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2月18日水曜日 「仕事の記録帖」から。

本日は、私たちが毎朝、朝礼で使っている
月刊「仕事の記録帖」と言う、小冊子からです。

この「仕事の記録帖」を読み出して、もうかれこれ
12年目になりました。

例えば、「2月18日水曜日の仕事の記録帖を読みます」
「頑張ります」は禁句・・・・・、と言うように始まります。

当時、サイバーシティービルの1Fで「上海月」と
「暖中」と言うお店を営業しており、

2店舗はキッチンが一つなので、バックヤードで繋がっていて、
裏(舞台裏?)では繁盛に2店舗のスタッフが行き来しておりました。

朝礼は必ず2店舗で行います。
まずは、昨日の売上報告と反省会から(毎日、営業が終ると反省会を
して、良かったこと悪かったこと、特に悪かったことは徹底して解決しました)

それから、本日の予約状況や山モノ(品切れ)、注意事項など。
をするのですが、最初に担当の人が「仕事の記録帖」を読みます。
読み終えたら、居並ぶスタッフに感想を述べてもらい、最後に読んだ人が
自分の感想を話します。

時々、無理をして”チンプンカンプン”なことを言う人や、入ったばかりの
新人に指名したりして、周囲から「まだ、早いよ~」などとなることもありました。(笑)

日頃から本を読んでいない人や、活字慣れしていない人は、かなり
変で(漢字も読めない)、仕事の記録帖の内容よりそっちの方が気になっちゃいます。

それでは、始めます。
2月18日水曜日 「頑張ります」は禁句。

”欽ちゃん”の愛称で親しまれているタレントの萩本欽一さんは、
テレビで見る顔と「欽ちゃん劇団」の団員や弟子に対する顔では
天と地の差があり、団員や弟子には大変厳しいものがあるといわれています。

団員や弟子には大きく成長して欲しいという願いから厳しくしているわけですが、
タレントのはしのえみさんが、「欽ちゃん劇団」の芝居に参加したときのことです。

はしのさんが、団長の欽一さんに、「頑張ります」といったら、「”頑張ります”は禁句ね」
といい、「頑張るのはあたり前のことで、頑張らないことのほうが不思議なの。
その上をいかなければプロとしてお客様を喜ばすことはできないよ」といいます。

普通の頑張りではダメだということです。それにプロは頑張ることではなく、
お客様を喜ばせることが目的です。 しかし、簡単にはお客様を喜ばせる
ことはできません。 

”超”頑張りが必要なのです。

はしのさんの出演している公演が終ったときに欽一さんは、直筆で
「頑張りましたね」と手紙をくれました。

それを見て、
頑張りを超えた頑張りがプロには必要だということを痛感したということです。

「細谷、どうだ」 「えっと・・・・・、」
「マキは」 「はい、私は・・・・・、」
「よし、じゃあ祥子」 「これって、うちの店でも良くあることだと思うんですよね・・・・・、」
てな、具合です。(知ってる人は懐かしいでしょ、”笑”)


これは、いつ自分が読むか、指名されるでかなり緊張感があります。

それと、人前で声を出すこと、活字を読むこと、感想を述べることで、
場馴れしますし、言葉を知ることが出来ますので、ある意味、
良い勉強にもなります。

最近は、
このような良い題の時は、あたくしの”メルマガ”で併用して使います。

このように、

お疲れ様です。

今日の思い。

「”頑張ります”は禁句」です。

仕事の記録帖から。

読みましたか。

いますよね、皆さんの周りにも。

取りあえず”頑張ります”
取りあえず”大丈夫です”
取りあえず”何とかします”
ひんぱん
上の3つを頻繁に使う人は、ただの「挨拶代わり」
のような感覚なんです。

”取りあえず”で、その場を回避できればいいと思っているのです。

欽ちゃんが言っている様に「頑張るのは当たり前のことで、
頑張らないのが不思議なの。その上をいかなければ
プロとしてお客様を喜ばすことができないよ。」

この”言葉”をしっかりと”店内スタッフ全員で”徹底して下さい。
いいですか、「”店内スタッフ全員で”」ですよ。

編集後記

本日の「店長会議」のことを報告する。
ちなみに2月の”てまひま”の「仕事の記録帖」です。(絵、わたくし、笑)
ファイル 233-1.jpg
編集・発行人「伊藤 文明」
発行所 「文明出版社」より。

PS、昌子、昨日は名前の漢字忘れてごめん。
あとで、瀬口(現、佐藤)さんからメール来た、「野宮しょうこちゃんは『昌子』ですよ、って。

鶏次郎へ圭二郎に会いに行ってきました!?

昨日、タスコ時代の元部下の店に行ってきました。

『鶏次郎(けいじろう)』といい、中札内地鶏をメインにした
中々感じの良い居酒屋です。(今月は朝6:00までやってます)

店主(オーナー)の名前が、圭二郎といい、『圭二郎』と『鶏次郎』を
あわせたんですね。(うまい!)

オープンキッチンのカウンター席、夜景が”ちょっと”見えるテーブル席、
掘りごたつ席、個室(カラオケ付)の席があり、それぞれのシチュエーションに
合った使い方が出来るので便利なお店です。

圭二郎とは、14年前「しゃかりき屋 ニュー北星店」と言う居酒屋で
アルバイトとして入ってきた時からの付き合いです。

その後、一旦、辞めて旅行代理店に就職しましたが、やはり飲食の
仕事がしたいのと、女性に出会う機会が多いという極めて”よこしま”な
考えで戻ってきたのです。。。。。

その時には、かって圭二郎が所属していた『荒城堅治』率いる”しゃかりき屋”
グループは”暖中”グループになっており、1号店でもあるサイバーシティービルの
”暖中”本店で働くことになりました。

その後、彼は”暖中北3条店”、”暖中パレード店”、”暖中NS店”を経て、
郊外の”暖中平岡店”の立ち上げをやりました。

まぁ、文字通り、丸かの「規夫」と”暖中”の隆盛期を支えた一人です。

それから、圭二郎は”ボス”である『荒城堅治』のいる東京へ行き、
暖中の展開に従事し、札幌へ帰ってきてしばらくは”暖中”で働き、
2年前に独立して「鶏次郎」を開店しました。(あってるか?)

最初は北2条西2丁目のB1でやっていましたが、最近、本当につい最近
移転しました。(いつだったかな?)

実は南3条西3丁目のプレイタウン藤井ビルのB1にも「鶏次郎」があり、
ここは「おでん」と「串物」がメインの居酒屋です。(ここも中々いいかもです)

圭二郎は、ちょっと”突っ走る”所がありますが、少し愚痴が多いときも
ありますが、たまにサボる時もありますが、中々いい奴です。(かなり苦しい・・・・・)笑。

これじゃ、「圭二郎」の股間に、いや違った!”沽券(こけん)”に関わるので、
一言で彼の良いところを言いますね、

彼は「不器用ですが、”心は錦”な男です」、ん?どっかで聞いたセリフか?
本当に「真っ直ぐで、心持のいい奴」なんです。(二言か)

札幌駅近隣に勤めている方で、近場でお店を探す機会がありましたら、
もしくは、朝まで”やっちゃうよ”と言う方は、是非”鶏次郎”をよろしくお願いしますね。
(駅裏は”なのはな”ですよ)

そうだ、昨日は嬉しいことがありました。
それは、これもまた”暖中”の元部下で青森出身の「気立ての良い」
「野宮しょうこ(ごめん、漢字忘れた)」に会ったことです。

彼女は、大したあてもなく「札幌へ来たら何か仕事があるだろう」的な
ノリで来て、かれこれ8,9年”暖中”で仕事をしていました。(女性は度胸があります)
二十歳そこそこだった、あどけない娘が今は29歳。

う~ん、中々感じ入るものがあります。。。。。。

あっ、いけねーや、”鶏次郎”の場所を書くの忘れていました。

場所 中央区北2条西3丁目 第25桂和ビル9Fにあります。
営業時間 17:00~AM6:00(三月からは3:00)
電話 011-219-0575

もし、行く機会がありましたら、あたくしの名前を出してもらっても
かまいません。”露骨に嫌な顔”をされるか、”満面の愛想笑い”を
するかのどちらかですけどね。(それか、圭二郎がいなとか)

あ、そうだ!圭二郎は”暖中”でキッチンにもいたので、
材料さえあれば気軽に”中華”を作ってくれますよ・・・・・。

えっ!?何時まで飲んでいたかって?
当然、営業時間が朝6:00までとなっていましたので、
律儀者のあたくしは6:00までいましたけど何か?
念のため『鶏次郎』

やまちゃん、近々顔出すから!

カレーの「印度」。

ぶぅ!の”マナ”のブログに「カレーライス」の話題が出ていましたね。

あたくしも、どちらかというと”ルー大柴派”です。(おもしくない?)
確かに「ぶぅ!」の”カツカレー”は「うまい」です。

しかし、あたくしの一番のお気に入りは、
北2条西3丁目 敷島ビルB1にある、カレーの店「印度」」です。(分りやすい)

ここの店の隣に「芙蓉ビル」があり、そこに以前いた「タスコシステム」があった時が
あり、ちょくちょく「印度」へ行っておりました。

美味しさ、その1
辛くて美味しい。

美味しさ、その2
ボリュームがある。

美味しさ、その3
早い!いや、速い!!(こっちの字の方がはやそうなので)

です。

辛さは好みがありますが、あたくしは元来「辛等」なので、あたくしの舌には
ベストマッチしていました。

ボリュームもあります。まず、皿が大きいうえその皿に負けないくらい、ご飯と
カレー、その上にカツが乗っており、その横にキャベツの千切りが付いています。
(一応、スプーンとフォークが付いてきますが、あたくしは全てスプーンで食べます)

もちろん、「福神漬」はカウンター上にあり(あっ、ここカウンター席のみです、
しかも、曲がりくねっていて、それで席数を稼いでいます。)、食べ放題です。

そして、早い!!本気で速い!!(やっぱり平等に)
あたくしなんぞは、その驚異的な早さを知っているので注文をすると、
”すぐに食べれるぞ体制”になりますが、

一度、初来店の人が来て”カツカレー”を注文して席に付き、新聞などをひろげて、
たばこを吸おうとそのたばこを口に加えた瞬間に目の前に、今頼んだばかりの
”カツカレー”が出てきて、思わず加えた”たばこ”を落としてしまいました。

その位、早い!速い!!のです。 でも、たまにアイドルタイムに行くと、
「これから”カツ”揚げるから、少し待っていてね~」と、普通の店になる時もありますけど。

以前は、おばさん二人~三人でやっていましたが、
ここ4年くらいは「アントニオ猪木」似のあばんさん一人です。
あっ、これは失敬!「アントニオ猪木」に似てなくもない、あばさん一人です。

まだ、「芙蓉ビル」にいる時に、早番のあばさんが(やけに人事に詳しくネッ?)、
「こんど、わたし移動するの~」と言って、少し寂しそうでした。

って言うか、移動って他にも「印度」あったの!?と初めて知りました。
なんでも札幌駅の「センチュリーホテル」の地下にもあるそうで、
調子の良いあたくしは「そうですかー、寂しくなりますねー、じゃぁ、今度そっちも行きますね、
頑張ってくださいね!」などと言い、それから4年後に行ったらいませんでしたが何か。

今は、中々行く機会がありませんが、たまに無性に食べたくなり1年に、
2回くらい行きますよ。

でも、その度に「アントニオ猪木」に似てなくもないあばさんの腰が曲がり、
白髪が目立つ姿を見ると、あたくし自身もそれだけ”歳をとっているんだな~”思い、
すこし切なくもなります。。。。。

でも、本当に美味しくて「食った!」っていう満腹感がややしばらくあるのでいいですよ。

あっ、”ぶぅ!”のカツカレーも美味しいですよ、たまに「バラツキ」もあるけど・・・・・。

追伸、きっと「中川大臣」”マスク”してくるんだろうね、
どう見ても飲みすぎに見えたけど・・・・・。

『電車は遅かった』。

今日は”バレンタインデー”と言うこともあり、
2年前の「社内メルマガ」を弱冠加筆しました。

日本で初めて「バレンタイン・フェア」をやったと言われる、
現在は株式会社ロッテホールディングスの傘下になりました、
”メリーチョコレート”のお話です。

創業者は「原堅太郎」氏と言い、もともとはモロゾフで
チョコレート作りをしていた職人さんでした。

その後、
「有限会社USチョコレート研究所」という名前で独立しました。

堅太郎氏は事業を起こす時に、
「美味しいお菓子を食べて怒る人はいない。
お菓子作りは平和産業なんだ」と奥さんに言ったといいます。

朝から晩まで汗をかきながら、
「この世に笑顔を生み出す仕事をする」という誇りと高い夢を持ち続けながら、
細々とパン屋の軒先を借りてのチョコレート作りをしていました。

しかし、戦後の復興間もないころなので粗悪品が幅を効かせていた時代に、
品質で勝負をしょうとしていたチョコレートはまだ世間が認めてくれませんでした。

独立した翌年に会社は倒産。
7人家族で生活も苦しく借金取りに押しかけられたりして、
すっかりまいってしまった原氏は子供が寝付いたある晩に、ガスの元栓を捻(ひね)りました。

無理心中を図ったのです。 
奥さんが泣いてすがり、「お金を返せてといわれても、
子供たちの命まで寄こせとは誰も言っていないじゃありませんかっ」。

その言葉で堅太郎氏は我に帰ることができました。
後年、息子の邦生氏が言っていました。父の事業はしばらく軌道に乗らなかったと。

資金繰りの辛さから、
発作的に列車へ飛び込んでしまいたくなったこともあり。
そのせか、晩年になっても電車が完全に通り過ぎるまで、
決してホームの端近くには立とうとはしなかったといいます。

メリーチョコレートは昭和33年2月12日~14日まで、
「バレンタイン・フェア」と銘打ち、新宿の伊勢丹でセールを行いました。
これは日本で初めての試みと言われております。

結果はチョコレート三枚とメッセージカードが一枚、
売上げはたったの170円の惨憺(さんたん)たる数字に終わりました。

アイディアを出し、
店頭で指揮をとったのは当時アルバイトだった息子の邦生氏でした。

考えてみれば当然の結果だったと邦生氏は振り返ります。
邦生氏自身バレンタインについて何もわかっていなかったのです。

頭文字からして「B」だと勝手に思い込んでいたそうで、
実は「V」だということも、図書館で調べてわかったほどです。

キリスト教を認めないローマ帝国の兵士とクリスチャンの娘との
結婚を認めたことで迫害され、殉教した”司祭・バレンタイン”の
名にちなんだもので、その殉教した日が2月14日。

この日に特別な人にささやかなプレゼントを渡す―。
日本に定着させる素晴らしい日だと思ったといいます。

その邦生氏はもともと会社を継ごうとは思っていませんでした。
理由は2つ、次男ということと、もう一つ理由がありました。それは、
「あれだけ汗をかき、一所懸命に働いても報われない理不尽さを感じ
ていたからです。」

邦生氏も入社して、2年目、3年目とバレンタインも定着してきて、
徐々に品質重視を貫いてきたことが認められて、新宿・伊勢丹だけではなく、
他の取引先からも声がかかるようになってきました。

そして、いよいよ全国展開を考えてるようになりますが、その上で
難題が2つありました。一つは、関西の出店に関して消極的だったこと。

理由は、父堅太郎氏がかって勤めていたモロゾフの本社が神戸にあり、
お世話になったとの遠慮があり、そのお膝下を荒らすような真似をしたく
ないという、堅太郎氏の義理固さからです。

もう一つの理由は、老舗の百貨店である日本橋の三越が、頑として、
歴史の浅い邦生氏の会社の商品を置いてくれなかったからです。
当時、百貨店業界では、「西の阪急」、「東の三越」といわれるほどの
ステータスでした。

しかし、当時は「三越と取引がある」というだけで信用になった時代です。
どうしても、三越に商品を置いてもらわなければ大坂や神戸を飛び越えて
てでも九州や四国への販路には絶対に避けては通れないのです。

全国展開への課題は2つ。
一つは、父堅太郎氏がかってお世話になったモロゾフに義理立てをして
関西方面には消極的と言うこと。

もう一つは、「三越」というステータスのある百貨店に商品を置いてもらい、
販路を広げる上で信用をつけること。

そこで、営業を任されていた邦生氏に白羽の矢がたった。
実は三越には、父堅太郎氏が早くからずっと通い詰めていたが、
まったく相手にしてもらえなかったのです。

父、堅太郎氏の後を兄の晃氏が担当したが、
これも門前払い同然の扱いを受け、三ヶ月ほどで諦めてしまいました。

誰かが打破しなければ、いつまで経っても全国的な信用を築くことは困難。
当時29歳の邦夫氏。それなりの経験も積み、若く、水泳で培った体力がある。
バレンタインデーの成功もあって、売る仕掛け作りにも自信を持っていました。

しかし、邦生氏に代わっても、なんら進展はなかった。
担当と口をきくことさえ叶わなかったといいます。

それでも邦生氏は定休日以外は連日、午後三時には三越に顔を出したが、
相変わらず仕入れ担当の”主任”には、会話すらしてもらえなかったのです。

一年あまりも通ったころでした。仕入れ部の扉を開けて挨拶をすると、
”主任”から一枚の紙切れを渡されました。そこには彼のものらしい筆跡で、
「何度来てもダメ」と走り書きがしてあったのです。

さすがの邦生氏も諦めかけた。帰途、梅雨どきの肌寒さが身に染みたという。
報告をした邦夫氏に父である社長は、「邦夫、もういい。諦めよう」と言いました。

これほど打ちひしがれた父を見たことがなかった邦夫氏は、
その寂しそうな横顔を見て、消えかけた闘志に火がついたのです。

「明日、もう一度だけ行って、最後に言うことだけは言っておこう」

翌日、いつもの時間に顔を出した。奥で算盤をぱちぱち弾いていた”主任”は、
「やれやれ、またか」という目でちらりと見ましたが、それも一瞬でした。

邦生氏は意を決して声を張り上げました。
「主任さん、ひとつだけお聞きしたいことがあります」

”主任”は驚いたように見たが、すぐに机に目を移しました。

「友人をもつとしたら華美な服装をして心の貧しい人と、
ぼろを纏(まと)っていても心の豊かな人と、どちらを選びますか」

すると、”主任”が初めて邦生氏を正視して、口を開きました。
「あたぼうよ。”心は錦よ”」

やや面食らいつつも、邦生氏は続けた。
「・・・・・メリーは本当におんぼろな会社で、まだろくに商品もないかもしれない。
ですが、”心は錦の会社”です。一年間、ありがとうございました」

どんな会社なのか理解すらしてもらえないのが悔しかったので、
 最後くらい堂々と立ち去ろうという想いで邦生氏は言い、
 きびすを返した瞬間、邦生氏の背後で”主任”の声がしました。

「メリーさん、取引しよう」

その後は、どこをどう歩いたのか記憶がないといいます。
邦生氏の右手には、あの三越の仮口座の申請書が握られていました。

”夢ではない。ついに熱意が通じた。”

そう思うと、父の喜ぶ顔が一刻もはやく見たくて、はやく知らせたかったと。

その時を邦生氏はこう言っている。
「普通に走っているはずの電車が、やけにスローに感じられた。
途中で降りて走ろうかと思ったほど、

”電車は遅かった”」と。

「社長!」
 机に向かい、書類に目を通していた父が顔を上げた。

「三越の申請書、もらってきましたっ!」

社長である”父”は、ぽかんと口を開け、一瞬の間をおいてようやく理解した。

「本当か、おい」 普段は決して取り乱すことがない父が、
なりふりかまわず喜ぶ姿を見て、邦生氏も目頭が熱くなった。

騒ぎを聞きつけ、会社にいた連中が駆けつけてきた。
父が買いに行かせた”赤飯とビール”で、すぐさま祝宴が設けられました。

「よかったな邦生ちゃん」 工場長や同僚も邦生氏らを囲んで喜んだ。
「邦生、よくやってくれた」 普段おとなしい兄も抱きつき喜んだ。

邦生氏は言う、後にも先にも、この日味わった以上の”感動を、私は知らない”と。

三越との取引は大きくものをいい。
この日を境にメリーは全国の足がかりをつかんだのです。。。。。

編集後記

「お客さまからアンコールをいただいてこそ商売だ。
アンコールは感動がなければ生まれない」

メリーチョコレートカムパニー創業者 原堅太郎より。

”主任”さんも粋ですね。

男子諸君!野生にかえれ!!

ガッつく男はもう古い?
今年のモテのキーワード「草食系男子」を徹底分析。
と言う、題がありました。

なんでも、今は「草食系男子」がモテ系になりつつあるそうなのです。
草食ですよ?草食!草ですよ草!

あたくし、中学生の頃に「前世が分る」と言う輩がいまして、
周りは気持ち悪がっていたのですが、一応みんなの前ではあたくしも
「あいつ、ばっかじゃねーの」なんて、のたまっていましたが

実は皆に内緒でこっそりと、
「なぁ、俺の前世ってわかる?」なんて、ちゃっかり聞いてしまいましたら、
すると、どうでしょうか?かえって来た言葉が、
「かーの前世は”草”だよ。」と言うではないですか!?

それで、あたくしはビックリしたのと実は密かに”武将”とか言う言葉を
期待していて”草”と言われたので、もう一度聞き直しましたら、
今度は”ペンペン草”と言われたので、頭に来て殴ってやろうかとも思いましたが、
案外気の小さいあたくしは、呪われでもしたら困るので、

「俺はノストラダムスしか信じねーんだよ!」と、訳の分らないことを
しかも、ビビリながら言った記憶がありますが何か?

あっ、すいません。また話が脱線してしまったようです。

話を元に戻しますね。「草食系男子」がこれからは”モテ系”などと、
言う輩は本当に何を考えているのでしょうかね?

先日、NHKでやっていた番組でシリーズ『女と男』の第三回で、
「男が消える?人類が消える?」と言う放送を観て少し驚きました。

詳しくはこれ↓
http://www.nhk.or.jp/woman-man/about/about03.html


あたくしすっかり忘れていたのですが、
遺伝子には「X染色体」と「Y染色体」があって、
X染色体=女性の遺伝子、Y染色体=男性の遺伝子なのですが、
人類が出来てから「Y染色体」だけが減ってきているんですね。

番組では、このままで行くと600万年後には「Y染色体」は完全に消滅してしまうそうで、
そうなると、単純に子供が出来なくなるので人類は危機だと。
(実は、明日突然なくなるかも知れないそうです、ヤバッ!)

なんでも、”霊長類”で一番人間に近いのが”チンパンジー”で、
そのチンパンジーの精子を顕微鏡で見ると、かなり量もあり、つかみ所が
ないくらいに”精子”が”元気うんこちゃん”でした。

でも、ヒトの”精子”は量も少なく動きが極端に悪い。
その違いは、チンパンジーって発情期に一匹のメスに何匹かのオスが交尾をして、
その中から”一番強い精子と卵子”が結合するんですね。

一匹の内の精子ではなく、何匹かの精子ですよ!?

メスは子孫を残す為により強い精子を選び、
オスはオスで何とか自分の子孫を残す為に、
何匹かのオスもメスも乱交尾をして何とか残そうとするんですね。(うらやましいぞ!)

でも、現在の人類では「ストレス」や「食べ物」や「嗜好品」、
それと、豊か過ぎて個人の生存競争が低いので”精子”が少なく元気がないのだそうです。

と言うことは、今回の題の「草食系男子」が”モテ系”などとはやし立てて、
またまた、自分で考える理解力のないアホな男子諸君が増えはしないかと、
あたくしは夜も眠れて、ご飯も沢山食べれますが、それでも不安なのです。(じゃぁ、いいのか)

やはり、これからの「男子」は野性的で”精子”が有り余るくらい、
場合によっては、有り余りすぎて鼻から出たり、目からも耳の穴からも出るくらい、
精子の量と元気がないといけないんじゃないのかなと思いました。

そうですねー、具体的な方法は、
・ちゃんとご飯を食べて、
・ストレスなんかに負けるもんか!と気合を入れて、
・男女共に”スケベ”になること!!

・そして、”ガッつけ!!”

です。

単純のようですが、「丸か加藤商店精子増産研究所」の長年の研究では、
このような、恐ろしいほどシンプルな方法が効果的と出ております。

まじめな答えはこれ↓
http://three-b.net/kenkou/shop/dansei-funin.html

そういえば、先週初めて住んでいるマンション(賃貸)の隣人と顔をあわせました。
女性の隣人と言うことはなんとなく分っていましたけど。

あたくしが、出かけるときに偶然にもお隣さんも調度外に出ていて、
あたくしに背中を見せて”靴ひも”を結んでおりました。

その背中から”お尻の割れ目ちゃん”が出ていたので、無意識に”ラッキー”と
思って得した気分になっておりましたら、立って顔を見たら「男」でした!
どう考えても、女性のような体系だったのですがね・・・・・。

その後から、彼女がしっかりと出て来ました。

かなり”ブルー”になりましたよ、トホホホホ。。。。。

冬もやっちゃうよ!!

どうもこんにちは!ソフィア・ローレンです。

本日は丸かと行く!
『クソ寒い中で、”ワカサギなんぞを釣るよ!&混浴ツアー!?”』のお知らせです。

すべては、彼の一言から始まった・・・・・。

登場人物、
のり・・・・・鈴木規夫(丸かの部長で、欽ちゃん、鈴木徳太郎担当)
ちなみに”鈴木徳太郎”さんは、規夫のおじいちゃんの名前です。

細B・・・・・細川つぐみ(丸かの部長で、てまひま、ぶぅ!担当&お局さま)

経田チーフ・・・・・(丸かの中華部門担当、実家は石山通りで”味角食堂”経営)

中川・・・・・(丸かの上海、なのはな担当、昨年から丸かに入って15キロ痩せた)

ある、部門会で”のり”が、
「何かお客さんを交えて”ウィンタースポーツ”でもやりたいですね。」と発言しました。

細B、「いいねぇー」

のり、「ワカサギ釣りとかいいんじゃないですか」

細B「いいねぇー、行きた~い!」

のり、「最初は欽ちゃんと徳太郎のお客さん達で行こうと考えたのですが、
せっかくだから、丸か全体で行こうと思って」(なに、それって私物化しようとしたの?)

細B、「いいねぇー」

と言うことで、
2月22日(ぞろ目でドン!意味はないけど)。
場所は、新篠津村「しのつ湖」。
集合場所は、中央区南5条西2丁目 サイバーシティー前に8:50分まで。
出発は9:00(バスで行きます)。

釣り&入浴セット 大人お一人1500円
子供お一人900円
釣竿、えさ、釣り小屋代込み!ですが、小屋は早いもの順です。
なんでも、釣ったワカサギを1000円で天ぷらにしてくれるそうです。

”のり”曰くかなり寒いので、防寒対策は万全にして下さい。とのこと。
間違っても、”アノラック”一枚とか、スーツ上下とかビジネスシューズでは
来ないで下さいよ。(らくだの股引は必須!かも?)

あたくし、こんな真冬に釣りをするのも初めてで、当然”ワカサギ”などは
釣ったことはないので、いささか緊張しております。

緊張のもう一つの理由は、
その前に、あたくし小学生の頃は”釣りキチ三平”と呼ばれるほど釣りが好きで、
近くの”炭山川(たんざんがわ)”へいっておりました。

ある時、友達の”山田誠”と釣りへ行って、”誠の第一投”が、
あろうことか、あたくしの”こめかみ”へ食い込んでしまったのです。

多分、”がまかつの6号”くらいだったと思いますが、その経験から
魚に痛点があるかないかは分りませんが、それから”釣り”には行っていません。

おやじがいたので、バスで隣町の「野口病院」へ連れて行かれ、
しかも、「野口病院」と言う所は、若くてきれいな”看護婦”さんが沢山いて、
バスに乗る時から”こめかみ”を手で隠しながら、先生の前で「ばっと!」
見せると、傍らにいた数人の若くてきれいな”看護婦”さんたちが、一斉に
吹き出しちゃいました。(照れ笑い・・・・・)

そんな経験もあり、緊張しているのかも知れません。。。。。

まぁ、何はともあれなんでも経験が大切です。

ただ、HPで「しのつ湖」の情報を見ると、氷の状態で中止になるかも知れないので、
その時には、また考えますね。(突然に考えます)

当日は、チームに分かれて何匹釣ったか競い合い、あとから何らかの
賞があってもいいですよね。

それと、あたくし的には”混浴”と言う文字が気になりますが、
多分、殿方も気になるのではないのでしょうか?(笑)

単に温泉と言うより、こっちの方が受けがいいかな?と思い書いてしまった
だけですので、気になるだけにしておいて下さい。(面白くない)

多分、札幌へ帰ってきての”表彰&反省会&二次会”は”欽ちゃん”で行う
予定です。(”二次会”からの参加でもよろしいですよ!お一人様2500円位?)

さぁ、釣りが好きな人も、嫌いな人も、初めての人も、釣り針が引っかかった人も
(あたくしか)、たまには大自然の”クソ寒い”中、童心に戻って楽しみましょう!!ね。

それではこの辺で!

って言うか、登場人物は”のり”と”細B”しかいねーじゃん!
しかも、”細B”は「いいねぇー」と「行きた~い」しか言ってないし・・・・・。
「しのつ湖」情報。

”すだち”かなり人気です!

どうなってんの?

あたくし、今ひとつと言うか、まったく理解できないことがあります。
それは、時たまテレビでも話題になる「給食費」を払わないとか、
何かと「クレーム」をつける親がいることにです。

しかも、生活が苦しいのかと言えば決してそうではなく、
単に「常識がないだけ」なんですね。

先日、「PHP研究所の江口氏」の著書にこんなことが書かれて
おりました。

給食費を払わない親の言い分と言うことで、

「義務教育なんだから、払う必要はないでしょう」とか

「強制的に給食を食べさせられているのだから、
そんなもの払う義務はないでしょう」と言ってごねるんですね。
(お前はジャイアンか)

江口氏はこう断じています、
「義務教育の意味が分かっていないのです。国民の義務です。」と。

保育園に支払う保育料を払っていない親が、
全国に八万五千人もいるそうです。

持ち家に済み、外車を乗り回し、
海外旅行にしょっちゅう出掛けているそうです。

そんな自分達の嗜好品や遊行費には使うお金があっても、
保育料は払わないというのです。

そんな親に育てられた子供は一体どうなちゃうのでしょうか?
かわいい子供のことを考えたら、まともな親のすることじゃありません。

ある父親が先生にこう言ったそうです。
子供の日曜日の運動会が雨天延期に。それで平日実施ということになった。
その父親の言ったことが、「私は子供の運動会を見に行きたい。
でも、子供の運動会を見に行くためには会社を休まなければならない。
だから会社を休む分の休日手当てを学校から出してくれ」と。(ちょっとこい!!)

一体、日本はどうなっちゃったんでしょうか?

親も親なら子も子です、こんなことも書いておりました。

ある時、警察に連絡が入ったので、その場所へ行くと
雨の中傘もささずに一人の青年が立っていました。

それで、警察が「どうかしましたか?」と尋ねると、返って来た言葉が、

「雨が降ってきたけど、僕は傘を持っていません。
パトカーで家まで送ってもらえませんか。」と。
(天才バカボン!の”本官さん”なら、間違いなく撃ちまくっています)

最後に江口氏はこのように締めくくっています、
「自己中心的で無責任。自助努力をすることなく、
すぐに他社に頼ろうとする。国民の心が壊れているように感じる。」と。

あたくし、以前にも書きましたが西芦別という”産炭地”で育ちました。
”じいさんもおやじも生粋の炭鉱マン”です。(一応、言っておきますが、
ウルトラマンとか筋肉マンとか、そういのではなく炭鉱で働く人という意味ですよ)

あっちこっちから、様々な人たちが来ます。
危険と隣り合わせの肉体労働なので、大酒飲みも沢山いて、
北海道弁で言うと「やばっちー町」でした。

そのような環境なので、自然と子どもたちも鍛えられて?
時たま、アホな事件が起ったりもしましたが、”特別な事情”がない限り
”給食費”を払わないで平気な親なんていませんでしたし、
”会社を休むので日当を払え”なんて、舐めきってる親もいませんでした。

その代わりと言っちゃなんですが、酔って”どぶ”にはまって、真夜中に
「お~い、お~い、助けろ!」と近所中に聞こえるくらいの大声をだして、
近くの家の人が、そこの家に「おたくの旦那さん、どうにかして下さい!」とか、

これまた酔って、近所の犬に本気で”喧嘩”を挑んで、そこの飼い主に
大の大人が怒られたりするなんて言うのは”日常茶飯事”でした。
(おやじだったけど)

産炭地には「炭住(たんじゅう)」と言って、あたくしの幼少期は地域にもよりますが、
ほとんどが木造で四軒長屋の住宅が永遠と縦・横に連なっているんです。
だから、住んでいる所はかなり密集していました。

大体にして、炭鉱と言う所は1番~3番方まであり、1番方は朝行って
夕方、2番方は昼行って真夜中、3番方は夜行って朝帰ってくるという、
24時間3交代制なので、24時間どこかで誰かが酒を飲んで問題を
起こしてしまうんですね。

それでも”義務教育まで”は、親たちは子どもの”躾”にはうるさかったし、
学校の先生も”筋金入り”が結構いたので、ふざけた生徒は遠慮なく、
ほ~んきで遠慮なく”引っ叩かれ”ましたし、

逆に親の方が恐縮して、学校に馬鹿息子を連れて謝りに来ていました。
もっとも、馬鹿息子だけあって謝りに来たはずなのに、学校に来ると
友達がいるので反省もそこそこに性懲りもなく、照れなのか?おどけなのか、
思いっきり廊下を全力疾走で走り回ったりして、今度は親に”引っ叩かれたり”
するんですね。(兄貴ですけど何か?)

それでも、「親は親の教師は教師の”義務”」を精一杯果たしておりました。

あの頃は、酔ったおやじも、すぐ引っ叩くおふくろも嫌な時もあったけど、
でも、今のあたくしがいるのは、厳しくも温かいそのような地域の環境が
あったからなんだとしみじみ感謝しています。

西芦別東一条三丁目に住んでいた”中野”が学校に来ないので、
友達と学校帰りに家へ行くと、家中がめちゃくちゃで、
あまり働かない中野のお父さんがうつ伏せの姿で頭を抱えていて、
それを呆然(ぼうぜん)と勉強机のイスに座って見つめていた、
”中野”の顔が今でも忘れられません。。。。。

そんな環境の”中野”の家でもしっかりと”給食費”は文句一つ言わずに
”普通”に払っていましたし、運動会には”公休”をとって来ていました。
(多分、公休は使い果たしてたけど)

先程も書きましたが、”特別な事情”がある家庭の為に行政機関が
きちんと対応するのであって、このような自己中心的で無責任なのは、
本当に卑劣な人間です、いえ、それ以下です。

あたくしたちは、やれ政治家が悪い、やれ景気が悪い、やれ会社が、
やれ学校がと他のせいにしますが、こうして生活をしていられるのは、
そのほとんどが、周囲からの恩恵や協力があるからなんです。

あたくしも、たいして人のことは言えた人間じゃありませんが(ホントに)、
人並みに”羞恥心”は持ち合わせているつもりです。

中野は何してんだろ・・・・・。

お知らせ版です。

2月の「K-1」が決まりました。(10日(火)~28日(土)まで。)

徳島産”天然100%すだち果汁(酢)”です!!

この”天然100%すだち果汁”は、かなり”酸っぱい”です。
いえ、”超酸っぱい”です!が、その分香りも良く、と~っても”体と健康・美容”にいいんです。

理由その1、まず、合成酢ではなく原材料が「徳島産”天然100%”」で安心・安全なこと。

理由その2、カルシウム・ビタミンB1・ビタミンCも胃酸が不足では吸収されませんが、
”すだち果汁(酢)”はそれを助けちゃいます。

この”天然100%すだち果汁(酢)”は活きているので、
豊富に含まれたビタミンCとクエン酸・果糖が胃腸を刺激して消化吸収を助けるのです。
「要は”天然”のビタミンCとクエン酸・果糖が活きたまま体に吸収されて、
”翌朝が楽しみだ”ということ」。

理由その3、”天然100%すだち果汁(酢)”は、
完全な「アルカリ食品」なので、偏食がちで「酸性」ぎみの方や、
仕事でストレスが溜まっている方にはぴったりなんです。って。

理由その4、ここの会社の方がおっしゃるには、酒類に若干入れると風味が豊かとなり、
ここが肝心ですよ、いいですか?”絶対、悪酔いしません”、とのこと。
ここ、酒豪には重要なことなのでもう一度、”絶対、悪酔いしません”と言い切っちゃいました。
(多分、残念ながらあたくしと他数名には効かないけどね)

理由その5(まだ、あるんかい!)、
説明にはこのように書いてありました、
「明日への活力を与えてくれる食物として賞賛されています。
この郷愁をそそる味こそ、レモンにない東洋的阿波の味といえるでしょう。」と。(笑)

そして、極めつけは”すだち酢は超酸っぱい!キュンときます。”ですって。
(なんて、おちゃめな)

そんな超酸っぱくて、キュン!とくる、郷愁をそそる味?で
”天然100%すだち果汁(酢)”舶来のレモンには負けない東洋的な味?

名ずけて、「東洋の魔女サワー!!」を?
いや、やっぱりここはシンプルに”すだちサワー!1杯290円”を是非とも
飲みにきて”明日への活力にして下さい”ね。

すだちの内容です。

今週は・・・・・。

今週の土曜日は”バレンタインデー”のようですね。

何か聞く話によると、今年は”逆チョコ”とか言って、
男子が女子へ渡すという、またまたメーカー側の姑息な手段と、
それを鵜呑みにするアホな男女が騙されるんでしょうね、きっと。

あたくし、”バレンタインデー”などと言う行事はここ数年遠慮しています。
いい年して、しかも一応社長がもらうのっておかしいでしょ?
(奥さんや恋人(愛人も)、娘ならいいけど。でも、何となく姉だと嫌だ)

あたくしの立場だと、何だか暗黙の強制みたいで嫌なんです、
そう思うと、せっかく頂いても逆にこっちが気を使っちゃうしね、ホント。
(愛は欲しいけど、オイ!ペシッ!!)

あたくしにお金や気を使うなら、
その分、「お客さんや親」にして欲しいと思うんです。
(フフフ・・・、いい感じですか?)

あっ、別に小、中学校を通して1個しかもらえなくて、
それが”トラウマ”になって”先制パンチ”を放ってるわけじゃないですよ。

その一個も中2の”バレンタインデー”の時、当時憧れていた、
ソフト部の「丸山先輩」と学校帰りで会ったら、

「さる、あまったからやる」と”チョコレート”を押し付けるように、そして半ば
パスでもするかのように、しかも、すれ違いざまにもらいました。
(丸山先輩はあたくしのことを”さる”と言っておられましたが何か?)

完全、1200%義理チョコでも、
いや正確に言えば「あまりもん」の”義理チョコ”だったけど、あの時は嬉しかったです。

結局、なぜか親に見つからないように一年以上隠しておいてそれから食べました。

高校生の時は1個
建築業の時は=O
飲食業に入り店長になってからです、まともに頂いたのは。(2~3個)

でも、”さる”って「丸山先輩」は”織田信長”の気分だったのかな。。。。。

時空を超えてます。

先週、あたくしの小学生の頃の”思ひ出”と言う”トップギア!!”を書いてから、
もう一週間が経ちます、驚異的にしかもスーパーサイヤ人並に早い、早すぎる。

ひょっとして、
あたくしだけ地球の自転が1日16時間くらいで回っているのだろか?
最近、本気でそう思っている。。。。。

小学2年生の時に、なぜかグランドで雪像を作ると言うことになり、
(しかも、最初で最後でしたが)、クラスで何を作るかを生徒たちで決めました。

あたくしたちのクラスは、誰が言ったのかは覚えていませんが、
”白熊”を作ろう!と言うことになったのです。

それで、全校生徒が一斉にグランドに出ておのおの雪像を作るのですが、
担任の「佐藤妙子(さとうたえこ)」先生が、白熊の絵を書いてくれたのは
いいのですが、それがかなり”リアル”でとても小学2年生の作れる代物ではなく、
ただ単に「佐藤妙子」先生の自己満足で書いたようになっちゃいました。

それでも純真無垢な小学2年生です、先生の自己満足と言うことも、
絶対に無理!と言うことも疑うことさえしないで、作り始めたのです。

まずは、雪像を作るのに雪集めです。しかも「佐藤妙子」先生の描いた絵の
”白熊”はご丁寧に台座の上にのかってるので、ゆうに2メートルはあり、
当然、2メートルの高さまで雪を集めなければなりません。

最初は「佐藤妙子」先生も笛なんぞを持って支持を出していたのですが、
雪が激しくなってくると、「先生はちょっと職員室に行きますので、雪が集まったら
呼びに来てちょうだい」と言い残し、とっととあたくしたち生徒を残して行ってしまいました。

それでも、あたくしたち生徒は何一つ疑問を持つことなく”せっせと”雪を
集めていたのです。(なんて、いたいけなのでしょう)

クラス38人一所懸命に雪を集めること4時間、やっと”巨大な雪玉”まで漕ぎ着けました。
それで、平山のふみちゃんが「佐藤妙子」先生を呼んで来る事に。

先生来るなり、「みんな何してるの?給食の時間よ」と
心なしか既に口をもごもごしておりましたが何か。。。。。

給食を食べて、いざグランドへ。

あたくし小さい時から”熱しやすく冷めやすい”ところがありまして、
午前中はあれだけ張り切っていたのですが、お腹が満腹になると、なんと言うか・・・・・。

それに、どう考えても”白熊”むりです。って言うか、今から思い返すとあれは白熊の絵ではなく、
単なる北海道みやげの”ヒグマ”ですもん。(白熊が鮭なんか加えないし)

で、急遽、違うものにしようか?となり。で、何個か案がでました。
1、ウルトラセブン!却下(余計難しい)
2、お城!却下(アホか)
3、アメリカ!(無視!)

で、あたくしめが、このでっかい雪玉を利用して簡単なものを作ろうよ、と。
西郷(さいごう)マンや村(むら)と考えたのが”タコ”です。

タコならでっかい雪玉をタコの頭にすれば簡単ですもん。
でも、せっかく皆で苦労したのだからと言うことで、足も作ろう!となったのはいいのですが、
ここでちょっとした問題が起きまして、それは誰かが「タコの足って何本?」と。

あちこちで「イカは何本?」とか「この前、天才バカボンでタコ出てきたよな、何本あった?」と、
余計ややこしくなる始末で、結局、クラスで頭も良くて女子に一番”モテテ”いた「もとき」が、
無表情で「8本だろ」と。(早く言えよ!)

「じゃあ、タコのはっちゃんだから”鉢巻”も作ろう!よし!なら滑り台も作ろう!
タコのイボ(吸盤)も忘れんなよ!」となり、みんなノリノリで”タコ”を作りはじめました。

かなり”いい”。滑り台も中々”いい”。

それを見た「佐藤妙子」先生が一言いいました。

「あら、いいわね」と。。。。。

もう34年も前になるんですね。

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