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手作り感、満開!

いま、丸かでは暑さも一段落してきたのと、
この時期は、一瞬営業も落ち着くので(暇なだけだけど)、
店の修繕や補修、製作物といった作業をしています。

なんせかんせ予算がなく、そのほとんどは自分達で
行なうので(一応、”自家製”)、時間が掛かったり、上手く
いかなくて、結局は初めから業者さんに頼んだ方が、安かった
などと、笑うに笑えないこともしばしばあるのです。

現在、”欽ちゃん”と”てまひま”と”満福や”を行なっています。
ここで大活躍してるのは「細川家」なのです。

”賢ちゃん”は毎日、事務所や各店舗を回り、販促物やら
ちょっとした店の補修などをしてもらったりしています。

で、何もしないけど、相変わらず好き勝手に口だけは出す
あたくしは、せっかくやったことを「あーでもない、こーでもない。
やれ、感性がない、わかっちゃいない。」などと、言っては
色々と大変な思いをさせているのです。

今回も、業者さんに見積もりを取ったら3店舗合わせて、
十数万円にもなり、例えばこの金額は丸かが居ぬきで
カウンター8席の店をやる時の予算に匹敵するくらいの金額で、
とてもじゃないけど、このような大それた金額なんて払えません。
(どんだけ低予算よ・・・・・)

なので、なるだけ手作業です。
そうです、こうして世界に一つとない、いえ、金輪際一つしか
作ろうと思っても、作れない”オリジナル製品”の完成なのです。

その昔、オペラというパブで女性のお客さんに、
「店長、何か私に会う”オリジナル”のカクテルを作って下さい。」
などと言われて、「分かりました」と。

心の中では「ったく、こったら忙しいのに”オリジナル”だと!?」
と思いながらも、笑顔で適当にリキュールなどを入れて作っていたら
「わー、スッキリして美味しい!なんていうカクテルですか?」

と、問われて、内心「えっ!?マジで美味しいの?って言うか、
マジで何をどれくらい入れたのか、わかんねーし」と思いながらも、
「”君の瞳に恋してる”だよ」などと、でまかせを言ったら喜んでしまい、

「店長、同じものを下さい!」などと言われて、
「ゲッ!」と思わず叫んで、
「僕は、同じものは二度と作らない主義だから(どんな主義よ)。」などとごまかし、
そのような教訓から名前を”一期一会”というカクテル名にして、
「同じものを」と言われたら「一生に一度のカクテルなんだよね。」
などと、バカな言い訳なんかをしていたのを思い出しました。

で、今回は「細川家」総動員です。
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細Bのお父さんが書いてくれています。(満福やの看板)

ファイル 718-2.jpg
細Bの旦那”賢ちゃん”(たぬきじゃないよ)

そういえば、”欽ちゃん”がオープンした時に小上がりの上の
排気ダクトを、ダンボールにスプレーを塗ったものを吊るしておりました。

不思議なことに、ほとんど気付かれないのです、これが。
っていうか、ダンボールでダクトを作るなんて、誰も
思わないから、気付かないのも当たり前ですよね。。。。。
(個人的には気に入っていたのですが、危険が危ないので取り外しましたよ)


あっ、「手作り感、満開」の品が欲しい方はご連絡ください。
金額は”賢ちゃん”が決めますから。
そのかわり「細川家」総出ですけど、何か?(しかも、手弁当)

秋バテに。

今年は、北海道も蒸し暑い夏でした。(九州の人からは鼻で笑われましたけど)

で、かなり体調を崩した人もいると思います。
何でも、この時期には夏バテならず”秋バテ”になる人が多いそうです。

で、夏に疲れた体には”ビタミンC”がた~っぷりの「”天然かぼす”で、
元気になろうではないか!」と言うことで、

今日から、”丸か全店”では「かぼす」フェアです。
主に「かぼすサワー」「かぼすハイボール」「かぼすジャワティーハイ」
の3品をやることになりました。(全て290円也)

「かぼすサワー」は今年で4回目で、今風に言うと
”4シーズン”目です。毎回、好評で「あの天然果汁がたまらない」
(東区29歳OLさん)とか、「これぞまさに”柑橘類!!”って感じです」
(厚別区37歳会社員)

中には「丸かで”かぼす”をやると、そろそろ秋を感じるんですよね~」
(中央区詩人さん)なんてのもあります。。。。。

などと、沢山の好評な意見が聞ける商品です。
そして、今回は丸かではおなじみの「ハイボール」にも、通常はレモンの
ところを、調子に乗って”かぼす”をバージョンもあり、この前までフェアで
行なっていた”ジャワティー”にも、”かぼす”を絞ってみたら、レモンティーの
かぼすバージョンになって(当たり前か)、中々上品な味になりました。


それと、それぞれのお店で商品も行ないます。

”てまひま”は「秋刀魚シリーズ」
(塩焼き?刺身?普通すぎて、あたくしに色々なことを言われて、
みんな頭を抱えています。特に中川が挙動不審でチーフは”うに”に)

”満福や”は「長ナス」(生姜とゆず胡椒を添えていますが、特にゆずがいい)

”満福や北口店”は「揚げサンマのなめたけおろしポン酢」
(正直言って、期待はしていませんでしたが、中国山椒の隠し味がいいですよ)

”欽ちゃん”は、「秋シャケと玉葱のホイル包みの七輪焼き」
(たまねぎが”さつおう”という品種で、甘みがあってこれまた旨い!)

”欽ちゃん支店”は「豚カルビとキノコのおろしポン酢」
(これもホイルを七輪で焼くのですが、豚カルビがジューシーで
きのこも歯ごたえがあり、欽ちゃんのタレとおろしポン酢が合います、うん。)

と言うことで、
本日は、経営者らしく”丸か”の店舗の宣伝もしようと思いました。


あっ、そういえば面白い記事を見つけました。
「Appleのスティーブ・ジョブズCEOがお忍びで来日し、大激怒して帰っていった!?」と。

何でも、京都に遊びに来ていて、帰国時に関空から自家用ジェット機で帰ろうとして、
保安検査場で手荷物の中の手裏剣の検査を告げられ
「自分のジェット機でテロを起こすバカがどこにいるんだ!」
「こんな国、二度と来るか!」と激怒したとのこと。

日本人の生真面目さが”あだ”となったというお話しです。。。。。

”曖昧”にしてはいけない。

先日も、この”トップギア!!”でも書きましたが、
政権は「目くそ、鼻くそ代表選挙」にうつつを抜かしている間に
今後のわが国にとっては、と〜っても大切な問題が”スルー”され
そうになっています。

先の「尖閣諸島沖での問題」です。

まず、尖閣諸島について簡単に書きます。

尖閣諸島は「1885年以降日本政府が沖縄県当局を通ずる等の
方法により再三にわたり現地調査を行い、単にこれが無人島であるのみ
ならず、清国(中国の前の名前)の支配が及んでいる痕跡がないことを
慎重確認のうえ、1895年1月14日に現地に標杭を建設する旨のの
閣議決定を行なって正式にわが国の領土に編入することにしたものです。」
(外務省の基本見解より)

よく、「日清戦争の下関条約で負けた清国から強引に割譲(かつじょう)したんだ」と、
中国やそれに媚びる人が言いますが、下関条約には尖閣諸島は含まれていません。
(既に日本の領土でしたから)

それまで、何ら中国も台湾も主権を主張をしなかったのに、”石油や天然資源”が
あるとなると、急に「俺の領土だ!」と主張し始めたのです。

今回、”丹羽中国大使”を昼夜問わずに4回も中国側に
呼び出されて、「船員と漁船を返せ!」と言われています。(恫喝)

のこのこといちいち出て行く方もお人好しですが、どうせ出て行くのなら
もっと毅然として「尖閣諸島はわが国固有の領土であり、そこで
違法操業、公務執行妨害、領海侵犯をしたのであるから、
わが国としては厳重に調査・処罰をする」と言えばいい。

ここでのポイントは新聞・マスコミ(マスゴミ)は”公務執行妨害”しか
取り上げていませんが、これは立派なわが国に対する”領海侵犯”です。
そこを主張しないでどうするンバ!(冗談を言ってる場合じゃないけど)

05年の「反日デモ」の時には、日本側は当事の駐日大使を呼びましたが、
なんと、無視され来たのは公使でした。で、その当人の大使は、親中派の
議員の講演会に出席をしていたのです。(見事に舐められています)

このままで行くと、中国は貧しい漁民を使って”尖閣諸島”に数十人、
数百人単位で強引に移住させてしまい、「ほら、ここはわが中華人民共和国の
人民が生計をたてている、わが国固有の領土である」などと、

他人の土地に勝手に入ってきて、ボロ家を建てて「ここは、俺達家族が
住んでいる場所だ!」などと言い、その土地にある物を勝手に食べたり、
売ったりするという、まさしく”盗人猛々しい”行いをしないでもない。
(いや、充分ありえる)

なので、先手をうち日本側はリストラで仕事がない人や、派遣村などという
訳のわかんない所に来る人たちや、普段は何をしているのか分かりませんが、
右左関係なく”活動家”などという人たち千人くらいを移住させて、
漁業と警備を任せたらどうですかね?

菅ちゃんでも小沢っちでも、どっちでもいいのでここで一発「あくまで”尖閣諸島”は
日本固有の領土である!つべこべ言わないで黙ってろ!!つーか、その前に
お前らのアホな商標登録で勝手に”高倉健”とか”安室奈美恵”などというのを
登録するのを辞めさせろ!!」と言えれば、あたくしは民主党政権を見直します。

間違っても「大人の判断」だとか、「日中お互いの友好の為に」などと曖昧な
政治決着をしなように願っています。。。。。

お~い。

高3のちょうど今くらいのときに、親友の”藤田”と
Wデートをした思い出があります。

相手は一つ上で車を持っていて、普通なら
一台の車で4人で行ってもいいのですが、なぜか?
2台に分乗することに。

あたくしたちは工業高校で、彼女達は芦別高校(普通高)の
卒業生。あたくしも藤田もその人たちとは一度も”学び舎”を
共有したことはありませんでしたが、なぜか?藤田はその辺が強い。

だいたい、藤田が「かー、今度、00とデートするけど、もう一人
誘うから行かないかい?」と。(まったく、断る理由なんかありません)

調度、その年の夏にも一つ上で働いている女性の家に
「かー、00知ってる?」
「あん。」
「でさぁ、今度一緒に飲むことになったんだけど、一緒にどう?」
「いいよ。」
「しかも、00の家でだぞ!」
「うっそー!い・え・で!!」

この時は、緊張しました。
なんせ、年上の一人暮らしの女性の家で宅飲みですから。
しかも、2対1(別に深い意味はないけど)

かなり、楽しかったです。
まだ、コンビニなんてなく、お酒がなくなったら近くの商店で
焼酎とライムシロップ、氷を3人で買いに行ったり、近くの水が流れている
公園で裸足になり遊んだり・・・・・。(青春だ!)

で、飲んで、どうなったんだろう?
確か、朝方まで色々と冗談を言ったりして時間が過ぎたと思います。


あたくしと藤田は特に年上が好きで、なぜか?一つ上の
年上の女性との接点があり、何かと”チョロチョロ”していました。

で、今回も藤田からお声が掛かり、車でWデートをすることに。

初めて会うのに、しかも事前にほとんど情報もなく、なぜ?このような
ことになったのかも分からないまま、

「かー!年上とWデートだぞ!」
「うっそー!マジ!!」
と、無邪気に「かとう青年」と「ふじた青年」は、はしゃぐのでした。

まぁ、そこは思春期というのでしょうか?いえ、みなが通る道と言うのでしょうか?
2人とも、その日が来るまで休み時間ごとに、なぜか?秘密にしている訳でも
ないのに、”ヒソヒソ”とWデートの日の作戦と言いますか、妄想と言いますか、
そのような会話で”ニヤニヤ”としているものですから、他の友人達からは

「なによ?なにか隠してるべ。」と、詮索されるのですが、
別に隠すこともないのに、心のせまいあたくしたちは「いま、こいつらに
言ってしまうと、月曜日に登校した時に”どうだった?やったのか?”」
などと、聞かれたらどうしようなどと思っていたのです。

何でしょうか?あたくしも藤田も確かに色々と期待もするし、
充分すぎるほど妄想をして、色々なバージョンの”シュミレーション”を立てますが、
いざ、そのような時なると”やんねーだろうな~”といった感じです。
まぁ、キスくらいで。やってもオッパイを少し触って舌をぎこちなく絡ませるくらいです。
(オイッ!)

で、待ちに待ちつくした当日、予定通り2台の車に分乗して、
藤田は、憧れていた女性の車へ。あたくしは2人とも何となくバスターミナルで
見かけたことある程度ですが、”ウキウキ緊張カトちゃん”は
もう一人の車へ。

初めの”車デート”

何を話したかなんて覚えちゃいません。
もちろん、色々なバージョンの”シュミレーション”なんか、車に乗った
瞬間に吹っ飛んで行っちゃってますし。。。。。

芦別の人間が遊び行くのは、札幌より旭川が多く、今よりも話題性に
かけていた「旭山動物園」などがお決まりのパターン。(これ、一度きりだけど)

2人とも自慢の”リーゼント”でめい一杯めかし込んでいるのに、
でも、助手席。(笑っちゃうよね)

急にどうしたんだって?
実は、今日事務所へ来る時に、石山通りで信号が変わるのを待っていたら、
2台の軽自動車に分乗して、前の車と後ろの車でふざけあってる
Wデートらしきしている20歳位の光景を見たら、

助手席に座り、将来に対する不安も恐れもなく、目を輝かせまっすぐに前を見ている
”リーゼント”のあたくしと藤田がいたような。。。。。

「お~い。あたくしと藤田、お前らは一体どこを何を見てるんだい」。

25年前の遠い記憶。。。。。

”あたくしにも言わせろ”的な。

昨日、札幌で民主党代表選挙の立会演説会を行なっていた
とのこと。見に行きたかっのですが、あいにく仕事で行けませんでした。

あたくし的には「目くそ、鼻くそ」で、どっちになっても大した期待も
してはいませんが、後のわが国の首相になる人が、単に代表選の
ことしか言わなかったり、いかにもうそ臭い国益を論じたのなら

「ちょっと待った!あたくしにも言わせろ!!」と、選挙カーに乗り込んで
行こうか?と本気で考えておりました。。。。。

例えば、今回わが国固有の領土でもある”尖閣諸島”付近で中国の
漁船が違法操業をして、あろうことか逃走する際に海上保安庁の
巡視船に接触をして、逃走を図ろうとしました。(しかも、2隻に)

そして海保は違法操業をした中国漁船を捕まえましたが、
すると、どういうことでしょうか?中国側は丹羽中国大使を呼びつけ
「尖閣諸島及びその周辺は、古くから中国の固有の領土だ」などと、
抗議をする始末。

言って置きますが、大使を呼びつけると言うのは、大変失礼にあたり
余程のことです。(相変わらず、かなりの上から目線)


それで中国は「自国漁民の生命と財産の安全確保」を理由に
漁業監視船を派遣すると言って来ました。

ここで注意しなければいけないのは、中国は南シナ海でも似たような
ことをして、段々とエスカレートをしていき、現在は他国の領土も
我が物顔で、逆に軍艦で威嚇する始末。

中国政府は別に「魚を食べたくてこのようなことをしているのではない。」
と言うこと。海底資源と対アメリカ用のシーレーン防衛の為なのです。

今回も、まずは中国漁船を違法操業させて日本側の様子を見る。
もし、いつもどおり抗議をして日本が黙れば、益々エスカレート。
逆に万が一、漁船や今回新たに派遣された漁業監視船に対して
厳しく取り締まれば、それをいいことに軍艦などを派遣する可能性がある。

そうですね、この手口はまるで”ヤクザ”です。
その昔、ヤクザが他の組の縄張りを侵すときに”鉄砲玉”というのを
送り込み、相手側の縄張りにあるスナックとかで暴れて、それを聞きつけた
地元の組員が駆けつけ、ひと悶着を起こす。

この場合、もっとも大切なのはその”鉄砲玉”は痛めつけられることが
重要で、良くて半殺し、最悪は殺されることが”鉄砲玉”の使命です。
そうして口実をつけて「”全面戦争”にするか、縄張りを寄越せ。」となるのです。

今回は”鉄砲玉”が違法操業で捕まった漁船です。

もし、何もしないで「穏便に」などと言って返してしまえば、
これ幸いに何度も同じことを繰り返されます。(仙石あたりはやりそうだけど)

ここは、「もし、お前たちが軍艦を派遣するのなら、海上自衛隊を派遣するぞ!」
と、脅しや野心に屈しない態度をとることも、わが国には十分な国益に
なるのですから、代表選を戦っている二人にはこのような事柄にも
口当たりの良い政策だけではなく、毅然とした態度を表明して欲しいものです。

それと、もう一つ政府も国民もこの辺をしっかりと認識をして欲しいし、
法整備を急いで欲しいのですが、「06年より中国は日本に対して
”文化戦争”に転換すると方向転換された」という資料があります。

それは「敵国を消滅させるには、まず文化を破壊せよ」次に「大量の
労働者として中国男性を移民させて、人口戦争をせよ」とのこと。

どおりで、ここ最近は日本の国籍を取得する中国人が増えたのも
頷けます。(一説によると、一週間に500人が申請しているそうです)

それと、何かにつけて”侵略戦争”を煽り、
日本人が日本人を嫌いになるように仕向けてもいるようにも見えるのです。

現にウイグルやチベットでもそうした同化政策で、何代にも渡り
漢民族支配をしようとしているとも書いていました。

本気で50年後は「日本を中国の一部」にしよと考えているようなのです。
あっ、先日も「沖縄は中国の領土だから返せ!」と、言っておりました。

この辺を、きちんと言えるのが独立した法治国家のリーダーの「あるべき姿」
だと思うのです。(自民政権でも出来なかったけどね)

それと沖縄は”琉球王朝”のモノですから。。。。。

”ライオンと呼ばれた男”

つい最近「ライオンと呼ばれた男」と言う、1988年公開された
ビデオを観ました。(もちろんVHSだけど)

実は二度目で、最初に見たのは彼これ17,8年前くらいです。
あたくしが昔から(二十歳前後くらい)の理想のような生き方を
表した作品だったからです。

”ジャン・ポール・ベルモンド”扮する主人公”サム・リオン(ライオンと言う意味)”
は、3歳で母親に捨てられて、サーカス一座に育てられます。
そこで、活躍をしていくのですが、空中ブランコから落ちてしまいます。

その後、”サム”は清掃業で大成功を収めますが、
あまりの忙しさと、子供達の自立の為に一ヶ月間大西洋を航行しますが
海の上まで会社の決済を求められて、遂には途中で救急用のボートを切り離して
消息を絶ってしまいます。

それで家族や友人達は死んだと思い葬式までだします。

”サム”は作家や歌手になりたかったので、成功と引き換えに
自分を見失ったと考え、第二の人生を送るために「タヒチ」や
「サンフランシスコ」「シンガポール」と自分を振り返る。

それから2年が過ぎて”サム”は野生動物を観察するために
「アフリカ」にいたが、そこで、以前フランスで”サム”の会社で働いていた
”アル”という清掃員に見つかってしまう。(もちろん”サム”は清掃員のことは知らないが)

で、そこで子供達の経営している会社が、知人に乗っ取られて
潰されそうになるのを知り、その清掃員の”アル”とフランスに戻り、
純粋無垢な”アル”を通して、挨拶の仕方から、相手の身になって接することや
何事にも驚かない、などの処世術を教えて自分は表には出ず
傾きかけた会社を立て直していくのです。

立て直して行く間、“アル”に「相手がきっとこう言って来たら、こうのように言うこと。
とか、このように言って来たら、相手は怯むはずだ。怯んだらこう言うから、
そうしたらこうしなさい。」と、

仕事や人の行動パターンや心理を熟知した指示で”サム“の指示で”アル”は
次第に子供達からも信頼されて、見事に会社は立ち直りますが、
形上“サム”は死んでいるので、しかも実際は本心ではないにしろ、一度は子供達と
会社を捨てた身なので、今更出るわけにも行かない。

が、ひと目子供達の姿を見たくて、”アル”の実家で町外れの
寂れたホテル兼ガソリンスタンドで働きながら、身を潜めていた”サム”の
所へ”アル”が「お父さんに、よく似た人が働いている」と言い、連れて来ます。

会いたいけど、会えない。父としての苦悩を”サム”役の
”ジャン・ポール・ベルモンド”が見事に演じています。。。。。

結局は娘に見破られてしまいますが、その愛娘の”ビクトリア”は
どこか父に似た”アル”と結婚をすることを決めます。

それを見届けて”サム”は再び「アフリカ」へ行き、動物保護の仕事をしながら
大好きな”ライオン”や動物達と、何の憂いも無く悠々自適な第二の人生を
送ると。と言うお話しです。

面白かったし、色々と考えさせられます。
やはり、忘れていたのもありますが17.8年前に観た自分と、
と言うよりも、26.7歳のあたくしと、43歳のあたくしでは、
「あ〜、あの時は、そこまで感じなかったな〜」と言った、微妙な気付きや
感情を知るものですね。

もし、皆さんも興味があったらどうぞ。
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(VHSだけどね)

”荷物”

ここに一つの荷物があるとします。
その荷物を背負う自分の番が来ました。

そして、二通りの人がいます。
Aさんは「いや、また今度にするわ。」と、あっさりと逃げる人。
Bさんは「どうせ、そのうち背負わないといけないのなら、
早い方がいいよな。」と、引き受ける人。

世の中には自ら進んで「私に背負わせてください!」と、
とても積極的な人もいますが、ここではその”ベッキー”のように、
元気ハツラツのとても印象の良い人は置いておきます。(笑)

あたくしはどちらかと言うと、昔からそうで嫌なことや
面倒なことは早めにしておかないと、そのことが頭の中にあり、
それが”プレッシャー”となり、精神的に参ってしまうので。
(よく、学生の時に集団で悪さをした時に、一人一人職員室へ
呼ばれて、最後の方の時には生きた心地がしかなかったから)

でも、自分に自信がなかったから、この仕事をするまでは
いつも逃げ腰だったので、たとえ行動したとしても、
上手く行きませんでした。

思うに早いうちから、若いうちから、店や人、お金を任されて、
第一線で矢面に立って責任を持ちやる人と何かと理由をつけて、
その責任を後回しにしたり、せっかく任されたのに、
グダグダとしてどこにいるのか?何をしているのか?何を言っているのか?
分からない人では、若いうちはまだ周りが大目に見てくれるけど、
それなりの年齢になると”ガッカリ”させられます。

本当に発想も、動き方も違う。
(言われないと動かないし、動いても”トンチンカン”なことばかりやる)

それは取りも直さずに、早いうち、若いうちに”荷物”を背負って
来たかどうかだと思うのです。それが例え、迷いや苦労の連続で
中々上手く行かなくとも。

そして、荷物と言うのは背負って行くうちに段々と重みを増して
来ます。そして、ここでまた分かれ道。

「降ろす人」と「背負い続ける人」です。
もっと言うと、背負い続けるためやもっと重量が増えてもいいように
背中と足腰を鍛える(鍛えささる)人です。

ここで言う”荷物”とは”仕事”ですよね。

やはり何かをする時には、早いうち、若いうちに経験がなくても
自信がなくても、成果が思うように出なくて迷い悩んで来たけど、
”荷物”を投げ出さないで、いや、正確に言うと何度も降ろしそうになり、
逆切れして投げ出したくなって、

もう一歩も歩けなく、涙と鼻水を流しながら立ち止まって、
でも、そのうち「ここで、この”荷物”を降ろしたり捨てるのは簡単だけど、
それで本当にいいのか?」と自分に問うて、また歩き出す。

で、人は「よく、そんな重たい荷物を背負えますね。」なんていう人も
出てくるけど、「えっ!?そんなんでもないよ」と、普通に言えるようになる。

あたくしは、今一緒に働いている人には沢山の”荷物”を
用意する立場になりました。

せっかく背負う人が、
「社長、この”荷物”贅分と軽いですね」なんて言われない様に
してくことが、あたくしの仕事の一つでもあるのです。

”荷物”という「やりがいと希望」のためにもね。。。。。

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風が気持ちがいいですね。

今日は天気も良くて、そよ風が気持ちいいってかっ!
本当に気持ちがいいのでもう一丁、てかっ!

やっと、「これぞ、北海道!」てかっ!

でも、本州の方はいまだに記録的な猛暑が続いて
いるので、つくずく北海道で良かったな~と思うてかっ!

で、これから北海道は食べ物が特に美味しい季節に
なり、あたくしども飲食店としては、ある意味これからが
腕の見せどころ、てかっ!(しつこい?わかりました、てかっ!)

ただ、今年は北海道もヘンテコな気候だったので、
食材が落ち着きません。きっと、これから持ち直すと思いますが・・・・・。

先日、中川なんかは食材を見に、一人道東方面へ
一人旅なんぞをして、色々と発見?をしたもようです。

例えば、高速に乗っても無料なので、普通車線では
おじいちゃんがいると、60キロ前後で走行しているので
高速に乗っている意味がまったくない」とか。(うん?それって
ほとんど、いやまったく食材探しとは関係ないじゃん)

しかし、何に目覚めたのか中川は
「あれですね、やっぱり日曜日は閉まっているところもあるので、
平日の方がいいですね。今度は社長も行きましょうよ。」

(おおーっ!なんという大胆な発言)

しかも、「向うへ行くのは、午前中じゃないと動けないから
札幌は夜中に出るようにした方がいいですね。」

(おおーっ!どうした中川!!)

「で、中川、根室まで行けたの?」
「いえ、釧路で断念しました。で、社長が言っていた、
つぶ焼きの美味しいお店、行こうと思いましたけど、開店まで
二時間もあったので、帰って来ました。」

(おおーっ!そこまで行ってきて、ツメが甘い中川!!)

そんなこんなで、現在”てまひま”では「道東番屋市」なんて
言う、なんだかよく分からないフェアを23日までやっているそう
なので、気が向いたら足を運んでやって下さい。

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ん?23日って”秋分の日”で祝日じゃないかよ、てかっ!


先日、ビデオを借りに行ったら置いてありました。
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沢山、持って来たらこれもあり、少しガッカリ。
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と思いきや、表と裏でした。

そろそろ秋の気配?

今日、事務所へ来る時に”コンビニ”へ寄って
出るときに、窓に何か”物体”が。

「うん・・・・・? あっ。」
正体は”カメムシ”でした。
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「そうか、もうそんな季節になったのか・・・・・」と、
同時に遠い記憶が蘇ってきました。。。。。

確か、小学の低学年の時だったと思いますが、
あたくしが住んでいた、木造の二階建ての”炭鉱住宅(炭住)”では
よく、秋頃になると”カメムシ”が出没しておりました。

あの、何ともいえない”カメムシ”の臭い。
早々、あたくしは「カメムシ・バスター」と化すのでした。

その前に、”カメムシ”の別名「へったれ虫」と言われるように、
普段は何でもないのですが、刺激を与えるとかなり悪臭を放ち
衣服やカーペットなどに臭いがつくと、中々とれないやっかいな
代物なんです。

で、探す時には慎重に”五感”を研ぎ澄まし、それはまるで
ジャングルで獲物を狙う”ヒメヤマセミ(超マニアック)”のように、
かなり緊張する捕獲作戦なのです。

まず、クンクンとカメムシの臭いを犬のように四つん這いになり
嗅ぎながら、痕跡を追うのでした。

そんなある時、緊急事態が発生しました。
「カメムシ・バスター」の創始者でもあり、隊長でもあるあたくしが
いつもように四つん這いになり”カメムシ”を追跡していると、
強烈な臭いが。

「ムムム!これは近い!極めて近いぞ!!」と、
左手にチリ紙と、右手にはおふくろのどのように表現していいか
分からない香りの香水を持ち(カメムシの臭いに吹きかけるため)、
緊張しながら息をこらし、嗅覚を研ぎ澄まして・・・・・

それが間違いだった。

「くさい、非常にくさい」
一瞬、考えてもくさい。
目をつぶってもくさい。

で、目を見開き、顔を少し上に上げると
なんと、あたくし”カメムシ”を直接嗅いでいました。

「おーっ!!」と思わず声を上げてしまいました。
どおりで、かなりくさいはずです。。。。。

いくら顔を洗っても、しばらく臭いは消えませんでしたとさ。。。。。

昨日、西芦別の先輩と同級生が居酒屋をオープンしました。
丸か、同様かなり暑くて、あたくし思わず途中で抜け出して
「ドンキ・ホーテ」で6280円で扇風機を買ってきました。(痛い、出費です)

「かー、申し訳ないね。ありがとう。」
「いえ、自分のためですから。その代り、今日”二千円札”を使いますから。」
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それにしても、やはり同郷の知り合いが来ていたので、懐かしい
話しが出来て、楽しい時間を過ごしました。

そろそろ”真剣”に考えませんか?

昨日、テレビで「五体不満足」を大学時代に書いた、
先天性四肢切断(生まれつき両腕両足がない)の
”乙武洋匡(おとたけひろただ)”さんが、3年間小学の
教師をした時に思ったことは、

「学校(先生)は、もっと勇気を持つこと」と言われておりました。

現在の教育現場は、クレームを恐れるあまり、正常な形では
ないそうです。例えば、学校で”いんげん”を育てたのに、
生徒と食べることが出来ないのです。

なぜか?
「万が一、生徒がアレルギーとかで体調を壊すかもしれないから」。

あたくしは学校側ばかり責めるつもりはありません、
これは、戦後日本全体が抱えてきた問題が、このような”アホ”な
事態を生む事になったのです。

現状の教育のことを今日は”云々”はしません。
ただ、日教組や無責任なマスコミが何を言おうが、クソ親が
ぐたぐたと言おうが、学校や先生は”勇気”を持ち且つ
教育者としての”使命感”で、子供を教育して欲しいと思うのです。

こんな話しを、どこかで雑誌かなにかで読みました。

徳永先生と斉藤少年
「小学4年生の斉藤という少年がいました。両親は、少年を生んで
蒸発をしてしまい、おばあちゃんと二人暮らしでした。
働かないと食べていけないので、少年は馬二頭に荷物を積んで
隣町まで売りに行っていました。少年は根性もあり、力があり大変強かったのです。

ある日、少年が大問題を起こしました。教室で少年は徳永先生に
物凄い勢いで反抗したのです。それで、徳永先生はこう言うのです。
「今晩、私の家に来なさい」と。

徳永先生は少年に言いました。
「罰として、今夜抱いて寝てやる。根性を叩き直してやる」と。
その夜、徳永先生は斉藤少年を抱いて寝ました。

斉藤少年は、大人になり大成功を収めました。
そして、身寄りのない人を引き取っては、立派にして世の中へ送り出しています。

斉藤氏は言います、「現在の私があるのは、徳永先生に小学生の時に
抱いてねてもらったからです。その夜から私は変わりました」と。

それで斉藤氏はこのような新聞広告を出したのです。
『徳永先生いずこにおられますか?』

その後、40年ぶりに対面をしたのでした。」 
ここまで。

このように厳しさと情を兼ね備えて、子供達と接する先生がいたら
日本の教育現場も必ず変わるでしょうね。

しかし、悲しいかな、もし今このようなことをしたのなら、必ず
マスコミやPTAが騒ぎ出して”自動虐待“とかの事件になるのが本当に嘆かわしいことです。。。。。

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