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ふん~・・・・・。

どうもこんちは、ちゃぶ台をひっくり反す”星一徹”です。

今日、インターネットを見るとこんな記事が目に入りました。
熊本体罰訴訟、原告が逆転敗訴…最高裁「教育的指導の範囲」
なんでも、校内で悪ふざけをしていた小学2年生の男児に、
先生が注意をしたところ、お尻を蹴られたので、その男児を
追いかけて男児の胸元を掴み壁に押し当てて「もう、すんなよ」と
大声でしかった。と言うもの。

そんでもって、その男児は夜中に泣き叫ぶようになり、食欲も
低下した。とのこと。

それが、”体罰”にあたるかどうかで争っていたそうで、1、2審は
先生に賠償を求めていましたが、最高裁はそれを破棄、原告の
男児の請求を棄却した。と。

多分、男児が夜中泣き叫ぶようになったのは、怖い話を聞いたか、
怖い映画を観たからでしょう、きっと。

食欲が低下したのは、何か食べて”あたった”のかもしれません。
きっと、そうです。

で、ケツを蹴った悪ガキに先生が胸元を掴んで大きな声で
「もう、すんなよ」と叱ったのは、あまりにも優しさを感じる愛情表現です。

一体、親は何をしているのでしょう?
そして、これに味をしめた、この悪ガキは将来どのように育つのでしょうか?

近頃の大人は関わりあうのを避けているか、世間の目がうるさくて
何もしない人が多いようですが、特に学校の先生はもっと自信を持って
生徒を指導して下さいね。応援していますから。

あと、最近読んだ本でこんなことを書いていました、
「まず、子どもを教育するより大人の教育が最重要課題です。」と。

あっ、そうだ。小学5、6年の算数の「及川先生」にあたくしと”一也”が
悪ふざけをしていたら、木で出来た先にチョークを挟むコンパスで、
思いっきり「IQ1300”ルチ将軍”」並みの頭をぶった叩かれて、

それからと言うもの、本当に天才だった”バカボンパパ”が馬とぶつかってから
馬と頭の中身が入れ替わり”天才バカ”になったように、本当にそんな人間に
なってしまいました、あたくしも。

で?”体罰”ってなんですか?

今日、来る時に知らない人が2名ばかり木に向かってカメラを向けており、
よく見ると、こんなのを撮っていたので、あたくしも近づき携帯で撮りました。

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”さくら”と結婚したくなりました。。。。。

”つわもの”どもが夢のあと・・・・・。

つわものどもが夢のあと・・・・・

今日は久しぶりに「つわものシリーズ」を書きたいと思います。
知らない方の為に解説しますと、この「つわものシリーズ」とは、
22年間この仕事をして出会った、おかしくもあり、切なくもあり、
そして愛(いと)しい人たちの紹介です。

その方は「0田さん」と言いまして、あたくしが店長をやっていた
”オペラ”からのお客さんで、元々は高田専務(マスター)の
お客さんの女性の方に連れられてきたのが始まりでした。
(いや、違う”大東京”の初期?だったかな???)

この「0田さん」は見るからに”スケベ”そうなと言うより、スケベな
人です。(キッパリ!) 最初にその女性に連れられてきた時も、
明らかに”スケベ”丸出しの会話や行為でしたが、何分、その
お連れの女性の方はかなり気の強い方でしたので、

「0田さん」がカウンターの目の前で普通にあたくし達がいるのに、
平気で”胸”を触ろうとするのですが、その度に思いっきり”ビンタ”を張るのです。

その日、いつにもまして職場で何かあったのか知りませんが、
「0田さん」の”エロ攻撃”がエスカレートしてしまい、そのお連れの方が
「あんたねー!ちょっと黙って顔を出しなさい!!」と言ったと同時に、
何をするのかと期待をして見ていたら、なんと次の瞬間に思いっきり
”グー”で殴ったのです。

そして、
”グー”で殴ったあと、女性のセリフが「貴様!今度やったら殺すぞ!」でした。(笑)

この「0田さん」、普段は特に上司の方と来たら本当に真面目で
しかも、結構まともな?ことを言います。
例えば、「店長、いいかい?酒の中身は何でもいいので、一合180円
位にした方が、俺たちみたいなサラリーマンは気軽に来れるんだよ」と。
今から考えれば”金富士”価格ですよね。うん、確かに。

それで、とうとうと今の世の中はこうだ、ああだ、バブルは終ったとか言いながら
さんざん飲んだ挙句に、「だから、今日安くしてよ」と平気で言うのです。
しかも、わざわざ”財布の中身”まで見せて(2000円)、「ほらね、本当に
コレしかないんだから」とも。(オイッ!)

「0田さん」、最初はその連れの彼女と来ていましたが、あまりに”エロ”なので、
その内、一人で来られるようになりました。が、それが間違いの元で来てくれるのは
いいのですが、いつも「酔っぱけて」しかも忙しい時に限って、
言っていることが”チンプン”かんぷんで、しまいにはトイレへ行き帰ってくると、
普通に”がま口”を開けて、しかもおしっこをズボンに掛けて来るのです。

そうだ!”おしっこ”と言えば、二人で”メトロビル”の「しゃかり屋」へ行って
帰る時も(その時もあたくしのおごりです)、ビルの前で中々帰してくれなく、
0田さんは、「店長、もう一軒行こうよ。」
「0田さん、今日はもう帰りますよ、しかも僕のおごりになるじゃないですか?」

と言いながら、「行く」「行かない」と問答をしていて、よそ見をしている間に、
うん!?なんか「ジョボ、ジョボ」と音が・・・・・?

そして「0田さん」の方へ振り返ると、なんと!なんと!!
ユラユラとゆれながら、酔い過ぎてあたくしを”電柱”と間違えたのか
どうかは解りませんが、あろうことかあたくし目がけて”おしっこ”をしているでは
ありませんか!!(正確に言うと、買ったばかりのあたくしの”リーガルシューズ”に
思う存分、おしっこをかけやがったのです!!このエロじぃじぃがー!!)

どうなんでしょうかね?酔っ払いが”立ちしょん”するのはまぁ、たまにありですが、
でも、公衆の面前でしかも人間に対して”立ちしょん”するのって、いくら酔っている
からといって、こんなことがあっていいのでしょうかね?

まぁ、でも楽しかったので「よし!」としますけどね・・・・・。

                                                                                                                      

今しか出来ない経験。

最近、丸かにも新人さんが入って来ました。
ほとんどは、この春に地方から出てきて専門学校や
短大等へ行く人たちです。

みんな、地方から札幌へ出てきてどのような世界に見えるのだろう?
そして、慣れるまでは色々と不安なこともあるだろうけど、きっと良い経験に
なるだろうな~。と思うと、あたくしまで嬉しくなります。

多分、出身も育ちも札幌(地元)で、そのまま学校へ行く人や就職する人は
この感覚はわからないと思います。ましてや、そのまま親元から通っている人はね。
まぁ、親元に居ればお金も掛からないし、安心ですけど。

「でも、そのぶんかなり貴重な経験を逃してもいますよね。」

・まず、自立心が抜けない。
どうしても親元にいると甘えが出てしまいます。お金がなくても
家賃や電気水道ガスなどの光熱費の支払いや、食事に関しても
余程の事がないかぎり困りません。しかも、家に帰ると電気が点いており
温かい食事が用意されており慣れ親しんだ生活があります。

・その年代での楽しみを味わえない。
例えば、極端な話し何から何まで自由です!
友達が気を使うこともなくいつでも来れるし、いつまでも居れる。
好きな人が出来れば合鍵を渡して同棲するのも自由、親に気を使うこともなく
好きな時に会って、好きな時にSEXもできます!!(気をつけるのはお隣さん)

学生ではある程度制約があります。例えばお酒やタバコとか。(今は自由か)
そして結婚をしたら、独身時代のように自由に友達やましてや違う女の子
なんか連れて来れませんしね。(たまにいるけど)
よく独身貴族なんていいますが、既婚者の方にはかなりの憧れじゃないのでしょうか?

・親の”ありがたみ”がわかること。
いつも一緒にいると当たり前に感じますが、一人になって何から何まで
自分でするようになると、改めて親のありがたみがわかるのです。

最後に一人暮らしは「自分を逞しく」させてくれます。
仕事や恋愛で落ち込んだり傷ついたり、また、風邪とか体調が悪くて寝込んだ時などは
かなり切なく孤独で不安です。

そのような経験を通して人間は、「歳相応の大人になるための自立する準備」を
して行くのではないでしょうか。

あっ、決して親元に居るのが悪いと言っている訳ではありませんよ。
ましてや、色々な事情があり親と一緒に居なければいけない人もいますからね。

ただし、そうではなく、
「面倒だしな」とか、「なんか不安」でとか、「欲しいものがあるので、お金を貯めるために」
もしくは、「ママがダメ!って言うだもん」だとか舐めたような理由ならば是非とも一人暮らしを
した方が良いと思います。

お金やモノでは到底得れない貴重な体験が出来ますし、ましてや過ぎ去った10代後半
~20代には二度と戻れませんからね。その歳が一番勉強になり楽しかったと思います。

まぁ、今でも「独身貴族」のあたくしもどうかと?思いますけど。。。。。

本日の提供は、
”安心・真心・素早い対応”がモットーの、『丸か不動産』でした。(コラッ!)

”花見のお知らせ”&近況報告。

来る、5月9、10日に円山公園で「第一回丸か加藤商店の花見」を
開催するのですが、どうやら詳細が決まったようです。

正確には10日の午前1:00からなのですが、優しい”石崎さん”と
単純に飲みたいだけの”祥子”が18:00位から場所取り兼、
酒盛りをしているので、「1:00!?地下鉄ねーじゃん!」とか、
「そんな時間まで待てねーよ!」と言うお客さんは、早い時間から
どうぞ!

一応、会費は2000円なのですが、それは午前1:00からの
飲食の分ですので、それまでは各自持ち寄ってくださいね。
近くに”ローソン”がありますので。。。。。

でも、21:00~午前9:00までは火が使えないので、その時間は
”欽ちゃん”のホルモンや炭を使うモノが食べれないのですが、
”のり”がどこからか発電機を確保したので、ホットプレートか何かで
「鍋か煮込み、おでん」なんかをやるんじゃないかな?と。
(まぁ、何かやります。発電機の音の苦情に注意しながら)

丸かになってからの初めての花見&円山公園で、いきなり夜通し
と言う、なんとも無謀な企画でどうなんるかわかりませんが、
最初に2000円さえ払っていただければ、午前1:00~午後1:00
(延長の可能性大)までは、出入り自由ですので気軽に来て下さいね!

ご連絡は、丸か加藤商店(三浦)か、最寄の各店舗に連絡するか
直接お店でお願いします。

もちろん!初参加の方も大歓迎ですよ!!

どうせ朝陽が昇る頃には、
何が何だか誰が誰だか解っちゃいないんですから。。。。。

日時・場所
札幌円山公園(地下鉄円山公園下車又は西28丁目下車)
”幸せの黄色いハンカチ”が目印です。(不器用なヤツですから)
こちらのお店で問い合わせ受け付けます!

昨日、静岡へ入社試験へ行った”チー”が帰って来ました!
「おう!”チー”お帰り!でっ、どうだった?」
「いい感じでした!」

「皆して、おう!!と感盛が起きました」
しかも”チー”おみやげも買って来てくれました!(こっこ?)笑。
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それで本日”チー”から電話が掛かって来ました!
「社長!受かりました!!ありがとうございます!!、一番先に社長に伝えたくて。」と。

本当に良かった!これで”チー”が出世したらこの恩はきっと百倍になって、
返って来きて、あたくしは「酒池肉林地獄です!!」(笑)(えっ!?さとかも?)
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なんだかね~、
いちいちさぁ、全裸で捕まっていたら創業7、8年までのタスコだったら
スタッフ3分の1は捕まっていますがね、(特に正也としげなんかは)。
えっ!?人物が違う!!って?

ごもっともです。

こんな記憶も・・・・・。

どうして”うんち”をしている時は、かくれんぼで隠れている時の
ようにお尻が”ソワソワ”して、ほっぺたあたりに鳥肌が立ち緊張するのでしょうかね?
特に出る瞬間。(えっ!?あたくしだけ?)

あたくし今でも”うんち”をする時には、あのなんとも言いようにない緊張感に包まれて、
自分の世界に入り独り言や一人芝居を心の中?頭の中?でしております。

よく、小さい時に和式の便所に(あたくし的には、水洗はトイレでぼっちょんは
便所なのです)ふたが被せてあり、あたくしはしゃがんだ前に立てかけて
そのふたのアールの部分を使って、指を車に見立てて遊びながら独り言や
一人芝居をしながら”うんち”を楽しんでいました。

ある時に、あろうことか”うんち”が途中で引っかかって出てきません!!
引っ込めることも出すことも出来ずに、いよいよこれは「ヤバイ!」
いや「痛い!」と言うことになり、大きな声で(半泣き)で「だれか!
だれか!助けて!!」と必死で助けを呼びました。

まもなく”おふくろ”が来まして、何をどうしたのか忘れてしまいましたが、
と言うより、あまりの痛さにそんなどころではありませんでしたけどね。

まぁ、結局”うんち”は難産?の末に無事出てきたのです。

今でもあの時のことを思うと「”うんち”であんなに痛かったんだから、
女性が子ども産むのは相当痛いんだろうな!凄いよな!!」と、
”うんち”と比べていいのかどうなのかは迷う所ですが、子どもを産むって
大変だよな~と思うのです。

で、ある時に”おふくろ”が近所のお茶飲み友達が来た時に、
その時のことを話していました。
「便所から、叫び声が聞こえるので行ったら、こんな大きくて硬い
”うんこ”が顔を出していたから、ビックリしたよ」って。

あたくし、まだ5、6歳位だったので、その話を横で聞いていて普通に照れ笑いで
済んだのですが、大きくなって彼女の前でその話をし始めたときには、
普通に殺意をおぼえましたが、でも、すぐにまた照れ笑いをしていました。

今日はなぜこの話をしたのかと言うと、特に”ネタ”がなかったからですが、
いや、あるのかな?まぁ、それはあたくししかわからないことなのでいいです。

あっ、お食事中の方はあとで読んで下さいね、
特に”カレーライス”の方は・・・・・。(最初に言えよ!)

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武将に憧れて・・・・・。

だいたい、毎日0:50分以降に全店に電話します。
(ちゃんと携帯のアラームをセットしてますので)

そんで、一昨日”なのはな”に電話をしながら
「カタカタカタとパソコンのキーボードを叩き、おもむろに
”甲冑パンツ”と検索したら。ビンゴ!!」。

あたくし、甲冑パンツが欲しくて数週間前から探していたら
売り切れだったので、残念に思っていたらありました!

それで、ボクサー式は今いちサイズが分らないので、去年の
誕生日に同級生3人(女性)に買ってもらった”ボクサーパンツ”を
履くと”L”となっていました。
(正直、この歳で”パンツ”を一人で買うには勇気がいる)

それで、事務所へ来てPCを見ながら、
「さとか、”甲冑パンツ”どう思う?」
「え~!?、でもいい感じかもしれないですよね」(いいんだ)

「ほら、見てみろ。どれがいいと思う?」
「うっひゃ~、甲冑パンツ!」

「これが、いいかな?」
「そうですね、やっぱりこれがいいですね」

「よし!頼もう!ん?ありゃりゃ、カード払い?」
(あたくし、過去にカードで失敗してるのでそれから持っていません)

「どこかで売ってるんじゃないですか?」
「そうだ、大丸に売っているとかなんとか。さとか電話してみて。」

「え~、ちょっと恥ずかしいですね」
「男が”甲冑パンツ”ありますか?って電話するほうが恥ずかしいだろ」
(いいぞ!理不尽大王!!)

「もし、もし、あの~”甲冑パンツ”って置いていますか?・・・・・。」
(うん?何やら、あたくしの方を見て微笑んでいるということは!?)

「社長!ありますって!」
「種類は?」(ここは小声です)

「あれ、ありますって!」
「じゃあ、頼んで!」(ここも小声です)

と言うことで、さとかに電話してもらい、用事ついでに取りに行ってもらいました。
(あくまでも、さとかの用事ついでですからね)

そして、それがこれ↓
ファイル 289-1.jpgジャジャ~ン!!

これ、”織田信長”バージョンです!

買って帰ってきた”さとか”もかなり興奮気味でした。
(なんなら、さとかの分も買ってあげたのに)

「さとか!はいて見せてやろうか!」

「・・・・・??? 結構です。」

「・・・・・。」
テレビで女性は”ボクサーパンツ”の方がいいって言ってたんですがね。。。。。

あっ、ちゃんと仕事はしてますからね。

それと、たまに見てくれる”さとかのお母さん”心配しないで下さいね、
大切な娘さんは確実に成長していますので。。。。。(?)

バカでごめんさい。

たっぷり、泣き笑いの5年間でした。

今日は形式上、「丸か加藤商店」の”5周年”です。
(おめでとうございます!多分、誰も言ってくれないので自分で言いました)

なんでしょうか?たかが5周年、されど5周年です。
会社的には「たかが」ですが、そこにたずさわった人たちの
ことを思い出すと「されど」になります。うん。

本日話す内容は、多分、一緒にタスコからも現在の丸かのスタッフもほとんど
知らない話だと思います。

しかも長いので、携帯の人は少し休みながらの方がいいと思いますよ。
(って、なにオメェが仕切ってんだ!って感じですよね)

それでは始めますよ。
前にも書きましたが、あたくしには”独立”して自分で飲食をやる考えはなく、
単に仕事を「やるか」、「やめるか」でした。

飲食店に従事している人のほとんどの人は、あまり深く
考えているわけでも、成功するという根拠もなく「将来は独立をして・・・・・」と言います。
まぁ、そのくらい無謀で自己が強いからこそ、人に頼らないで自分の才覚で
勝負できる道を選ぶのでしょうね、きっと。

では、なぜ”独立”したのか。
うん、単純です。居づらくなったんです。と言うか自分で居づらくしたんです。

要は不器用なだけですね。いや、「不器用なヤツですから(高倉健さん)」なんていう言葉は
格好つけすぎですね。単に力がなかっただけです。

実はあたくし辞めようと思ったのは以前にもあり、三度目の正直で辞めたんです。
過去2度はまったくの私的なことです・・・・・。

最後に辞めようと思ったのは、「自分の居場所はもうないな」という事。それは、
「自分がいることによって、会社の妨げになっているな」と思ったからです。

あたくしのような人間が古株で幅を利かせているとダメなんですね。
例えば、豊臣秀吉や徳川家康も全国制覇をする過程では”武断派"と言う
敵と直接”槍”を合わせていく、いわば「槍働き」の人間が重宝されますが、
平和な世の中になると、それしか脳のない人間は必要なくなるのです。

その代り”文治派”と言う、インフラ整備をする人材能力が必要となるのです。
あたくしなんて典型的な”武断派”でしたから「俺みたいのがいると、邪魔になるだろうな?
ある程度メドが付いたら去ろう」と。

皆はどうか知りませんが、あたくしはF・C展開も全国展開も株式上場も当然会ったことも
見たこともない株主にも、あまり関心はなくそのような話を聞く度にどこか冷めていた自分が
いたんですね。

なので、東京とあたくしがいた札幌ではかなり温度差がありました。と言うより、
その温度差を作ってしまったのも、あたくしなんだと思います。

でも、これは会社への否定ではなく考え方や思想の違いなんです。
何百人、何千人ものスタッフとその関係者を抱える企業です。札幌のしかも”ススキノ”で
やっていた頃の経営とは違います。「社員を幸福にしたい、お客様を喜ばせたい、
世の中に認められ貢献したい。」との思いは同じですが、ちょっとだけ考えと手法が違ったんです。

なので、自分に言い聞かせるように「俺たちは聖地でもある発祥の地を守るんだ!もし、
万が一東京がダメで再起を図る時の為にも、俺たちが何としてでも札幌を守る。」と。
それは、あたくしと東京との温度差を埋めるには十分な『大義名分』でした。いえ、はずでした。

では、『守る』とはどういうことかと言いますと、大きく別けて2つあります。
一つは業績です、どんなに良いことをいっても企業は赤字では話になりません。
しっかりと目標を達成すること。
二つ目には、『原点』です、どんなに流行の内装だろうが、華美な商品だろうが、
やはり”タスコ”の原点で一番の強みでもある”人間力”は決して失ってはいけないのです。

しかし、一つ目の”業績”も、二つ目の”原点”も自分が考えるようにはいかない。
なぜか?あたくしたちの強みでもある『原点』を無視した、いや追いつかないくらいの出店です。
出店に対してそれに対応する人も育っていないので、当然のように「店肌が荒れる」。となると、
業績が落ちる、落ちた業績をカバーする為にまた出店を繰り返すといった一連の”負の連鎖”です。

と言うより、出店が決して悪いわけではないけど、そのような仕組みもなく、またそのような
文化ではなかったんだと思います。色々なやり方考え方がありますが、少なくてもあたくしの
中では『効率』と『モチベーション』は両立できなかったのです。

そして、あたくし自身冷静な判断が出来なくなり、いつもイライラして人や物にあたる。
そうなると人心が離れていく、離れていくと猜疑心に陥り人間不信になる。といった、
まさに筋書き通りの展開ですね。(笑)

自分の出身母体の事業部や店とか昔からいるメンバーの店は、まだいいのですが、
そうではない店にたまに行くと、「おい、おい、なんでこんなヤツが働いているの?」
とか、「おめぇ、どうみても飲食店で働いちゃダメだろ?」と言うよな場面に出くわす度に、
「俺たち、こんな店を作るためにやってきたんじゃないよな。」と思うと、

自分に対しても情けないけど、まだ10店舗足らずの時から一緒に喜怒哀楽を共にして、
タスコで学んだことを、まるで「勲章」でも貰ったかのように『誇り』を持ち育っていった元スタッフたちや、
その時から応援してくれ、あたくしたちの成長や成功していく姿がまるで自分のことのように喜んで
くれているお客さん達が離れていく現状と、それでも我慢して通ってくれていることに本当に申し訳なくて、
情けなくて・・・・・。

『あんなにタスコでやっていた事に対して、自信とプライドを持ち、就職してからもその他でも
何かつらい事があった時には、必ず「あの時の経験が今こうして活かされています。本当に
ありがとうございます。俺(私)にとっては、一生の宝物です。」なんて、言っている元部下達が
今の店舗を見た時に、どう思うのだろうか。

ましてや、一緒に行った人たちが「なに、ここ最低の店だね」なんて知らないで言われたら、
どんなに切なく悲しい思いをするのだろう。と。

確かに「昔、バイトしていた会社が上場したんだよ!」と言うのは、この上もない自慢で喜びにもなりますが、
その代わりに無くしたモノの大きさに気付いた時には、「これは、俺(私)の知っているタスコじゃないよ」と
悲しくなるのは容易に想像できました。

そんなこんなで1、2年の後、「よし!こうなったら自分が店に出て、自分の思うような、
そしてもう一度”原点”の店を作ろう!」と、よせばいいのに作ったのです。
それが”青春の輝き”です。

結果は惨憺(さんたん)たるモノです。(笑) ざまぁないですよね、普段からうるさく「業績」のことを
言っておいて、トップである自分が出ている店が「しょぼい」のですから。
店に出る時にある人からこう言われました、「本部長、店に出るのは辞めた方がいいです。
もし、うまくいかなかったら・・・・・」と。

はからずもその人の言ったことが当ってしまいました。
そして、その矢先に東京から「高田専務」が帰ってくることになりました。
何て言うのでしょうか、調度良いタイミングですね。

(でも、実は自分でもこうなるんじゃないかと予想はついていました。)

あたくしのように、F・C展開?全国展開?株主?IR?嫌いだよ。
のくせに足元から火が付いていて、人間不信から自分でやった店は「あら?」と。

その内に、「北海道は”聖地”なのでF・Cはしない」となっていましたが、
株価の前では、そんな奇麗事は通用しなくなっていました。

なぜかそのことを、あたくしは何も聞いていませんでした。それが全てです。

「もう、自分自身この辺が潮時かなと考え、あとはいつの時期にしようか。
それまでに、自分が出来ることを精一杯しよう。」と。その矢先に、札幌時代に
苦楽を共にした「荒城堅治(あらきけんじ)」が残念ながら逝ってしまいました。享年 34歳。

元来、独立なんて考えたことのない17年でしたから、「どうするかな?」と。
「ラーメン屋?焼鳥屋?いや、喫茶店にしよう」なんてね。

生活のあてもあるわけでもないし、何も考えていないので当然一人でやろうと。
多分、言葉や表情には出さないけど(実感がなかったのかな?)、その時の
部下(後の丸か立ち上げメンバー)たちは心配していたんだと思います。

定例の”部門会”があり、いつもどおりそれに出席をしようと思ったら、
高田専務に「加藤、今日から”部門会”には出なくていいぞ」と。

その時は”ショック”でした。しかも、会議室からは時折「笑い声も聞こえてきます」
「あぁ、こんなもんだよな~」。そして、途中で休憩や終った時に会議室から
出てくる”元”部下達は、あたくしに気兼ねして気まずそうな雰囲気です。
(会議室では笑い声、でも一歩出ると、どのような表情でいようかと。)

あたくしは「こんなもんか?17年も居て自分なりにやってきた自負はある。
でも、所詮こんなもんだよ。」と、それと、あたくしに気を使う”元”部下達を見て
なんだか気の毒に思えたんです。

そして、会議が終ってから高田専務の所へ行き「これは、専務の意向ですか?
それとも社長の意向ですか?」と聞くと「社長の意向」と言われたので、
「わかりました、それなら納得です。でしたら、部下達に余計な気を使わせたく
ないので、早めに辞めます」と。

あたくしは、最後の最後まで”タスコマン”としての誇りと、そして何が
大切なのかを伝えたかっただけだったんですがね。危険分子と見られたようです。(笑)

でも、会社の言い分もわかりますよね、「辞める人間にましてやあたくしのような
過激な人間に振りまわされたくない」と言うのは当然です。
あたくしでもそうします。これからのことを考えますもん。

でも、何だか急に邪魔者扱いされたので段々と怒りが込み上げて来ました。(笑)
それでかねてから、辞めた時のことを心配してくれていた方に相談して
協力をしてもらい、「それなら、タスコに負けない人、店、会社」を作ろう!となり、
部下達に声を掛けて”独立”したのです。(ハァ~、ここまでホント長っ!)

でも、あくまでも強制ではなく、家族持ちやまだ若くタスコの方が成長できる人間は
タスコに残そうと考え、実際にそのように残ったほうがいいと伝えました。
しかし、「本部長は怖いから」と言った1名を除いてみんな付いてきてくれました。(コノッ!)
(本当にありがたかったです)

社長も専務も”独立”にあたっては変な意味ではなく”複雑な心境”だったと思います。

特に社長は、東京へ挨拶に行くと「加藤、お前にタスコは任せるからな。タスコの精神を
頼むぞ。」と。社長が当時のタスコの現状を一番分っていたし、辛くもあったんだと思います。
でも、何百、何千人の生活やら将来やらを考えたら、あたくしのように自分の思いのままの
行動は出来ないんです。

それに東京で働いている仲間達もみんな必死で頑張っていました。
それに比べて、あたくしなんぞは優しい北海道のお客さんや気心の知れた仲間に
囲まれていたんですよね。

でも、あたくしに残っていた選択肢は”辞める”しかなかったのです。
自分で自分の首をしめて、もうどうにもならないくらいに自分を追い詰めていました。

”独立”をするに当っての不安は、
1、社員にちゃんと給料を払えるか。
2、業者さんにもちゃんと支払いが出来るか。
でした。

期待だとか、希望だとかはこれっぽっちもありませんでした。
不安と不安とまた不安しかありませんでした。

そんな時にテレビで音楽評論家の「湯川れい子」さんが、映画”卒業”の中で
印象に残るシーンを話しながら、その映像が流れた時に「まさしく今の自分だ!」
と思うシーンが目に飛び込んで来ました。

それは、ダスティン・ホフマンが教会から花嫁と駆け落ちをしてバスに乗り込み
一番後ろの席に座るのですが、最初は二人して嬉しさと安心でふざけ合うのですが、
次第にことの重大さと、この先のことを考えた時の不安と責任、そして本当に
これで良かったのか?という二人の表情が妙に自分と重なり合ったことを覚えています。

そんな360°不安の中での創業でしたが、
まぁ、なにはともあれ、優しいお客さんと素敵なスタッフのおかげで、こうしてかろうじてですが
(有)丸か加藤商店は泣き笑いの5周年を迎えることが出来ました。

本当にありがとうございます。そして、これからも”アパッチ”ですが、
丸かは「どこから来て、どこへ行くのか」を模索しながら、皆さんと歩んで行きたいと思います。
皆様には本当に感謝しております。

どうぞ、これからもよろしくお願いします。

平成21年4月21日(火) (有)丸か加藤商店一同より。
”卒業”最後のシーンがいい。

「加藤やつぐみ達が独立して、俺は嬉しいよ~!でも寂しい~!」と、
上海月のパーティールームで、酔って何度も言っていましたよね。。。。。
では、この曲を。

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2004年4月21日 最後の全体会議にて。

よみがえる記憶・・・・・。

先日、人がいなくて急遽以前働いていたスタッフが
応援に駆けつけてくれました。

最初は”てまひま”で、と言うことでしたが、窓から
見ていると、あれよ、あれよと言う間に”満福や”へ
お客さんが上がっていきます。

まだ19:00前なのに”めぐ”が氷を借りに来ました。
「めぐ、上かなりきてる?」
「はい、けっこう。でも大丈夫です。」
と言うのを鵜呑みにしないで、直にベテランスタッフの
「マナぶぅ!」へ電話をして取りあえず”満福や”へ行かせることに。

その日のヘルプに来てくれた、「さとエリ」は上に下にと
大活躍でした。やっと「さとエリ」があがれたのは23:30を過ぎてました。

「えり、ご飯は?食べなよ。」
「はい。」

よ~し、久しぶりに何か作っか!と言うことで一応腕まくり。

実は何を作るか考えていませんでしたが、なぜかフライパンを
握っておりました。多分、それは昔の記憶が染み付いているのでしょうね。

あたくし、自分ではほとんど何も作ったことがなかったのですが、
21年前に、タスコで最初に働いた”RaP(ラップ)”と言うお店で
まぁ、なんて言うのでしょうか?酒場めし?って言うの?
焼きうどんとか、ステックサラダとか、オムライスとか、MIXナッツ(これは盛るだけ)
等のメニューがあり、入って10日目くらいに作ることになりました。

特に”オムライス”なんて作ったことがなく、最初一人前作るのに
卵を3つ使っていましたが、マスター(後の高田専務)に「加藤、3つは多すぎ、
1個で作って。」と、初体験者に対して”冷酷に”言ってのけたのです。
でも、うまく出来ないので内緒で3つで作っていましたけどね。(笑)

で、ある時、オムライスのオーダーが入り、取りあえずフライパンを温めていたのですが、
調度その頃には”接客”に慣れてきて面白くもなっていた時期なので、
その温めるちょっとの時間さえ”接客”がしたくてしたくて、半畳もないくらいの
厨房から出てすぐのカウンター越しで接客をしていたら、なんだか煙が”モクモク”と。

「あっ!しまった!」と慌てて半畳もない厨房に戻ると、熱しすぎたフライパンから
煙幕のように煙が出て、あと少し遅かったら”ファイヤー!”状態でした。
しかも慌てて水で冷まそうとしたので、余計に煙が・・・・・。

その異変に気付いた、マスターが慌てて厨房のカーテンを開けて
一言、「かとう、フライパンを温めるのは、もうそのくらいでいいぞ」と。(笑)

あたくし、その言葉に感動しました。あたくしはてっきり怒られるものばかりだと
思っていたら、「フライパンを温めるのは、もうそのくらいでいいぞ」ですもんね。

そんで、あたくしもっと”オムライス”作りをうまくなろうと思い、それから一週間
家で練習しました。南7西10の第二すみれハイツの1階のアパートで。

友達が来た時も”オムライス”ばかり出していたので、いまだにその時の
ことを言われます。

それで、その成果もあってか、常連さんの「玉野さん、宮下さん、山本さん」の
3人は「美味しい、美味しい」と言って食べてくれて、「いつもは居酒屋へ行って
から”RaP”に来るのに、あれからさぁ、かとうのオムライスが食べたくて一軒目から
来るようになったんだぞ」なんて、嬉しいことも言っていただけました。

多分、あの時、マスターではなく、あたくしだったら怒鳴っていたと思います。
でも、天然なのか優しさなのか判断が付きにくい所ですが(多分、天然です)、
あのように言ってくれたことで、「よし!もっと頑張ろう!!」と思い自発的に
一週間毎日”オムライス”を作り続けた結果「美味しい!」と言われて自信も付き、
億劫(おっくう)にならないで厨房にも入ることが出来たんだと思います。

そんな温かい上司や先輩や同僚がいたから、それから17年も頑張れたのです。
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当時はもっと上手でしたよ!

改めて感じました。

ホント4月は早い!と思ったら、今日は18日であと12日もある。
でも早い。では、なぜ早く感じるのかな?と思ったら、常に来週、
再来週のことを考ているのと、ここ10日間くらいお店に出てドリンク兼、
アライグマ兼、後片付け部隊に所属しているので、寝る時間が
短いのもあるのかな?と思っています。

久しぶりにお店に出続けて(忙しい時間だけだけど)、改めて
思うのは、当たり前ですが「お店って一つ一つの事柄で出来て
いるのだな」とつくづく思うのです。

例えば、ビール一杯の値段だけを見れば、金曜日など忙しく
それなりの売上から見ると何十分の一ですし、お店によっては
何百分の一です。

でも、その一杯がなくていきなり何十や何百分にはなりえません。
ふとそう考えると、忙しくてもビールサーバーからグラスに注ぐ時に
”丁寧においしく注ごう!”という気持ちになり、そのような時のビールは
自分でも本当に驚くぐらいに”理想”の美味しいビールが出来きてしまうのです。

それと同じように、いきなり何十人、何百人と言うお客さんに
なるわけではなく、例えば時系列的なことでいえば、ファーストゲストの
最初のお客さんから始まるんですよね。

そして、お見えになるお客さん一人一人に人生があり、
日々、様々な出来事があってと。。。。。

何か、そう思うと”ドリンク一杯、お客さん一人”が、とても愛(いと)しい存在だなと
改めて感じながら、最近は現場で仕事をしています。(いいぞ!エライ!!)

かつては接客の”天才(バカボンじゃないよ)”と言う名称を欲しいままに
していたあたくしも今は”補欠並み”なので”疲れが見えていたり、股間に?
ちょいと違うな。眉間にシワを寄せて少し口調が荒く働いていたらゴメンなさいよ。

それはあくまでも自分に「アドレナリン」を送っているか、”マッキー”か
”やまさん”が原因でイライラしているだけですから。その時はカウンターにいる
常連さんには”マッキー”と”やまさん”に対して、あたくしの代わりに”叱咤激励”を
して下さいね。。。。。

うん、たまには”まともな”こともいいだろうよ・・・・・。

それでは〆で吟じます!(終りじゃねーのかよ)
ほとんどの男たちが思うことです。

夜中の携帯電話にぃ~ぃ~♪ 名前のない番号を見てぇ~ぇ~♪
変な期待をする~♪ あると思います!

体調管理。

本日、高血圧ぎみの”マッキー”とあたくしのために
玉葱ドリンクが来ました、『飲む玉葱』です。
これです↓
ファイル 285-1.jpg
たまたま事務所にいた”竜子”や”さとか”にも
飲ませようとしたら、まず匂いを嗅いで「玉葱!」と
ちょっぴり不安&怪訝な顔。(失敬です!)

そして飲ませてみると「美味しい」と、でも残し気味。
あたくしと”マッキー用”に買ったやつなので無理して飲まなくてもいいのに。

あたくし以前から通販&健康食品フリークで、特に健康食品
などは、「志村けんさん」に引けをとらないと思うくらいです。

一時飲んでいたのは「ウコン、どくだみ茶、にんにくカプセル、
イチョウ葉カプセル、ブルーベリーカプセル、千年草茶、あとは
その時々の体によさそうなお茶」です。

それで、2年ほどして気付いたのですが、結局なにが何に
効いているのかが、わけが分らなくなったので辞めました。(遅っ!)

と言うより、普通に”暴飲暴食”を辞めて、不摂生をしなきゃ
いいことだよな?と思い、それから「試供品」で頂いている
”にんにくカプセル”のみになっております。

不思議なことに、な~んにも変わらないんですよね。
逆に、色々なモノを飲んでいるときの方が変に安心して
不摂生になるのです。(ほとんど二日酔いでしたけど)

現在はお酒も週に1~3回くらいになり、とても次の日が楽で
体重も減ってきました。自分では、まだまだ若いつもりでいるのですが
既に今年43歳になりますので、いい加減考えて行きます。

それに、案外健康食品の出費もバカにならないですしね。
特にあたくしの場合は”お酒”と”イライラ”を抑えることで全て解決しますしね。

うん?なんだい?この「健康には必須アミノ酸」の封筒は?

どれどれ見るだけですよ・・・・・。

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