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少し変化が・・・・・。

ホントに面白いですよね、
人間って。

やはり、これほど様々な人たちがいると飽きませんよね。
それりゃあ、時々嫌になる時もあるけども、それを差し引いても
面白い。

特に、不義理をする人は面白い。

人にお願いする時だけ、お願いしておいて、後は・・・・・。

お金を借りる時だけ借りておいて、「すいません。」・・・・・。
なら、まだいいけどほとんどは”音信不通”になるか、
一年に以上、雀の涙ほどの額を返し続けている状態だと、
何かのタイミングで返さなくなる。(まだ、三分の一でも)

最近もありましたよ、
「これとこれをお店でどうですか?」ってね。

知人の紹介なので無下(むげ)には出来ないから、取り合えず付き合うけど
本当は逆なんだよね。

知人の紹介だからこそ、先方は一所懸命にするのが当たり前です。
あたくし達の仕事も、常連さんが連れてきた人や紹介だからこそ
連れてきた人や紹介してくれた人の為にも、一所懸命に気分良く
帰ってもらうように努力する。

なのに、お願いだけは”こめつきバッタ”のようにするけど、
決まれば挨拶にも、連絡も店にも来ない。(フォローがない)

”どういうこと?”

それと、お金を借りに来るのなら、もっと”余裕”のある人から借りれよ。
あたくしに借りてどうすんだよ、まったく。

まるで、泥棒が盗みに入って、あまりにも悲惨なので、
「頑張りなさいよ。」と言うメモと一緒に二千円を置いていきそうな
勢いなんだから。(マジで)

それと、それなりに世話になっておきながら、
調子の良い時はまったく連絡もよこさないし、どこかの店であっても
こちらから声を掛けないと、挨拶もしない。

で、また困ったら連絡をよこす。。。。。

あっ、別に愚痴ではないですから、
本当に、「人って面白いよな〜。」と思うのです。

確かに以前なら、一々目くじらを立てていましたけど、
なんか、最近は「そういう奴なのか・・・・・」程度です。

その代りに、その人とは”次はない”。
それでいい。

単純に、もうその会社やその人と関わらなければいいんですからね。

人を信用するとか、しないとか、人が好きだとか、嫌いだとかではなく、
単に「人間とはそういうもんだよな。」と。

って言うか、そのような人を見抜けない自分に腹が立つから、
一々、そのような輩に、それ以上関わりあうのはやめようとね。

だから、これからも自分の”眼力”がなく、
色々と”ヘンテコ”なことになるかもしれないけど、
そのような時は、「まだまだ、自分も”あまちゃんちゃこりん”なんだよ。」と、
いうことなのです。

なので、別に文句や愚痴ではなく、あたくし自身も含めて
「つくずく、人間って面白いな〜」と思うし、
「こんな輩に舐められるなんて、まだまだ”あまちゃんちゃこりん”の
うんち野郎だから、逆に自分自身がしっかりしよう。」とね。

えっ!?あたくし、らしくないだろ!?って?
いや、いや、あたくしだって”成長”しているんですよ、これでも。

あ〜あ、
世界中の人がこのような考えなら争いごとが減るんですけどね。

と、15:51分42秒。この時点では、こう思っているのであります。。。。。


って言うか、おい、O0食品。
ええ加減にせぇーよ!この”チ0カス野郎”!!

なんぼ、タンパラな俺でも怒るぞ!!
うん?

さぁ、どうする。

昔のことを思い出していた。

どの頃?
いや、色々と断片的に。

中学生の時、高校生の時、十数年前・・・・・。
笑っちゃうね、まったく。

な~にやってんだか、ホントに。

んで、これからどうしようか?
きっと、今までの歳月よりも早く過ぎるから、どうしよっか!?
なんて、焦ってなんかいた自分もいたけど、

ここ最近は、
「なるようにしかならないよな。」と半ば、ヤケクソにもなる。

どうあがいても、10代、20代にもどれっこない。
人によっては「心の持ちようなんだ」などと、

”サムエル・ウルマン”の「青春とは」という詩の中にある、
「青春とは 真の 青春とは
若き 肉体の中に あるのではなく 若き 精神のなかにこそ ある」
などと、言う人もいるけど、

正直言って、あまり”パッと”しない。(ウルマンさんごめんなさい)

言っていることはわかるけど、やはりあたくしが思う”青春”とは
そんなに振り返る過去がなく、それだからこそ「何をしたらこうなるから、
やめておこう。」なんて、頭でっかちにならないで、

夢や希望に満ち溢れ、どんどんと無知なことも恥じらいもなく
出来る時期なんじゃないのか?ってね。

いま、あたくしがそんなことをしたら、普通に”ヤバイ”
(って、たまにやってるけど)

丸かのスタッフには「なんで?若いのに尻込みするの?」と
言いつつ、あたくしから見て”非効率”に見えることは
「そんなことして何の意味があるの?」などと、言ってのける。

なんだこの”矛盾”は?

あ~あ、このまま年をとるのも嫌だが、
かと言ってな~・・・・・。

そんなことを”ぐたぐだ”と考えてなんかいるから、
断片的に思い出すんだろうな~。

これって、現実逃避なのか・・・・・?

それはそれで、情けない。。。。。

涙があふれそうになって、
涙がこぼれそになったら、
ガムテープで顔面をぐるぐるにすればいいのか。。。。。

明日の”栗山”は残念ながら中止になりました。
と言うことで、今日は”丸か””徳太郎”で飲みましょう!!

一歩、家を出たんだろ。

この”トップギア!!”でも度々書いていますが、
あたくしも含めて、「完璧な人間も、強い(精神的に)人間も
いません。」と言っています。

がしかし、それだからといって、適当に妥協をして、嫌なことや
辛いことから逃げればいいのか?と言えば、普通の人は
「いや、そうではない。」と答えます。

最近も、人と話しをしていて
「どうしてよいか分からない。」と言います。
「なぜ、そのようになるのか自分でも分からない。」とも言います。

それは”ウソ”です。
「どしてよいか分からない」のではなく、「なぜ、そのようになるのか
自分でも分からない」のでもなく、本質的なところから逃げているから、
「分からない」となっているのです。

そのような人に限って、周期的に同じことに陥ったり、言うのです。
なぜか?単純に”自分の事しか考えていない”からです、普段から。

得てして、そのような人は一見優しい考え方の人が多い。
そして、親と仲がよい、尊敬している。

別に、優しいのが悪いわけでも、親と仲が良いのも、尊敬しているのも
悪いわけじゃない。

問題は、家庭の中からその人が出ていないことが問題なのです。

親は優しい(最近は、かなり怪しくもなってきたかもしれないが)、
そりゃあ、身内だから親子喧嘩も兄弟喧嘩もするし、反抗期もある。

それでも、親と言うのはありがたいもので、いくら出来の悪い子供でも
心配なものです。(こんな、あたくしでも親は心配しています。)

しかしね、一歩家から出て親元から離れて、他人様の飯を
食べるようになったら、そこのルールに従い環境になれなきゃダメだ。

様々な事情を抱え、育った環境も違う他人同士が必死に生きている
社会で、いつまでも家に居たときの過ごし易い環境の延長じゃ、とても
やってはいけない。

みんな自分のことで手一杯なんだ、本当は。
ましてや、会社の上司や先輩は親でもなければ兄弟でもない。

同士、仲間、同僚と言う言葉はあるが、あくまでも他人なんだよな。
(中には、なまじっか家族より頼りになる人もいるけども)

要は、家離れ、親離れしていないので、社会に出て会社とかでの
接し方が自分の育ってきた家庭での環境と違っていたら、一気に
悩み、迷う。。。。。

「おい、おい、目を覚ましなさい。」と。
「あなたの、いま立っている場所はどこですか?」とも。

本当に視野の狭い若者が増えてきた。
あたくしは、偉そうに「今の若いヤツは・・・・・」などと言うつもりはない。

逆に、自分にない可能性や才能を見るのが好きだ。
しかし、せっかく社会に出ているのに、今まで育ってきた家庭や
学生時代の、ほとんど”自己中心的感覚”を払拭できないから
自爆してしまう。。。。。

あなたの家庭は良い家庭でした。
そして、あなたの家族も素晴らしい家族でした。

でもね、世の中には上には上がいるんだよね。
そして、親兄弟や学校の先生以外でも素晴らしい大人はいるんだよね。

これだけは言っておくけど、
「あなたが親に対して一番の親孝行は、あなたが健康でいることと、
あなた自身が社会人として自立することです。」

その為には、辛いことがあったり、悩んだくらいで、
家庭や親兄弟の”思い出”と言う温もりに逃げてはいけない。
(かえって、親兄弟が心配するしね)

家を出た人間は(物理的にも精神的にでも)、
社会人として、社会人の付き合いの中で解決していくことも必要なんだ。

社会人にもなって、自分の家庭ばかり”軸”に物事を考えていたら、
ロクなことにならない。

他人の飯を食べて、社会の辛さを経験して、人の情けを知って、そこで初めて
”親のありがたみを知る”もんだよね。

と、全部が全部じゃないけど、最近話をするとこう思うのでした。。。。。

大丈夫、思いでは逃げないから。

ここ最近。

今日も”カラッ”とした天気で心地よいです。
って言うか、昨日も書きましたが、昨日皆は「暑い、暑い、この夏
二本の指に入る。」とか言っておりましたが、

まったく、あたくしは暑く感じませんでした。
人に言わせると、風邪気味なので、きっと体内温度の方が
高いからなんじゃないか?との意見。

そうなのかも知れない。

先週の木曜日から風邪気味で、それでも前の日に”龍治”と
「金富士」→「ささき(11丁目地下2階にある居酒屋)」
→「てまひま」へと。

あたくしは、昨日の”トップギア”でも書いたように、前の日に”ビアガーデン”へ
行ったのもあり、って言うか月曜日から3連ちゃんカクヘン状態だったので、
途中で帰えっちゃいましたけどね。(龍治は石崎さんとラストまで)

恒例の”アイスの実”二袋を買って食べて、窓も開けて寝ました。
結果、次の日からしっかりと風邪気味ですけ、ど何か?

火曜日に博多から古くからの知人が夫婦で来たので、
”てまひま”で飲み始めましたが、その日は珍しく”てまひま”が
2回転もしたので、いつのまにかあたくしも手伝う始末。

規夫も博多の知人は知っているので、顔を見せてくれたのですが
あたくし規夫の顔を見るなり、「来た!来た!助っ人が来た!」と、
まるで、阪神タイガースが21年ぶりに優勝した時の「史上最強の助っ人」
と呼ばれた”ランディ・バース”のうように写りましたよ。

規夫は「どこに居るんですか?」(博多の知人のこと)
あたくし「いや、のりはこっち」とキッチンの方向へ導くのでした。

早いね、のりはあの体格で動きが早い。
まるで”クラッシャー・バンバン・ビガロ”のような。

わかんない?
では、まるで”ウガンダ・トラ”のような素早い動きで次々に溜まった
オーダーこなしてくれたので、大助かりです。(これも、イマイチ?)

困った時の”のり”とはよく言ったものです。。。。。

まぁ、その日も酔っているのか?風邪気味なのか?
きっと、両方ですが、いい感じでほろ酔い気分になれました。

で、昨日も古くからの常連さんの”Sちゃん”が、土日で行った所の
お土産を買ってきたので、軽く飲もうということになり、まったく断る
理由なんてないので、昨日もまたもや”てまひま”のカウンターで一緒に
飲みました。

「Sちゃん、どこ行って来たの?なにお土産って?」と渡されたのがこれ
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そうです、芦別は上芦別で作っていると言う”タングロン”どぇす!!
以前に”トップギア!!”でも書いたので、それを覚えていてくれて
滝里(芦別市)のキャンプ場へ行ったついでに買ってきてくれたのです。

本当に嬉しくて、ありがとうです!!

持つべきものは”のり”と”Sちゃん”

と言うことで”しげちゃん”また飲もうね。(イニシャルの意味ネー!)
今度は”細B”を誘って”ワンダー”でカ・ラ・オ・ケね!!

また来年な。

日曜日で、”第57回ビアガーデン”も終わっちゃいました。
何でも、今年は天候不順で売上がイマイチだったそうです。
それに加えて、営業時間も短かったしね。

でも、今になって天気が良く、北海道らしい”カラッ”とした気候になりました。
同じ30℃でも気持ちがいいですね。

今年あたくしは2回しか”ビアガーデン”に行きませんでした。
なぜか?気分が乗らなかったからどぅえす!

元々”ビアガーデン”に行かなかったのですが、
一昨年から(そう、あれはイベントに参加してから)、
”突然変異”とでも言いましょうか、人が変わったように行き出しました。

一昨年は6回、昨年は5回。
(仕事すれよ)

で、先週の火曜日に最後の”ビアガーデン”へ。

メーカーさんと、午後2:30〜飲み始めました。
しかも、その日は久しぶりに天気も良く暑い日。

一瞬、家を出る前に「下駄&ハーフパンツ」にしようか?
とも思いましたが、一度事務所へ行くので辞めました。

でも、事務所では暑い日はこれを履いています↓
ファイル 694-1.jpg

けっこう、飲みした。(まるで、アンドレザ・ジャイアントが試合後に、瓶ビール1ケース飲むように)

途中、休みで違う”ビアガーデン”で飲んでいた、規夫も
参加して、

でも、いなくなり。

変わりにお客さんが参加しました。
しかも、そのお客さんは元々お母さんと”てまひま”へ行く予定
だったみたいなので、「だったら、お母さんも呼びなよ。」と。

「来るかな〜」
「来るよ、多分。」

と言うことで、結局4人は午後8:00くらいまで”ビアガーデン”で
飲み、”てまひま”へ行くことに。

メーカーのD「僕は10時で帰ります。」
あたくし「何で?」

メーカーD「いえ、特に理由はありませんけど、10時に帰ろうかと。」
あたくし「何を言っているのか分かんない。来いよ。」

メーカーD「あっ、はい。」
あたくし「最初からそう言えばいいんだよ。めんどくせぇなぁ。」

で、”てまひま”へ。

正直、”てまひま”で何を飲んだのか覚えていません。。。。。

覚えているのは、お客さんとそのお母さんをタクシーで見送り
(なぜか、英語の出来るマスターのいる”スナック”へ行きました)

で、その後、なぜかそのメーカーDに対して”必殺のローキック”を
かましたくなり、(ちなみ、メーカーDは身長190cm、体重100キロ?
はあり、元ラグビーの日本代表です)

ローを入れると、メーカーDも構えながら突進してきたので、
それから、”てまひま”の店の前で「ローキックVSそれに負けない
メーカーD」の戦いが始まりました。
それこそ、「山本小鉄VSアンドレザ・ジャイアント」の対決。
(バカ、二人)

朝起きると、なぜか”弁慶の泣き所”が痛い。
「ん!?なんだ?なんだ?・・・・・?
あっ!あっ!あーっ!!」

これが、今年のあたくしの”ビアガーデン”のラストでした。。。。。

大輔、ごめん・・・・・。

いくら暑いからといって、ビジネスシューズに裸足かよ。
ファイル 694-2.jpg

大輔の足(ビアガーデンにて)。






マイム・マイムの夏休み♪

小学生か中学生(1年)の時に、お盆も終わり学校が始まる少し前頃。
って、ちょうど今時期じゃん!

小学校のグランドの真ん中で、キャンプファイヤーみたいに(泊らないけど)
枕木(まくらぎ)を組んでやった記憶があります。

きっと、一度しか経験がなかったので、きっと先生の思いつきか、
単純にあたくしが一度しか参加してなかったのか?
わかんないけど、上級生・下級生関係なく、その炎を囲んで
一緒に踊ったのが今でも楽しい記憶です。

確か”マイム・マイム”だったと思う。

運動会の時に踊るのと違い、しかも夜中に炎を囲んでなので、
あまり顔も見えなく、好き嫌いなんて関係なく一緒に手を繋いで踊れるからね。

何だろうね、あれって人間の本来持っている”DNA”なのかは
知らないけど、「炎の周りで踊る」と言う行為は何だか心の底から
血がたぎるんですよね。

やっぱり普段はあまり夜中に子供同士で会わなく
それだけでも楽しいのに、それが大人数で炎の周りで踊ってるって、
いま思い出しても”ワクワク”します。

で、その中でもあたくしが思い出すのは、同級生の女子の
2つ上のおねーちゃんと手をつないで”マイム・マイム”を踊ったのが
と~っても楽しかったと言うよりも、嬉しかった思い出です。

やはり、小学生とはいえ(いや、小学生だからか?)、年上なので
あたくしが恥ずかしくてうまく踊れないと、「ちゃんのおんじー、
もっと手をしっかりと繋いで!」と、まだ「うぶすぎる」ほどのあたくしの
手を”グィッ”と引き寄せて、満面の笑顔で踊るのです。

あっ、”ちゃん”とはあたくしの”アホ”な兄貴のあだ名で、おねーちゃんは
兄貴と同級生でした。おんじーとは弟のことを”おんじー”と呼んでいました。
(昭和くらいまで)

ずーっと、このキャンプファイヤー?(なんて言うのこれって)が続けば
いいのにな~。と、同級生のおねーちゃんの手を握り締めながら、
思ったものです、多分。(ちなみに、まだ股間は大人ではなかったですよ)

あれって、最後に崩すんですよね。真ん中の枕木。
って言うか、最初に火がついた時の歓声も凄かったけど、
倒して消すときの歓声もまた違う意味で凄かった。

何だか、
「お前らこれで夏は終わりだぞ。もう2学期が始まるんだからな。」
と言われているみたいで、ちょっぴりさみしくもあり・・・・・。

いいね、また皆でやりたいね。
機会があったらみんなでやりましょうね。

あっ!今思い出した。
きっと、毎年やっていたかもしれません。
ただ、あたくしがいつもギリギリまで”釧路”に行っていたからだ。。。。。

それにしても、段々と記憶が曖昧になってくるもんですね。
小学生の時だったかな?中学生だったかな。。。。。
(誰か覚えてる人がいたら教えてください。地域限定(西芦)されるけどね)

”夏休み”もうそろそろ、も終わるね。。。。。

思うこと。

それにしても毎度のことながら、酷いな。
なにがって?

あまり言いたくないんだけどね、言いたくはないよ本当は。

ただ、あまりにも偏った報道で民衆を洗脳している
ように見えるから、非常に憤りを感じるんです。

えっ!?だからなんだって。

毎年、この時期になると「終戦の日」に合わせて、マスメディア
(特にNHK)の、「どれだけ日本が悪かったか」自慢の報道がです。

確かに、戦争は悲惨です、悲劇です。

しかし、それにしても戦後65年も経つのに、
なぜに?このようにしかも自国のことを、しかも一方的に悪者に
できるのかな?と本当に不思議に思う。

こんなことを言うと、「先の戦争でアジアの人達に多大なる、犠牲と
ご迷惑をかけたので、それと、行きたくもない戦争に”赤紙”一枚で
行かされて、あんな悲惨な歴史を”風化”させないためだ!」と、
申される方がいます。

そうですね、戦争は必ず誰かに犠牲が出るし迷惑も掛かる。
それに誰が好き好んで、死ぬかもしれない場所へなんても行きたくはない。
当然です。

しかしね、戦後日本は一度も戦争もしていなく、その素振りさえ
見せてこなくて、ひたすら”上級生”や”不良ども”からお金を”カツアゲ”
(本当は”カツアゲ”どころの額じゃないけど)されて、それでも
先の(あたくしは”大東亜戦争”と言うけどね)戦争の反省から、

「戦争はしてはいけない。」と言うのを骨身に染みているから、
だから、周りに”ゴロツキ”どもがいても、「あいつのバックにはアメリカが
ついているから、手を出すと面倒なことになるぞ。」という感じで、
面倒なことに巻き込まれないで来たんだと思う。

色々なことを言う人がいるけど、あたくしはそれで良かったと思います。
今まではね。

まぁ、そのように利用しているのか、利用されているのか分からないけど、
それもあって、世界第2位の豊かな国として今まで躍進できたのだから。

しかも、そのお陰で自殺率も多くなったし、わけのわかんない年齢まで
年金を受け取れるし、親子・夫婦が殺しあうし、「ムシャクシャしたから
人を刺した。」などと、”ミヤマクワガタ”以下の脳みそしかない輩が出てきて
今度は、そんな”アホ”を「幼少時の辛いトラウマが原因で・・・・・」などと、
これまた、”てんとう虫のサンバ”ほどの”思考能力”しかない、
うんこたれ弁護士やら、鼻くそに毛が生えてる市民団体などが活動できる。

しかも、右を向いても左を向いても、前を見ても、後ろを見ても、
「うつです。」と言う”診断書”を持って来る。これはある意味”水戸黄門”の
印籠並に効果があり、下手なことを言うと組合がうるさいので、黙るしかない。
で、今度はその上司が”うつ”になり出す始末・・・・・。

それもこれも”平和な証拠”だろ。
もし、常に紛争状態のパレスチナやレバノンのように緊張状態なら、
今日生きるのが精一杯なのだから、余計なことを考えなくて済むので、
”アホ”や”心の病気”なんかなってる暇がない。

そう思うと、この65年間は日本にとっては幸福だったんだと思いますよ。

で、その65年間、反省に基づいて一度も戦争をしなかった
日本のどこが悪いんですか?

各都市で(特に東京)で、武器を持たない民衆が何十万人も殺されて、
しかも、広島・長崎に”原爆”と言う、大量虐殺兵器を落とされて、
ここでも合わせて何十万人も殺され、そこまでの犠牲を出した日本は
いま、何をどんな言いがかりをつけられる筋合いがあるのですか?

それを言うのなら、火事場泥棒のロシア(旧ソ連)は、条約を一方的に
破り、ほとんど無防備な日本軍や民衆に攻め込んで来て、暴行・略奪、
殺人、挙句の果てには”北方領土”まで占領してしまい、

日本軍の捕虜は戦争が終わっても、帰してくれなく、その為に過酷な
労働で何万人も殺されたのですよ。

同じようにマスコミはアメリカやロシアに対しても非難キャンペーンをしてるのですか?
問題は「日本の悪いことだけが問題なんだよ!」ってこと?

極東軍事(東京)裁判でもそうです。各地で何百人も処刑されたのですよ。
しかも、勝者の一方的な勝手な報復裁判で。(しかも、ほとんどはでっち上げで)

昭和26年のサンフランシスコ講和条約、昭和40年の日韓基本条約、
昭和53年の日中平和友好条約で、感情的な認識の違いはありますが、
正式に締結されて、今更、因縁を付けられるいわれはないんだけど。

って言うか、それよりも腹が立つのは、相手国よりアホな国内の
マスメディアが騒ぎ立てるのがおかしい。きっと、今の新聞もテレビ局の
上層部には、学生運動に参加した人たちが”闘争”とやらに負けて
逃げ込んだ人が多いので、このような抵抗しか出来ないのでしょう、きっと。
(だから、民主党を応援している)

確かに、日本がまったく悪くはなかったとは言いません。
しかし、最近、しかも相手国の資料(特にロシア・アメリカ)から、
今までとは違う、逆の情報が公表されて来ています。

もっと、その辺もきちんと調べて報道して欲しいものですし、
特に学校でも教えて欲しいと思うのです。(ムリか違法選挙に夢中だから)

それと、おじいちゃんやおばあちゃんを無理やり取材して、
「ほとんど生き証人が残っていない。今回、00さんは今までは戦争のことは
語らなかったが、この年齢になり、生きているう内に戦争の真実の姿を
語ろうと決めたのです。」などと、アホなことをするなよ。

放映されて、「本当に伝えたかったことが放映されていない。」と
クレームが来てるだろ。

偏った報道も、このように都合の良い放映も、よくマスコミが言う
「戦争中の日本軍は”都合の良い戦果報告で国民を戦意高揚”させた。」
と、言っていることと何も変わらないんだYO!!

いいですか?
マスコミ関係者は頭がいいのですから(常識はないけど)、
もう少しお勉強をして”バカの一つ覚え”みたいに”ドM史観”はやめて
(社会科で教わった歴史上の人物の肖像画も違うくらいなんですから)、
冷静に両方の視点で報道して欲しいものです。

って言うか、65年も経ってこんな扱いや報道をされる為に”大東亜戦争”を
戦った人のことを思うと、特に戦死した”英霊”の方々にどの面下げて何を言うんだ。

最後に「A級戦犯が合祀されているので、近隣諸国に配慮して」という理由で、
首相や閣僚が参拝しないのもおかしなことだ。

先日、欧州の政治家(右翼政党だけど)が来て、毎度毎度、バカで無知な記者が、
「靖国神社にA級戦犯が合祀されていますが。」などと質問したら、

「”戦犯”というのは、彼らの側から戦いに敗れたことを表すだけのことだ。」
と平然とコメントされ、

また別の政治家からは、「重要なのは祖国防衛の為に命を落とした
人々の善意だ」と、しごくまっとうなことを言われていた。

まったくその通りだ。

あたくしが怖いのは、あまりにも”ドM史観”ばかりやっていると、
逆に”ナショナリズム(ナチのような)”が爆発して、おかしなことに
なっていくことだよ。

当事の日本も、その後のアジアの為にも沢山貢献しただろ。。。。。


パソコンの方が見やすいよ。
このような出来事が沢山ありました。
いえ、むしろこれが普通だったのです。。。。。

でも、戦争はしちゃいけないよ。

不肖な息子。

今日は、午前中からおふくろを連れて墓参りに行こうと思い、
社用車を使用しようとしたら、

「ない」

「あれ!?確か、栗山には昨日規夫が使ったから今日はあるはずだが?」
と思い、規夫に電話する。

「中川が乗って帰ったはずですけど」と、寝起きの声。
(ゴメン、のり、栗山なら起きていると思ったからよ)

で、中川に何度か電話するも、さすがに午前中の早い時間だったので
連絡なし。

仕方がなく、先に髪を切りに行こうか?(微妙にモミアゲが違う所)
と電話をすると、午前中は予約で一杯で午後からならいいとのこと。。。。。

「ダメだな」と諦める。

で、その内に電話が来るだろうと”ジュンク堂”で本を読みながら待つことに。
中々、面白い。中川から連絡が来るまで(いつになるか?)、立ち読みを
しようか?とも考えたが、悪いので買うことに。

で、近くのベンチに座り読んでいると、中川から連絡が。
「あっ、すいません。」(明らかに寝起き)
「いや、俺も言わなかったからな。」
「今から急いで行きます。」
「大丈夫だ、そんなに急がなくていいから。ちゃんとシャワーに入って、
歯を磨いて、ご飯でも食べて来いよ。」と、ドリフの8時だョ!全員集合の
エンディングのようなことを言う。(危険が危ないですからね)

で、電話を切ってからまた掛けなおす。(留守電だけど)
「中川、1時か1時半でいいぞ。」と。
なんて、優しいのでしょうか?と言うより、本が面白すぎて読みたいだけ
だったんですけどね。

で、1時過ぎに中川が到着。

それから、途中でおふくろの家に寄り、目的地へ。

無事に終わり、おふくろを送ってくる。
ここ最近は、「これから仕事だから。」と言って、家に寄らないで
帰ってくる日がほとんどだった。

しかし、今日は昨年亡くなったおふくろの妹の初盆なので、仏壇に線香でも
と思い、久しぶりに家による。

(たまには話し相手にでも)なんて、思うが、
いざ、そうなると、何も話すことがなく、車の中から聴いていた
”日高晤郎ショー”のラジオをつける。

きっと、おふくろは毎週聴いているのだろう。
車の中でも、笑っていたので。

これが娘なら話すことがあるんだろうな〜と考える。
又は、これが結婚していて家族が一緒なら会話も成立するんだろうな〜とも。

そんなことを思いながら色々と考える。
考えても、大した進展はしないんだけどね。。。。。

別に、特別に用事があるわけでもなく、
床屋さんは明日にしたし、仕事といってもメールチェックと”トップギア!!”
くらいなのに、なぜか携帯ばかり見ている。

(何時に来たっけ?確か、来てすぐに”てまひま”に電話をしたから。と、
電話を掛けた時間を見て、せめて1時間は居ようと)

PM3:25分

「じゃあ、行くわ」と、仏壇に線香を上げる。

釧路の姪っ子(先日の”トップギア!!”でも書いた釧路の従姉)から、
大きなメロンを送ってもらったとかで、とても食べきれないと言うので、
一つ持たされる。

「また、お彼岸にでも来るから。」と言い出てくる。

車の中でまた考える。

ここ、3,4年ほど?いや、彼女と一緒に行かなくなってからだから、
7年くらいまともに”おふくろ”の顔を見ていなかった。

いや、正直に言うと、何度か見たけど、頭は真っ白で、歩くのもままならない
姿を見るのが、嫌だったんだ。

老いていく親を見るのも切ない、それ以上に、毎月お金だけ振り込んで
大した世話をしていないことが申し訳なくて、それなのにお互いに
年だけはとって行く、そのような光景がなんとも。。。。。

きっと、万が一のことがあれば”後悔する”かもしれないが、
いや、今となってはその”後悔する”ことも覚悟している。

まぁ、何だかんだと言って、このくらいの距離がいいかも知れない。
出来るだけ、(ん?出来るだけなんだ?)

やめとこ、どうせまた日々の仕事や自分の事で忙しいフリをして
忘れているのだから。。。。。

皆さん、”必殺仕事人“は今日も”丸か””徳太郎”はやってますからね。
帰省している人は、気をつけて帰ってきてくださいよ。

やっぱり、この歌になるんだよね。

お盆ですね。

今日くらいからがお盆の帰省ピークなのでしょうか?
相変わらず世間の連休とはあまり縁がないので分かりません。

まぁ、お盆と言えば”お墓参り”です。
高校を卒業するまで”じいさん””ばあさん”も生きていたので、
父親方では”墓参り”はしませんでした。

ただ母方は、釧路(お墓は阿寒)で、会ったことはないけど
おふくろの両親や戦死した兄弟の墓参りに行くのでした。

前にもこの”トップギア!!”でも書きましたが、あたくしは小・中学と
夏休み、冬休み、時には春休みも釧路へ遊びに行っていたのです。

休みになると早い時には翌日には既に釧路へ行っており、
学校が始まるギリギリまでいるのがほとんどでした。

なんで?いとこ達がいたので、楽しかったからもあるし、
母親の姉(おばさん)が、あたくしたち兄弟を小さい時から可愛がって
くれてもいたからです。(どちらかというと、あたくしの方)

いとこ達とは年が近かったわけでもなく、一番年上で12歳くらいで、
一番年齢が近くても4,5歳上でした。

長女・次女、長男・次男の4人がいまして、長女は早くに家を出て
結婚も早く、その子供達の面倒を見るのも楽しみでしたしね。

まぁ、西芦別の片田舎暮らしなので、あたくしにとって釧路は
十分過ぎるほど都会だったのです。

初めての酒も釧路、初めての飲食店も釧路、初エッチも釧路。
あっ、そうだ始めてのスカートめくりも釧路でした。(デパートで)
まぁ、休みの間の青春を”釧路”で過ごしたといっても過言ではありませんよ。

さすがに高校生になってからは、行く機会が減りました。
それと同じくして、いとこ達もそれぞれに家庭を持ち、おばさんの家に行っても
1人くらしか住んでいませんでしたから。

まぁ、それでもわざわざ芦別から来た可愛い従弟のあたくしたちに
気を使ってくれて(間違っても兄貴ではない)、ちょこちょこと子供を
連れてあばさんの家に来てくれていました。

って言うか、兄貴は”前略、おふくろ様”に憧れて中学を卒業して
釧路の寿司屋に就職していました。(後に辞めて、札幌で板前修業に)

と言うことで、夏の一大イベントとが”お墓参り”で、信仰心の篤い
おばさんが、どんなに具合が悪くてもそれをしないと落ち着かないみたいで、
余程のことがない限り、4人のいとこの家族達と大勢で行くのでした。

お寺に行った時の供物のにおいが、今でも鼻先に残っています。

あんなにお世話になったおばさんの初盆もそうですし、
いまだにお盆の墓参りには行っていません。

ここ最近、お盆の時期が来るといつもそのことを思うと、
”すまないな~”と思うのです。

って、最近マンションの住人がお年よりも増えたせいか、
廊下を歩くと”プ~”んとお線香や供物の香りがするので、
ついつい思い出してしまうのでした。。。。。

便利ですね。
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ほろ酔い。

ウィ、ウィ、あ~あ、今日は酔っちゃったな、いや、今日もか。
へへへ~・・・・・。

なんか小腹すいちゃったな。

「エライ!コンビエンス・ストアーなんかを作っちゃった人はエライ!
エラ過ぎるぞ!こんちくしょう!!」

ピ~ンポン♪

「いらっしゃいませ。」
「はい、いらっしゃいましたよ。(笑)」

「えーっと、冷やしたぬきうどん?いや、坦々春雨スープ?いや。
「よし!今から食べちゃうと太っちゃうからね。ここは”アイスの実”と言うことで。
あれ?おにぎりさんって言うの?」

「いえ、おだぎりです。」

「じゃあ、下の名前はカツオ?まさか、タラちゃんじゃないよね。
なんてね、これじゃ、酔っ払いと間違われちゃうね、おにぎりさん。」

「おだぎりです。」
「あっ、そう。じゃあ、ジョーさんてこと?」
「・・・・・」

「なんだよ、ったく。
人を酔っ払い扱いなんかしちゃってからに」

「よし、次はここのコンビニへ。」

ピ~ンポン♪
「いらっしゃいませ。」
「ど~もです。」

「あれ?むかし、ネギ味噌ミニら~めんのカップめん置いてなかった?」
「あ~、あれですよね。僕も好きでしたけど、何故か置かなくなったんですよね。」

「そうなの?ヒック。店長に言って置いてよ。」
「そうですね。」

「ホントに!本当に言う!」
「あっ、いや、一応。」

「へへへー、な~んてね。こんな酔っ払いのたわごとで置くわきゃないもんね。」
「いえ・・・・・。」

「いいの、いいの。別に困らせる気はないからさぁ。あんがとね。」
「はい。」

「でさぁ、ネギ味噌ミニら~めん。置いてなかった?」
「・・・・・」

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