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時には真面目に考えてみました。

最近、本気で「デフレ」の意味が何となく判るようになりました。(遅っ!)

飲食もランチの弁当なんて「300」は当たり前で「280円」なんてのもあり、
ディナー帯はディナー帯で「000円均一」の店や、大手のチェーン店でも
「00酒場」と題して、低価格帯の”居酒屋”に転換しています。
(酒場なのに居酒屋?)

これも”ブーム”のようです。

以前、大手チェーン店の役員の方と話した時に、何となく違和感を
覚えました。飲食業は大きく分けて二種類あります。

1、個人店や家族経営の「家業」での生業(なりわい)。
2、店を増やし組織的に規模を大きくする、いわゆる企業としての飲食ビジネス。

一応、日本は資本主義経済なので、どちらも自由に選択できます。
なので、どっちのやり方がいいとか悪いとかではありません。

チェーン化に走っていた経営者が突然、「これからは全て暖簾分けをする!」
と言い出し、本当の理由は業績不振をカバーする為に、いかにも
長年働いて来た社員の為を思って。と、体(てい)よくリストラと不採算店を
整理するかも知れないですし、

またトンカツやさんが「よし!決めた!!わしは、この味を全国、いや、
全世界に伝える為に店を出すぞ!!まずは3年で1店(少なっ!)」と
突然変異して”カーネルサンダース軍曹”になるやも知れません。

しかし、やはり特に大手のやり方はあまりにも”節操”がなさ過ぎる。
ちょっと何かがブームになると、何も考えないで”側だけパクリ”
本来の味でない物を、いわば”まがい物”をお客さんに売りつけて
「元祖00!」とか「究極の味00!」とかと平気で商売をします。

それを、まだ地方の個人店がやるなら可愛げがありますが、何十億、
何百、何千店の大手の企業がやっておいて「飲食の誇りだとか、発展」
なんぞと、ぬけぬけと豪語するのだから余計に始末が悪い。

そのくせ、能書きだけは一丁前です。
例えば、このように、「我々はこの業に携わる者として誇りを持ち、
飲食業の更なる発展を目指していくのが、我が社の使命なんです。」と。
(アホか)

「盗人猛々しい」とは、まさにこのことを言います。

本気で飲食の発展を目指すのなら、もっと自分達で開発するとか
見本を見せて目標にされるのが、本来大手企業の「あるべき姿」です。
それなりの資金もあるくせに、ただパクっておいて”ブーム”が去ったら
「はい、それでは次行ってみよ~」って、お前らは”いかりや長介”か。(うまい!)

その後には、ず~っと前から守り続けてきた商品が味噌も糞も一緒にされた
おかげで、世間的には「えっ!?まだそんなのやってんの?もう、そんなの
どこもやってないよねー」と言われちゃいます。(本当はそこが元祖なのに)

ただ、本物は確実に残りますけどね。

大手の言う、飲食業の発展ってなんでしょうか?この業に携わるものの使命って?
じゃあ、なぜ何のコンセプトもストーリーもないのにマネばかりしてるの?
なぜ、安易に安くするの?そこのスタッフは成長できてるの?

要は、この人達は「飲食業の発展だとか」「飲食業の誇りだとか」
「使命」なんて言ってるけど、自分の会社の事しか考えてないんだよね。

だって、この人達は自分の言葉に酔っているだけですから、
飲食業全体ではなく、自分の会社(店)のことのみです。

もっと言えば、経営者の”自己満足”のためなんです。
それを都合のいいように後付をしているだけです。

あたくしは企業は利潤を得るべきだと思います。
その為には泥水(どろみず)を飲むようなことをする時も当然あります。

しかし、何を持って「勝ち組」とか「負け組み」とかと言うのか?
店の数で誇示すること?売上高?従業員数?

それ、全部自分の欲だろ?うんち野望だろ?
現場を見ろよ、現場を。と。

現場ではどんなお客さんが来て、どのようにスタッフたちが
頑張っているのかを。そこにはスタッフの将来はあるの?その店に来ている
お客さんは気分がいいの?

知ってんの?自社のビラ配りをしているスタッフが、壁に寄りかかって彼氏だか
彼女だか知らないけどメールしてんの?そして、それが済んだら「全品280円ですよ!」
なんてビラを配ってるのを。

あたくしも含めてお客さんもお客さんです、価格に負けてそのような店に行き、
「安かろう、不味かろう」で一時だけ満足している。(だから、丸かに来てね。スリスリ)

もう一度言います、
「飲食業の発展って、飲食業の誇りって、使命って?幸福って」何?
そんなこと言っておきながら、あなた達のやっていることは飲食業の
寿命を縮めてるんだよ!自分で自分にヘッド・ロックをかけてんだよ!!(器用だな)

「発展とか、誇りとか、使命とか幸福」なんて頼むから言うなよ、あなた達が。
うそ臭いんだよね。

企業でやってんだから「しっかりと儲けさせて頂きます。その為には
何でもマネして、どんどん店を出して、アホな従業員なんかには考えさせないで
今の世の中は価格を安くして00酒場と付ければ、客なんてホイホイ来るから。」
と、そこまで言い切れば?

それを都合のいいように、上辺だけの能書きを言ってんじゃないよ。ったく。

飲食業の発展を教えようか?
飲食業の誇りを教えようか?
この仕事の使命を教えようか?

なら、言っちゃいます。
「経営者(店主)は自分を超える人間を作ることだよ、
それも、一軒一軒、一人一人完成度の高い人、店を作れる人」を。

人は高い金でヘッドハンティングして、商品開発は本来自社で行う資金を
”商品パクリ開発”に費やして、果たして本気で自社で働いている人達を
成長させる気はないだろね、きっと。

で、そんで何が残るんだ?あなた達がいう飲食業の幸福って。
50年後、100年後は、お金?株価?さびれた店舗?

「発展とか、誇りとか、使命だとか、飲食業で働いている人の環境を良くして
幸福に。」って言うけど、あなたが一番、人を信用していないんだよ、結局は。

この仕事は業態も商品も大事です。
だからこそ、愚直なまでにそれらを自分の頭で考え、お客さんを満足させ
その姿をスタッフ(弟子)に見せて、やらせて、一人前にして行く。

これしかないだろ。。。。。

今日の言葉
「なんで、ああやって00%引きってやってんだ?
そんな面倒くさいことしないで、初めからその価格でやればいいのにな。」

by 金富士のマスター。

知り合いが店を出しました。

昨日、浩太郎が休みと言うことで一緒に他店を見に行きました。

前の会社で一緒に働いていた「西垂水(にしたるみずと言います)」
さんの新しい店に行きました。

ここの名物は「溶岩焼き」と言って、溶岩プレートを使いお肉を
焼くのですが、これがまた旨い!特に黒豚肉が旨かった!!

溶岩焼きと言うのは石焼の一種で、天然の溶岩石を切断加工
したものなのだそうです。(でっ、その溶岩石ってなに?)

西さんが語るには、「かなり肉が美味しく焼けるんだよね、
しかも保温性がバツグンで、最初に少し熱くしただけで、
ずーっと保温できるので、光熱費も節約できるし。」とのこと。

確かにかなりジューシーです。どうやらこの「溶岩石」とやらは
”遠赤外線”効果があるらしく、内側からジワジワと焼いていくようです。

西さんは、ラーメン「くら吉」を立ち上げて、退職してからは
麻布や南1条西5丁目で「もつ鍋角座衛門」と言う、これまた
評判のお店を経営しております。

なんで、味は保証付きです。特に黒豚のバラ肉に味付けした
青ネギをつけて食べるのですが、これには味音痴の、我らが
スパースターの浩太郎も大絶賛です。

もし、皆さんも機会がありましたら、是非一度いってみて下さい。
そうだ、住所はですね「中央区南3条西4丁目」で”アーバンビル”の
並びにあります。

あっ、そうだ、名前は「小銭形銀次」と言うヘンテコな名前です。
もう一度、整理しますね。

住所 中央区南3条西4丁目ソブリンビル2F(1Fに”かつや”があります)
名前 小銭形銀次(コゼニガタギンジ)と言うヘンテコな名前。
電話 011-223-6060
18:00~1:00(無休)
カウンター、テーブルがあります。(多分、小上がりもあったかな?)

女性スタッフには丸かで働いていた懐かしい顔もいますよ~!!
(輝きの”なお”とてまひまの”あおり(痩せてました)”」

あたくしの紹介だと言えば、多分なにかあると思います。
(なんだろう?)

大切なのは・・・・・。

「事業仕分け」の第二ラウンドが始まっていますね。
賛否両論はありますが、今までどのように予算が決められ
何に使われているのかが、分りませんでしたが、このように
公にテレビやインターネットを使い公開することで、
今まで興味のなかった人が関心を持つようになったのは
いいことだとですよね。

ただ、どうなんでしょうか?
まだ三分の一ほどしか仕分け対象になっていないという事と
官僚の中の官僚でもある”財務省”関連の対象が少ないと
言うこと、それと一番は「本当に先を見て、戦略的に事業や
予算を見ているのか?」と言うことが、野次馬としては気になる
所です。。。。。

以前読んだ本に(名前忘れました)、このようなことが
書かれていたのを、強く印象に残っております。

北欧のある小国が近隣諸国と戦争をして負けました。
元々、豊かな国ではありませんでしたが、それでも南の方は
肥沃(ひよく)な土地もあったので、そこを取られちゃいました。

戦争には負けて、国は荒れて、人口は少なくなり、
その挙句に残ったのは荒れ果てた土地だけです。

その中に一人の工兵がおりました。工兵と言うのは
橋を作ったり、道路を作ったりする、まぁ分りやすく言えば
建築業のような兵隊さんです。

その人は戦争中に橋や道路を作り、あっちこっちへ行き
それと同時に色々と自国の地質を研究しておりました。

他の人々は「もう、どうしようもねえや!」と失望しましたが、
ただこの工兵の人は違い「確かにこの戦争で失ったものは大きい、
しかし、私たちの生きている間に再び花の咲くような国しようではないか」
と言いました。

その為には、まず第一にこの荒れた土地に「水」を引こう。
第二に水を引いたら「樹」を植えよう!と決めました。

でも、だ~れも信用しません。
なので、その工兵一人で始めました。何年も何年も。
予想以上に苦労の連続でした。

この父はまだ小さかった息子に言いました、
「私たちが生きている内に、国は豊かにならないかも知れない。
しかし、100年後のこの国の姿を見ている。その時はきっと、いや、
必ず豊かな国になっているだろう。」と。

そして、かなり歳をとってきましたので、次に息子が手伝いました。
息子も何年も何十年も水を引き樹を植え、そしてその事業は孫に
受け継がれ四十数年の時が経ち、結果、不毛の土地だったのが
樹木が生い茂り、作物も出来て、とても豊かな国となったのです。

そして、100年を待たずに豊かな国なったのです。
親子・孫三代を通して。

今の「事業仕分け」は「予算組みは」果たして、
どこまでの先を見ているのでしょうかね?

って言うか、自分の会社の先のことも考えないと!
よし!「丸か戦略室を作ろうかな?担当は中川に」

やっぱりよそう、どうせ”絵に描いた餅”になるから。。。。。

同郷人。

昨日、地元”芦別”の先輩二人と飲みました。
一人は小学から中学までの”西芦別”の一つ上の先輩T氏。
もう一人は”野花南(のかなん)”の二つ上の先輩M氏。

M先輩の方は初めてなのですが、T先輩から電話があり、
(って、言うかT先輩は一年に一度この時期にしか来ませんけど)
「かとうに会いたいって人がいるんだよ。」と。

「何か営業でもされるのかな?」と思いましたが、
そんなことはまったくなく、「芦別出身で頑張っている人に会いたいんだ。」
という理由でした。(それで、納得するあたくしもあたくしですが)

そんで、”欽ちゃん支店”で待ち会わせました。
T先輩もM先輩も芦別出身だけあり「ホルモン」には
”一家言(いっかげん)”持っており、一口食べただけで
○か×かが分りますので、何だか「試食会」をするように緊張しました。

結果はOK!(よかった~)

やはり地元の人や話になり、懐かしい言葉も飛び出します。
それでは、よく使っていた懐かしい言葉、
セブンスター→ ブンタ。
hi-lite (ハイライト)→ ヒ・ライト。(単なる単語知らずのバカでした)
ショート・ホープ→ ショップ。
ライター(正式には100円ライターチルチルミチル)→ ガリ。


帷子穣(かたびらみのる)→ みんにょ。
田村→ たむっちょん。
石黒陽一→ いも。(じゃがいもに似てるから)
マング→ ?本名を忘れました。

面白いものですよね、初めて会っても同郷というだけで
意気投合するんですよね。

なぜか2次会は”欽ちゃん本店”へ行きました。
しかも、キャベツしか頼まないで、ただ飲んでいました。
でも、冷静に考えると「なんでホルモン屋からホルモン屋なのか?」
なんて、その時は全く考えていなく、本当に本当にごく自然に
ホルモン屋からホルモン屋へ向かいました。

朝、テレビから聞こえる「小倉さん」の声で起きました。
(また、こたつで寝てました)

「あれ?なんで今日なんだろう?」と、トンチンカンなことを
寝起きの頭で考えて、必死に”欽ちゃん本店”の最後の方から
思い出そうとするのですが、覚えているのは最後に見た
”直人の顔”と、4丁目にある屋台のラーメン屋さんで「醤油ラーメン」
を頼むはずが、「塩ラーメン」がきたことです。

何のことはなく、酔っ払って”醤油”と言うところを
「しお~ゅ。」となっていただけです。

あぁ、美味しかった。塩醤油ラーメン。

痛む体に鞭打つように起きると、こたつの上に
セブンイレブンで買った「コーンフレーク」を食べた器がありました。

食べたんですね。。。。。








あたくしなりに考えました。

皆さん、連休は有意義に過ごせたでしょうか?
(あまり興味はねいけど。コラッ!)

何だか、最近”事業仕分け人”だかの話題ばかりが目立っているようですが、
15日に「イエメン」で発生した、日本人技術者の方が誘拐されて8日
ぶりに解放されましたが、その間、岡田外務大臣も鳩山首相もかなりの
勢いで存在感がなかったように感じるんですけど、あたくしだけですかね?

何でも、その技術者の方は「日本政府の無償資金協力事業による
小学校建設を監督」をしている、お方というではないですか。

なんで、日本国民の税金まで使い小学校を作るという、と~っても
良い事をしているのに、感謝される事はあれど、誘拐される謂(いわ)れは
まったくないんですけど。(数人の部族長は味方してくれたけど)

よく、海外で何かトラブルがあった時に「”外務省”ほど頼りにならない
モノはない。」と、”たかじんのそこまで言って委員会”で三宅先生が
おっしゃていましたが、「やっぱり、そうなのかな~」と思わざる得ないですよね。

しかも、犯人は親族(仲間)を解放と人質交換の要求なんですけど、
イエメン政府は「犯罪者の脅迫に応ぜず」という態度でしたよね。
そんなの当たり前です、だって「アルカイダ」と関係があるとされてんですもん。

「ちょっとー、岡ちゃん、確かに”普天間基地問題”も大切かもしれないけど、
今はこちじゃないのかな~?こないだアフガンに行ったんなら、今回も行って、
直接交渉して来ればいいのに」と思っていましたよ、あたくしは。
けっこう、ゴツイ顔してるから威圧感はあるとね。(うん?飛んで火にいる夏の虫か)

鳩山首相もさぁ、相手は”友愛”なんて通じない相手なんだから、
ここらで一発「習志野第一空挺団」を投入して、「実はなぁ、日本は
”羊の皮を被った狼”なんだよ!あんまり日本をなめてんじゃねーぞ!」と
いうところを見せて欲しいのです、あたくしは。

じゃないと「”羊の皮を被った山羊”だろ」
と言われて、これからも頻繁におきちゃうんじゃないの?

まぁでも、どっちにしろ無事に解放されて良かったですよね。

あたくし、思うにこのようなことを書くと、
「右よりだ!」とか「人権をなんだと思ってるんだよ!」などと、
とても温かいお叱りを頂くと思いますが、あえて提案さて頂きます。

今後日本人が海外へ行く時には、
日本政府と契約書を交わすようにするのです。

1、生死に関る危険な目に遭った場合は、どのような結果になろうとも
すべて日本政府に任せます。

2、そのかわり、日本政府は邦人を助ける為には最善を尽します。
万が一、もしもの事があれば軍事行動も辞さない。
と。「自国民を守る為には徹底する!」と言う姿勢を示すとかね。

特にこのように政府の仕事で行く場合には、相手国にも同意を
得るようにしてはどうですかね。同意がないと援助協力はしないんです。

えっ!?交渉すればいい?お金で解決できるのならそっちの方がいい?
それより憲法9条はどうするのかって?

大丈夫ですって。今の日本は天地がひっくり返ってもそんなことは
するわけないですし、例え鳩山首相が誘拐されても「交渉」で何とか
しますから。

だって、自国民が危険な目に遭っても”友愛”ですもん。。。。。

でも、本当に無事解放されて良かったです。
ありがとう!”部族長”!
そして、税金!!

実は、ここだけの話ですが、もう少しで”ムササビ・ドックス”という、
丸かで作った「特殊部隊」を出動させる所でしたよ、
まったく犯人グループは命拾いモノですよ、マジで。

えっ!?メンバーですか?
しょうがないな~、これはくれぐれも極秘なんですよ、
では、メンバー紹介(あっさりと)「あたくし、さとか、尚吾、193」の4人ですけど何か?
内緒ですよ。。。。。

これって、人見知り?

先日、「アメトーク」と言う番組で「人見知り芸人」と
いう内容をやっておりました。観ていて、「かなり気持ちがわかるな~」と。

実は、あたくし人が大勢集まる場所や華やかな場所が苦手です。
例えば、講演会のあとのパーティーとか。

別にパーティーではなくても、知り合いがいる集まりでも
一人浮かない顔でいることが多いです。

理由は自分でもわかりませんが、妙に冷めてます。
「早く、帰りたい。」と、そればかり考えています。(だからダメなのか?)

「なら、帰れよ。」とか「じゃあ、行かなければいいじゃん!」と
思われますが、本当にそうですよね。(あらっ)

多分、何かを期待して「スケベ根性」で行くのだと思うですが、
なのに、なるべく声を掛けられないように、端の方で壁に寄りかかって
いるか、物陰に潜んでいます。(クライ!)

なぜ、このようなことを言い出すのかと言うと、
先日も、せっかく人から呼ばれて行った集まりの場所で、
またもや悪い癖が出てしまい、皆が盛り上がっているのに
一人、「じーっと、携帯とにらめっこ」をしていて、

なんとな~く、皆に気を使わせているのがわかったので(当たり前か)、
呼んでくれた知人に「わりぃけど、急な用事が入ったので行くわ!」と
出てきて、どこへ行くかと思いきや一人”金富士”へ向かっていました。

そんで、”金富士”へ向かいながら「なんで、いつもこうなんだろう?」
と、早歩きをしながら考えていると答えが見つかりました。

「結局は、自分のことしか考えていないからだな。」と。
「そんなこと今さらわかったのか!」と、我ながらショックでした。

で、こんなことじゃダメだ!と、もう一度知人に、
「やっぱり、急な用事が急な用事じゃなくなったので戻るわ。」と、何やら
訳のわかんないメールを送ると、

「意味がわかんないけど、待ってるよ~」と、暖かい返信が来たので
嬉しくて、「今度は皆に気を使わせないように盛り上がろう!」と思い、
よせばいいのに、コンビニで「赤ワイン」のボトル(スクリューの)なんぞを買い
一気飲みをしてギアを”トップギア!!”にして行ったのですが、

自分なりには、酔いも手伝って良い感触だったのですが、
いかんせん記憶が途切れ途切れで、気がつくと自分家の”炬燵(こたつ)”で
朝を迎えておりました。(習性って凄いですね!)

知人からメールが入っており、
「大丈夫ですか?みんな加藤さんのことを楽しい人だと
言っていましたよ。また、一緒に飲みたいですね。一つ聞いていいですか?
かなりのハイテンションで”前進!前進!トップギア!!と叫んでいましたが、
それって、どのような意味なのでしょうか?それでは、また。」

あたくし、初対面の人たちと肩を組みながら、何か話す度に又は、
お酒を飲むごとに”前進!前進!トップギア!!と叫んでいたそうです。

かなり”ハイ・トップギア!!”だったみたいです。

追伸、あれから冷静に振り返って、やはり苦手な場所には行かない方が
いいという結論になっています。。。。。

しっかりしろよ、43歳。
(もし、読んでたらコレのことです)

本質は”シンプル”なんです。

「中西部の男たちは、早くからこのことを学ぶ。

つべこべ言うな、行動で示せ。

自慢するな、行動で示せ。

もったいぶるな、ただ行動で示せ。」

以前にも書いていますが、23年前「ただ、アメリカを感じてみたい。」
と言うことだけで、実際に行ってきたのですが、約一ヶ月間を観光で
過ごしたので、2週間を過ぎる頃には慣れてしまい、ちょっと暇を持て
余しぎみになってきました。

一緒に行った同級生で同じB型の”藤田”は、まだまだ意欲旺盛で
したが、元々半分は”藤田”の付き合いのような感じで来たあたくしは
ある程度見たり感じたりしたら、「もう、いいかな?」なんて贅沢な
気持ちになったりもして来たのです。

ロスの街もレンタカーやRTDバスなどに乗って、かなり自由に行動
するようになっていたので、一人で「リトル東京」へ行き「紀ノ国屋書店」
へ入りました。

この時期になると、妙に日本語の活字に触れたくなったのもあります。
って言うか、英語なんて片言でしか離せないので、ストレスが溜まって
来たんだと思うのです。

だから、あたくしは日本人の観光客が来そうな所へ行き
何か話しかける事にしました。

アメリカへ行った当初は、何だか日本人と思われるのが嫌で、スーパーに行っても
藤田のことを「ヘイ!ボブ!!」と呼び、藤田はあたくしのことを
「ヘイ!ジョン!!」なんて呼びあい、アメリカ国籍に成りすまそうなんて
今から考えると「非国民」と呼ばれても文句の言えない行動をしていました。

だから、たまに日本人らしい人を見かけると、「一緒に見られたくないな。」
と言った感じで、なるべく近くに寄らないようにしていたのです。

そういえば、以前「武田鉄矢」さんが、「アメリカへ行った時に、自分は
現地人感覚でショッピングとかを楽しんでいた時に、ショーウィンドウに映る
何とも格好悪い黄色人種がいると思ったら思いっきり自分の姿で愕然とした。」
と、おっしゃっておりました。

そんな感覚です。

でも、段々と日本語が恋しくなって来たのですが、
経験のある人もいると思いますが、中途半端に単語を使うようになるので、
「こんんちは!」と言えばいいのに「エクスキューズミー?」なんて
話しかけちゃうもんだから、気味悪がって普通に無視されちゃうんですね。

しかも、たまに「日本人」だと思って話しかけると、「まったく日本語が
通じない!」なんてこともあるので、一応、「郷に入れば郷に従え」的に
「ヘ(ハ)ロー。」とか「エクスキューズミー?」と、

今から冷静に考えると、アメリカくんだりまで来て、”ひげをはやしたリーゼント”
のおにいちゃんから話しかけられる方はたまったもんじゃないですよね。

で、「紀ノ国屋書店」へ行き日本の書を求めて行ったのです。
別に何でも良かったのですが、表紙を見て「あっ、これは何となくアメリカで
買った本ぽいかも?」なんて、何だか矛盾した動機で買った本がこれ。
ファイル 468-1.jpg

その中に書かれていたのが冒頭の言葉です。
この言葉好きです。なぜかって?あたくしはその真逆だからです。
人間は自分にないものに憧れると言うのは、どうやら当たっているのかも
知れません。

「中西部の男たちは、早くからこのことを学ぶ。

つべこべ言うな、行動で示せ。

自慢するな、行動で示せ。

もったいぶるな、ただ行動で示せ。」

巷ではマーケティング論だとか、自己啓発だとかと色々とはびこっていますが、
何だか、「この言葉をシンプルに実践すればいいよな。」と、改めて思うのでした。。。。。

あたくし、アメリカに行って一番「カルチャーショック」を受けたのは
”チャイナ・タウン”へ行った時でした。だって、英単語も通じなくまったく
今まで経験のない世界だったからです。

拝啓 仕置き人様へ

こんな記事を目にしました。

『15日午後2時45分頃、兵庫県伊丹市鴻池7の路上で、
電動車いすで散歩をしていた 同県宝塚市の無職男性(83)が、
4人組の男に取り囲まれ、肩からかけたポーチを奪われた。

男性が「(身体障害者)手帳だけは返して」と頼むと、
男の1人が約8万2000円入りの 財布を抜き取ってポーチを投げ返し、
4人は自転車で東へ逃走。男性にけがはなかった。

伊丹署は強盗事件として捜査。発表によると、
4人は高校生ぐらいで、うち3人は 制服姿とみられる。

自転車2台に2人乗りし、「あれ、やろか」と声をかけ合った後、
自転車から降りて男性を取り囲んだという。男性は足が不自由で、
奪われた金は生活費だった。 』

”仕置き人様”、よろしくお願いします。

お~い!もっと大それた事言ってもいいんだよ。

先日、地下鉄を待っていると、隣からこんな会話が聞こえて来ました。

「俺が月収、40万くらい稼げたらな。」と彼氏。(24歳くらい)
「絶対ありえないから!」と彼女。(23歳くらい)
「わかんないよ、石油掘りあてるかもしんねーじゃん?」と彼氏。
「無理、宝くじでも当たんないと!」と彼女。

あたくし、それを聞いていて「何だかな~。」と。
見たところ、アルバイターのような感じで、その彼氏にとっては
「月収40万」と言うのは、今現在では想像できないなのかも知れませんけど。

なんか、「これが今の日本の現状なのか?」な~んて、
こんなアホなあたくしでも心配になってしまいました。

しかも、この時代によくもまぁ「石油を掘り当てる」なんて
”じゃじゃ馬億万長者”みたいな事を思いつくよな。と言うことと、
それを聞いた彼女も彼女で「宝くじでも当たらないと。」なんて、
切り返せるよな。と、違う意味で感心してしまいました。

それにしても、どこでどうなったら、
40万稼ぐのに「石油を掘り当てなきゃならない」とか
「宝くじでも当たんないと無理!」なんて発想になるんでしょうかね。

何か他に若者らしく、まったく現実味がなくてもいいので
人から見ると「なに、馬鹿なことを言ってんだ。」と言われるくらいが
いいのに。(まぁ、石油や宝くじも充分現実味ないですけどね)


そう言えば、かなり前になりますが横浜出身の人と話した時に
「矢沢永吉さん」の話をしてくれました。(以下、”永ちゃん”)

「永ちゃんって、ほらよく”ビッグだぜ”とか言ってんじゃん?
あれってさぁ”キャロル”が出来る前から言ってたのよ。
会う人間、会う人間に。俺は絶対に”ビッグ”になる!ってね。

え!?そりゃあ、誰も相手になんかしねーよな。
周りの連中は「アイツ、また、あんなこと言ってるよ。」てね。
そしたらさぁ、あっという間にあれだもんなー、ホントに「ビックになっちゃた。」と。

永ちゃんって、今年で還暦なんですよね、カッコいい60歳ですよね。

一番は本人の努力なんですが、「俺もあんな大人になりてぇーな~」と
言われるように、あたくしたち周りの大人たちの後姿も重要なんだよな」と。

「お金は残せないかも知れないけど、
目標となる生き様を残せたらな~」と、柄にもなく考えちゃいました。

そう考えれば、「僕は社長になります!」なんて、
5年前、”青春の輝き”でアルバイトしていた時に
「なんの、まったく、しかも才能も何もないのに」大風呂敷を
かかげて「大言壮語」していた”浩太郎”の方が、よほど頼もしい。
(その時は、ゲンコ張ったけど)

「浩太郎!たまには褒めたぞ!!」これでいいか?・・・・・。


ちなみ”永ちゃん”もB型です。(笑)


また、今日もこの日が来たのか・・・・・。

あたくしは、その時上海月のキッチンのデシャップにいました。
週末の忙しい時間帯に電話が鳴る・・・・・。
忙しくて誰もでれない、あたくしがキッチンで受話器をとる。

男性の声で、「そちらに”細谷さん”はいますか?」(現、"なのはな”の店長)
「・・・・・?」

ひょっとして「借金取りか?」一瞬ヘンなことを考える。
でも、細谷は移動して「暖中平岡店」にいる。
少し怪しんでいたので、機械的に「暖中平岡店」の電話番号を教えた。

週末のお店は相変わらず忙しい・・・・・。

「部長」入り口に「飯田様」と言うお客さんがお見えです。(当時、部長でした)
「飯田・・・・・?どんな人?」
「年配の男性と女性のお客さんです。」
「年配・・・・・???」

取りあえず行ってみるが、まったく見覚えがない。
あたくしは少し戸惑いながら、「どうも」と会釈をする。

すると男性の人が「どうもはじめまして、私、以前ここの会社の”大東京”
というお店でお世話になっていた、飯田の父です」と。
「それはどうも・・・・・。」(でも、飯田と言われても思い出せない)

それでも、お父さんはなにやら話を続けようとしている。
横にいるお母さんを見ると大事そうに何かを抱えている。
そしてごそごそと、その抱えている物を出し始める。

それは「写真」だった。その瞬間、
あっ!「飯田!」。そこで初めて飯田を思い出す。

でもなんでご両親が?しかも写真?
まるで子供を抱きかかえているかのように、ハンドバックを腕にかけて両手で
飯田の写真を持っていた。

「二ヶ月前です」とお母さん。それ以上は言葉にならない・・・・・。
ご両親の瞳が涙ぐんでいる。

その瞬間にすべてがわかりました。
「あぁ・・・・・、そうですかぁ・・・・・」と、何て声をかけていいのか言葉が見つからない。

飯田は背が高い北大の学生で”大東京”でキッチンのバイトをしていた。
その時に”細谷”に世話になったとのこと。
(そっか!さっきの電話は飯田のお父さんか!)と心の中で叫ぶ。
(また、やっちゃったよ。知らなかったとは言え機械的に応じた自分に怒りを感じた)

何でも、卒業して実家のある静岡に帰って、まもなく”血管のガン”になったそうです。
ガンが発見して悲しむ時間がないくらい早くに亡くなったとのこと。

ご両親は「なにがなんだか・・・・・、ただぼう然と月日が経ちました・・・・・。」と。
最近になって、ようやく「やっと気持ちの整理がついて来たのだと。」

そして、飯田の荷物を整理していると「汚れたレシピ帳」が出て来て、
そこには、飯田の字でびっしりと「ドレッシングの作り方、仕込みの手順、注意事項」
などが書かれており、それを見て息子の足跡(そくせき)を知りたくなったと。

電話や休みで帰って来たときに、バイト先でみんなが良くしてくれていると常々
言っていたとのこと。(たぶん細谷の名前がたくさん出ていたんです)

「本当にみなさんに良くして頂いたので、どうしてもそのお礼と息子が居た場所を
一度見たくて来ました」とご両親。

それを言い終えるか終えないかで、また、思い出したのでしょう。
お母さんは口元が震えて、お父さんは口惜しそうに唇を噛みしめていました。

その時にはもう既に「大東京」はなくなっていました。
しかし、研修で「上海月」にも来ていたことを聞いていたので、初めての北海道
で土地勘もわからないのに、やっとのおもいで人に聞きながら来たと。

せめて飯田の足跡を辿(たど)ることによって、
飯田と一緒に懐かしい場所を味わっているように感じた。

あたくしにはわかります。じいさん、ばあさん、おやじの骨を
地元芦別から札幌へ移す時に、骨壷を助手席と後部座席にのせて、
一緒に住んだ家や思い出の地をこれが見納めだからと言いながらあっちこっち行ったから。

サイバーの表の扉までご両親を見送った。
ご両親は「遺影」に話しかけるように、ビルを見上げて立ち去っていった。
何度も何度も頭を下げて。

今でもその姿が瞼(まぶた)に焼きついています。。。。。

どうして、あの時に一言「飯田君が働いていたキッチンを見ていきませんか。」と
気の利いた一言が出なかったんだろう。店が忙しかったからか?
突然のことで戸惑ったからか?

「あふれる感動」が聞いてあきれるよ、まったく。

せめてもの救いは飯田のご両親が、無事「細谷」に逢えたこと。
札幌の人でさえ行くのが大変な「平岡暖中」へ。
そうだろ、細谷。

別れ際にお父さんが、おっしゃいました。
「もう、北海道へ来る事はないと思います。」と・・・・・。

「飯田」の思い出と、「荒城堅治」を偲んで。。。。。

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