ブログ

記事一覧

徳太郎メンバー その3

本日は”天”です。

天も振り返ると長いです。
天も2005年に『青春の輝き』に入ってからなので、
かれこれ約5年になります。

天の本名が「古戸 一馬(ふるとかずま)」と言うことを、
お客さんもそうですが、丸かのスタッフもほとんど知りません。

あたくしも、天のことを「古戸!」とか「一馬!」と呼んだことも
ないですし、天がそのように呼ばれている光景もみたことはありません。
(なぜ、”天”と呼ばれているのかは、直接本人に聞いてください)

あたくしはぶっちゃけ”天”とはそんなには会話をした記憶が
ありません。一度、飲みに行ったことはありますけど。

あたくしの”天イメージ”は「不器用」と言うイメージです。
そして、「天邪鬼(あまのじゃく)」というイメージ。

店舗で一緒に働いていないのと、あたくしのイメージが悪いのか
あまり”天”はあたくしに対しても良いイメージが無いのではないのでしょうか?

あたくしはどちらかと言うと、上から押さえつけるタイプなので
きっと”天”からみると苦手な種類に分類されるのでしょうね。

なので、あたくしもそう感じるので、なぜかお店に行くと
「どうせ”天”は俺が来るのは嫌なんだろうな」と思ってしまうので、
挨拶、言葉使い、動きに対して過剰になり、ついつい厳しいことを
言ってしまっていたと思います。

が、しかし、この”天”というちょっと小生意気な奴は、じっくりと話すと
とても素直でまじめに物事を考える奴で、そのような機会を持つことで

「あぁ~、普通よりも少し理解力に欠けるのか?と、言葉が足りなくて誤解を受けやすい
んだな~」と。それから、いつもなら頭ごなしに叱ったりするのを、少し冷静に
「これこれこうなんじゃないか?」と言うと、とても素直に「あっ、すいません
気がつきませんでした。」と答えるようになり、好感を持つようになりました。

って言うか、単純にいつも怒っているイメージを与えているのと、”浩太郎”がいつも
ビビる大木凡人だったので、今から思うとあたくしのイメージが悪かったのは
”浩太郎”のせいかも知れません。(娘、更に可愛くなったな)

一度、”天”が”輝き”でこのようなことを言いました、
「人を育ててみたい」と。

正直意外でした、自分以外のことにはあまり興味が無く「我、関せず」な
感じだったので、「人を育ててみたい」なんて言葉がでるとは。

でも、嬉しかったです。
結局、そうこうしている内に先日も述べましたが「浩太郎と天」の使い込みで
『青春の輝き』が閉店してしまったので、”天”の願いは叶いませんでしたが、

『鈴木徳太郎商店』の創業スタッフとして、人を育てるチャンスが来たので
どんどんと本音をぶつけ合うスタッフを育てて欲しいです。

そして、人を育てることで「己の無力さや、成長する喜び」を通して、
”天自身”も成長していって欲しいと思います。

では、最後に今の”天”の心境は、
「えっ!?人を育てたい? 俺、そんなこと言いましたっけ!」
それか「別に」・・・・・。

だろ。(笑)

頑張れよ!!






内藤君。

先日、同級生が”てまひま”に訪ねて来てくれました。

あたくしは出ていたので、あいにく会えませんでしたが、
会っていれば15、6年ぶりです。

帰りがけに、あたくしの”友人”だと名乗ったそうで
初めから言っていれば、中抜けして会えたかもしれません。

名前は「内藤君」と言いまして、幼稚園からの同級生です。
内藤君は手にイボ、イボがあって、よく「気持ち悪いな、うつる!」と
言いながらも「どら、触らせてよ」と言いながら、触らせてもらっていました。

どうしてそうなったのか?と聞くと「イボ蛙を触ったから」と
平気な顔で嘘をついていました・・・・・。

でも、やはり痒いらしく、内藤君はいつも手の甲を血が出るほど
かいていて、これまた、チンチンの周りを血が出るほどかいていた
あたくしと共通点がありました。

しかし、ある時に内藤君の手がきれいになっていたので、
「どうした?」と聞くと、「自転車に乗っていたおじさんに、ナスの
へったをこすり付けてもらったら、治った」と。

友達一同「すっげ~!!」と目を丸くして、
ただ単純に当事流行っていた言葉を口々に投げかけました。

「うわー!ノストラダムス!」とか「ユリ・ゲラーじゃね~の!?」とか
「いや、アメリカンヨーヨーのチャンピンだよ!」と。。。。。

ちなみにあたくしは「口裂け女じゃね~か!!」
(って言うか、おじさんだって)

などと、内藤君のイボが無くなったことよりも、次第に昨日見た
テレビ番組の話に移っておりました。。。。。

内藤君との思いでは2つありまして、

一つは、小学二年生頃に道徳か何かの授業でテレビを
観ていたのですが、あたくし何を思ったのか、急にムラムラと
きてしまい(小2のくせに)、隣に座っていた「ふみちゃん」の
股間付近を触ってしまったら(ふみちゃんも何も言わなかったので)、

「あっ、やばい!」と思い後ろにいた”サイゴマン”と”内藤君”を観ると、
この二人はとっさにテレビを観るふりをして「ニヤニヤ」と笑っていました。
(完全に見つかっていた!)

もう一つの思いでは、内藤君は遊んでいる時にたまに「内藤パ~ンチ!」
と言いながらふざけて、あたくしに触れるか触れないか程度のパンチを
飛ばしてくるのですが、その都度、あたくしはおかまいなしに

「内藤パ~ンチ!!!!!」と渾身の力を込めて、ありとあらゆる
箇所に向けてパンチを繰りだして、内藤君は「イテ、イテ、ちょっ、ちょっ」
と言いながら、半べそになりながら逃げ回っていた記憶です。
(あっ、これは決して”イジメ”じゃないですよ)

それにしても久しぶりに会いたかった~、
しかも、妹と来てくれていたみたいだし。

今度、同窓会でもやろうとおもいます。
って言うか、あたくしそのような催しには一度も呼ばれてませんけど、何か。

これ、も凄く辛いです!いえ、もとい”痛い”です。

先日、同級生が”てまひま”に訪ねて来てくれました。

あたくしは出ていたので、あいにく会えませんでしたが、
会っていれば15、6年ぶりです。

帰りがけに、あたくしの”友人”だと名乗ったそうで
初めから言っていれば、中抜けして会えたかもしれません。

名前は「内藤君」と言いまして、幼稚園からの同級生です。
内藤君は手にイボ、イボがあって、よく「気持ち悪いな、うつる!」と
言いながらも「どら、触らせてよ」と言いながら、触らせてもらっていました。

どうしてそうなったのか?と聞くと「イボ蛙を触ったから」と
平気な顔で嘘をついていました・・・・・。

でも、やはり痒いらしく、内藤君はいつも手の甲を血が出るほど
かいていて、これまた、チンチンの周りを血が出るほどかいていた
あたくしと共通点がありました。

しかし、ある時に内藤君の手がきれいになっていたので、
「どうした?」と聞くと、「自転車に乗っていたおじさんに、ナスの
へったをこすり付けてもらったら、治った」と。

友達一同「すっげ~!!」と目を丸くして、
ただ単純に当事流行っていた言葉を口々に投げかけました。

「うわー!ノストラダムス!」とか「ユリ・ゲラーじゃね~の!?」とか
「いや、アメリカンヨーヨーのチャンピンだよ!」と。。。。。

ちなみにあたくしは「口裂け女じゃね~か!!」
(って言うか、おじさんだって)

などと、内藤君のイボが無くなったことよりも、次第に昨日見た
テレビ番組の話に移っておりました。。。。。

内藤君との思いでは2つありまして、

一つは、小学二年生頃に道徳か何かの授業でテレビを
観ていたのですが、あたくし何を思ったのか、急にムラムラと
きてしまい(小2のくせに)、隣に座っていた「ふみちゃん」の
股間付近を触ってしまったら(ふみちゃんも何も言わなかったので)、

「あっ、やばい!」と思い後ろにいた”サイゴマン”と”内藤君”を観ると、
この二人はとっさにテレビを観るふりをして「ニヤニヤ」と笑っていました。
(完全に見つかっていた!)

もう一つの思いでは、内藤君は遊んでいる時にたまに「内藤パ~ンチ!」
と言いながらふざけて、あたくしに触れるか触れないか程度のパンチを
飛ばしてくるのですが、その都度、あたくしはおかまいなしに

「内藤パ~ンチ!!!!!」と渾身の力を込めて、ありとあらゆる
箇所に向けてパンチを繰りだして、内藤君は「イテ、イテ、ちょっ、ちょっ」
と言いながら、半べそになりながら逃げ回っていた記憶です。
(あっ、これは決して”イジメ”じゃないですよ)

それにしても久しぶりに会いたかった~、
しかも、妹と来てくれていたみたいだし。

今度、同窓会でもやろうとおもいます。
って言うか、あたくしそのような催しには一度も呼ばれてませんけど、何か。

これ、も凄く辛いです!いえ、もとい”痛い”です。

ファイル 565-1.jpg
その名も「デス・ソース」”です”。(なんちゃって)

ご近所。

社員と3ヶ月に一度、店の外で話し合いをすることになりました。
(得意の思いつきですけど)

で、この前は山内と行き、昨日は細Bと行って来ました。
まぁ、わざわざススキノ方面へ行くのも億劫ですし、知り合いの店では
話せないこともあるだろうという事で、近場を探しました。

少しフラフラと歩いて、結局あたくしの家の近くにある居酒屋へ行くことに。
ここ↓
ファイル 564-1.jpg
あたくしは何度か行っています、最初この辺に越してきた時には
「もつ煮込み、牛タン、八ッ目」のキーワードに引っかかり、特に
”八ッ目”が気になっておりました。(八ッ目うなぎのことです)

まぁ、結論から言うと「今は八ッ目はやってない」とのこと、今では
ほとんど獲れないのだそうです。って言うより、お父さんいわく「八ッ目に
引っ掛かってくるお客さんもいるから、そのままにしてるんです」と。

って言うか、見事にあたくしは引っ掛かっておりますけどね・・・・・。

21:30くらいから、あたくしと細Bしかいなくなりました。
すると期待通りにお父さんの言葉が、
「はい、これで貸切になりました。」と・・・・・。

それから、あたくしたちとお父さんとお母さんで色々と話しをしました。
商売をして43年になると言うこと、最初は二条市場の辺りで
11年ほどやっていて、かなり儲けさせていただいたと言うことや、

市場相手でもあるので、朝5時から夜中まで営業していたので
住み込みで18歳から25歳くらいまでの女の子を8人も使っていたこと、
だけど、4~5年でほとんど常連さんの嫁になって行ったとも。

で、今の場所に移って来たのが33年前ほど。
「今は、ほら見ての通りここ2,3年はすっかりと暇になったけど、
それまではここでも儲けさせてもらったんだよ」と。

お母さんは「私たち商売をして、ずーっと忙しかったからこんな暇に
なることってあるもんなんですね~」と、言っていてさらに「最近は暇だから、
少し痴呆気味になってきたの」と冗談とも本気ともわからない
ことを言っていたら、横でお父さんが「この前、買い物へ行って自分で
運転していった車を置いてきちゃったんですよ。」と。(本物です)

でも、色々と当事の話や、今はちょっぴり詐欺まがいの”八ッ目”の
話を色々聞いていて何だか、生業(なりわい)店の温かさがひしひしと
感じました。

ただ、2つだけ気になることがあり、一つはカウンターで一人で来ていて
日本酒を飲みながら”文庫本”を読んでいた男性です。

それでなくても”杉良太郎さん”の「すきま風」ばりの寒い店内なのに、
アベック(ここもあえて)が出て行った後に、戸が少し開いていて更に
風が入ってきたのですが、その男性の方があたくしたちよりも入り口に
近いところに座っていたのに、しかも、

自分で寒くて”チラッ”と戸の方を向いたのに知らんぷり。
で、しょうがなくあたくしが戸を閉めに行ったら、あろうことか
文庫本を片手に「まだ、少し開いてるよ。もう少しきちんと閉めて。」と。

一瞬、何が起こったのか?で、あたくしも「そうかな?」と思い、
もう一度戸を閉めなおすと、閉まっているので「閉まってますよ、これ以上は
無理です」と言うと、その”文庫本野郎”は無言でまた本を読み始めました。

あれ!?おかしくネッ?なに、その上から目線は。
何で、あたくしが”文庫本バカチン野郎”に指図されなきゃならないわけ?ネェわけ?

まだ、百歩譲って戸を閉めに行くくらいならまだしも、「まだ開いてるから、きちんと
閉めろ」だと~!でも、大丈夫です、あたくし世間一般の”下馬評”に反して
結構「和をもって尊しとなす」の精神の持ち主なので、むやみやたらな行動は
しません。

あたくしの取った行動は、笑顔でその”文庫本バカチン変体野郎”に
「だったら、自分で閉めてよ~」と言いながら、
”文庫本バカチン変体クソ野郎”の肩に両手を添えました。
(冷静に考えてみると、あたくしの行動は十分にキモイ)

そして、その”文庫本バカチン変体クソ鼻くそ野郎”は帰る時に
文庫本を5冊くらい抱えて、戸を閉める時に窓越しからあたくしの
顔をいかにも「俺はきちんと閉めたぜ!」と言わんばかりの顔を見せて
行きました・・・・・・。(その店だけに、非常識な”八ッ目(やつめ)”!)

それともう一つ気になったのは、お父さんが着ていたTシャツ。
これ↓
ファイル 564-2.jpg
思いっきり紺色だし。(って言うか、お父さん刺青じゃねーし)

あっ、もう一つB型夫婦だって。。。。。

繁盛店。

昨日は、事務所近くの大繁盛しているお店に行きました。

およそ二年ぶりで行ったのですが、若旦那が覚えていてくれました。
でも、その二年前は”のりお”と行って、

「同業者の方ですか?」と言われ、何を”とち狂ったのか”
「いえ、東京から来ました」と、いくら虚(きょ)を衝(つ)かれたからと言って
なんという”すっとこどっこい”なことを言ってしまったのでしょうか・・・・・。

それにしても、待ち合わせは17:30分。
その時はあたくしたち二人のみでしたが、カウンターには
「予約席」の(あれ?なんて言うんでしたっけ?)のやつを、テーブルにあり、
テーブルにはグラスと箸が全卓に並べられていました。

すると30分もしないうちに満席状態。
しかも、カウンターのあたくしたちの隣に座った若いアベック(ここはあえて)は
男の子もカッコかわいい感じで、それよりも女性はゴクミ(後藤久美子)の
若い時のような人だったので、ずーっと意識してしまいました。(アホです)
こんな人↓
ファイル 563-1.jpg
まぁ、それにしても凄い店です。
なんでも、開店して40年くらいになると。

えっ!?どこの店か?って。
ランチ含めて3度しか行ってないので、不用意に店名は出せませんが、
業態は「中華」と「すし屋」を合体した、まさに”ハイブリット”な店です。

確かに料理は美味しいのですが、それよりも家族経営なのですが
お客さんとお店の人達が仲がいいんです。

親父さんが”ほ~んわか”していて、笑顔が良い実にユーモアのある方です。
(この辺は、愛しの”金富士”の親父さんとは大違いですが)

しかも、働いていた時に通っていた人が定年になっても仲間や
奥さんを連れて来ています。(部長さんくらいの後輩が挨拶してました)

やはり、何十年も愛されている店と言うのは、流行の料理や店構えとかではなく
そこの店主と、それとその店とともに歩んできたお客さん達のお陰なんだな~と
つくずく感じた日でした。(何とかペッパーとは無縁です)

そういえば、そこの店21:00には暖簾をおろすのですが、
それを待ってタクシーが”譲二山本”ではなく、常時5台くらい店の前で
列を作って待っています。

”のりお”といった時も、駅裏から乗ってそこの店の名前を言ったら
「わかりました」と言って、スムーズに着きました。

うん~、そんな店にしたい。。。。。

追伸、「一年前でしたか」と聞かれて、
「いえ、二年前です。いや~、久しぶりに東京から帰ってきたもんで~(苦笑い)。」

あたくし、やっぱり”アホ”です。

瀬口、新居はどうだ?

どこから来て、どこへ行くのか。。。。。

今日は3月16日。

昨年の同じ日に何をしていたか?と、ふっと思う。
手帳を見ると、15:00から業者さんと打ち合わせと。

しかし、その日に誰と何を打ち合わせをしたかなんて意味はなく、
ただ、ただ、一年前の今日が愛しく思えるのです。

あれから今日まで、たくさん、本当にたくさんのことがあり、
そして、出会いがあり、そして別れがありました。。。。。

どちらかと言うと、年々出会いよりも別れが多くなっているように思う。
それは、別れと言うよりも旅行を見送るようなものから、
喧嘩別れのような後悔するようなもの、

そして、一生の別れまでと。。。。。

でも、本当に人間って強いと言うか、それぞれの環境に順応して
いけるものだな~と思う。

つくずく『遺伝子レベル』の凄さを感じます。

それにしても、あの日(3月16日)は、今日のあたくしを知っていたの
でしょうか?と言うよりも、来年の今日のあたくしの為に

「少しはコースを外れたかもしれないけど、ほぼいい感じの今日に
なったじゃないか。」と言える一年にして行こうか、と。

目標を決めるか?

いや、確かに大切なことだけど、元来何かに拘束されるのは好きじゃない。

って言うか、甘いぞオレ。

いま、ふっと感じたことだけど、まったく『志』がないじゃん。

来年の今日のあたくしが何であろうと、何者であろうと、
そんなもんはどうでもいい、ただ、その日は一年前なんて思い出せないくらい
超忙しくて(資金繰りでは嫌だけど)、疾風のごときの日々を過ごそう。

って言うか、今からやれよ。って感じ。。。。。

マイフレンドのインターネットラジオからこんな曲が流れてました、
この系はあまり聴かないんですがね。

「花鳥風月」

いいね~。

昨日、テレビの番組内の特集で「居酒屋ノート」と言うのを
やっている居酒屋を取り上げておりました。(以前、NHKでもやってました)

ご覧になった方もおられると思いますが、このお店の名前は
東京は新橋の”九州郷土料理”「有薫酒蔵(ゆうくんさかぐら)」と言う
お店で「全国の高校の同窓会ノート」がある、と言うお店です。

本にもなってます。↓
「居酒屋ノート」

何ていうのでしょうか?高校って、何だか「ぽつんと」そこだけ
心の中に”故郷”がある感じじゃないですか?

大学ってなんとなく”きざっぽい”感じがしますが、高校の同窓(級)生と
話す時って、ほとんどは地元でしかも同じ匂いのする連中なので
安心感がありますよね。(大学に行ってませんけど)

以前、あたくし深夜にタクシーに乗った時ですが、普段よほど悪酔いして
いなかれば結構運転手さんと話し、必ず「地元はどこですか?」
と聴くのですが、一度、あたくしよりも10歳くらい上の芦別工業高校の
先輩のタクシーに乗りました。

そこから、かなり話しが盛り上がり、家の前についてもしばらく
話し込んでいた記憶があります。(メーターは下げて)

やはり、高校=地元=懐かしい郷土。と言うように、
普通のはいまだに苦手ですが、これならあたくしでも分かりやすい
「方程式」になるのではないのでしょうか。

現に、番組の中でリーマンショックで資金繰りが悪化した時に、
日頃通っていた”有薫酒蔵”の居酒屋ノートで、

その辺りの辛さを書いたきっかけで、後日それを見た10歳上の同窓生の
先輩の助けで、今ではパートナー会社で順調に仕事をしている人もいました。

同郷と言うだけでも、かなり盛り上がるのに、それが高校が同じと
なると、すこぶる盛り上がるしほっとけなくなるのでしょうね。

東京と言う都会で、同じ高校の同窓生というだけで、年齢が離れていて
面識がなくてもノートを通じてまた、連絡し合い、損得なしに助け合いができるのも、

やはり高校(故郷)を後にした人達が、都会で様々な苦労などをしたりしているから、
尚更のこと「望郷」の念も沸き少しでも協力したくなるんですね、きっと。

その「居酒屋ノート」を、たまたま見て同級生が亡くなったのを知って
残念がっている書き込みもありました。

さっそく、番組を見た知り合いから
「このような番組をやっていた。お店の参考までに」と、ありがたい
メールを頂きました。

実は、あたくし12年前に親父が死んだ時に”ドンキー”で「大工の原さん」
を”ボーっと”玉の行方を見ながら考えていたのが、

「そうだ!また、あの炭住(炭鉱長屋)を再現した店を作ろう!
そして、そこへ来た炭鉱町で働いていたり、育った人達が懐かしくて楽しめる
ように、家の中を再現した店にしよう!」と。そして、

「よし!店の中には石炭ストーブやら、炭鉱町やこ鉱内夫の写真などを飾り、
長屋風の木造のして、料理は・・・・・? あれ?なんだろう?特に特産ってないよな?」

「松田のベビースターラーメンは違うし、良く食べたもの、良く食べたもの・・・・・」

「そうだ!”ホルモン”にしよう!」

「よ~し、店名は、”東一条西五丁目九号四舎(あたくしが住んでいた住所)に
しようかな?」

「いや?待てよ、長い!って言うか、”何や”かわかねーな。」
「よし!炭鉱住宅を再現している”ホルモン”を炭で焼くから”炭住!”だ!
多少、読みにくいかもしれなくても、炭住=すみじゅうと呼ばれてもいいし」と。

何よりも「”炭住”と書いて、真っ先に呼び方がわかる人は
ほとんど炭鉱町の人なので、気になってきてくれんじゃないかな?」とも。

そこで、”老若男女”年齢、性別問わず、出身地が多少違っていても
『炭鉱』と言う、共通のキーワードがあるので懐かしい話しに皆が
気分良く飲食してくれて、よい繋がりができればいいな~と。(ロマンがある!)

まぁ、現在の”欽ちゃん”はそこまでではないですが、多少は”ホルモン”を
通してそんなのも”アリ”かな?と。

実は「青春の輝き」は、そのような感覚で作ったんですけどね。
でも、あそこは炭鉱ではなく1970年代~80年代を”キーワード”
にしていましたが。。。。。

そういうことで、そのような「居酒屋ノート」とか、改めてその辺のところを
意識した店つくりをして行こうと思いました。

そういえば、昨年のビアガーデンで(かよちゃんが寝坊した時)西芦別にいた
と言う初老の夫婦とに偶然会っ時に”西芦別”の話しで盛り上がっていたら、

「懐かしいね~」と言って、泣いてました。。。。。

やっぱり、この辺の店をやろうっと。

「有薫 酒蔵」

徳太郎メンバー その2

今月の土曜日は「徳太郎ラストマンス」と言うことで、
スタッフの紹介と思い出なんぞを交えながらの発信です。

今日、紹介するのは「燃える女(酔った時だけだけど)”かよちゃん”」です。
(超ど!B型)

なんか、いきなり「真打(しんうち)登場!」って感じですが、取り敢えず
浅い順番からですので・・・・・。

この”ヨッパライ”とは、じゃなく”かよちゃん”と初めて会ったのは、
2003年「青春の輝き」のランチスタッフとしてです。
(あたくしがランチスタッフじゃないですよ、当たり前か)

最初の印象は「あれ?輝きには似つかわしくない上品な人がいるな?」
との印象でした。その頃の”めんどうくさ”じゃなく”かよちゃん”はランチのみの
出勤でしたので、そんなに話はしなくてたまに会って挨拶するくらいでした。

で、一度、夜の女子スタッフがいなくなったので、「浩太郎、”かよちゃん”
一度、夜出勤させてみろ。」

「いや、でも・・・・・」
「バカかお前?あの子が一人いるだけで、オヤジどもは何もいらないし
かなりの頻度で通うようになるんだから。」
「いや、でも・・・・・」
「いいから、あの子なら時給を高くしていいから。何なら、お前の給料を
下げてでもいいぞ。」

「いえ、それはちょっと困ります!」
「いいから、一度働かせてみろって!」

それから少し経ち・・・・・

「師匠!いいです!お客さんの反応がぜんぜん違います!」
「アホ、あたりめーだろ。お前よりいいわ。」
「ほ~んとですよね!」

と、浩太郎も浩太郎で自分のこと言われているのに・・・・・。
(まぁ、この底抜けの能天気さが”奴”の良さでもあるのです、たまに計算高いけど)

それから”かよちゃん”はランチ以外でも働ける時には、夜時間も働いて
もらうようになって行きました。と、ここまでは作戦通りだったんですが・・・・・。

それから「青春の輝き」が、”浩太郎と天”の使い込みが発覚してしまい
惜しまれながら、2003年いっぱいで閉店することになり、代わりに
翌年の1月23日に”欽ちゃん”がオープンするので、そこで”かよちゃん”に
今度は思う存分働いてもらうことになったのです。

ですが、この”かよちゃん”(途中から自称”竹ちゃん”)は、お酒を飲めば
飲むほどに「熱く、篤く、しまいには厚かましく」なるという、隠れた才能?
と言うのでしょうか?なんて言うのでしょうか?身近で働いている人達は

「面倒くさっ!」的、存在になってしまっているそうです。(飲酒中は)

中には、ジャッキー・チェンの映画「酔拳」に出てくる「酔えば酔うほど強くなる
”蘇化子(そかし)”」と呼ぶ人も。。。。。。

でも、まぁこの”かよちゃん”は以前にも”トップギア!!”でも書きましたが、
本当にまじめで、店が好きで、そこで働いているスタッフが好きで、そして
そこに来てくれるお客さんが大好きなので、ある意味において幸せな人ですよね。

天然B型、ちょっと短期で熱くて酔っ払いの泣き虫、しかも不器用。
(あれ?まったく良いとこ無いじゃん!)

いえいえ、ちゃ~んと周りの人達はわかってますよね。
”かよちゃん”がいるおかげで、お店が明るくて癒されていることを。
(たまにムカつくけど)

”欽ちゃん”オープン前に皆で行った「芦別」も、
”欽ちゃん”のカウンターで発狂した”マッチさん”をなだめていた”かよちゃん”も、
あれ?いつの間に「こんなに酔ってんだ!?」となっていた”かよちゃん”も

ビアガーデンの席取りで、「私も場所取りしますね!何時に行けば
いいですか?2:30に現地ですね!」

当日、「もし、もし、かよちゃん今どこ?」
「今から出ますよ」と、

少し切れ気味に答えて、勝手に思い込んで2:30に変更していた”かよちゃん”と、
沢山の思いではありますが、

やはり、あたくしの一番の思いでは、健康診断で着替えて出てきた”かよちゃん”の
下が私服の”スパッツ”のままで、間抜けに見えたことと、バリューム飲む気まんまん
なのに違う場所で平然と待っていて、しかも、バリュームは関係なかったこと。

終わって、食事券をもらい上のレストランで窓の外を見ながら食べていたら、
外はもの凄く天気が良くて、”かよちゃん”雲一つない空を見て、

「社長、風が強いから雲が流れて、雲一つない天気なんですかね?」
「でも、本当に風で流れているんだったら、また違う雲が流れてきますよね。」と、

唐突にハンバーグセットを食べているあたくしの横で、ぼそっと呟いた”かよちゃん”
の、純真な心が一番の思い出です。(おかげで、ハンバーグつかえたど)

これからも、その純真な心で「徳太郎」を支えて行ってください。。。。。

”かよちゃんソング”
ファイル 559-1.jpg

追伸、あたくしからのお願いです、
飲んでいる時に、何かにつけて「B型同盟」を組もうとするのはやめて欲しい。
あと、時間は守るように。。。。。

良いにつけても、悪いにつけても。。。。。

どうも、こんにちは”タオ・パイ・パイ”です。

昨日、久々に「これぞ、ましく中華!」と言うような店へ行きました。
まったく、丸かでもなく知り合いの店でもなく、何のしがらみのない
店での「中華」を堪能してきました。

皆さん、中国の方ばかりでお店を切り盛りしているのですが、
そこそこお店は忙しくて料理も美味しかったです。

応対していた女性の方も日本の暮らしが長いのか?
よく気配りをしてくれますし、日本語が上手でした。

その昔、あたくし上海へ行ったときには、あまりの
従業員の対応が横柄なので、日本へ帰ってきた時に”コンビ二”で
まだ、その当事はマニュアル的な応対でしたが、それでも
「ああ、日本のサービスはやっぱり素晴らしいな!」と感動を
覚えたくらいです。

でも、特にここ最近は中国でお金持ちが多くなったせいか?
日本の企業の進出が多いせいか?それとも中国の方の海外旅行が多くなった
せいなのか?は分かりませんが、かなりサービスが向上したみたいです。
(民間企業が多くなって、競争が激しくなったからかも)

まぁ、日本で働いている中国の方達は前から一所懸命に
働いている人は多かったですけどね。(もちろん、例外もあるけど)

一つ、驚いたのがバリバリの本場中国のメニューなのに
「かに玉チャーハン」があったことです。

あっ、この「かに玉チャーハン」と言うのは、確かに中華メニューでも
あるので、別にそのものを自体を指しているのではなく、同じ
「かに玉チャーハン」でも、1990年元祖大東京で商品化されて
その後、上海月~暖中でもメニュー化されたものだからです。

ま~るい、ドーナツ状で真ん中に”かにあん”が入っており、
その”あん”を崩しながら、玉子チャーハンを食べるやつです。
これ↓
ファイル 558-1.jpg
”なのはな”にありますので)

まぁ、ちょっとだけ味が気になりましたが、これまでに500皿ほど
食べてきたので、あえて頼みませんでしたけどね。

ふっと、中華を食べながら思ったことがあります。

「こてこての”中華”もいいかな~」と。。。。。

あっ、中華=中国つながりで思い出しました。

あたくし、かかりつけの小太り先生に「かとうさん、下が高いな~
血圧計はありますか?」 「はい」(ホントはないけど)
「なら、これに記入して下さい。」 「はい」

と渡されたのが、これ↓
ファイル 558-2.jpg

で、何だか持病持ち&中年を認めるようで血圧計を買うのを
躊躇していたのですが、結局買いました。

これ↓
ファイル 558-3.jpg

結局、一度しか計測していません。
えっ!?何故かって?

だって、「上腕二頭筋がブチ切れるんじゃないか!」と言うくらいに
加圧されるからです。何度やってもね。
(なので、まだ記入してません)

で、説明書の裏にこのような文字が書いておりました、
製造業者 「中華人民共和国」と。

できれば、中の説明書ではなく外箱に書いて欲しかった。。。。。

手崎さん、遅れましたが”日本酒”ご馳走様でした。

『必死のパッチ』

ファイル 557-1.jpg

今日は、最近読んだ本で”オススメ”の本をご紹介します。

タイトルにもある『必死のパッチ』と言う本で、
著者は「桂 雀々(じゃくじゃく)」さんと言う、関西の落語家さんです。

『必死のパッチ』の意味は、大阪弁で言うところの「必死のさらに上」
を意味する言葉だそうで、「必死」と「死に物狂い」を足して、さらに
「がむしゃら」を掛けたようなものだ。と書いており、「言葉で説明できない
ぐらいのがんばり具合を表現する時に使う言葉だそうです。

今の若い人達は使わなくなった言葉で、完全に”昭和の言葉”だとも。

文字通り、雀々さんの「必死のパッチ」で生きてきた事を書いています。
ちょっと前に「ホームレス中学生」と言うのが流行りましたが、
どっちが「必死のパッチ」かとかは、経験していないあたくしなんぞが比べられませんが、

この本を読んでいて、単に「苦労したんだ~」とか、「可愛そうだな~」とか
そのようなお涙頂戴だけの内容ではなく、そこには関西人特有の「ツッコミとボケ」が
随所に散りばめられており、時に涙して、時に「プッ!」と笑えるような
温もりの感じられる内容です。

それにしても著者でもある”雀々”さんは、小学6年生の三社面談で
母親が「こうちゃん。ほなお母ちゃん先に帰ってるからな。気ぃ付けて帰っておいでや」
と、言われたのを最後に、その後母親と再会したのは実に29年ぶり。

しかも、29年前の記憶とはあまりにもかけ離れていて、いかにも大阪のおばちゃん
丸出しで、一方的に話しかけてくる姿に愕然としている様子がリアルに伝わって
来るくだりは本当に面白いです。

それもこれも、そこそこ流行っていた「うどん屋」をやっていた父親が
”ギャンブル”で作った借金のせいです。まじめにコツコツと「うどん屋」を
営業していれば、普通の生活ができたはずなのに、一発やの父親は
次から次へと借金をこしらえていきます。

とうとう、その父親も母親が蒸発した一年後に出て行きます。
後に残ったのは、水道も電気も止められた暗い部屋での生活と、
近所から借金の催促と、最悪の展開で”ヤクザ”の借金取りからの
怯えながらの毎日・・・・・。


しかし、そんな生活の中でも真向かいに住んでいる「出山(いでやま)商店」
のおばちゃんの”情”や、民生委員の”加藤家”の人達の気遣い。

それらを通して”雀々”さんの、12歳~15歳までをつづっています。

中学に入学をするというので、父親に無理を言って買ってもらった
12色の色鉛筆が11本しかなく、その中でも赤色の鉛筆がない事がありました。
何のことはなく、ギャンブル好きな父親が競馬とかでマーキングするために
息子の入学祝でもある色鉛筆セットから赤色を抜いてしまったのです。

それとか、入学祝で記念写真を撮るのですが、父親と二人で交代しながら
記念写真をとったりと・・・・・。(笑い)

父親が起死回生で”ピラニア”を飼い、売ろうとしましたが、皆、死んでしまい、
そのショックで父親が息子を道連れに心中を図ろうとしたり。

そん中、ラジオから流れてきた「落語」を聴いて、雀々少年は衝撃を受けます。

切なくも、温かいエピソードが満載の内容です。
文庫本で457円+税です。大通りの紀伊国屋さんにも、札幌駅の
紀伊国屋さんも沢山ありました。(C-0600あたりです)

読み終わって心が温まる本ですので、是非とも読んでみて下さい。


『必死のパッチ』

楽しいお酒。

昨日は、久しぶりに”なのはな”で飲食を楽しみました。
レイアウトを変えたので、どのようになるのかが気になったからです。

レイアウトを変えたといっても、単純に4名席を分けて
2名席にしただけですけどね。もちろんタダ!

今までは4名席に2名が座り、店的にはもったいなかったので、
知り合いの方の意見で変えることにしたのです。

いい感じです、見た目も雑多感が出て賑やかさが出て、
しかも、思惑通り2名様がうまく座れ得した感じです。

それよりも、お客さんとして”なのはな”で飲食するのが
新鮮で楽しかったです。

スタッフの伴が、「社長の飲む姿久しぶりです。」
と言われて、何だか複雑な思いでしたが、改めて電話や
ミーティングだけでなく、直接働いている姿を見るのは
大切だなと、しじみじゃなく、しみじみ思いました。

それにしても、ちっと手を加えるだけで(しかも、タダ!)、
お店は見違えるもんです。

何だか楽しくなり、その後に2軒も行き、しまいには
カラオケまで歌っておりました。

やっぱり何よりも、スタッフが”イキイキ”と働いている姿が
見れたのが、あたくしをあのように(分からないと思うけど)、
「ハイテンションで”すっとこどっこい野郎”」にしてしまったようです。

それにしても「細谷」の天然ボケと、伴の冷酷さと、
ひさの大笑いで、本当に楽しい時間をすごせました。

って言うか、ほとんど覚えてないですけどね。。。。。

  • 丸か加藤商店スタッフブログ
  • 丸かの前進!前進!トップギア!!-加藤商店のブログ-