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決断のとき。

小嶋 淳司(こじま あつし)は、1963年、28歳の時に
大阪の十三(じゅうそう)に4坪半の1軒の店を構えた。

そして3人の従業員を雇い、通いのベテラン職人とは別に、
小嶋は若い従業員2人と6畳一間に一緒に住み、文字通り
寝食を共に毎日働いた。

店を始めたばかりで大切なことは、とにかく従業員に辞められない
ことだが、しかし、始めたばかりの小さな店では、彼らを引き止める
のに十分な高い給料は払えない。

そして、「自分が若い従業員に与えることが出来るのは”夢”くらい。」
と、考えた小嶋は、店が終ると深夜から明け方まで従業員と飲み明かし、
「大阪一大きな店にしよう」 「将来はこんな商売をしよう」
と彼らと夢を語ったと言う。

小嶋はどんなに寝るのが遅くなっても、朝6時には1人で仕入れに
市場に行くのだが、それでも、寝る時間を2~3時間削ってでも、
「自分達は何を目的としているのか」と、朝まで議論をすることで
従業員の”モチベーション”を高める為に熱く語った。

真摯(しんし)に話せば、きっと分ってくれる、そう信じて。

ところが、ある日、小嶋は思いも寄らない言葉を偶然に聞くことになる。

「うちとこの社長は大ぼら吹きや!」。小嶋がトイレに入った瞬間だった。
従業員たちは気が緩んだのか、トイレの前で小嶋を揶揄(やゆ)し始めた。

「あんな大きなことばかり言って、社長は大嘘つきや」と。

小嶋は信じられなかった。そして”ガクガク”と膝(ひざ)が抜け、
思わず、その場にへたり込んだ。

小嶋は言う、「当時は車を持っていなかったから、朝、市場のある
鶴橋まで電車で行って大阪まで帰ってくるでしょ?その頃には
眠くてもう駅の階段も上がれないんですよ。
手すりに体を預けて、這い上がるように階段を上がって・・・・・」。

そうまでして時間を割き語って来たのに、従業員には自分の”夢”が
まるっきり伝わっていなかったことに、悔しさと切なさが、後から後からわいてきて、
”立ってトイレから出ることが出来なかった!”という。

「腰砕けというのはこういうことかと思いましたわ。まぁ、でも要するに
独りよがりだったんです。”現実”ちゅうことを思い知った」。

よく考えれば大阪一小さな店のくせに、大阪一大きな店にするなどと
確かに説得力のないことを自分は言っていた。それに、そもそも、
”他人に自分と同じ次元で物事を捉えてくださいと求めること自体が
無理なこと。

ここで、小嶋は改めて気付きます。『やっぱり商売は結果主義なのだ。』と。
結果を出せば若くても評価される。

小嶋が改めて気付いたのはこんな経験がある、
高2の時、病に倒れた母に代わり実家のよろず屋を手伝った時のこと、
自分で探した破格に安い靴下が売れ、大いに周囲に認められたからだ。

しかし、結果を出せない限り、努力も何もない。

そして、小嶋はこう思った、
「従業員の目の前にも結果を出して見せない限り、彼らから信頼は
得られない。だったら、1日でも早く本当に大阪一大きい店にしよう。」
と誓った。

そして、それから1年半ほどして近くに120坪の土地が空くと言う
話が舞い込みました。が、しかし、まったく資金はありません。

しかし、小嶋はこう思いました。
「ここであきらめたら、自分はこの先ずっと ”消極的な商売人”になると。
将来、同じようにチャンスや逆に問題が起きた時、困難な方を選んで
決断することを避けるようになる。それではあかん。だったらやろうと決めたんです」

それが、現在関西を中心に「がんこ寿司」を101店舗、年商215億で
「関西の外食の雄」と言われている、
「がんこフードサービス」の小嶋淳司会長です。


本日は業界紙の「日経レストラン」という本から、一部(ほとんど)引用しました。

あたくしは、この項を読んで、胸がつまり、そして自分の甘さも痛感しました。
今、これを読んでいる方で、従業員や部下に”夢”や”思い”を語っても、中々
通じずに、辛い思いをしている方もいらっしゃるのではないのでしょうか?

あたくしも、そうでしたし、今でもそうですが、様々なことを思い出したのです。
ある意味、業績が下がるより「ショック」が大きい時もあり、一瞬、頭の中が
真っ白になる時もあります。。。。。

以前、働いてた社長に「人」で悩んでいた時に言われた言葉です、
「人育ては永遠だぞ、寄せては引いていく波のようだ」と。そして、こうも言われました。
「かとう、部下はトップの器以上には育たない、それは店も会社もそうなんだ。」とも。

”夢”や”思い”を語るのは絶対に大切です。しかし、”有言実行”で『結果を出す』
ことも同じように大切なんですよね。

あたくしは”夢”や”思い”もあるつもりです。『つもり』と書いたのは、言うだけはタダ。
やはり”有言実行”で『結果』を出さないと、どんないい事を言ったとしても、
「うそつき」 「言い訳」になるんです。

要は、「決断する勇気と、結果を出す行動です」。
分った?「はい、分りました」。

小嶋会長は今年74歳になりますが、このように言っておられます、
「経営者として従業員に自分の思いを伝える難しさ、
人の問題は会長になった今でも常について回ります」と。

ハァー、今日は本当に良いお話をありがとうございます。(コラ!)

社長、来週の火曜日以降どうですか?

信長の功績。

どうもこんにちは、蒟蒻ゼリーを3ついっぺんに食べても
なんでもありませんでした、かとうです。

本日は、少し今までと違った話をしたいと思います。

えーっと、実はあたくし”歴史”が好きで中でも特に好きなのは
”戦国時代”と言うか安土・桃山時代が好きで、”大河ドラマ”や、
本などをよく読みます。

たまに、面白そうな本だな~と思い買ってじっくりと読むと、
「あれ?これ前にも読んだ?」となり同じ本を買ってしまうこともあるくらいです。

好きな”武将”は「大谷吉継(おおたによしつぐ)」、「蒲生氏郷(がもううじさと)」、
「立花宗茂(たちばなむねしげ)」といった、どちらかというとマイナーなのですが
個人的には好きな”武将”です。(最近は少しメジャーになってきて良かった)

で、本日は”織田信長”の功績についてです。(オイ!)

この”おだっち”はあまりに有名なので、27歳以上の方は名前を聞いたら
すぐに分ると思いますけどね。(27歳以下は、多分、総理大臣!とか言いそうです)

織田信長は尾張の小大名でしたが、大国の「今川義元」を”桶狭間”
で破り、「天下布武(てんかふぶ)」への第一歩を踏み出しました。

一般的なイメージとしては”短気”で、”比叡山の焼き討ち”等による
残忍性の方が強く、信長=怖い人というイメージがあるのではないでしょうか。

しかし、この”織田信長”という人は元は「かぶき者」だけあって、
発想には一種独特の考え方の持ち主で、

第一に、”豊臣秀吉”のように、百姓あがりの身分の低いものでも
実力があれば、どんどん登用してそれに応じて出世もさせました。
今から、約450年以上も前に「成果主義」を行った人なのです。
(だから、成果主義は欧米主義でもなんでもなく”信長主義”なのです)

それと、当時は”兵”はほとんどが農民なので、忙しい時には
農民で、収穫が終えて農閑期になると”兵”として戦に出ていました。

しかし、信長は「アホか、お前ら、そんなことだから、いつまで経っても
隣同士だけで戦をしてんだよ!」と言うことで、”兵農分離”と言う、
農民は農業、兵は戦と言うように役割分担をして、いつでも信長の
好きな時に戦をできるようにしました。(この時代は画期的な事なのです)

次に”楽市楽座”です。
隣国の「美濃国(みののくに)」を領土にした信長は国を活性化する
為に、今まで高い”税金”を払って商売をしなければ行けなかったのを
「この信長の領土では、税金はいらねぇ!だから、思いっきり稼ぎまくれ!!」
と言って、諸国から沢山の商人が集まりかなり活性化しました。
(一説には、信長が来る前から「美濃国」では似たようなことをしていたとか)

そして、あたくしが一番に上げたい功績は、「宗教戦争をやめさせた」事です。
皆さん、よくテレビとかで特に中東で起る紛争を「宗教戦争」と言ったりしますが、
実は、日本も昔はありました、「神様」VS「仏様」、各派の争いとか。
(もっとも、中東は単に「宗教」が原因だけではないのですがね)

「比叡山延暦寺の焼き討ち」、「石山本願寺との11年にも及ぶ戦い」、
「一向宗の殲滅」と、信長は神をも恐れぬ”仏敵”として恐れられ、そして
恨まれました。(信長は自分でも”第六天魔王”と称していたくらいです)

ここまではごく一般的な話ですよね、
実は当時の戦国時代は、「下克上」でもあり、混乱した世の中でしたので、
自分の身は自分で守るのが当たり前でした。
なので、お坊さんはかなり強力に”武装”して、時には村に降りていって
乱暴狼藉を働いたり、”僧兵(ぞうへい)”や”傭兵(ようへい)”として
戦ったりもしておりました。

取りあえず、被害者的な立場にある「比叡山」も、その叡山の僧兵達は
当時新興宗教だった「法華宗」の寺を攻撃して、京都に21ヶ所あった
寺を全て焼き尽くし信徒を大虐殺しましたし(天文法華の乱)、

でも、実はその少し前には「法華宗」は山科(やましな)本願寺を
焼き討ちにしているのです、それで「石山本願寺」は信長に11年間
攻められても持ちこたえた”寺(城?)”を築いたと思うのです。

だから、信長だけが”非道”だとか”宗教弾圧”だと言われるのはおかしいのです。
そればかりか、信長は負けた石山本願寺に「信仰の自由」を約束しています。
ただ、「お前らは坊さんなんだから、信仰を通して人々と交わるのはいいけどよ、
武力を持ち、政治や利権に干渉するのは許さねーぞ!四の五の言わずに
トンチでもしてろ!!はい、セッパ!」としたのです。

ちなみに「比叡山」に対しても”天台宗禁教令”など一切だしていません。

あたくしは先日、「日本の武将列伝」(小学館)井沢元彦著を見て、
恥ずかしながらこの項を読んで初めて知り、かなり衝撃を受けたのです。

ルイス・フロイスとかと言う、怪しさ満点の宣教師がこのようなことを言ってます。
「信長は自分のことを「神」とあがめて、お賽銭をあげよ」と神を冒涜(ぼうとく)する
行為に出たと。

あたくしが、思うに信長は「バッキャロー!、俺様を”第六天魔王”として君臨して
拝(おが)ましておけば、いらんことをする奴らが出てこないだろ。」
との考えだったんではないのでしょうか。(笑)

なんだかんだと言って、”織田信長”は時代を切り開き、それを”秀吉”が
受け継ぎ、そして”徳川家康”の「江戸幕府」へとつなぎ、約100年以上も
続いた戦乱の世を、260年も続かせた平和な国の基礎を作ったのです。


う~ん、やっぱり”織田信長”は凄い!!

「天下布武」=戦のない世の中にする!(でも、武力でだけどね)

リーダーは、

最近、と言うか前からもそうなのですが、あたくしが店長以上の
部下を見ていて、こいつは「いけてない」なと感じるし、
仕事を任せても「こいつは、ジジィだな(本当にジジィの方は
申し訳ございません、他意はございませんので)」と思う、
いけてない人は『行動力』の欠如が多いということ。

よく、「リーダーの条件とは」という「タイトル」の本とかでは、
決断力、判断力、行動力、先見力、人身力、情熱、責任力、
経営力(マネジメント力)、など、まぁ、他にも包容力だとか、
金銭欲やらハングリー(ぶぅ!じゃないよ)さ、とか、
それなりのことをこじつければ、もっと沢山出てきますが、

あたくしが思うに、どれが一番とかではなく『リーダー』と言う”条件”には
どれも「要素」になっているだけで、その時々で力が試されると思うの
ですね。

話を戻しますが、あたくしの経験上では”行動力”は大切な
ウェートを締めています。

例えば、「000をいつから始めるので、000をやるように。」とすると、
「はい、わかりました」と大抵は言います。
が、しかし「はい、わかりました」と素直に言う人間は”要注意”なのです。

本当に業務遂行能力のある人間は、「期日はどうしますか?」
もしくは、「00日迄でいいでしょうか」となります。
それだけ、きちんと受け止めて成果を出そうとしているんですね。

たまに「えっー、そう言われてもー、出きるかな~」などと、
やりもしない内から、およそこの世にあっちゃいけない言葉を
のたまう輩がいますが、そんな輩には脳天に一発”ナックルパンチ”を
お見舞いするのが一番ですが何か。

それと、自分の店から机からパソコンから離れない輩も「アウト!」です。
例えば、「新メニューを00からやるので00までに考えよう!」となると、
最近は便利な世の中になりましたので、まずネットで調べる。
まぁ、100歩譲ります(あたくしもするので)。

ただ、行動力のない人とそうでない人ではここからが違います。
行動力のある人は、
調べてから自分の足を使って外へ出て本屋さんや、デパ地下や
他店へ行くか、ネットの産直業者さんに直接聞いて情報を得ます。

行動力のない人は、
ずーっと、何時間もネットを見ています、しまいにゃネットサーフィン
などをやって、テメェーの服なんぞを検索してたりもします。
もしくは、10分で諦めて「中々、この時期は難しいですねぇー」だとか、
「ちょっと、行って来ます」などと言って、
実は単に息抜きをして”コーヒー”などを余裕で飲んで来る人です。

行動力のある人は、常に情報に敏感で且つ、自分の目で確かめる
為に、行動範囲が広いので、その他にも色々と収穫があるんですね。

以前に、物件を探していたときに、情報が入ったので担当者に
「000と000に物件情報が入ったから、見て判断をして欲しい」と
言って2日経っても何の報告もないので、

自分で見に行くと、来た情報はあまり「ピン!」と来ませんでしたが、
その近くに「!?」と言うような、物件があり情報が流れていないので、
念の為に不動産屋さんに聞き、持ち主に聞くと「OK!」との返事。
それが「欽ちゃん」です。

そして、担当者に「どうして、見に行かなかった?」と聞くと、
「住所的にあまり、いい感じがしないからダメなんじゃないですか」と・・・・・。

「ハァー?????、オメェーは一体何者だ?って言うか、何人よ!」と。
結局は面倒なのと、つたなくしかも失敗を前提に”ごたく”を並べて、
「私は、見に行くのが面倒で、会社のこともそこで働く部下のことも
まったくなんとも思っていないので仕事をしてませんでした。」と言っている様な
ものなんですね。

しかし、不思議とこのような輩は「罪」の意識がまったくなく、
逆に「俺様の勘はあたるよ」位にしか思っていないんですね。
本当に世界の”七不思議”と言うか、違う意味で”世界遺産”にして
「これが、人間の体と言葉を話す変人です。」としたい位です。ホントに。

元、刑事の方こんなことをTVで言っておられました、
「現在、日本の検挙率が落ちたのは、核家族化や近所の付き合いが
ないとか、外国人が増えたのもあるが、現場に行かないで、インターネットでの
情報に頼りすぎているからだ」とおしゃっていました。

やはり、特に”リーダー”は、人でもモノでも何にでも興味を持ち、
自分のつたない経験と頭で考えるのではなく、『行動』して自分の
目で足で確かめるべきですよね。(あたくしも)

こんな言い伝えがります、
「自分で動かない奴は、危機感が薄い奴か、余程のデブ(500キロ位)かのどっちかだ」

アームストロング・オズマ加藤(B型)語録より。

あっ!それと、何でも来週からとか、来月からとかと変な区切りを
つけてやる”リーダー!も、取りあえず先延ばし『リーダー』で、ちとヤバイです。

春は、

この時期は、春の訪れとともに”別れ”もあります。
特にお世話になったお客さんが”転勤”するのは、
普段、あまり意識はしていませんが、

「もう来れないから」とか、「お世話になったね」などと
言われると、一気に現実味が帯びてきて、とても寂しい
思いになります。

確かに、お店側とお客さんと言う、ある意味においては
”利害関係”ですし、それ以上でも、それ以下でもないのですが、
やはり、1年、2年、3、4、5年とお世話になっていると。。。。。

最初の出会いなんて、そうそう憶えてはいない場合も
ありますが、しかし、こうしてあたくしどもの店を通して
知り合いになったのです。それまで、一度も会ったことのない人と。

お互いに名前で言い合えるお客さん、名前は分らないけれど、
時々来てくれるので顔は知っているお客さん、たまにしか来ないけど
何年も来てくれてるお客さん、丸かのイベントまで来てくれて個人的にも
一緒に飲んだことのあるお客さん。と様々です。

その人たちにも、それぞれの事情があり、プライベートもあり、
ほとんどそこまで知る付き合いではないですが、それでも何かの縁で
こうして、「店」を通して同じ時間を過ごして来たんだよな~と思い
振り返ると何だか不思議を通り越して神秘的でもあります。

このあと、またいつ会えるかはわかりません。
ただ一つ言えるのは、私どもはまた今日も明日も来年の今頃も
同じ場所で沢山の「出会いと、別れ」を目の当たりにしていくことでしょう。

しかし、それは特別なことでも何でもないんですよね。

丸かの店舗を贔屓にして頂いたお客様!本当にお世話になりました。
丸かを代表して、そして店舗のスタッフを代表して、お礼を述べさていて頂きます。

ありがとうございます。

フッ、決まったぜ。(オイ!)

なんですか?その言い方。

今日はかなり暖かく”春”の訪れを感じてしまい、
思わず”鼻歌”を口ずさみ、信号待ちで笑われたあたくしですが何か。

最近と言うか、前からなのですが、あたくしも人に対して嫌なことを
言うくせに、自分が言われると嫌な言葉があります。(勝手な奴ですみません)

「人それぞれですから」と言う言葉です。

よく、「00さん、この件に関しては、このようにこうすればいいと思うけど、
00さんはどう思う?」と聞くと、
「まぁ、それは人それぞれですからねー」と返して来る人がいます。

で、あたくしは「なんだよ、こちとら真剣に考えて意見を求めているのに!」
となるんですね。なんか「人それぞれですから」と言われると、「自分の意見を
言って、あとから面倒になるの嫌なんですよ」と言われているようで、
かなり”ムカ”つきます。

そんで、「人それぞれ」を改めて辞書で調べると、
持っていく荷物のそれぞれ(おのおの)に名札をつける」
「切符はそれぞれ(おのおの)自分で持ちなさい」のように
ひとつひとつの意では相通じて用いられる。

と、本来は「おのおの」の責任において行動してください。とかと言う意味や、

「それぞれ」は、
「人それぞれに好みが違う」「映画も芝居もそれぞれ魅力がある」のように。
と、個人的な好みの違いを言うのなら納得できるのです、

例えば、「俺は、ピンクレディーの”ケイちゃん”より”ミーちゃん”の方が好きだ」とか、
「私は、”オーメン”より”エクソシスト”の方が怖くて好きだわ」だとか、
「そうだな、俺は海釣りよりも陸(おか)釣りの方が好きだよ」とか(オイ!)

このように個人的な趣味や私生活のことなら、いいのですが
仕事上において「人それぞれですからね」なんて言われると、
「個人の好みじゃなく、仕事上の意見を聞いてんダヨ!オメェーは自分の
考えはネェーのかよ!!」って思うんですよね。

そしてこうも思うのです、「そんなに人と反対の考え方や意見を言うのが
怖いのかよ」とも。

そのような人は、自分の考えや意見に自信がない人なのです。
それは日頃から努力していなかったり、危機感をもって仕事をする経験に
貧しく、仕事や自分の生き方(考え方)と真剣に向き合っていない
と言うことでもあると思うのです。

最近は「摩擦を恐れて」と言うより、いかに何事もなく”無難に”物事を
済まそうとしている方が多すぎなんじゃないのかな?と思った今日この頃でした。

仕事上で「人それぞれ」なんて言う人は「無責任な人」です。

土曜日の日に『藤田』の店に行き、『卒業式』の様子を聞いてきました。
案外と憶えていました、しかも『藤田』ともう一人のクラスメートの『山住(やまずみ)』
の二人が、目録や答辞の代表に選ばれたそうです。

「なんで、4クラスもあって同じクラスから2人も出るのよ」
「うん?多分、2人とも学年で10番以内に成績が良かったからじゃないの?」

「・・・・・」

これを口ずさんでました。

『卒業』シーズン。

巷では『卒業式』シーズンですね。

あたくしの最終学歴でもある「芦別工業高校機械化3年A組」を
卒業したのは25年前になります。

結構、学生時代のエピソードなどは記憶にあるのですが、
不思議と『卒業式』のことは憶えておりません。

あれ?本当に思い出せない? もしかして『卒業』できてなかったの
かも知れない。いや、そんなことはないか。。。。。

男子校ということもあり、先生も生徒もけっこう”サバサバ”してたから
なのかも知れないです。しかも、多分、生徒の親もほとんど来てなかったと
思う。

1年生~3年生までクラス替えはなく、入学時には36名いた
クラスメイトが、卒業時には23、24人くらいになっていました。

あたくしは1年から3年生まで一番後ろの席でしたが、最後には
あまりにも生徒が減っていて、一番後ろの席のまま教室の真ん中
あたりまで攻め寄せる形になっておりました。

前にも書きましたが、夏休み明けの始業式は午前中で終るもの
と思って、弁当を忘れて取りにいったまま来なくなった『なべ』や、
教室の後ろで『成田』と二人して正座をさせらていて、ズボンが汚れるから
といって、教室のカーテンを敷いて座り、そのまま二人して滑らせながら
教室の後ろから出て行って、前の方から登場して先生に思いっきり
ぶん殴られていた『ながちょ』は何してんだろうか?(二人とも2年生で退学したけど)

入学式の初日から、授業中も休み時間もずーっと寝ていた『戸井田』は、
ほとんど起きている所を見ないうちに、退学したけど生きてんのかな?

後ろの席に座っている『藤田』に学ランの背中に、授業中
ずっと”鼻くそ”をつけられていた『中村』も元気かな?
(それだけの”鼻くそ”がある『藤田』もすごいけど)

思い返すと『卒業式』は記憶にないけど、場面場面はよく憶えている。

そうだ!『いも』の家も近くだからよく遊びに行ったっけな。
『いも』は就職の面接で2日ほど、神奈川に行って帰ってきたら
なぜか『00じゃん!』などという言葉を使い出し、挙句の果てには、

「俺、あっちでは『よういち(本名)』と呼ばれるから、皆も今日から
『よういち』と呼んでな」と急に言い出したので、みんなが口を揃えて
「おう!わかったよ『いも!』」と言ったら、ややしばらく”いじけて”たっけ。(笑)

あっ、どうして『いも』かと言うと顔が”じゃがいも”みたいだから。

そうか!取りあえず今日は『藤田の店』にでも行って、『卒業式』のことを
思い出して来ることにしようかな~。(多分、俺も憶えてないな~って言うと思うけど)
一応お約束と言うことで。

とうとう・・・・・。

今日はかなり悪い天候で足元がぐちゃぐちゃで大変ですね。

で、とうとう言っちゃいました。何をって?
電車を乗り待ちの1列にですよ。

いつもは自分だけ2列に並びます。若い女性が横の場合とかだと
露骨に嫌な顔をされるのを承知で、ええ。

今日のような”みぞれ”の様な天気の場合は、1列に並ぶと
後ろの人が雨よけの”ひさし”に入れないんですね。

だから、昨日のお酒も少し残っていたのもあり
「2列に並びませんか?後ろの人が濡れます」と言っちゃいました。

みなさん、驚いた感じでしたが、あたくしの前に並んでいた
おばさん二人が、「壁側に並べば濡れないわよ」と、ほざきやがったので
「なに言っての、後ろの人だよ」と言うと、
「そうね」と言ってそそくさと乗り込んで行きました。

そして「マナーぐらい守れよな!」と言った後に、「しまった!」と
思ったんです。あたくしいつも一番前に立つので、なんとなく
みんなの視線が痛いような・・・・・。

そういえば、先日も電車を降りる時に座っていたおばさんが急に
立ち上がり割り込んで「私が先に降りるわよ!」と言わんばかりに、
”いたいけなあたくし”に睨みを利かせて、当然のように降りて行きました。
(しかも、降りるときにまた”いたいけなあたくし”をにらみました)

なんだか釈然としないまま、
その後に、エレベターに乗り9Fへ行こうとしたら、6Fで止まり7Fで
降りていったおばさんに遭遇しました。階段で行くというのを考えない
んですかね?

かと思えば、今度は9Fから一緒に降りてくるときに乗った”おばあさん”は
7Fで降りるときに、「すいませんね、ご迷惑をかけて」と遠慮がちに言って
くれました。そう言われると、「いえいえ、どうぞどうぞ」と思うんですよね。

な~んか、最近、本気で自分勝手な人たちが多いですよね。

1歳9ヶ月の幼児や87歳のおばあさんに「こんにゃくゼリー」を
食べさせておいて、提訴するのっていうのも全く理解できない、
じゃあ、よく正月に”餅”をのどに詰まらせて例年事故がおきますが、
餅を作って販売している会社はどうなんるんですか?

公園で勝手に遊ばせておいて怪我をしたからといって、公園の管理の
せいにしたりと、ほ~んと「ばっかじゃねーの」って言うような恥知らずな
ことを平気でしますし。(しかもタダで遊ばせておいて)

な~んでも、自分達は被害者になるんですね。ほ~んとに「テメェが
可愛いアホ」がいるので、皆さんも気をつけてくださいね。

昨日は木曜日なので、”欽ちゃん”には「日高の黒豚」というのが
入るので、”上海月”の綾子と行って来ました。
ネタ見せ↓
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正直言って”ホルモン”は普通でしたが、サガリやコブクロは
美味しかったです。↓
ファイル 247-2.jpg
でも、綾子に全部食べられたけど↓
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水曜日は”丸ホルモン”、木曜日は”黒豚ホルモン”、あたくし達みたいに
両方食べたい方は、尚吾に言ってみて下さい。(きっと無理だけど)

それって何切れですか?

昨日、急に思い出したことがあります。

3年前の今頃(3月末)、東京へ新業態のセミナーへ
”のり”と二人で行ってきました。

そのセミナーを主催している会社は、まぁ全国でも
有名で、社長さんも「宗教的カリスマ」の大きな会社です。

その”業態”には大変興味があり、その前年にもわざわざ
福岡まで行き視察に行ったほどですから。

そのセミナーでは、福岡の会社が経営している店を、違う
会社がモデル(パクリ?)にしてFC化をするということでした。

あたくしは普通に”FC”には興味がないのでしたが、
その会社はどのような「ノウハウ」で運営をするのか?
仕入れは?コストは?オペレーションは?

と言うのを知りたくて行ったのですが、やはりあまり”ピン!”と
来ない内容だったんですね。

と言うか、あたくしたちは先程も書きましたが、
前年に『本家本元』を見て来て、かなり感動をしてきたですし、
そこの社長さんにも忙しい中、お話も聞かせて頂いたこともあったので
なおさらでした。

で、札幌へ帰ってきて少し経ち、その担当のコンサル(女性)の
方から連絡がありました。

「加藤さんですか?あたくし0000000の00と申します。先日の件で・・・・・、」
あたくし、あまり乗り気ではなかったので「はい、ええ、はい」と返事だけ
していたら、その方がいきなり「大丈夫ですか?」と言うのですね。

あたくしは思わず「えっ?」と聞き返したら、
もう一度「加藤さん、聞いてます?大丈夫ですか?」って、
完全に上目線で「お前は理解力がないんじゃないの?それともバカ?」と
言わんばかりで、まぁ、確かに「バカ」ですけどね。

それでも、やはりいきなり他人からそれらしい言い方をされるとね・・・・・、
先方も一応は「大丈夫ですか?」とは聞いていますが、
相手が見えなくても、心の中で見下しているのは口調でわかりますよね。

あたくしが思わず「えっ?」と聞き返したのは、その方の言い方が
完全に人を見下している言い方もそうでしたが、大体において
「当社はセミナー後のセールス等は一切行いません。」
って言うから出席を決めたのに、なのに突然電話してきたので、
それにも戸惑っていたのもあるんですよね。

しかも、あたくしがやりたいのは、ただの「レストラン」ではなくて、
今はあたくしの甲斐性のなさで頓挫している「加藤村」との関係もあったので、
思想的に違っていたのもあるんですね。

で、状況を飲み込めないで、一方的に今後の展開だとかを話されたり
聞かれても、ちょっと困っていたんです。すると、「大丈夫ですか?」
なんて言われたら、怒りとかよりも「えっ?」でしたよ、ホントに。

そして、その方はあたくしに脈なしと思ったみたいで、「こんな奴と
話すのも時間の無駄と言わんばかりに」、早々と一方的に電話を
切っちゃいました。かなりの判断力と決断力のある方ですよね。(笑)

なんで、急に思い出したかと言うと、昨日「本」を読んでいたら途中で
その本を書いている人が、元そのコンサルタント会社にいたと書いて
あったので、『走馬灯』ように今思い出してもあの時の状況は
”狐につままれた”感じで、今でも不思議な時間だからでした。。。。。

ちょっと古いけど、「玉置浩ニさん」と「石原真理子さん」が結婚!!
って言う記事を見て、あたくしまったく関係ないけど、「EXILE」が14人に
なったと同じくらいに複雑な気持ちになっていたら、こんなのに投票していました。
みなさんは何ビックリでしたか!
ちなみに、あたくしは80ビックリ!に一票でした。

定額給付金の最初の1人は青森県西目屋(にしめや)村の「山下」さんですって。
惜しかったね、西興部村。

あっ、そうだ、「河村官房長官」さんは、ちゃんとご飯食べているんだろうか。。。。。?

『ルーツ』

どうも、こんちには”クンタキンテ”です。

先日、深夜に「未来に残したい名前 Part1」と言う番組を
やっていました。

あたくし、元来、珍しい苗字やその由来に興味があり、お墓参りに
行った時にも、その辺をウロウロして名前と家紋なんかを見ています。
あれって、不思議で結構同じ家紋が近くにあったりするんですよね。

まぁ、元々歴史が好きなのもあり、ついついTVを見入ってしまいました。
あたくしは「加藤」と言い、”加賀の藤原氏”からの流れのようですが、
それも1000年以上も前で、しかも中京以北の地域では、ほとんど
ベスト10に入るくらいに沢山分布してたりします。

あたくしの名前は普通にありふれた苗字ですが、中にはかなり珍しい
名前が番組でもありましたが、かなり当て字に近いのがあり
普通では絶対に分らないのもありました。

苗字をつけるように最初に”おふれ”が出たのは、
1870(明治3)年9月19日でしたが、ほとんどの人は面倒くさがって付けなくて、
1875年(明治8)年2月13日に、明治新政府は「平民苗字必称義務令」に
太政官布告(詳しくは知りません)を出し、
すべての国民に姓を名乗ることを義務付けたとのことです。(あってる?)

なので、最初は自分の住んでいる地名や職業にちなんだ苗字とか、
多分、あたくしのような輩は”有名人”や”変わった”苗字をつけたかも知れません。

皆さんの同級生とか職場の人や取引先、知り合いにも珍しい
苗字の人がいるのではないでしょうか?

あたくしの周りでは同級生で「帷子(かたびら)」と言う同級生がいました。
で、長年の”モヤモヤ”を「日本の苗字7000傑」と言う、物凄く便利なので
調べると、ほぼ解決できました。

それによると、
帷子=順位10012番(に珍しいということ)=全国に人口約720人で、
陸中国岩手郡帷子邑発祥、佐藤氏族。岩代国安積郡片平邑発祥、藤原南家伊東氏族。
と書いてありました。

幼馴染の先輩で、「木賊(とくさ)」さん、という人がいましたが、木に賊と書くだけ
あって、かなり周りから恐れられていた人なので、てっきり「盗賊」の子孫かと
思っていましたら、

木賊=順位19521番=全国に約230人で、岩代国会津郡木賊邑発祥、出自不詳。
現在、福島県岩代地域に多い。と書いていました。
実は実際に高校を就職して福島に行きました、偶然に。(う~ん)

興味ない人には、まったくもってしてどうでもいい話ですが、興味ある人にとっては
物凄く”ワクワク”すると思いますよ。

おかげで、あたくし昨日は2:30まで調べてました。帰るときに、その時間まで後片付けを
している「ぶぅ!」のいくみに見送られることに、少し罪悪感を感じたけど・・・・・。

あたくし、今度は自分の”ルーツ”を知る旅に出かけようかと思っております。
どうなんでしょうかね、あたくしの”ルーツ”の人達は、いま何をしていてどんな人なの
でしょうかね。きっと、むこうも”ビックリ”するでしょうね。。。。。
まぁ、”チキンジョージ”と言うことはないと思うけど。

あっ、たつ!君の苗字の「富宅(とみたく)」というのを探したけど出てきませんでした。
きっと君のお母さんが「祖先は海賊だよ」と言っていた通り、あまりにも悪いことをして
歴史上から抹殺されたんだと思います。

あしからず。

これで調べました。
調べたい苗字は「苗字順位検索」で。

で、これが”クンタキンテ”が主人公の『ルーツ』

今日は楽しい「ひな祭り」。

今日は3月3日「ひな祭り」です。

あたくしの家は小さい時から男二人兄弟だったので
(って、普通は小さい時からだよね)、「ひな人形」は家で見たことがありませんが、
友達の家に行き何となく見た記憶がある様な無いようなくらいです。

本日は、数少ない「ひな祭り」の思い出なんぞを語らいたいと思います。

小さい時って、よく”替え歌”を作ったりしたものですよね、
ご多分にもれず、あたくしもかなりの替え歌を作って、時には周囲を
喜ばせ、また時には周囲から”ヒンシュク”をかったものです。

あれは、小学2年生の時です、あたくしの隣に座っていた
”平山のふみちゃん”と言う、全身”母性の塊”のような女子がおりました。

そうですねー、例えて言うと「日本のお母さん」と言われた、
女優の”京塚昌子(きょうづかまさこ)”さんのような感じの人でした。

その”ふみちゃん”と二人して、と言うか、ほとんど”ふみちゃん”が
作ったようなものですが、ひな祭りの歌で「うれしいひな祭り」を替え歌に
しようと言う事になり、出来た歌詞がこんな感じです。

あかりをつけましょ 豆電球
お花をあげましょ 腐れ花~
五人ばやしの ギャングども~
今日はたのしい 金庫やぶり~

と言う替え歌を作り、二人して満面の笑顔で小学2年らしからぬ
出来栄えに喜んで歌っておりましたら、

担任の”佐藤妙子”先生が、たまたま廊下を通りかかった時に
この替え歌を聴いてしまい、

「かとう君!あなた何をうたってるの!!」と、あろうことか、奥歯を
噛み締めながら近づいてきて、
あたくしの”いたいけな”ほっぺたをつねり上げるではございませんか。

人間と言うのは、大人や子供に関係なく、いざとなったら自分が
可愛いと申しましょうか、薄情とでも申しましょうか、周りで一緒に
楽しんでいたはずの”竹馬の友”は、みな一斉に部外者のような
顔をして、あたくしが”佐藤妙子”先生に”いたいけな”ほっぺたを
つねり上げられる様を遠巻きに見ているのでありました。。。。。

唯一、側にいたのは、一緒に作った(と言うか、ほとんど”ふみちゃん”だけど)、
”ふみちゃん”だけが心配そうな顔で、あたくしの側にいてくれたのです。
(さすが”全身母性の塊”です)

「かとう君!いい!もう、このような歌は歌わないでちょうだいね!!」
あたくし「はい」と言うつもりが、”いたいけな”なほっぺたをつねり上げられて
いるので、「はい」ではなく「は~う」になってしまいましたが何か。。。。。

水色というか、なんて言うのか言葉では表現できないジャージを着た
”佐藤妙子”先生は「は~う」を聞いて去っていき、残された教室には
何とも言えない”微妙な空気”だけが残っていたのを、子供心にも
しっかりと脳裏に焼きついております。

「かとうくん、大丈夫?」と”ふみちゃん”は優しく声を掛けてくれて、
あたくしは「うん、あのブタ!」なんぞと”ブルジョア”階級には似合わない、
下品な言葉を気が付けば普通にはいていたのです。

でも、その後も小さい声で”ふみちゃん”と二人で歌っておりました。
一応、”内藤”にも声を掛けたのですが、「俺はいい、俺はいいよ」と
すっかりビビッテしまっていた様子でした。

それが、数少ない「ひな祭り」の思い出です。

そうだ!今日は「なのはなキッチン」の”久笑(ひさえ)”の誕生日
なのです。きっと、この日に生まれたとき”久笑”の家族は奇跡でも
起きたかのごとく、大喜びしたんだろな~。

それと、”祥子”昨日はありがとうね。

うん?これを書いていて、今さらですが”なぜ?”あたくししか
叱られなかったんだろうか・・・・・。

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