交戦状態になったためにも日夜訓練を
しているのです。お陰でこの度も被災者の為に大いに役に立っています。

何かことがあれば真っ先に命を投げ出すのは自衛隊です。
あたくしは飲みに行って、自衛官の人に会うと親しみを込めて
「兵隊さん」と呼びます。(丸かのお客さん以外で)

もうそろそろ法律を変えて、左翼やマスコミ、無知な人たちに
振り回されないように手足を縛られた状態から開放してもいいのでは
ないのでしょうか。。。。。

温かい食べ物は被災者へ、自分達は冷たいメシ。
31歳自衛官「俺が終わらせてくる」と子供に告げ原発に突入。

災害活動などにおける自衛官の権限

答えが出ました!

昨日、テレビを見ていていつもの”テレビサーフィン”をしていたら
えっ!?テレビサーフィンってなんだ?って。

知りませんか?ほらよく”ネットサーフィン”とか言うのありますよね?
そのテレビバージョンです。あたくし映画とかドラマ以外はほとんど
リモコンであっこちの番組を見ているので。

で、昨日なんですが「2男12女16人 ワケアリ大家族」っていう
番組をやっていまして、調度、そこのお父さんが出ていて奥さんが
一番下の子供を連れて出て行った。とかという場面でしたが、

あたくし思うんですが、「16人も家族がいてワケアリな家族では
ない家族っているのか?」と普通に「あたりめーじゃん」とテレビに
向かって梅のりせんべいとガラナを飲みながら一人文句を言いながら、
自分自身がなんだか情けなくなり、何を勘違いしたのかもう一袋
梅のりせんべいとガラナを食べ飲みしておりました。

きっと無駄に太る人って、このようなパターンなんだろうな〜。
な〜んて一つの答えが出たのです。

答えが出たといえば、あたくし画期的なことを発見しました!
実は本日夢で”ゾンビ”に襲われる夢を見まして、朝方おしっこを
したくて起きたのですが、この年になって夢の延長で「まだ部屋の
外に”ゾンビ”がいるのではないか?」などと、

小学生の時に寝る前に”心霊番組”などを見て、明るくなるまで
小便に行けなかった心境になりました。

やぁ〜、まだまだあたくしも純粋な心があるということでしょうか!
(情けなぁ)

で、寝ぼけまなこで考えました。「どうしたら、ゾンビをやっつけられるのか?」と。
よく映画とかでは、頭を破壊しないとゾンビを倒せないようですが、
あんなのに追っかけられてですよ、そんな冷静に頭を破壊なんて
出来ますか?みなさん?ねぇ、そう思いません?

しかも夢でもそうですが、あいつらは次から次へと墓の中から
出てくるんですよね?切りがないんですよ。

しかし、ここでまたしても一つの答えが出てしまいました!
どうしてこんな簡単なことを誰も思いつかないんだろうと。

ゾンビは西洋なので、西洋は基本的に土葬です。
で、やっこさんは夜に活動をして昼間は寝ているので、その隙に死体を
火葬してしまえばいいじゃないですか!!!

どうですか!
あたくし解決策を見つけた途端に安心して小便に行けました。

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やっぱり、こんな奴ら絶対に無理です!

丙午時々未。

3月も最後の月曜日です!(意味ネーか)

先週の土曜日に西芦別中学の同級生と飲みました。
男子4人、女子2人。

一次会は”水城(みずき)”という大東京時代の部下の居酒屋へ行き、
二次会は西芦別の先輩と同級生がやっている居酒屋へ。

やっぱりいいですね~。20数年ぶりに会う人もいまして、本当に
懐かしくて楽しかったです。

今回は10月9日に大々的に行なう”同窓会”の打ち合わせも兼ねて
いまして(そん時、急に思いついたんですけどね)、取り合えず皆が
誰々を知っているか恒例の(外山以外しらないし)、紙に同級生を誰々
しっているかを書いて確認をしました。

テストで言うと、黒川、外山が1,2位で次にめっちゃん、そしてビリと
いうか、答え合わせをしながら書き記していた西けんは問題外です。

って言うか、あたくしと守(まもる)が中抜け(ヘルスではないですよ)
している内に趣旨が変わっていて、本当は秘密で行なうのに
いつの間にかみんな確認しながらやっていたみたいです。
(まったくテストの意味ネーし!)

なんかそんなのも、まったくもっていいですよね。

単に同級生ですが、あの頃は仕事も家庭もな~んにも気にしないで
ただ学校に行って勉強や部活、ちっぽけでそれでいて淡い恋愛を
楽しんでいれば良かったんですからね。(勉強はしてネーか)

もう中学を卒業して30年近く経つのに、会って話すと一瞬にして
当時の記憶が甦ります。通学路の道端の光景や炭住、周りの
景色や校舎に教室、体育館にグランド・・・・・。

よく死ぬ時に”走馬灯のように”などと言うのはそのようなことを
言うのでしょうね、きっと。(縁起でもない・・・・・)

本当はあと3人くらい来る予定だったんですが、やはり大人になると
それぞれの諸事情がありますからね。でも、10月9日は出来るだけ
来れるように早め早めに連絡をします。

何でも”黒川”が言うには、大阪にいる平山の郁(ふみ)ちゃんが
最近、あたくしの夢を度々見るのだそうです。目がくりくりとしていた
愛くるしいあたくしの夢だそうです。(愛くるしいは言ってネーか)

郁ちゃんとは、一緒にひな祭りの替え歌を作ったりと、なぜか”いじめっこ”
だったあたくしの数少ない理解者の一人だったので是非あって感謝の
”オクラホマミキサー”でも踊りたいと思います!(迷惑かな?)

白組(男子)幹事の”外山君”、赤組(女子)幹事の”宝金さん”!
同窓会が成功するもしないも君達に掛かっているので、

頼みますよ!!!!!

つーか、出席してない”宝金”を勝手に幹事にするのってどうゆうこと?
ねえ”黒川”。。。。。

と言うことで”宝金”よろぴく!

追伸、6人全員、恐ろしいほど携帯の使い方が出来ませんでした。
携帯会社さん、お願いがあります。送信とか受信とかでなく、もっと簡単に
一発でアドレスを交換できるようなのにして下さい。。。。。

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ザ・アパッチ!!

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