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ありがとう。

やっとこ、自分の周りを掃除をして片付けて、おやつ代わりに
「マルちゃんの醤油ラーメン」を食べ終わった所です。
(美味しかったですね)

いよいよ本日で今年の「丸か加藤商店」の営業は
最終日です。この一年間、本当に「ありがとうございました」。

当たり前ですが、今年も沢山いろいろなことがありました。
まず1月に「欽ちゃん」のオープン!この店は昔からあたくしが
やってみたかった店でした。

味もあたくしが小さい頃から食べていた「芦別のホルモン屋」
さんの味を再現しました。もちろん味付けは主流の「塩」では
なく『タレ』味です。これからは間違いなく『タレ』の時代ですよ!

お蔭様で皆さんとスタッフのお蔭で好評を得ています。
これからも、更なる上のレベルを目指して行きますので
今後ともよろしくお願いします。

次に11年8ヶ月営業をさせて頂いた「上海月」の閉店です。
3月で閉店でしたが、沢山のお客さんがお見えになりました。
本当にただ、ただ感謝感謝の営業で最高のフィナーレを迎える
ことが出来ました。

しばらくは「上海月」を寝かせて、また時期を見て装いを新たに
どこかでオープンしようと思っていましたが、いざ、閉店してみると
無性に喪失感に見舞われてしまい、なんとなく抜け殻のようになり、
「これじゃいかん、どげんかせにゃならん!」となり急遽店を探し、
南6西3フォレストビル2F「上海MOON」としてオープンした次第です。

やはり人が活躍できる環境を作らないとダメだな~と改めて
思い知らされました。(資金繰りもあるけどね)

5月は「丸か加藤商店」の創業以来、そしてタスコ時代から
同期でもある「西館部長」の独立です。西館部長が立ち上げた
「傳助」とそこのスタッフとで「ファンズ・テーブル」を創業しました。

すでに3店舗を出して頑張っています、たまに「金富士」で
近況を話しますが、経営者同士の目線で話せるのと、昔みたいに
気兼ねなく「愚痴」も言えるので楽しい一時です。

6月は「鈴木徳太郎商店」の移転です。しかも5月31日ギリギリ
まで営業をして、すぐ向かいのビルなのでそのまま手で荷物を運び
わずか2日の準備で6月3日には普通に営業をしておりました。

上海月も2週間という早業でしたが、この店もわずか2日と言う
まるで「ドリフのコント」のようなドタバタ劇でした。(笑)

6月~8月は「丸かと行く、農業体験ツアー」もあり、と言うか、
ほとんど午前中で終わり、バーベキュー大会とレクレーションでしたが、
楽しい思い出になりました。(来年はグレードアップバージョンで)

その中で7月は「欽ちゃん」の『青尚吾』と上海月の店長だった
『旧姓米盛祥子』がめでたく結婚式をした月でもあります。
祥子の親族は鹿児島から来ました、あたくし鹿児島の人はみんな
「ごわす」と言うのかと思っていたら、誰も一度も「ごわす」とは言いません
ので、ある意味ショックでした。

『青尚吾と青祥子』この二人と飲んでいると、酔いがまわるに連れ
「しょご、いや違ったしょうこ。しょうこじゃなく、しょうご」とかなりややこしく
なるのです。

なんか、お盆を過ぎると、あっという間に12月になってしまいました。
最後のほうになっていつにもなく、よろしくないご時世になりましたが、
悲観していても仕方がないので、ここは「アホ気分」にでもなって、

「誰かがなんとかするだろー」位の能天気人間になるくらいが
ちょうどいいかも知れませんね。(あたくしは必死でやっけど)

皆さんは、この一年はどうでしたか?

あたくしは前半戦は結構しんどかったですが、暖かくなるにつれて
少しずつ調子が上がってきました。全体的には色々と勉強させられ
ましたし、貴重な経験になった一年でした。

多分、年明けからはまたしんどいのが続くと思いますが、何とか
乗り切っていきたいと思います。

それでは皆さん、一年間「丸か加藤商店」を応援して頂き本当に
ありがとうございました。

年明けは「てまひま」「欽ちゃん」「鈴木徳太郎商店」「上海MOON」が
2日から、「なのはな」は3日、「ハングリーぶぅ!」は5日からの営業に
なりますので、来年もよろしくお願いします!

あっそうだ!5月から始まったこの「トップギア!!」を見ていただいた皆様、
ものの見事に誤字脱字で読みにくく、長く、しかも勝手なことばかりを書いて
きたのに読んでいただき「ありがとうございます」。
来年も体力・気力の続く限り勝手なことを書いて行きますので、
あきらめの気持ちで読んでくださいね!

追伸、昨日、しっかりと「金富士おさめ」してまいりました。

反省した師走の夜。

最近、と言うか、昨日完璧に近いほど、
あたくし自分の間違いと言うか、身勝手さに
気づきました。(遅いよ!!)

それは、あたくし自分では「マナー」とか「道徳」
にうるさく、信号無視とか、公共の場でのルール
とかに関して一人憤慨しています。

昨日もエレベーターが途中で止まり、「男女6人
冬物語」の若人達が乗るまで「開」を押して待っていました。

その「男女6人冬物語」の連中はゾロゾロと
入ってきましたが、「すいません」の一言もなく、
降りる時にも、自分的には愛想の良い「微笑み」で
みんなが降りるまで「開」を押していたのに、

誰一人として「ありがとうございます」とか「すいません」
とか言いません。多分、一杯(数杯)ひっかけて
いたら「おい、すいませんくらい言えよ!」と言う小心者
ですが、一人ごとで「あ~あ」と「どデカイ声」を上げて、

この人「ちょっとやばい人?」と思わせるのが精一杯でした。
(情けな!)

でも、ヤンキー(死後?)ぽいのが無礼ならまだ納得
もするのですが、どう考えても山鼻あたりに住んでいる
柔らかい環境に育っている子たちだったのが逆に残念。

そんなことを考えながら、一人「だるま」(ジンギスカン屋)
に歩きながら、ふと思いました「俺だって人の事言えない
よな~」と。

いまだに酔ったら「いらんこと」するし、昔は非常ベルを
鳴らしておいて、注意されると逆切れしたり、勝手に
工事中のポールを持ってススキノを歩いたり、

お店やススキノでお尻を出して、思いっきり真冬のススキノで
オチンチン全快でおしっこをしながら歩いたりと、好き勝手なこと
ばかりしていました。
(パンツを頭から被って、朝方歩いていたこともありました)

そんな、あたくしが「信号を守れ」とか「順番を守れ」とかと、
マナーとかルールだとかを、とやかく言う資格はないんですよね。

例えば、車でスピード違反はするくせに、シートベルトに感しては
うるさい輩のようです。例えば、いかがわしいお店に行っておきながら、
そこの女性に「自分の身体を大切にしなさい、また来るから」と
言っているようなもんです。(すいません、つい調子に乗りました)

と言うことで、まずは自分の態度を改めようと,瓶ビール2本、
生ラムを二人前食べながら、
まったくやる気のない「だるま」のおばちゃんの
おしゃべりを聞きながら、反省した師走の夜でした。

ダメだこりゃ。。。。。

スタッフとの出会い(相馬さん編)

今年最後のスタッフとの出会いのとりは、
上海月一筋、丸かの最終兵器リーサルウェポン
あるいは裏番長とも言われている「相馬さん」です。

本名「相馬百合子(そうまゆりこ」。
(年齢は言えません)

1997年7月1日に上海月が出来てから、
ずっーと「上海月」の洗い場を担当してくれております。

一言で「洗い場?」と思うかもしれませんが、
なんのなんの、この洗い場という場所はかなりの
「ツワモノ」で、軽い気持ちで入ってくる人は一日で
辞めてしまうくらいのハードな場所なのです。

確かに腰も痛いが、それより何より「自分との闘い」で
要領を得なかったり、少しでも気を抜いたり、準備が
出来ていないと、山のように洗い物がたまり、洗っても
洗っても減らず、

とうとう「なんて自分はダメなんだ、この役たたずめ!」
となり、自分の無力さを痛感させられ簡単に「挫折」しかねない
極めて恐ろしい場所でもあるのです。

しかも、現在の上海月は100席程度ですが、
サイバーシティーの頃は上海月と隣にある店舗も
会わせての食器洗い&上海月のグラス洗いも
するのですから、凄いんです。

その頃は上海月で180席ほど、隣の店舗で
60~70席ほどです。週末や12月、3月の繁忙期
などは、2倍、3倍の物凄い数の洗い物になるんですね。

相馬さんは、それをほぼ一人でしてしまうので、そんじょ
そこらの「アライグマ」なんて、まったくしてもって目じゃ
ありません。(本物が洗っているのは見たことないけど)

しかも、相馬さんは朝早くに来てキッチンの仕込みも
手伝ってくれているんです。本当に大助かりです、
そんな「相馬さん」の方へは足を向けて寝る人が居ないほどです。

そして、もう一つ忘れてはいけないのは「相馬さん」は
新人教育にもうるさく(でも、手伝う人には優しい)、
躾(しつ)けてくれる、いわば「鬼軍曹」なのです。

やはり戦争を経験いや違った、人生経験豊かな人は
言うことも考えることも、そして行動も違います。

現在の上海月は半オープンキッチンなので「相馬さん」の
働いている姿がチラホラ見えます、そして実は「相馬さん」
はお酒も少々嗜(たしな)むので、カウンターで一人飲んでいる
ことがありましたら、一言「お疲れ様」と声を掛けるときっと乙女の
ように喜ぶことでしょう。

このような方に働いて貰えるのは本当に幸せなことです。
確かにこのご時世色々とあり、上を見るとキリがないですが、
実は身近にも沢山「幸せ」があるんですね。

「相馬さん」は一度も移動していなく、上海月(サイバーシティー)で
起った出来事や働いてきた人を何十人、何百人と見て来ました。
歴史そのもなんです、いわば「生き字引」なのです。

相馬さん、これからもよろしくお願いします。そして何時までも
上海月(丸か)で元気に頑張ってくださいね。

あっ、もう一つ肝心なことを忘れていた「相馬さん」はお腹が空くと
かなり機嫌が悪くなるということを。。。。。

みなさん!頑張ってくださいね。

今日は凄い雪と風が強い日ですね。
一気に来たので交通機関も大変なことになっております。

このような「風雪流れ旅」の中、外や交通機関で働いて
いる方達は本当にご苦労さまです。

ニュースでも郵便配達の方のバイクが埋って中々仕事に
ならなく悪戦苦闘している姿を観て、「本当に大変だよな」
と思い、JRも本数が減ったり、空港では欠便になり混雑して
おりましたし。

普段より一時間早い「どんこワイド」の中継でも、道路は
混んでいましたし、今日で仕事納めの会社もあるのに大変です。

と、二日酔いの中、布団に包(くる)まって、のん気にテレビを
観ながら思ったあたくしでした。(おい!)

『酒場友達』誕生!!

「さとか、ホルモン食べる?」
「はい、食べたいですぅ・・・・・。」
「それじゃあ、ヤマダホルモンにおいで」
「ハイ!行きます!!」

「やまちゃん、紹介するわ、事務&てまひまで働いている、さとか」
「よろしく、やまだです」
「さとかです!よろしくお願いします!!」

「よし!食べるか!さとか何飲む?ビールでいいか?」
「はい」

「さとか、次なに飲む?」
「さとかウーロンハイ、飲みます」

「さとか、次なに飲む?」
「もう一杯、ウーロンハイで」

「さとか、なに飲む?日本酒でもいいんだぞ?」
「はい、でも、日本酒は休みの前の日に飲むことにしています、
同じもので」

「さとか、同じものでいいのか?」
「はい」

「さとか、同じもので・・・・・」
「はい」

「さとかちゃん、本当によく飲むよね」と、やまちゃん。
「はい、わたし、本当にお酒が好きなんです」
「いいよ、遠慮しないで飲みな」と、やまちゃん。

「さとか、クリスマスなのに俺らみたいなオヤジ達で悪いな」
「いいえ、どうせ予定ないし、お酒好きですから、すいませ~ん、同じもので!」

20:30から飲み始め、気が付くと1:30分。その間、さとかは
一度も手を休めることなく飲み続けて、まるで「わんこそば」ならぬ「わんこ酒」の
ごとく焼酎をあおり続け、その間、何度も「私、本当にお酒が好きなんですよね~」
と、しつこいくらいに語っていました。

「さとか、そろそろ行くか」
「はい」

推定ですが、この段階でさとかは軽く焼酎5㍑とホルモン、豚サガリ、豚とろ、
野菜盛り合わせ、キムチ等を10人前と〆のラーメン3人前は平らげています。

「さとか、モスバーガーでも食べてくか?」(軽いジャブのはずが)
「はい!!」

時は過ぎて・・・・・、
「さとか、朝、大丈夫だったか?ちゃんと起きれた?」
「はい、でも、タクシーに乗ってからの記憶がないんです」

「おまえ!タクシー代2000円渡しただろ。」
「はい、2000円もらったのは覚えていますけど、その後の記憶がないんです」

さ・と・かへ、あらためて思い起こすと完全なる「オヤジ化」していたぞ、
と言うことで次は「金富士」な。
これで、やっと一人寂しくはない「酒場友達」が出来たとさ。

ご近所のお店。

あたくしの会社は西10丁目あります。
当然、地下鉄は「西11丁目駅」なのですが、
そこには10丁目側、11丁目側の地下1F、2Fに
いくつかお店が入居しております。

11丁目側にある「立ち食いそば屋」さんと、
その奥にあるおじさん一人でやっている食堂居酒屋
があるのですが「`月」と書いてあり(4年も経つけど
いまだに店の名前が解らない)、その2軒があたくしの
よく行くお店なのです。

今日も急にカツ丼かそばを食べたくなり、いつもの店へ
向かいました。直前までどっちを食べようかと迷って
おりましたが、そば屋さんの方は閉店間際(15:30分)
になると、どこからかともなくお友達おばちゃんたちが
来るので、おじさんの所でカツ丼を食べることにしました。

そこの店では初カツ丼です、いつもは「醤油ラーメン懐かし
味」なのですが、きっと醤油ラーメンがあそこまで郷愁的な
味をかもし出すのなら、きっとカツ丼も美味しかろうとの思い。

ただ、ここで一つ問題があるのですが、そこのおじさんの店は
一応アイドルタイムなんかもおかまいなしに営業中なのですが、
ほとんど小上がりで寝ているのです。

前にも入ろうとしたら、気持ちよくテレビを付けたまま寝て
いたので、邪魔しちゃいけないと思いそのまま、そっと帰って
来ちゃいました。

だから、この時間はゆっくり出来るのですが(と言っても、
お客さんが2人以上居たためしがないけど)、寝ている
おじさんの邪魔をするのが何とも気が引けてしまうのです。

しかし、本日はカツ丼かそばでギリギリまで迷っていたあたくしは
「カツ丼!」と決めてからは、迷うことなく一心におじさんの
お店の引き戸に力任せに手をかけました。

引き戸を引いて、人影のない店内を見て「しまった!」と思い
ましたが、後の祭り。勢い欲く引いてしまった音で案の定、小上がり
で寝ていたおじさんが「ムクッ」と起きちゃいました。

「あっ、すいません、カツ丼下さい」と何故か、最初に「あっ、すいません」
と言う言葉が出てしまったのには、我ながら自分の人の好さに照れて
しまいましたが。(自分で言っちゃったけど)

実は今日はおじさんの店の商品のことを書きたかった訳ではなく、
そこで流れていたテレビの件だったと書いていて気がつきました。

それは昨日テレビを観ていると「青春の門」という、テレビドラマを
やっていて、今日は後編だったので録画して家に帰ってから観るのを
楽しみにしていたのですが、

先程まで小上がりでテレビをつけっ放しで寝ていたおじさんが、あたくし的には
信じられない暴挙に出たのです。最初は違う番組だったのに、なぜかおじさん
急にチャンネルを変え出して、いくつか変えた後に気が付くとあたくしが楽しみに
していた「青春の門(後編)」を観だしてしまいました。
(本当に個人店のテレビはお客さんの為にじゃなく、店主のためにあるんです、
それは『金富士』でも十分実証済みですから)

カツ丼も出てきたので、早く食べて行こうと思ったのですが、今日に限って、
あたくしテレビのまん前に陣取っていたのです。しかも、男女の絡みの
シーンで、何を勘違いしたかおじさんテレビの前に突っ立って、あたくしに
お尻を向けてマジマジと画面に釘付けなってしまいました。

あたくし、一所懸命に新聞なんぞ読んで注意力散漫にしようと
試みたのですが、普段落ち着きのないクセにこういう時は妙にテレビの
音に注意がいってしまうんですね。

あとは、最後の手段で思いっきりカツ丼をかっこんで、カツ丼と味噌汁
、たくわん2枚を物凄いスピードで食べて来ました。

なぜか、「人間やればできるな」と妙に納得して、すがすがしい気持ちで
何事もなく会社へ戻って来ました。

もちろん「カツ丼」は美味しかったです。
最近思うのですが、居酒屋とかより「大衆食堂」的な店で、夜は自然と酒が飲める
ところがいいなぁ、とつくづく感じます。多分、これからはそのような店がいい感じですよ。

懲りなくてゴメンなさい。

最近、色々と思うところがあり、丸かのお店では
一人で飲みに行かないように心掛けているあたくしです。
なので、もっぱら知り合いの店に顔を出すようにしているのです。
(まぁ、最近はあまり飲みにも行かないので、週1、2くらいですが)

で、先週末同級生の「藤田くん」のやっているお店が
11月末に新規オープンしたこともあり、チラッと顔を出して参りました。
ここと同じ場所にあり「心」という「勇払産、桜姫鶏」と「八雲豚」を
メインにした「焼鳥屋」です。

カウンターが8席くらいで、テーブルが3卓6~8席と言う理想の
焼鳥屋さんです。藤田くんのキレイな奥さんが焼いているので
女性一人で行っても安全・安心なお店なのです。

まぁ、藤田くんとは高校からの付き合いで、彼はサッカー部
あたくしは応援団でしたが、三年間クラスが一緒でよく遊んだので
気が合うのです。(初アメリカも一緒でしたし)

気づいたのですが、なぜか友人の店や高山さんの店もそうですが、
小さい時から知っているとか同郷の人のところは、まったく利害関係や、
別に肩書きなんかも関係なくリラックスして飲めるので、ついつい
「飲みすぎてしまう」んですね。実はそれが災いして金曜日と土曜日に立て続けに
行くことになったのです。

金曜日は実に24年ぶり、と言うことは高校を卒業して以来久しぶりに
会った同級生にも会えて一段と「テンション」が上がっいてた様子です。
しかも、その日は検査も無事終わり、久々に「飲むか!」気分でもあったのです。

ここからはQ&Aで書いていきます。(Qがあたくし、Aが藤田くん)

Q,藤田、昨日はどうも。でさぁ、昨日お金払って帰った?
A,払ったしょー、しかも何回も払おうとしてたぞ。

Q,藤田、00さん(知り合い)に挨拶して帰った?
A,って、言うか「かーが一番最後に帰ったんだぞ」

Q,どうして?
A,ぷっ、マジで覚えてないの?しかも、00さんにヘッドロック2回も決めてたぞ。

Q,マジ?
A,マジ。

Q,どうして、そんなに酔っ払ったのよ?
A,かなり、やばかったよ。あんなに目が座っていた、かー久しぶりで見たもん。

Q,やばいよな。
A,やばいわ、あれじゃ自分の店に行かない方がいいわな。

Q,だよな。
A,うん。

最近、飲んでいる場面場面の記憶はあるのですが、次の日になると
、あれ?あそこの店誰がお金払ったんだろ?とか、その場面場面ですら
かなり怪しい記憶になっているんですね。

Q,それにしても00さんには悪りぃことしたな。
A,だから、「謝りに行かないとな」とか言って店の住所と名前教えてくれって言って、
一所懸命メモってたぞ。

Q,?、マジ!?
A,マジ。

慌ててメモを見ました、それがこれ。
ファイル 187-1.jpg

Q,藤田、しばらく来ないわ。
A,くれぐれも身体に気をつけて。。。。。

やはり、おとなしく「金富士」で飲むことにします・・・・・。

スタッフとの出会い(龍治編)。

井上龍治(いのうえりゅうじ)と言いまして、
「なのはなの伴」「欽ちゃんの尚吾」と同じ調理師学校を
経て、今年「丸か加藤商店」に入りました。

実家は函館市松前町出身の高校球児でした。

現在は「上海MOON」のキッチンで働いていて、
とても素直で優しい奴なので、「中川」をはじめ、綾子だとかに、
良く言えば可愛がられていて、悪く言えば「完全にいいように利用されております」。

最初に見たときは「コイツ、ぜい分、悪人ツラでふてぶてしい態度をしてる
奴だな~」と思いましたが、実はただ緊張しているだけで、
まったくして持って本当に働き者でいい奴でした。(笑)

と言うか、かなりの汗かきなので、普通に働いていても「一所懸命」に
やって見えるという、とても「お得」な特技を兼ね備えているのも龍治の
特徴の一つでもあるのです。

現在は主に「点心や揚げ物」を担当しており、同時にそこの場所は
「北京ダック」をさばく所でもあるので、宴会が多い週末やこの12月は
ハードなポジションでかなり頑張っております。

龍治とは中々話す機会がないのですが(多分、本人は望んでいないと
思うけど)、今度、無理やりにでも「金富士」へ連れて行き親交を深めたいと思います。

伴と尚吾の後輩なので、かなり期待していますし実際有望です。
今度「上海MOO」へ来る機会がありましたら、是非カウンターへ
座り「龍治」の仕事振りと、且つ何かリクエストでもして頂ければ、
いつも以上に龍治も「やりがい」を持って働くはずですので。

注意:くれぐれも「汗」には騙されないようにして下さいね。

お詫び、昨日の「トップギア!!」ではいつもにも増して「誤字」が
あり、かなり読みにくかったので「どうも、ごめんなさい」でした。
多分、今回もあると思うけど。

趣味か・・・・・。

本日、定期検査を無事終えて来ました。
金曜日と言うことと、天気も良かったので混んでおりました。

あたくし、大体はカバンに本が1~3冊ほど入っているので、
待合や乗り物等のちょっとした時に読むようにしています。

いつも、あたくしが本を読んでいるので「看護婦さん」(あえて
看護婦さんと呼ばせて頂きます)に、「今日はなに読んでるの?」
と言われます。

本日も久しぶりに会った看護婦さんに「かとうさんはいつも本を
読んでいますよね、趣味は読書なの?」と言われて「まぁ」と答えて
から、「そう言えば?趣味ってなんだろう?」と考えていました。

以前なら趣味は?と言われたら「仕事です」とキッパリと答えていた
時期もあります、別に格好つけているわけではなく365日24時間
四六時中仕事のことを考えていたし、それが楽しかったので普通に
「趣味は仕事」と答えていました。

最近は「趣味」ではなく「仕事」です。当たり前かもしれないですが、
今は「仕事は仕事」なのです。別に嫌になった訳ではないし、仕事と
プライベートを分けている訳でもないのですが、今は「仕事」なのです。

それでは「読書」はと言うと、普通に活字が好きと言うかやはり本を
読むのが好きです。浅く広く学べるので。特に歴史モノとか自伝モノ
とかを読むのが好きで、街へ行くと必ず本屋さんへ立ち寄り、時には
4~5冊も買うのですが、そのように欲張って買った本に限って一度も
読まないでホコリが被っていたりします。

昨日買った本で「40歳から伸びる人、40歳から止まる人」という本を
読んでいます。何でも、その本では「本当の勝負は40代から始まる」
と書いてあり、しかし、40代が一番仕事も家庭でも余裕が無い時なので
仕事一辺倒になり、50代から少し余裕が出来るが、実はその時には
遅いそうなのです。(多分、「人生は50代から始まる」なんて本も書いて
いそうですがね)

本では、人生の第二ラウンドの幸せは40代で決まるそうで、人生の第二
ラウンドとは「人生の後半」を指すそうで(後半っていつ?)、40代が一般的
に働き盛りと言われて、社会人としての経験も十分に積んで、仕事でも
脂が乗って、体力、気力ともまだ衰えていないのだそうで、

人生で仕事は最も忙しい時期だが、生活の方は決して楽ではなく、
住宅ローンは返済の真っ最中で、子供の教育費も年ごとかさんでくる。
だから40代はしゃにむに働く期間になるそうです。

だけど、だからと言ってこの時期に自分の為に時間を使わないと
第二の人生は(だから、いつ?)思ったほど楽しくはないまま終わって
しまうそうなのです。

そして、50代、もしくは定年(特に早期退職)で楽しく過ごそうと思っても、
40代でやれなかったことを50代でやろうとしてもなかなかうまくいかないとも
書いてあります。

「私たちは『現在』と言う時間にしか生きられない」。

やばい!そこの40代の「あなたとあたくし!」これは、大変ですよ!
30代はまだ引っ込んでいてね、50代は少し遅いけど、後からヒントを言いますね。

あたくしも今から趣味とかを持ち、バランスよく仕事も充実させないと。
とっ、それにはいつもの「金富士」でじっくり考えることにしよう。。。。。。(変わんねーじゃん)

この本で一番共感したのは(って、まだ三分の一も読んでないけど)、
「四十代になっても『もう年だ』などとは考えず、むしろ十歳差し引いた年齢の
つもりで生きてみよう。そうすれば十年分の人生の貯金を抱えて生きられる。
心に余裕が生まれる。何事においても、余裕のあるほうが強いのである」と。

どうですか?55歳の人は45歳、49歳の『社長』は39歳(東京へ行った頃)、
そして42歳のあたくしは32歳、「上海月」で悪戦苦闘していた時期。
そう思うと、「年だな~」なんて言っている「ばやいじゃない!」よ。

よし!単なる中古車で終わるのではなく、クラシックカーを目指そうっと。

追伸、間違っても、一生、趣味で「ゴルフ」はやりませんけどね。。。。。
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PHP文庫 457円でした。

日清は・・・・・。

目が回る位の仕事の合間に、知人から頂いたタラバガニを
藤田に足一本だけあげて、豪快に食べながら「トップギア!!」
のネタを考えて、何気に「YAHOO!」(いっく、ヤホー!じゃないぞ)
を見ると日清食品が、

「カップヌードル」に初の“ライト食”登場~約40%カロリーカット、
200kcal以下に

と言う記事に思わず反応してしまいました。(実は忙しくなかったかも)
その名も『カップヌードル ライト』!!
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ついにメタボ対策は「天下のカップヌードル」をも時代の
うねりの中に巻き込んでしまったのか、それとも単なる気まぐれ
なのかは知りませんが、あたくし的には「カップヌードル」と共に
生きてきた世代としては、少し嬉しいやら寂しいやらで、複雑な思いなのです。

あたくし個人的には「シュリンプヌードル」も好きで、
その当時CMでシュリ~ンプヌードル♪シュリ~ンプヌードル♪
と女の子が歌っていたのをマネをしながら、プラスチックの小さい
フォークのようなもので食べておりました。

それはそうと、日清と言えば忘れられないことがありまして、
青森の三厩(みんまや)村(現、外ヶ浜町)で仕事をしていた時に
駅前に1軒だけ赤ちょうちんがあり、そこがあたくしたちの
唯一の憩いの場だったので、ほとんど毎日のように通っておりました。

4つ上の先輩で飲むと「バイオレンス」になる阿部さんという方が
いまして、でも、何故かあたくしは「かっちゃん」と気に入られていて、
その日も5~6人で飲んでいました。(阿部さん含む)

皆、いいだけ「酎レモン」が効いて来た頃に、おもむろに誰かが帰ったら
インスタントラーメンでも食うか。と言うと、顔を真っ赤にしていた阿部さんが、
「かっちゃん!日清はカップヌードルのゲンソだぞ!」と大きな声で言い出しました。

「!? えっ、阿部さん、いま何か言いました?」
「だから、かっちゃん!日清はカップヌードルのゲ・ン・ソ!」と言うのです。
一瞬、阿部さんを除いた全員がお互いに顔を見合わせ、
次の瞬間にそれは「ゲンソ」ではなく「元祖(がんそ)」と言おうとしたのが
わかったのですが、なんせ酔うと「バイオレンス」なので誰も口に出そうとはしません。

するといるんですよね~、よせばいいのに飲むと調子にのる輩が、
それは、あたくしと同期の「すが(菅原)」が「阿部さ~ん、それってゲンソじゃなく
元祖って言うんですよ、もう~軽くギャグなんて飛ばしちゃって」と言ってのけたのです。

すると、普段から「すが」の軽口をこころよく思っていない阿部さんが不気味なくらいに
冷静な口調で「菅原、飲み足りないから少し付き合え」と。。。。。

次の瞬間みんな無言で立ち上がり、そそくさとお会計を済ませて店を後にし、
宿舎まで徒歩5分ほどなのですが、みんな足早にしかも誰一人会話を
することなく帰ってきました。

宿舎へ着き、みんな口々に「菅原、大丈夫かな?」とか「やばいんじゃない?」とか
心配してるけど現金なもので、インスタントラーメンなんぞを食べておりましたら、
「ガラガラ~」と玄関の引き戸が開いて阿部さんが帰ってきました。

みんな一斉に食べていたインスタントラーメンをむせ返してしまい、
あの光景は、まるで映画の寅さんが帰ってきた時のようなシーンでした。

一番上の先輩が「阿部、菅原は?」 「途中まで一緒だったけど、急に泳ぎたいと
言うので、橋のところで別れてきました」(海沿いなので河口にある橋です)

一同、「えっー!!!」(かなり嫌な予感)
急いで橋のほうへ向かうと、暗がりをびしょ濡れでゆらゆらと歩いてくる「菅原君」の
姿を発見しましたとさ。。。。。

追伸、阿部さんはマジで「元祖」を「ゲンソ」だと言っていましたよ。

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