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本当に本気ならば。

なんか、昨日テレビを点けると「鳩山内閣新閣僚記者会見」を
やっておりました。

民主党の人の発言を聞いていると、”いじらしい”くらいに
「マニフェストを守る」とおっしゃっています。そこには並々ならぬ
意気込みを感じて、ここは素直に期待してもいいかな?と思いました。

よく、政治家の方は「政治生命を懸けるつもりで」と言いますが、
いまだかって潔く自ら辞められた方を見ていません。

ぶっちゃけて言うと、別に世間一般から見れば、その方の政治生命には
関心が無いと思うのですけどね。。。。。

先日、待合室の「週刊文集」で鳩山家と鳩山兄弟の推定資産が
載っておりました。かなり凄い額の資産でした。

政治生命を懸けなくてもいいので、「私は全財産を懸けて日本国の為に
使命を果たして行きます!」なんて言ったら、世間一般も「そこまでの
覚悟でやるなら、少しくらいの痛みは我慢するぞ!」なんて少しは思うんじゃ
ないのかな?

だって、あれですよね?政治家辞めても資産があれば普通に生活出来るけど、
あたくしたち、中小企業や零細企業のほとんどの経営者なんかは、無一文どころか
下手したら『借金』まで付いて来て、それこそ『命』すら危ないんですから。

なんか、政治家の方はそこまでの覚悟でやってくれたら
国民の意識も変わるんでしょうね。(無理か)

麻生元総理もそのくらいの覚悟を見せてやっていたら、もう少し違って
いたのかも知れませんね。

でも、なんか「鳩山総理」って聞き上手で、このまま行けば「上司にしたい有名人」
とかでランクインしそうですね。(奥様も気さくで面白そうですし)

気持ちはあるんですよ、気持ちは。

先日、昔からお世話になっている方とランチをしながらお話をしました。

その方は元々はある大手の商社に勤めていて、
かなり大きな仕事をしていた方で、東京出身ですが仕事で
北海道へ来て、その後商社を辞めて個人で商売をしております。

あたくしより一回り以上先輩で、商社でも個人になってからも
沢山のビジネスで成功も失敗も経験を積んできている方なので、
とても参考になります。

一応、あたくしのような者を立てて意見を聞いてくれていますが、
「あ~、加藤さんは凄いな~」とか「そこが加藤さんの偉い所だよね」と、
おっしゃてもらいますが、”ふっと”その人の目を見ると、

「何もかもお見通し」といったような、遠く澄んだ目で心のうちを見られて
いるようになります。

ここ数ヶ月連絡が無かったので気にはなっておりましたら、
先日メールが入りランチとなりました。

何でもかなりの額のお金を損失して、それらを立て直すのに
3ヶ月くらい掛かったと苦笑いでおっしゃっていました。あたくしなら完全に
タップをしてギブアップか、周りからタオルを投げ入れられるでしょうね、きっと。

それにしても三ヶ月で目途が立ち、しかも、次のビジネスモデルを
構築していて活動中と言うので、「この、おっさん凄いな~」と
本当に思いました。(さすが50代以上のビジネスマンは”タフ”です)

一通り話をして最後に、その人はあたくしにこう言いました、
「加藤さん、確かに今は厳しい時代かも知れないけど、
慌てるんじゃないよ、急ぎ過ぎちゃダメだよ。

加藤さん、私も若い頃は気が短くてせっかちだったので結果を早く
知りたいのと、待つことが出来なく自分から不用意に動いて墓穴を
掘って来たから言えるんだけど、

”待つ”こともビジネスで勝つ上では大切なことだからね。
それは人との関わり合いでもそう、焦るんじゃないよ。
”冷静に待てる人は強くなれる”から」と。

あ~っ、たった一時間くらい話しただけでやはり見透かされておりました。
最近、あたくし仕事でも人間関係でも焦って墓穴を掘ったり、落ちそうに
なっていました。

気が小さいので、中学生の時にタバコを吸った疑いのある
仲間が(みんなクロですがね)、一人一人先生に呼ばれるんですね。
すると、終った人間が”次、00呼んでるぞ”と。あの待つ時間がどれだけの恐怖感か。
それ以来、あたくし不安な気持ちで待つのがもの凄く苦手なんです。
(好きな女(こ)は何時間でも待ち合わせ場所で待てるけど)

やはりウソでもいいから、キツイ時とかには「焦らず冷静に」そして、
「静かに待つ」。この極意をこれから極めて行きたいと思います。

と、思いランチから帰ってきたのですが、事務所へ帰って来て
「そういえば、徳太郎の件どうなったかな?」、「K太郎はあの件は?」
と思ったら急に居ても立っても居られなくなり「さとか!N川とK太郎に
連絡してくれ!!」となっておりました。。。。。

だめだこりゃ。

まったく関係ない話ですがいいですか?
「NY株、11カ月ぶり高値=FRB議長が景気底打ち示唆」って
ニュースでやっていて、「(米国の)景気後退が終わった公算が大きい」と
FRB議長だかが言っていましたが、

一言、言っていいですか?
「本当にテメー達は能天気のすっとこどっこい野郎だよ!」

はぁ~、スッキリした。

本当は・・・・・

あのな”Kタロウ”よ~く聞きなよ、
お前さんに一つ大切なことを教えとくな。

いいかい、お前さんは部下に対して言わなきゃいけないことを
言わないで、流してしまうだろ。その結果、その部下はどうなった?

お前さんの言い分じゃ「可哀想だから」とか「傷つくから」と言うけど、
それって本当は自分が相手から「どう思われるか」とか、もしかして
「恨まれるんじゃないか」と、そしてその結果、自分が傷つくことが辛いんだろ、
怖いんだろ?

人の上に立つと組織やチームの為に、言いたくないことも言わなきゃ
いけないし、不要な人は事情があろうと覚悟を決めて斬らなきゃならないし、
人(その家族)からも恨まれたり、傷つけてしまうこともある。
本当に辛く切ない選択をする。

でもな、リーダーは、喜び、楽しさ、怒り、そして悲しみや寂しさ、
虚しさを誰よりも経験を通してよ~く知っているんだ。

それら”喜怒哀楽”の経験をし乗り越えて、
仕事のそして人生の”醍醐味”を味わい、人として成長していくんだぞ。

自分が傷つくことは本当に辛いことじゃない、
本当に辛いのは人を傷つけることだよ。

わかるか?じゃなく、この辺をわかれよ。

夢は”ヒーロー!!”でも「夢」。

最近、かなり疲れが取れません。
原因はわかっておりまする。。。。。

『夢』です。えぇ、夢のせいです。

かなりリアルで本当に起きているシチュエーションなので、
起きてからが肉体的にも精神的にもかなり”だるさ”が残ります。

過去の記憶や体験、昼間見た光景や不安な事とかの
「潜在意識」が働いて夢に出てくるんですよね、きっと。

大体それで、朝の3~5時くらいに一度目が覚めます。
それから1、2時間寝れなくて、また夢を見て起きるのです。

能天気な”さとか”は「社長、凄いですね!私、夢なんか覚えてませんよー」と。
多分、この人の場合は夢の中で間食なんかをしてるので、
昭和のお母さんのような”優しい”スタイルになっていることが判っちゃいない。
(それを言うと真紀もだけど)

ともあれ、最近のあたくしの夢は”ツワモノ”です。
この前なんかは、あまりにも夢の中で「屁タレ」なあたくしでした。
目が覚めて「あー!ちくしょー!本当はこんなに弱くて卑劣な奴だったんだ!」
と後悔しまくりで、しばし「ぼーぜん」として一点を見つめていました。

それで、先日は寝る前に「今日こそは絶対に弱い自分にも打ち勝ち、
相手にも毅然とした態度で挑もう!!」と眠りについたのです。

すると、どうでしょう? 
今度は夢の奴、いつもとは違うパターンであたくしに”揺さぶり”を
掛けてくるではありませんか。

な~んだか、あたくし「とーってもいい奴」なんです。
と、油断していると。。。。。

「ハッ!」と目が覚めて「やられた~!くっそ~!!」と。
しかし、その日のあたくしは違います。(追い込まれると本領を発揮するんです)

「よーし!この分だと次も見れるかも、次こそは」
「おっ!いい感じ。しかも、シチューションは多少の違いはあるけど、
登場人物はあまり変わってないし夢だとわかる。でも、まだちょっと違和感。」

そこでまた、「ハッ!」と目が覚めて「夢?」か・・・・・。
でも、取りあえず「夢」だって何となく意識できました。
結局、また寝ることになり同じように多少のシチュエーションは変わってはいますが
登場人物が同じなので、これもまた「夢」だと意識出来ました。(三部作です)

でも、せっかく意識できたのに、それで満足してしまい
「おっ!これは”夢”だぞ!」と思ったのは最初だけで、その後は結局、
自分で「夢」をコントロールするまでは行きませんでした。

このように意識して練習していくと、その内「夢」を自分でコントロールして、
せめて「夢の中」だかでも、”ヒーローな自分”になってやろうと。

って言うか、これを書いていて思ったのですが、
「何の為にこんなことしてんだろう?こんな、いらんことしてるから疲れるんだよな?」
な~んて思った秋の空でした。。。。。

土曜日は特別な日です。

突然、おかしな話しをしますけど
曜日の中で一番好きな曜日は何曜日?と聞かれたら、
間違いなく”土曜日”と答えます。(中でも昼下がり)

あたくしにとっての”土曜日”は単なる週末の「ボケーッ」と
したモノではなく、人生の中でかなり大切な位置を占めてきて、
これからもその”ポールポジション”は変わらないほどのなです。

ではなぜ、あたくしが”土曜日”にこれ程までに好きかと言いますと、
小学生の頃の思い出のほとんどが”土曜日”だったからです。

家族で新聞紙を広げて、
真ん中にトースターを置き食パンを食べたのも”土曜日”。
マカロニウェスタンを見ていたのも土曜日。
藤山寛美さんの松竹新喜劇を見ていたのも土曜日。

そうそう「特別狙撃隊S.W.A.T(スワット)」なんかも
大好きで見ていました。一度、1分でも過ぎると見る気の無くなる
律儀な性格のあたくしは、家に鍵が掛かっており、いくら「ピンポン」
をおしても、いくらドアを蹴飛ばしても開かなく、仕方がないので
トイレの窓を割って入ってまでテレビを観た記憶があります。

まぁ、次の日が日曜日で休みという”ワクワク感”もあったのだと
思いますが、それにしても本当に”土曜日”が大好きでした。
授業も「半ドン」だし、中学の時の部活だって15:00には帰れました。
(しっかりと、女子部員とも練習しましたよ)

よく、その帰り道に「西芦別商店街」の”葛西商店”へ行き
ミリンダのストロベリーなんかを飲みムラ(村上)と舌を出し合い、
赤くなっているのをお互い指差して楽しんでたりしていましたよ。

たま~に、マジシャンなんかになり「フィリップスガム」なんぞがポケットの中に
入っていたりするのですが、そのような時に限ってもう1個当るんですね。
(ちなみ、このガムと大リーグガム以上に風船のふくらみがいいのを知らない)
http://dagashido.arriveatonce.co.jp/bara/gums/1A02403a.htm


そう考えると、何でもそうですが楽しみそのモノよりも、その楽しみを
待っている時の方が本当の意味で楽しいのでしょうね。

それにしても、あの日曜日19:00を過ぎた頃に突然襲ってくる
完璧なまでの憂鬱感は何なんだったのでしょうね。。。。。


あっ、”土曜日”は「お笑いスター誕生!!」と「女の60分」もやってたっけ。。。。。

質問です、『海獣』と書いてなんて読むか分りますか?
1、海に生息する哺乳類(トドとか)
2、ネッシー
3、0とか
こんな会話で今日の昼下がりに盛り上がりました。

お知らせです、”あやこ”が14、15日”てまひま”出勤しますよ。

玄人好みの人。

現在、丸かにいる「まき(MAKI)」ですが、ランチは”満福や”
夜は”欽ちゃん支店””なのはなキッチン”を掛け持ちで頑張っています。

この「まき(MAKI)」とは、もうかれこれ12年の付き合いになります。
最初はサイバーシティービルにあった「上海月」で出会い、
まぁ、その頃から”独り言”が多く、しかも皆で会話をしていても、
途中で割り込んで来ては、自分の話をしだす素敵な人でしたけどね。(?)

確かに話が長いのでぶっちゃけて言うと「ちょっぴりうざい」時も
ありますが、それでも仕事にしろ他のことにしろ「まき(MAKI)」が
いると安心します。(最近は3分以上は会話しないようにしてますが)

思い返すと「まき(MAKI)」は「上海月」にいた頃から働き者で、
朝はホテルの朝食へ行き、そして上海月で働き、その後に店のむかえにある
ビックリドンキーで働き、平均睡眠時間が3時間位という、なぜにそこまで?
誰に追われてる?と言うくらいハードな日々を送っておりました。

本人曰く「遊びに行く時間もないので、お金も溜まるのでかえっていいですよ。」
でした。そしてどれだけ溜まったかは知りませんが、ヨーロッパへ一ヶ月くらい
一人で旅行へ行っちゃいました。(凄いよね)

「まき(MAKI)」は一度、約2年ほどエゲレス(イギリス)へ留学に行ったり、
(尾てい骨にヒビが入った)地元の旭川へ帰って離れていましたが、
一昨年の11月位からまた現場復帰してくれて本当に大助かりです。
(一言多いけど)

現在は「まき(MAKI)」と一緒にお店で仕事をする機会はほとんどなく、
もっぱら事務所で会話するくらいですが、PCで昨日来た、又は最近
見ないお客さんや地方のお客さんに丁寧なメールを打っている姿を見ると、
「まき(MAKI)って、一言多くて、話し出すと長くて、さりげなく自慢するけど、
丸か加藤商店にもお店にも絶対に無くてはならない人だよな~」と”ふっと”
先程「まき(MAKI)」を見ていて思いました。

今日で”なのはなキッチン”のヘルプが最後とのこと、
もし、皆さん「今日はどこへ行くかな~」とか「たまには自慢話でも聞いてやるか」
と思いましたら、ぜひとも”なのはなキッチン”へ顔を出して頂ければ嬉しいです。

その時に一言いってやって下さい、
「まきかMAKI」面倒なのでどっちかにしなさい。とね。。。。。

でも、さすがの「まき(MAKI)」もお疲れで仮眠をとっています。
頑張れよ!!

現実を見ましょう。

「夢は何ですか?」って平気で無責任なことを言う人がいます。
その昔、これ以上は「ない!」って位に、愛想を崩してきて
「かとうさん、あなたの夢は何ですか?」と大マジメに聞かれて、
「えっと・・・・・」と迷っていると、その人は聞いてもいないのに、

「私はブロードウェイでダンサーになるのが夢なの!だから、
今、こして頑張っているの!」と言われて、何だか怪しい商品を
買わされそうになりました。しかも30万円分まとめて。(あっぶねかったー)

確かに、あたくしも以前はスタッフとかに、
「夢は?」なんて聞いておりましたが、最近は「夢は夢だろ」と、
見る人から見ると、かなり冷めているのではないかと思われるくらいなかんじです。

最近読んだ本にも書いてありましたが、
「夢は寝てみるもの、起きている時には見るな。」と書いて
あるのを見て、「よくぞ!言いました!」と思った次第です。

こんなことを書くと、「夢を見て何が悪い!」とか「生きて行く為には
夢は必要だよ、お前にそんなことを言う権利がるのか!」と本気で
目くじらを立てる方もおり、それはそれでどうぞご勝手に。

あたくしと”いくみ”の(あっ、さとかも)好きな歌で「野狐禅(やこぜん)」
の”ならば、友よ”と言う歌の中にこのようなフレーズがあるのですが、

なぁ、友よ、”夢”っていう言葉は
きっとあきらめた人が
発明したんだろう
ならば、友よ、死ぬ間際でいいや
君と夢を語り合うのは
死ぬ間際でいいや。

と言う歌なんですが、かなり気に入っています。

って、ここまで話しておいて結局なにを言いたいのか?
と言いますと、「夢なんて言葉でごまかさないで、ちゃんとした目標という
現実の世界で勝負しろよ!」と、自分に思った次第でした。(オイッ!自分のことかよ!)

ハァ~、それにしても『ドリーム・ジャンボ』って当らないものですね。

うん?思いっきり夢見てる。。。。。

案外、成長してるもんですね。

現在、上海月(MOON)にいた料理人の”細谷”が
6月上旬より「なのはなキッチン」で料理長として働いております。

以前にも「スタッフとの出会い特集」でも書いておりますが、
この「前進!前進!トップギア!!」と言うネーミングは
この”細谷”からの言葉なんです。

さて、”細谷”が「なのはなキッチン」に入った当初は、
勝手が分らなかったり、初めて上の立場で仕事をする
”プレッシャー”とで、何度か我を忘れた時もありましたが、
慣れてきたせいか、かなり板についてきました。

思えば”細谷”と働いてタスコ~丸かと(途中、1年半位
間があるけど)、約14年くらいの付き合いになります。

19歳の時に大東京で会い、現在は3児のお父さんで
33歳になってしまいました。。。。。

マジメだけど要領が悪くて、いつも経田チーフに怒られて
いましたが、でも、先輩たちからは”細谷”は人気がありました。
(てんぱる、言動がおかしいみたいです)

苦節、14年目に料理長の抜擢ですが、不安がなかったか?
と言いますと、正直言って”不安”でしたよ。

しかし、不思議なモノで人間、腹を括ると申しますか?開き直りと申しますか、
「やるしかない!」となったら、どうにかなるもんですね。

皆、なのはなキッチンで働いている”細谷”を見て言うことは、
「細谷さん、格好よくなった」とか「細谷君、男らしくなった」と言います。

先日、大東京のメンバーで”若ちゃん”と言う女性が嫁ぎ先の
京都から帰省した時に、これまた同じく大東京メンバーの
”優子ちゃん”と「なのはな」へ行き”細谷”を見て「細谷君!男らしくなった!」
と感心していました。(細谷は何故か、この美女達から人気です)

「こいつはまだまだ」とか「心配だから」なんて思っていましたが、
いつの間にか(多分、細谷自身も気付いてなかったと思うけど)、
ちゃんと上に立って店を切り盛りできる人間になっていたんだな~と、
思うと、昔から知っている分「ジ~ン・ビンセント」になる今日この頃です。
(まだ、若干1名は・・・・・K)

きっと、これから”細谷”は沢山の経験をします。
それは決して良いことばかりではなく。しかし、それらを乗り越えて
本当の意味で「人の上に立ち、店を切り盛りする責任」を実感
出来るのだと思うのです。

このようにしてスタッフの成長していく過程を見れるのが、
たまらなく嬉しいんですね。

どうか機会があれば”細谷”と”伴”と”ひさえ”のいる「なのはなキッチン」へ行き、
う~んと我がままを言ってやって下さい。

しったっけね~!

招かざる人たち。

以前、あたくしはこの”トップギア!!”にも書きましたが、
この商売をしていて20年以上になりますが、同業者とは
ほとんど付き合いがありません。

それは単に、あたくしが仕事以外は口下手というのも
ありますし、別に関りを持たなくても平気だからです。

中には、業界で顔が広いことを自慢したがる人もいますが、
あたくしには「まーったく」興味のないことです。

それと、この特殊な業界人(特にススキノ人)を見てきて、
関るとロクなことがない人がたまにいたりします。(ホントに)

普段は何食わぬ顔で話しかけてきますが、大体良くない噂の
出所はその人だったりします。それに妙にずる賢いと言うか、
染み付いているのか、”あぶく銭”に敏感な人達でもあるのです。

多分、いつもお酒を飲んでいたりするので、いつ誰と何の話を
したのかを覚えていないのかな?と、少し同情もしますが、
自分の都合のいいような話になっていて、
「あのさぁ、これはこのようにするはずじゃなかった?」
などと、本当に自分の都合のいいことを言い出します。(特に金銭絡み)

「いえ、これはこうでしたよね!」とキッパリと断りを入れると、
案外「そうだったっけ?」などと薄らとぼけて「まぁ、そういうことにしましょう」
などと、自分の非を認めません。(特に経営者の方)

もちろんマジメな方達も大勢いますし、知っていますよ。

しかし、
ススキノと言う所は面白い場所で、「マジメにやっているからといって
必ずしもうまく行くとは限らず、案外ずる賢い人のほうが生き延びて
いたりします。」(犯罪にならないギリギリの人たち)

まぁ、あまりにも嘘つきやお金にルーズな人はいつの間にか消えて
しまうんですがね。(でも、ゾンビのようにいつの間にか復活する人もいるけど)

あっ、さっきも言いましたが、ススキノで働いている人の8割の人は
普通にいい人です。しかし、”ロングテールの法則”じゃないけど、
残り2割の人のお蔭でイメージが悪くなってしまうのも、これまた事実です。

な~んか、忘れた頃に何だかんだ言う人がいたりして、
つくづく「どうしようもねぇー、奴らだな」と思ったりした今日この頃でした。

でも、考えてみたら別にススキノに限ったことではなく
どの世界や業界でもそんな人がいるわけで、要はその人の『人格』の
問題でよね。

と、言いながら、あたくしも何を言われているのやら。。。。。

あっ、先日読んだ本にこんな事が書かれておりました、
「安易に身内と同業者は信用するな」と。
(どんな本読んでんだ?)

お礼も込めて。

初めて「アルコールを飲んでるな~」と実感したのは
中学1年か2年生の夏休みか冬休みだったと思う。。。。。

あれから約30年も経ってしまった。
まったく早いもんだよね。

切っ掛けは春・夏・冬休みと行っていた釧路の従兄のお兄さん。

その当時市販で売っていた「チュチュチュチュー」と音を立てながら
ビールを注ぐ「樽生」とか「ジャイアント」と言う取っ手の付いた
ビンビールがあり、それを飲まされた。


思えば、あたくしが大人の階段を上がる切っ掛けは”釧路”だった。
酒も女も飲み屋もそうだし、最近はあまり食べないが大好物の”コマイ”も。

今でも男2人、女2人の従姉弟には「お前達とは(アニキと)兄弟の
ように育った。」と言われる。

その従姉弟の子供たちも今はすっかり成人して、そのまた子供たちが
現在、あたくしが酒を覚えた年齢になっている。

最近はめっきりと釧路へ行かなくなったが、あの釧路駅に着いた時の
潮の香りとホームの混在した珍味くさい臭いが今でも記憶と言うより、
しっかりと鼻先に残っている。

あんなに優しくしてくれた”おばさん”はもう居ない。
一緒に5時間あまり列車に乗った”おやじ”もいない。

一緒に過ごした従姉弟たちは”おばあちゃん”と呼ばれている。

一体、あたくしは何をしてるのだろ~と考える。

そういえば、『森光子』さんにそっくりな末広町にあった「炉端」は
今でもあるのだろうか?

炉端の前に”ちょこん”と座っていた。
当時、60歳前後だったから健在なら90歳。。。。。

手崎さん、あらためて”さんま”ありがとうございました。
かなり旨かったです!さすが圧力をかけただけのシロモノですね。(笑)

釧路からの思いがけないプレゼントを頂き、しかも「炉端」通いしていると
聞いて、なんだか釧路が懐かしくなったので本日は、ちょっとした思い出と
お礼を込めて書いてみました。

お体に気をつけて下さいね!!

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朝陽もいいよね。

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