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だから。

余暇が欲しいだとか、

福利厚生を充実して欲しいとか、

子供手当てがどうの、

高速道路の乗り放題がどうしたとか、

マニフェストだとか、

残業代がどうの、

労働基準がどうの、

派遣がどうの、

ボーナスが少ないとか、

連休は何をするかだの、

教科書問題がどうのと、

カロリーが高いだの低いだの、

温暖化がどうの、

エコがどうの、

アメリカとの関係がどうのと、

アジア諸国がどうのと、

パワハラがどうの、

セクハラがどうの、

仕事がどうの、

遊びがどうの、

うつ病がどうの、

トラウマがどうの、

夢が無いとか、

あんなんでノーベル平和賞がどうのとか、

鳩山首相がなんとなく公家のような話方だろうが、

エクセルが出来ないだとか、

なぜ、勝手にマンションの名前が変わってるんだとか、

コンビニで、あれほど箸は入れなくていいと言ったのに、何で入れるんだ!とか、

そんなにキレイな女性の後をつけるはおかしい事?とか、

近頃、酒を飲んでも美味しくないとか、

どうしてBIGは当たらないんだとか、

どうしてやらないんだとか、

どこまで本気なのよとか、

マラソン、完走してもそんなもんか?とか、

こんな急に寒くなる事もねーだろとか、

もう、そんなもんどう~でも良くなる時がたま~にあります。。。。。


そ~んな時には『甲冑パンツ』
ファイル 434-1.jpg


または『加圧パンツ』
ファイル 434-2.jpg

さとか、アホらしい撮影 ご苦労!!

ハ~ア、今日も頑張るか。。。。。

台風一家。

台風18号抜けましたね、でも、まだ暴風域の地域が
あるみたいなので、気をつけてほしいですね。

あたくし”台風”と言えば、小学生の低学年頃に遭遇しました。
大人の膝下くらいまで濁流がおきて、少し離れた「老人クラブ」
の管理人をやっていた”じいさんとばあさん”の所に、時々泊まっていた
あたくしは、まさにその日が暴風雨状態でした。

あたくしはと言いますと、のん気に”桂小金治”さん司会の
「それは秘密です!!」を見ていました。

確かに窓の当たる暴風雨は気になってはいましたが、
それ以上に”ばあさん”が「それは秘密です!!」を見て、
毎回泣くのが習慣だったので”ばあさん子”のあたくしとしては、必然的に
そっちの方に気がいっていました。

突然、玄関のドアが「ドンドン!」とけたたましく鳴り、
「おーい!開けろ!」とおやじの声が・・・・・。

玄関のカーテンを開けると、そこには”アノラック(なんで、アノラック?)”を
着た、おやじとアニキが立っていました。(K太郎、”アフラック”じゃないぞ)

するとどうでしょうか?外は本気の”台風バージョン”です。
しかも、少し前の道路はかなり水かさが増しております。

しかも、どうでしょう?心配と今後の対策で戦闘モードに入っている
おやじの後ろで”アニキ”が妙にニヤニヤしているではありませんか?
その瞬間、あたくし思いました、「これは面白そうだ!」と。。。。。(バカ兄弟)

で、大人たちが戸締りやら、何やら準備しているその隙間を縫って、
この非常時に近所の子供たちや顔見知りの悪ガキどもが、

「ワーワー、ギャーギャー」と、はしゃいでおり、
負けずにあたくしとアニキの”バカ兄弟”は、大いにその暴風雨を楽しんだとさ・・・・・。

今でも、あの夜中の暴風雨ほどの刺激的な遊びは思い出せません。。。。。

そう言えば、”ばあさん”が動き回りながら「せっかくいい所だったのに」とか
「この分じゃ、伝七捕物帳もみれない」みたいなこと言いながら怒っていました。

火曜日は 午後7:30~「それは秘密です!!」 午後8:00~「伝七捕物帳」でした。
とても”ばあさん”の心境は「めでて~な、ヨー・ヨヨヨイ・ヨヨヨイ・ヨヨヨイ・ヨイ!」
とは行きませんでした。。。。。

ファイル 433-1.jpg
さとか、昨日の雨で”チャリンコ”諦めて「ローソン」にとめてました。

   

もう一人の自分がいたんです。

あたくしが、
この仕事をして最初に自分自身の異変に気付いたのは
「あれ?案外と人前で話せるんじゃない?」と言うことと、
「ん?意外と注目されてる?」と言うことでした。

あたくし今でもそうですが、かなりの照れ屋です。
と言うか、家族や親戚の前では酒が入らないと「高倉健さん」なんじゃ
ないかと思うくらいに寡黙(かもく)なんです。

でも、この仕事をしている人はかなり照れ屋さんと
繊細な人が結構多いみたいです。

(ちなみに細Bは、仕事以外では声は小さいし、
”コツコツ”と一人で何かしています。)

まぁ、この仕事を選んだ切っ掛けの一つに、
「自分を変えたい。」と言うのがあったので、そう考えると良かったのかな?と。

実はあたくし、こう見えても「接客」には定評がありまして、
自分でも「あれ?天才なんじゃないの?」と、かなり自信を持っていました。
(過去の事は全てが輝いて見えますので、許してください)

それで、照れ屋のあたくしが何でそこまで人前で話せたり、パフォーマンスを
出来たのかと言うと、多分、あたくし自身気付いていない、もう一人の自分に
会ったからだと思うんですね。

しかも、それは内向的な要素がいっぺんに社交的になってしまい、
自分で働いていても、何か違うもう一人の自分がそこにいる感じなんです。
それが何なのかは分りませんが、強烈にあたくしを前に押し出すエネルギーの
ようなものです。

「えっ!?俺ってこんな奴だったっけ?」とか、
「ほーっ、俺って結構面白いじゃん!」とか。

それまで、あまり自分に自信がなかったせいか、、
今までのあたくしには考えられないほど積極的で社交的動物になり、
マイナス思考からプラス思考に変わったんですね。

あの時のことを考えると、完全に「遺伝子のスイッチがOFFからON!」なった
瞬間だと思います。自分にとって全てが”プラス思考”なんです。
辛い事があればあるほど、逆境になればなるほどに”プラス思考”なんです。

大体において「辛い」とか「嫌だな」とか「大変だ」などと言う言葉なんか、
ほとんど頭によぎった事もないですし、例え、よぎったとしても次の瞬間には
「この辛い事も自分の為になっているんだよな~」と思うと、嬉しくて嬉しくて
たまらなかったので、結果的に全てがうまく行くんですね。

そう思うと、今まで自分自身の嫌いな部分や弱いところを
さらけ出し、それを一つずつ克服していこうと思ったら尚更に
毎日が仕事が楽しくて楽しくてどうしょうもなくなったんです。

そんな”スーパー能天気プラス思考野郎”なので、当然、
周りの人達に対しても、これまた”スーパーサイヤ感謝星人”になり
それが相乗効果になって、お店は活気に満ちて大繁盛になりました。
(さりげなく自慢)

だから、新人さんと話す機会があればこのように言うんです、
「いいか、仕事とはあまり関係ないけど、
せっかくだからこの機会に自分の嫌いな部分や弱い部分を
少しでもいいから、克服して欲しい。」と。

そう偉そうに人に言えるのは、あたくし自身がこの仕事のたずさわって
本当に「良かった」と思うし、一時でも一緒にこの仕事をするのなら、
少しでも同じような経験をして欲しいと思うのです。

健康か・・・・・。

ここ最近、季節の変わり目なのか?単なるの年齢なのか?
どちらもなのか?は分りませんが、確実に”体力・免疫力”が落ちて
いるのを痛感します。

まず、7月12日に”栗山”へ行った時に「ドッチボール」で
痛めた肩の痛みや違和感がいまだに治りません。

次に、これも夏にぶつけた足の中指も未だに違和感があります。
それと、黙っていたら一週間に10日は飲んでいたお酒も
最近はほとんど飲んでいませんし、飲んでも量が飲めません。

極めつけは、最近頭に湿疹(しっしん)が出来て痒くて
痒くてたまりませんし、背中も痒くて痒くてたまりません。
(完走?じゃなく乾燥してるのかな?)

まぁ、でも今年43歳になりますし、この20数年間は自他共に
認める”不摂生男”でしたので、なるべくしてなったのかな?
と思いますけど。

しかし、人間と言うものは、つくずく勝手な生き物でして
中々、体の衰えを認めたくないものでして、

「いや、早起きして歩けば大丈夫だ!」とか、
「休み日に水泳にでも?」、「ジムに行けば!」とか、テレビ通販を
見て「な~んだ、無理しなくてもいいモノあるじゃん!」などと
既にその時点で、かなり怪しくなっているんですね。

なので、先日病院へ行き先生に相談すると
「かとうさんの場合、血圧と尿酸値が高いのと、脂肪肝なので
くれぐれも『食生活』に気をつけて、適度な『運動』をするようにして下さいよ。
いいですか?」

などと、日本全国7000万人のサラリーマンの人達が居酒屋で
仕事や政治の愚痴を言うような、お決まりの事を言っておられましたが、
その先生自体が充分”肥満”だったので、まったく説得力がなかったんですけどね。

まぁ、自覚症状がなく取り返しのつかない状態になるよりも
ある程度自覚症状が出た方が、危機管理が出来るのでいいのかも?と。

その先生が診察室を出るときに言っていました、
「かとうさん、いいですか?病気は”早期発見・早期治療”が大事ですからね。」

生意気ですけども、一言いってもいいですか?
「お前が言うな。」

皆さんも『健康』には充分気をつけてくださいね。

今ならやれる。。。。。

小学生の頃と言えば1970年代のことで、
その頃は特にアメリカから色々な娯楽が日本へやってきた頃です。

その中に「ゲイラ・カイト」と言う、いかにもアメリカンなデザインの
”凧”があり、あたくしの周りでも大いに流行りました。↓
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なんだか「ハンググライダー」みたいで格好よかったんです。

でも、あたくしは「ゲイラ・カイト」を持っていなく(なぜかプラスチックの
赤色のブーメランを腰に差していたけど)、いつも年上の人が遊んでいるのを
遠くから見ていた記憶があります。

(これを書いていて、今思い出したのですが、持っていなかった理由としては、
低学年がそんなのを持つと「搾取(さくしゅ)」されるか、そこまでいかないまでも
「ちょっと貸してくれ」と言われて、永遠に貸す羽目になるからです。)

それと、多分少し操作が難しかったような記憶もあります。
(不器用なあたくしだけでしょうか?)

そんな時に、通学路でもある”二条通り”の電線に、その「ゲイラ・カイト」が
引っかかっているではありませんか。図でも分るとおりこのデザインはかなり
インパクトがあるので、電線に引っかかっていると、かなりヘンテコな感じなんですね。

学校へ行く前だったのですが、誰かにバレてしまうと横取りされてしまうので、
あたくしは何故か急に早足になり、無言で急ぎ学校へ向かいました。

それで、クラスへ着いてからもあの電線に引っかかっていたゲイラ・カイトのことが
気が気でなく、それは誰かに見つかったんじゃないか?と言うのと、元来隠し事
が出来ないタイプなので、皆に言いたくて言いたくて。それを我慢するのに
子供心にも、かなりしんどい思いをした記憶があります。(学校でうんちを我慢するくらい)

それで、やっと授業が終り(ホント、長かった~。しかも給食もほとんど食べれなく
コッペパンを半分残しました)、今度はもうダッシュで帰ろうとしたら、いつもカバン持ちや
ジャンケンをして「チヨコレート。パイナツプール。グーリコ」などをして、一緒に帰る
「ムラ(村上)」も一緒に猛ダッシュで付いて来るではありませんか!!

これはやばい!でも、どうしよう・・・・・?しょうがないので正直に言う事にしました。
「いいか?ムラ、絶対に誰にも言うなよ。実は俺な”ゲイラ・カイト”を見つけた!」と。

ムラの答えはいったって簡単なものでした。
「知ってるよ、四丁目の所だろ。」
「うそ!何で知ってるのよ!!」
「だって、学校へ行く時、みんな見てたもん。」
「えっー!!」

で、急いでその場所へ行くと既に10人くらいの人だかりが・・・・・。
クッソー、上には上がいるもんです。しかも、隣りのクラスで本当に悪がきの
”誠”までいます。(2クラスしかなかったけど)

何だか無性に頭に来たので、”誠”が電柱に登っている所を目がけて
石を投げつけて、これまたダッシュで帰ってきて、そのまま”ムラ”と炭山川(たんざんがわ)へ
釣りに行きましたとさ。。。。。

と、「ゲイラ・カイト」の思い出でした。

まだ買える見たいです。新しく出た「スポーツカイト」を買おうかと思います。
って言うか、買うけど。もう、誰にも邪魔されませんしね。。。。。
http://www.agport.co.jp/eccube/html/products/detail.php?product_id=36

皆でやりませんか?

ある日曜日。

昨日は毎度お馴染みの月寒へ髪を切りに行ってきました。
順調に終わり地下鉄へ向かおうと思いましたが、

ふいに「あれ?そう言えば、
この辺に美味しそうな昔風ラーメンの店があったよな?」
と思い、180度反転して来た道を戻り何軒か探してみましたが、
記憶にあった店は見つからず、ここに通って15年間目にして
目にしてるだけで、一度も入った事のない地下鉄の近くの
ラーメン屋さんに入ることにしました。

「醤油下さい。」
「あいよ!」

あたくしの他にご年輩の方が1名、テレビに一番近いテーブルで
ラーメンを食べておりました。

テレビには「ファイターズ戦」が流れており、
あたくしの勘違いでなければ、札幌のラーメン屋のほとんどのおやじは
「ファイターズファン」で試合のある時は野球中継が入っていて、
それ以外は”タクシーの運転手”と、ファイターズ談義をしています。

そう、この日もマニュアルどおりに「ファイターズ戦」が流れており、
八回裏ファイターズの攻撃が終り九回表のソフトバンクの攻撃が終れば
ゲームセットです。

そこで、あたくし嫌な予感が・・・・・。
「待てよ?ファイターズが勝つのはいいけど、札幌ドームって東豊線だよな?
ここも東豊線。やばい!早くしないと人ごみで大変なことになる!!」

あたくし何が嫌いかといいますと、目の前でモタモタと歩いている人が
超イライラするんです。(かなり勝手だけど)

一度、むかし彼女と街を歩いていると目の前の女子高生が
ダラダラ歩いて、急いでいたので「つっ!どけよ!」と言ったら、
その勝手さが嫌だと言われて、そのまま彼女に振られたことがある位です。

で、そう考えると、「何で余裕ぶっこいて探しまわっていたんだろう?」とか、
「しょうがないから大通りまで歩いて帰ろうかな?」なんて本気で考えていたら、
そんな時に限って3人で攻撃が終ってしまいました。(粘れよ、ソフトバンク!)

次の瞬間、予想だにしない出来事が・・・・・、
「よ~し!勝った、勝った。」とおやじさん。
あたくし心の中で「いいから早く作れよ、おやじ!なんなら茹で上げはもういいぞ!」
と、喉元まで出かかったら、その機先(きせん)を制する様に、

「勝ったから、ライスを付けるから!」と信じられない言葉と笑顔が。(マジかよ)
「いや!大丈夫です。」
「いいから、遠慮しなくてもいいから!」
「いえ、本当に大丈夫ですので。」
「そう?じゃあ麺大盛りにする?」(オイッ!って、言うか早く出してよ!)

やっと出てきて、そこからあたくし鬼のようにラーメンをすすり、
お蔭さまで口の中の薄皮が5枚ほど剥けちゃいました。

ほんで、地下鉄にたどり着き構内を爆走して、やっとの思いで
ホームで地下鉄を待ち、目の前で扉が開いた瞬間に「ファイターズの帽子」を
被って立っていたお婆さんがあたくしを見て、後ずさりをしました。
(多分、あたくしそれだけ鬼気迫る目をしていたんだと思います)

まぁ、薄皮を5枚も剥いて、年甲斐も無く猛ダッシュしたので
いつもよりは混んでいましたが、ごった返すまでには至っていませんでした。

冷静に考えて見ると、そんなに神経質になることもないんですがね。。。。。

昨日、噂の「K太郎」が”さっぽろマラソン”に参加して、無事乾燥じゃなく
完走しました。前日まで「全然、練習していないお前は舐めきっている!
でも、出るんだったら”死ぬ気”で走って絶対に完走しろよ!しかも二時間以内。」

と言っていたので、一応、あたくしも二日酔いで貧血気味の体に鞭を
打って、見に行きました。ちょうど、知り合いの人がいて、その人の後なので
余裕で自販機で水なんぞを買っていたら、見事に見逃してしまいました。(笑)
(まぁ、こんなもんです)

で、後から電話すると”欽ちゃん”で働いているとのこと、
21キロ完走して、店で働いていると言うのだから、やっぱり”アホ”です。

「K太郎!どうだった?」
「はい、完走しました!二時間と二十数分でした。
師匠、ぼく分りました!もう、言い訳はしませんから!」(素晴らしい!はずですが)

皆さんは、ここで「おう!K太郎もやるな!」と思われるかも知れませんが、
一応、あたくし6年も一緒にいて、四半期に一度は聞いていますので
この、つぶらな目を細めて”冷静”に見ております・・・・・。

しかし、21キロ完走したのは偉い!そしてお疲れ様!
でも、勘違いして「今度は”ホノルル・マラソン”へ出ます!」なんて
ことは言い出さないように。。。。。

中川昭一さんが亡くなって”ショック”です。
ご冥福をお祈りいたします。

本日も独り言・・・・・。

時々、
車の窓(特に後部座席)から何気なく映る光景を目にして思うことがあります。
「あれ?この光景、随分前に見たな。確か10年前?いや、もっと前か。
そっかー、あれからこの道を通る機会は無かったんだな~。」と。

そんな時に、何となくその時の自分がいくつくらいで何を
していたかを思い出します、こんな風に

「えっと・・・・・、確かあれは1994年か?いや1995年か?
(ちなみに昭和から平成になったので西暦でしか自信がありません)
あそこの店にいて・・・・・、誰々がいて・・・・・。」と。

「うん?ちょっと待てよ1994年とか1995年と言ったって、
今が2009年だから2009-1995=14年?」

「14年!!」

そうなると、今年43歳になるから・・・・・、
「43-14=(ここで手を使います)29歳!!」 

えっー!!(漫画だと、ここで血走った目の玉が飛び出てます)
おいおい、ちょっと待てよ?1990年代で、しかも中頃だから
そんな前に感じないけど、数えたらそんな前になるのかー↑?
(ここはあくまでも幻に問いかけ系で)

それから、だま~って窓の外に目をやりながら(景色なんか
意識はいってないけど)、ぼんや~りその当時ことを思うのです。

最初に思うことは「早いな~」。次に思うことも「それにしても
早いな~」。それで、その次に思うことは「今は偉そうにスタッフに
言っているけど、あん時の自分だって、な~んにも出来なかったな。」と。

そんなことを思っていると、深く深く反省する自分がいます。
でも、だからと言ってそこで「自分もあの時出来なかったから、
スタッフにも言えないよな~。」と思うのは、急いでジャージの上着を
ズボンと間違えてはこうとする位の間違いなんですね。

その経験があっての今のあたくしがここに居るのだから、
その時の経験とその後の体験とを踏まえて、きちんと伝えないと
いけないのに、「そっかー、そう思うとあの時と同じ歳の
K太郎も頑張っているよな~」と、一瞬でも思ったあたくしが・・・・・憎い。

まぁ、いつもどおり脱線してしまいましたが、
この先の10年、15年、20年後に「いつか見た光景」に出会った時に
もっと誇れる自分になっていたいと思う今日この頃でした。。。。。

もっと”アグレシッブ”にならないと・・・・・。

幾ばくかの望みは・・・・・。

今日、来る前にテレビをつけると”トークDE北海道”で、
「ピンピンコロリをめざしましょう!」と言う内容をやっておりました。
何でも、「長生きして元気にコロリと一生を終えるにはどうするか?」
を考える。と言うモノでした。(さわりの部分しか観ていませんけど)

番組での取材で何人かのご年輩のご夫婦の方にインタビューをすると、
皆さん「ピンコロ」と言っておられて、ご年輩の方たちの間では
それなりに浸透しているそうなんですね。

まぁ、確かにあたくしめも病気になり、周りの人達にご迷惑を掛けたり
苦しい思いをして死ぬよりも、「あれ!?昨日までピンピンしていたのに
今朝、起こしに行ったら死んでたさ!?」ってのが理想です。
(こんなことを書くと、いや~実は俺のじいさんがそうだったんだよね~、
と言いながら、長い話をされそうなので、もし、そんな体験があっても
話さなくてもいいですので)

それと、独身ですが、もし”小泉今日子”さんか”夏目雅子”さんの
ような人と結婚なんかしたとしたら、一人残されて何も出来ないよりは、
あたくしめの方が先に死ぬか、晩年まで仲が良かったら一緒に「ピンコロ」で
逝きたいと思う次第です。(かなりの幸せ者ですけどね)

書いていて思い出したのですが、以前読んだ本の中で日本を終戦に導いた言葉を、
時の”鈴木貫太郎首相”(関係ないけど、寺内貫太郎一家が観たくなった)に、
「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」と言う言葉を送り、その後も政・財界のリーダーの
「心の師」となり、96歳まで生きた「山本玄峰(げんぽう)」と言う名僧が、

臨終を迎えるのは”正月で”と決めて、それでその日に合わせて水も食も
細めていき、とうとう”臨終”を迎えた時に傍にいた弟子の一人が何気に
「自分の決めた日に臨終を迎えたのは確かに立派ですが、何も皆が慌しく
過ごす正月でなくても・・・・・」と言う言葉を聞いた「玄峰老師」が

いきなり目を開き「それもそうだ。」と言うなり”がばっ!”と布団から起きて
「おい!酒を持って来い!死ぬのはもう少し後にするぞ!」と言って、
(何でも玄峰老師は90歳を過ぎても酒を三合~四合は毎日飲んでいたそうです)
季節の良くなった、6月に96歳の生涯を閉じたそうです。

その時の最期の言葉が「わしの浮世狂言も、そろそろ幕にせんならん、
旅へ出るから、支度をせい。」でした。

う~ん、人生を達観した人というのは、自分の死に様に際しても
自分の頃合というモノを持っているのですね。

あたくしめは、そこまでは無理なので
気心の知れた(小泉今日子さんや夏目雅子さんのような人とも)、
仲間といいだけ酒を飲んだ次の日に”泥酔”したまま逝きたいですね。

最後の言葉は「”さとか”うこんはどこだ?」だと思います。
で、”らしいね”と皆に言ってもらえたら本望です。。。。。

あ~っ「麻生裕未」さんも、最近いいかな~・・・・・。

オータム。

今日から10月ですね、
どうもこんにちは”エリザベス・テイラー”です。

もうすっかり”オータム(秋)”です。
あたくしはこの時期になると、すっかり『追憶』に思いがふけってしまいます。

でも、6月と9月中旬~10月中旬まで好きな季節です。
6月は青空と新緑、この時期は黄金色でキラキラとしているからです。

食べ物も美々な物が沢山出てきますし、特に北海道に生まれて
過ごして来たからなのか?この時期が冬の前の束の間の楽しみ
のようで、それだけに余計に楽しもうと思うのかも知れません。

このような季節を過ごすと、つくずく四季を堪能できる北海道で
過ごせることに幸せを感じます。

今は車に乗っていないのですが、車に乗っているときは
休みの日の15:00過ぎから二時間ほどドライブをするのが
ささやかな楽しみでもありました。

特にあてなんか決めないで、この辺、あの辺くらいで
気の向くまま走らせます。(たまに急に方向転換などをするので
事故を起こしそうになりますけど)

幌見峠から見る西日に輝いている札幌の街並みなんかを
1人で見るのが好きで、よく行っていました。

そこから街並みを見て、「あの辺が会社かな~?」とか、
「自分は休みだけど、あの街の中には今日も色々な悩みや
プレッシャーの中、頑張って働いている人もいるんだろうな~、きっと」

なんて考えていると「な~んか、こうやって見ると、自分の悩みなんて
この広い街並みと、そこにいる人達から見るとちっぽけなもんだよな~。」
と思い、なんだか”勇気”が湧いてくるんです。

そして、たまにサラリーマンらしき中高年の人も1人で来て、
同じように街並みを見ている姿を見ると、なんとなく妙な連帯感みたいな
モノを、お互いに声は掛けませんが思うのです。

「あぁ~、この人も休日に1人で来てこの景色を見てリフレッシュしてるん
だな~。人間は皆それぞれ色々とあるんだよな~、自分だけじゃないな。」
なんてね。

皆さんも、この時期はドライブや散歩するにしても普段あまり行かない
所へ行き”リフレッシュ”してはいかかですか?(でっかいお世話だって?笑)

あっ!そうです、今日から毎年好評の『かぼすフェアー』が始まります。
今時期は「香りの良い”グリーンかぼす”」で、11月中旬くらいからは
芳醇な果汁の”ゴールデンかぼす”です。

全店で「かぼすサワー」が一杯290円ですので、是非この機会に
みずみずしくて体に良い”天然のかぼす”をどうぞ楽しんで下さい。

それでは本日のお相手は、
小学一年生のときに、女子のおしっこの音を聞こうとしたら、
担任の45歳の”佐藤妙子先生”のオナラを思いっきり聞いて
しまった、”アームストロング・オズマ・カトウでした。

何かに突き動かされて・・・・・。

昔、色々なことで悩んでいた時に
グランドホテルに”鉄の女”と言われた
イギリスの「サッチャー元首相」が講演をしに来るというので、
お店が終って寝ないで(当時は寝れなかったんですけど)
会いに行きました。

詳しい人物像はこちらで、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%83%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC

グランドホテルの前で記者や他の野次馬と待っていると、
ジャガー(英国製の車)に乗り、他の警護の車と到着しました。

第一線を引いたとはいえ、車から降りてきて周囲の人に
手を振る姿には、もの凄い”オーラ”が漂っていました。

あたくしはその一瞬の姿しか見られませんでしたが、
このまま帰るのはもったいないな~と思い、帰るときに
車に乗り込むだろうから、もう一度だけ一瞬でもいいので
姿をみたいと思い、約二時間どこかで時間を潰すことにしました。

さっそく、近くの本屋さんで「サッチャー元首相」の本などを買い、
隣にある”ロッテリア”に入り読みふけりました。

あまり一つの場所で時間を潰すことは苦手なんですが、
この時ばかりは”高揚”していたせいか、本を夢中で読みました。
おかげで、コーヒーを10杯くらい飲みましたけど。

そろそろ講演が終る時間なので、ワクワクしながらグランドホテルへ
行き、最初はホテルの前で待っていようかと思いましたが、
折角なのでロビーで待とうと思い、ロビーに入ったんですが、

朝方まで仕事をしていて、それでなくても「色白」の顔が
寝ていないせいか、「あおっちょろい顔」になっており、しかも
「ジージャン上下」の姿だったので、外にいる時はあまり目立ちませんでしたが、
中へ入ると以上に浮いていて、皆さんの視線がおかしいのです。

そりゃあ、そうですよね。第一線を引いたとは言えイギリス王国の
元首相です。しかも”鉄の女”です。講演を聴きに来た人達は
一応?北海道の政財界を代表する方たちです。

そんな方たちと取り巻きの方の中に、
朝まで”ススキノの居酒屋”で働き、シャワーだけ浴びて
あおっちょろい顔でジージャン上下の24歳の小僧がいるんですからね。

そりゃあ、奇異な目で見られますよね。
だから、講演会場の2階へ行こうと思い、角の所で隠れるように
出てくるのを待っていました。

待つこと数分、突然拍手が、
「あっ、終ったんだ!出てくる!」

そして、講演会場の部屋からSPに守られながら「サッチャー元首相」が
出てきました。あたくしの居る反対側へ歩き出した時に、
あたくしの他にも数人の野次馬がいて、その内の1人が「サッチャーさ~ん!」と
なんと声を掛けたんです。(一瞬、ヤバイかも?と思いました)

すると、次の瞬間「サッチャー元首相」はこちらに振り向き、
なんと笑顔で歩いてくるではありませんか!

そして、あたくしたちの傍まで来て、握手をしてくれたんです。
しかも、一人一人の目を見つめて。

今でも、あの「ブルーの瞳」」はあたくしの脳裏にしっかりと焼きついています。
そこには、とっても品格のある優しい瞳と、”鉄の女”と言われただけあって、
その優しい瞳の奥には”強い信念”を感じました。

もう、18年も前になるんです・・・・・。

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