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スタッフとの出会い(伴編)。

伴とは上海月で2005年にアルバイトの時に
会いました。

本名は伴和哉(ばんかずや)と言い、残念ながら
「伴淳三郎」さんでも「伴宙太」ともほとんど関係なく、
経専調理師学校出身で、

実家のある紋別ではお父さんとお母さんとで、
知る人ぞ知らない?有名なスナック「BAN」をしております。

伴の特徴はと言いますと、

・沢山食べる、従食(まかない)を忙しくて食べれなかったら
、おみやにしてテイクアウトをしてまでも食べる。しかも、明日
の分と彼女の分までちゃっかりともって帰る。

・こち亀のバイクを運転した時の本田に似ている。

・まじめで優しい。

・でも、少しずるい。

・しかも、以外と気が小さい。

・実は尚吾の経専時代の先輩。

・やっぱり食いしん坊。

・「なのはな」へ行って少し大人になった&やせた。
(本人いわく、精神的だと甘ちょろいことを言っている)

・で、最後になぜか常連の「葛西」さんに好かれている。

まぁ、身内びいきで長所しか書いておりませんが?中々
見所のある奴で「根性と責任感」は丸かでも5本の指の
薬指の第二関節に入るほどなのです。

きっと、これから「丸か」を背負って立つような男になるのは
確実なのですが、今後の課題としてはもっと見聞を広めて
今の自分で満足はしていないと思うが、もっとそれを前面に
出して「あふれる感動」を出して欲しいと思います。

伴和哉、22歳!あたくしが「オペラ」で店長をやった年齢です、
何だかそう思うと益々応援したくなりました。(えっ!?迷惑?)

希望と可能性に満ち溢れている年齢です、間違っても変に
理屈っぽくなったり、そつなくこなそうなんて仕事をしちゃダメ
だし、利口ぶって物分りの良いフリをしてもダメだぞ、

個人的な自分の夢や目標はあると思うが、その前に「自分が
会社や店、人の為に何が出来るか?どんな役に立つのか?」と言う
「使命感」を持った仕事で、まずは自分の器と葛藤して欲しい。

良い意味で「丸か加藤商店」を利用しろと言うこと。
ばんかずやのいる店、主に餃子担当です。

最近の時事と思うこと。

「トイレ掃除復活」という記事を見て、あたくし驚いてしまいました。
何が驚いたかって、「えっ!?便所掃除やらせてなかったの!!」
ということです。

この「トップギア!!」を観ている方にも賛否両論があると思いますが、
あたくしは「大、大、大賛成のこんちくしょー」です。
反対意見がある小学の先生が「家庭で子どもにトイレ掃除を
させるのが一般的な時代ならともかく、子どもが家でやっていないことを
学校で、というのはどうかと首をかしげる。 」(本末転倒論)

とか、「そんなんで公共性が育つのか」だとか「感染症にかかる」って、本気で
アホな輩がのさばっております、水洗だろ?まだいいだろ、あたくしの家も学校も
「ボッチョン便所」だったんだぞ。(あっ、そこのあなた今うなずいた?)

たまに清掃用具なんかも普通に落とすし、うんこの着いたトイレなんかを
掃除していて「誰よ、うんこなんかつけやがってー!」などと友達とふざけながら
うんこの付いたタワシで追いかけっこなんかをして、先生に思いっきり「拳固」をくらい、
あまりの痛痒さに「かっいー!!」と友人が涙ながらに言ったら、もう一発「拳固」を
ありがたく頂いた楽しい思い出作りも出来るんです。(あの時は本当に星が出た)

ごちゃごちゃ言ってないで、全国的にやればいいんだよ。

それと、つくずく人生って分からないもんだな~と思います。
誰があの「小室哲哉」氏がこのような人生になるなんて思ったでしょうか?

自分の人生とか振り返ってもそうですし、これからも何がどうなるかは分かりません。
が、しかし、だからと言って立ち止まっている訳にいかないのは確かです。

良いことばかりも続かないけど、悪いことばかりでもないのが人生。

誰かが言っておりました、「人生はタイミングとバランスだ」と。
(あたくしですがね・・・・・。)

違いますよ。

お客さんに「社長のブログ」見てますよ~、と言われます。
と、同時に「あんなに長かったら時間掛かりますよね」とも。
(どっちの意味?ねぇ、単純に長いから短くしろということ?
それとも、それだけ文章が書けて天才ですよね!と言うこと?
どっち?ねぇ、どっち?)。

あたくし会社の人が「ブログ」と言うと「トップギア!!」だから
と冷淡に答えます。

そうなんです、これは世間一般で言う所の「ブログ」ではなく
「トップギア!」と言いまして、正式には「丸かの今夜も前進!
前進!トップギア!!」と言います。

何が違うかと言うと、そこには決定的な違いがあり、それは
「名前が違う!」と言うことです。

これは一見「はぁ?」と首をかしげる人もいると思いますが、
これにはちゃんと筋の通った理由がありまして、例えば
皆さんは他人に対して「あっ、人間さんこんんちは!」なんて
言わないですよね、きちんと名前かあだ名で呼ぶと思うんです。
(たまに、「おい!」とか「あんた」と呼ぶ時もありますが)

と同じように、あたくしのこのヘンテコな文章にも「丸かの今夜も
前進!前進!トップギア!!」と、これまたふざけた名前が
ついておるのでございますのでございます。(笑)

考えても見てください、「ブログ見てるよ!」と言われるよりも
「トップギア!!見てるよ!」と言われる方が、まぁ、なんて言う
のでしょうか、なんか世間一般とは違うモノで共感しあっている
と言うか、特別感があるじゃないですか。
って言うか、ただの天邪鬼(すごい!あまのじゃくを変換したら
こんな字が出てきた。)だけなのかも知れないですがね。

まぁ、別にただの希望なのであまり面倒に考えないで下さい。
(勝手に自分で面倒にしておきながら)

それなので「長い」なんてのも、まったくしてもって「ナンセンス」
なことで、これからも「自分ペース」で好き勝手なことを書かせて
頂きま~す。

ん!?結局、なんで「ブログ」ではなく「トップギア!!」なのか
本当の所を教えろだって?
まぁ、それは、ほら、いまこのような場所で言うもんじゃないしね。
それに、実はこの「トップギア!!」にはアメリカ航空宇宙局の「NASA」
も絡んでいることなで、ちょっと今は勘弁してください。


あっ、まったく本当に私的な事ですが、改めて昨日はご馳走様でした。

かなりリアルな夢。

内容はと言うと、
先日、テレビで観て印象に残っている事柄でした。

それはこんなことです、「道外から来た人が、札幌は気候もいいし、
食べ物も美味しい、人もおおらか。でも一つ残念なのが、マナー
が悪い」と。

車の運転していても「譲らない」、公共の乗り物では「降りる人が
まだいるのに、入ってくる」「横断歩道では信号が赤なのに平気で
無視をする」などです。

あたくし、常々言っておりますが「いつから、こんなに日本は
道徳のない国に成り下がったのか」と(多分、初めてですが)。

自慢じゃないですが、あたくし横の人に迷惑がられても電車では
二列に並ぶし、地下鉄なんかもきちんと降りる人を待ってから乗ります
(後ろの人はかなりじれったいだろうけど)、信号も車が120%
来る気配がなくても青まで待ちます、その変わり横断歩道で
ない所を横切るようにしてますが(意味ないじゃん)。

で、本題ですが本日の夢の中で、あたくし「ホイッスルマン」に
なっておりました。「ホイッスルマン」とは白い手袋をはめて、
ハンチング帽を被り(既にこれだけでも怪しい)、ホイッスルを
首からぶら下げて、マナー違反者に「ホイッスル」で警告を与える
のです。(なんて素晴らしいのでしょう!)

かなりの「ホイッスル」を吹きました、かなり正義感に燃えていました。
その証拠に朝、目覚めた時に思わず「今日もやるか!」などと気合が
入っていました。

多分、こんな人が「夢で神のお告げがありました」などとほざいて
「ホイッスル教」なるものを作り、余計に世間様にご迷惑をかけるん
でしょうね。

十分気をつけます。。。。。

おばんです。

最近、座る時間が多いせいか、はたまた敷布団が異常な
くらい薄くなり、固くなったからなのかは存じませんが、腰痛です。

以前、「坐骨神経痛(ざこつしんけいつう)」を2度やって
いますが、今回は違います。

そのせいなのか、はたまた久しぶりに「金富士」へ行き調子
にのって飲んだせいなのかは分かりませんが、一日中布団の
中でテレビを観ていました。

本当は夕方から店の備品を見に行くはずでしたが。。。。。

たまに、トイレに起きる時に情けない話ですが、お爺ちゃんの
ような歩き方になりながら用を足して入る時に「あぁ、なんて
情けないんだ」と思いつつ、

ん?待てよ、この恰好は何かに似てるな・・・・・。
おおー!!そうだ世界のホンダが作った「世界初の二足歩行
ロボット『ASIMO(アシモ)』」ではないか!!

と言うことで、これがあたくしの歩き方です。

少しだけ「玉ちゃん」が痛いのですが。。。。。

もう、5年か。

1994年春。
「けんじ、これ誰のだ?」と店先の前にあった「COOL」のしけもく
数本を指差し声を掛けた。
「すいません、僕のです、片付けます」と頭を下げた。

あたくしが、「けんじ」こと「荒城堅治(あらきけんじ)」の店に担当に
なり最初に交わした言葉でもあり、「こいつ以外と素直で正直だな」と思ったのと
同時に信用できる人間に思えた瞬間でもありました。

もし、あの時「いえ、知りません」何て「けんじ」が答えていたら、
その後のあたくしとけんじの間柄は無かったでしょう。

「しゃかりき屋メトロ店」、その前年の夏に「焼丸」からリニューアルオープン
してからずっと業績がよくない店、万年赤字体質。さぁ、誰がこの赤字店を担当
して「火中の栗」を拾うのか?当時店長は野口、調理担当はけんじ。

店自体は良くないが、二人ともガッツがあっていい。
会議で手を上げる、「オレが担当します」。当時のあたくしの担当は
「大東京」「ハリーズ・ベイ」「クラック」「ドラゴン倶楽部」。
そして新しく担当した一発目の言葉が冒頭の言葉でありました。。。。。

正直、けんじのことを書き出すと今週一杯使ってしまうくらいに沢山の
思い出があり過ぎます。

まず、最初に店に入っておかしかったのは二人とも元気で明るい、
よくこんなにも暇な店なのに、なぜにこんなにも元気に明るくできるのか?
という位に元気で明るい。
しかも、焼場の前のカウンター席は「特等席」だそうで、二人が好みの
女の子用の為に常に二席はキープしてあるとか。(アホだ)

しかし、二人の仕事に対する姿勢は違った。野口はどちらかと言うと、
結果よりプロセスを大切にし、けんじはプロセスより結果タイプ。
けんじは赤字で他店から舐められている自店がたまらなく嫌だった。

ある時、あたくしが「クラック」に出ていると「けんじ」がひょっこりと現れて、
「部長、お話があります、あの店を自分にやらせて欲しいのですけど」と
言いに来た。「僕は、店が赤字なのにいくら営業時間が0:00だからと
言って、せっかくお客さんが来ても帰す事はしたくないんです」と。

「わかった」と一言。これも不思議です、なぜあまり事情も聞かずに「けんじ」
に任せたのか?それから数日経ち「けんじ」に店を任せることになりました。
「けんじ、営業時間は?」 「はい、朝までやります」 「朝までって何時までよ?」
「お客さんがいるまでです」 「けんじ、気持ちは分かるけど、大体の目安を
つけておかないと、逆にお客さんが戸惑うぞ」 「それじゃ、一応営業時間は
3時までにして、それまでに入ったお客さんが帰るまでやり、その間に来た
お客さんもそのまま入れます」と。

一度、2:30位に電気が消えていたので「ああ、今日は早く終わったんだな~」
と思い、店に入るとその当時出来たばかりの彼女(後に奥さん)が薄くらい
店内のイスにちょこんと座っていて「あっ、部長お疲れ様です」 「Sちゃんお疲れ」
けんじはと言うと上半身裸になり、まるでブルースリーのような格好でデッキブラシ
で黙々と床を掃除していました。

「けんじ、お疲れさん」「部長、お疲れ様です」 「いつも朝まで頑張っている
から今日くらいは早く帰れよ」 「はい、お言葉に甘えて」、次の瞬間店の
ドアが開き女性4~5名が「もう終わりですか~」と。間髪いれずにけんじは
「どうぞ!いらっしゃいませ!!」「でも、もう終わりじゃないんですか?」
「なに言ってるんですか~、まだ終わってなんかないですよー、ただ、この時間
からはカウンターだけになちゃうんですよー」と中に入れて急遽あたくしと二人で営業を再開
しました。付き合い始めたばかりなので本当は二人でゆっくりしたかったはずなのにね。
その翌月から「しゃかりき屋メトロ店」の快進撃が始まったのです。

けんじのエピソード、
・ビアガーデンが始まりお客さんが少なくなった時のけんじの一言、「部長、
ビアガーデン頭に来ますね、考えたんですけどビアガーデン会場にうんこ撒いて来ようと
思うんですけど」(一体、どれだけのうんこが必要なんだ)

・原価率が厳しい時の一言「力(アルバイトの部下)、お前、大通り公園に行って
ハトをつかまえて来いよ、マジで行けよ!」

・団体の中で偉い人が威張っていた時の行動、「はい、お待ちどうさまです漬物お持ち
しました!」と言って、そのお客さんのハゲ頭の上に漬け盛りを乗せてしまった。
(半径3メートルは凍りついていた)

・痛風になって痛がっていたのに酒を飲んでいたから「けんじ、大丈夫か?」と聞いたら
「部長、痛風を逆から読んだら『ふつう』と言うんですよ、だから普通なんです」。・・・・・?

・店が満席の時に「!?けんじあそこの卓のお客さん随分盛り上がっているけどさぁ、
その割には伝票が三つあるんだけど」 「部長、あそこは相席です」「相席!?でもよ
4人用の席に6人もいるぞ!?」「はい、気にしてません」(お前じゃなくよ)

・「けんじ、どうした?」「お客さんが小上がりがいいって言うんですよ、それで、ここに席を
作ろうと思います」 「ここって?」 「ここです」 「ん!?けんじ、ここは普通の床だぞ?」
「はい床です、今は。でっ、当日ここのテーブルとイスをよけて、ここにござを敷いて座布団を置いて
小上がりを作ろうと」。 
「けんじ、アホかお前は?まずそのイス、テーブルは何処に片付けるんだ?しかもそんなに
低いテーブルはどこにあるんだよ?」
「はい、宅飲み感覚で地べたでもいいんじゃないかと」 「けんじ、今回はあきらめろ。。。。。」

・「どうも~いらっしゃませ~!」と言って好みの女性に対しては右手で握手をしながら満面の
笑顔で迎え、さりげなく左手を背中にまわしてブラジャーをさわっている。
(たまに、店長(けんちゃん)さわり過ぎ!と言われていた、しかもけんじのツワモノぶりは
カップルで来ていてもお構いなし)

・東銀座の会社の近くにある「魚民」へ行き、まるで自分の店のように振る舞い、
新人がいたりすると、店長を呼び「店長、新人の教育がなってないぞ」とか「今月の売上はどうだ」
と本当にはた迷惑な奴でした。

あと、200位ありますが「放送禁止」になるので、この辺りが公衆の面前に出せる話です。

酒飲みで、スケベで、貪欲で確かにとんでもない所も、多々ありましたがいい奴でした。
「暖中」を関東で展開するにあたり、2001年から規夫と一緒に東京へ行きました。
あたくしが札幌で会議が始まってすぐに「荒城部長が倒れました」と一報が入り、あたくしは
すぐに東京へ向かいました、それが2003年11月5日です。

それから12日後の11月17日「くも膜下出血」。(享年34)

最後の言葉は「ここの看護婦、意地悪でタバコを吸わせてくれないんですよブスのくせに、
売上構成表はどこにありますか?」でした。

あたくし、「タスコ」を辞めるかどうか迷っていたのですが「けんじ」の死が
最終的な決意になりました。けんじ、お前は生き急ぎ過ぎだったんだよ。

夢で逢ったけんじは、あたくしにこう言いました「実は生きてたんですよ、これから弟子屈(実家)に帰る所です」
それが、けんじに逢った、そして話をした最後です。
ファイル 158-1.jpg
一番左があたくし、その隣が「けんじ」、1994年しゃかりき屋メトロ店が12月みごと1位になった忘年会にて。
けんじがよく歌っていた曲。
でも、あたくしが「けんじ」に贈る曲。

スタッフとの出会い(山内編)。

なのはなの「やま」が社員として働き始めたのは
一昨年の夏です。

既に、そのころ奥さんのお腹の中には「ジュニア」が
いたのですが、敢えてなのか、だからなのかは知りませんが
晴れて「丸か加藤商店」の一員として仲間に入りました。

やまは、まだ社員になる前から当時働いていた中華料理店
が終わると、お金も出ないのに「なのはな」へ来て仕事を覚えに
来ていました、もちろん愛用の「やまチャリ号」で。

たまたま、あたくしがカウンターに座っているとバイトを終えた
「やま」がしつこいようですが、愛用の「やまチャリ号」を乗り
つけて、キッチンの中に入り規夫から紹介されました。

やまが良いのは本当に責任感があり、真面目なことです。
そして、物凄く好奇心旺盛で料理人では珍しく接客に関しても
自分から「ガンガン」話しかけていきます。

ぶっちゃけ「やま」は調理をやっては来ましたが、マネジメント業は
やって来ていないので、現在「店長兼チーフ」という立場での
運営はしんどいことの方が多いと思います。

故に、たまに「えっ!?なんでこんな考えなの?」と言うこと
もしばしばで、マネジメント面の知識がない分「アパッチ的」な
考えや行動になりがちですが、あたくしさほど心配はしていません。

よく、もっと戦略的にとかマネジメントスキルを磨いてとかと、
胡散臭いコンサルタントや口ばかりの評論家タイプのような輩より
しっかりと結果を出して、愚痴一つ言わないで(店では言ってる
かもしんないけど)、確かに経験や知識はないけどしっかりと行動
に移すことの出来る人間には信用があります。

やはり、あたくし思うに仕事も人間関係も「信用」というのが
一番大事なんじゃないのかと思うのです、シンプルですが。

その点、「やま」と先週書いた「いくみ」なんかは本当に「やる!」
となったら「やりきる根性」を持っています、その分思いっきり
「プライドが高い」のだと思います。

屁のツッパリにもならない自分だけを守る為や意固地の「プライド」は
入りませんが、人の信用を得るための「プライド」は絶対に必要です。
(細川部長もその辺は凄いけど)

これからの「やま」の課題と言うより、期待はもっと「業績と人で泣いて欲しい」と言うこと。

その「業績と人」で泣いて、立ち上がり、笑顔になり、また泣いてと、
それらを繰り返して、山内という人間とそこで一緒に働くスタッフも成長し、
その成長した意識の高いスタッフのいる店に来るお客さんも何かを感じて、
今度はお客さんも意識が高くなったり、そのような姿勢に共鳴する人たちで
あふれるという、まさに「相乗効果」で良いオーラに包まれた人、店になるのでは
ないでしょうか。(たたみ掛けるように書いちゃいましたが)

さあ、これからが「やまとなのはなスタッフ」の正念場です、自分達がどこまで
成長していくか遠慮しないでどんどん挑戦して行くことを望みます。
ここが、やまと素敵なスタッフ達がいるアットホームな店です。

最近、少し恥ずかしかったこと。

・コンビニへ小銭入れを持ち買い物をして、レジでお金を
払おうとしたら思いっきり足りなくて、モノを返してきたこと。
(しかも、そういう時に限って後ろに女子高生が並んでいる)

・駅前通りを歩いていて、後ろの方で救急車が止まったので
振り向きながら歩いていたら、思いっきり「チャリンコ」の列に
突っ込んでしまい、まるでドミノ倒し状態でかる~く10台位は
倒れてしまったので、

慌てて直していると若いお兄ちゃんが手伝ってくれたので、
「ありがとう」と言ったら、「倒れてるの自分の自転車ですから」と言われた。
しかも冷静に。

・女性が隣に座るお店に行って、かなり盛り上がっていたら
「あれ?このシャツ裏返しじゃない?」と襟首のタグを掴まれて言われたので、
「うん、これはリバーシブルだから」と、とっさに言ったけど絶対にバレれている。

・先日も書きましたが、普通に公衆の面前で「自転車」に轢(ひ)かれた。

・家に帰るときに夜道を歩いていて、誰もいないと思いかなり感情を
込めて歌っていたら、反対側の歩道に女性が歩いてた。しかも、かなり
「さび」の部分をリピートして歌っていた。

・家に帰るときに夜道を歩いていて、不覚にも「オナラ」をしてしまったので、
もしや?と後ろを振り返ったら、案の定人がいた。

・知り合いに頭を下げたら普通に気づかれなくて、これまたバツが悪く
そのまま頭を下げたまま、靴紐がほどけた振りをして、半径10メートル
周囲の人がいなくなるまでしゃがみこんで直すふりをしていた。

・地下鉄を待っている時に、急にお知りの穴がかゆくなったのでズボン
の上から思いっきりかいたら破れてしまい、異常なくらいお尻の割れ目に
力を入れて破れた所を割れ目の中にしまうようにして、つま先歩きで
地下鉄に乗って帰ってきた。

・事務所~電車~歯医者~本屋さん~ラルズ~ドンキ・ホーテ
~本屋さん~歩いて事務所へ。 その間、自慢じゃないがファスナー
が全開だった。

・さっき、ある人の誕生日プレゼントに「ガンダムのフィギュア」を買って
歩いて事務所まで来る時に、駐車場からバックで出てきたワゴン車に
顔面がぶっかった、でも「ガンダムのフィギュア」は命がけで守った。

ざっと、こんなとこかな。

動機か。。。。。

前にも時々書いていますが、あたくしがこの仕事をしたのが
1988年4月なので約20年が過ぎました。

それまでは芦別工業高校を卒業してから東区にある「国際技研」という
建設業へ入り、その後辞めて約1年間アルバイトをしておりました。
トラックへの荷物の積み込みの仕事、トラックの運転手、生コン
打(だ)せつと、そのほとんどが建設業の流れのような職種でした。

生コン打せつの時には真栄の(多分、高校の基礎だと思う)現場に
行った時には「国際技研」の先輩達も居て、どんくさいあたくしの仕事
を手伝ってくれたりもしました(笑)。

いつの頃からでしょうか、「夜、働こう」と何の根拠もなくただ漠然と思ったのは。
当時、夜、それもススキノで働くということは何となく人生からドロップアウトした
生き方と言うのでしょうか、言葉は悪いのですが「ヤクザ」な世界に入るようで、
一度入ると昼の生活に戻れないんだろうな~的に考えていたので、

自分の中で「一年間だけ昼の仕事を思いっきりやって、沢山汗をかいて、
もうこれ以上いいという位にやって、昼の仕事に対して未練を断ち切って
から夜の仕事をしよう」と思ったのです。

その頃は夜(ススキノ)=水商売で、「酒、女、金、喧嘩、エロス」と言った
人間のあらゆる『欲』が渦巻いている世界のイメージが強かったのです。

今から思うと、なぜあの頃、夜の仕事をしようよ思ったのかはわかりません。
別に特別夢や目標があったわけではなかったし、夜の仕事も特別興味が
あったわけでもなかったのに。。。。。

ただ、一つ言えるのは「今でも沢山色々なこともあり考えることもあるけど、
この仕事をしてよかったと思います、それは最初に入った会社、店、人という
環境が良かったからです」。

夜(ススキノ)=水商売、欲とダークな世界。と言う少しアウトロー的な
イメージから、今はこんなに色々な人と知り合い、沢山勉強できて、そして
毎日、何がしかの気づきがあり成長できる仕事に『誇り』を感じます。

要は職種がどうのではなく、そこで働く人間の考え方とその姿なんだと思います。

飲食業バンザイ!タスコシステムバンザイ!!丸か加藤商店バンザイ!!!
そして、今までも、今も、これからも、出会った、出会うであろうお客さんと仲間にバンザイ!!!!

そして本当に「ありがとう」。

ん?結局、あたくしは何を言いたかったんだ? 
まっ、いっか、この仕事は楽しい!で。

メルマガから。

お疲れ様です。

今日の思い。

「どんだけよ」です。

私たちの仕事はお客さんがいて成り立つ商売です。
お店に来ていただいて飲食をしてもらい、その対価として
お客さんは御代を支払っていきます。

御代はただの「お金」ではなく「おひねり」です、
よく、芸をする人に「おひねり」を渡します、それは贔屓に
している芸人や、その芸が良かった時に「おひねり」をもらえます。
でも、「おひねり」を渡すかどうかはお客さんの自由です。

しかし、飲食店は一旦店に入って飲食をしてしまうと、
いくら気の利かない店員がいようと、どんだけまずかろうと
御代を払わないと「無銭飲食」で捕まってしまいます、普通は。

不思議です、飲食店はお客さんが来ないと成り立たない
商売なのに、なぜ?もっと気が利かないのか?
なぜ?もっと「これ!」と言う商品を開発したり出すことに貪欲にならないのかと。

私から見て、お客さんが何か頼もうとして気づかなかったり、
呼ばれてから反応する奴らって「どんだけ、テメェーは偉いんだよ!」と思います。
それが続きすぎる奴はね。

料理に集中してるから?人がいないから?アホか。
もう一度言うぞ、私たちの商売は「お客さん」あっての商売なんです。
商売だ・ぞ、商売。

作業を商売より優先しているからアホになるんだよ、別にお客さんは
神様でもなく特別偉くもないんです、お客さんは普通の人間です。
私たちの商売は御代を頂いてお礼の頭を下げるけど「下僕(げぼく)」ではない。
下僕とは召使いのことだから。

良い商品、気持ちの良いサービスをして、お客さんはそのお礼に
御代を支払います、それは「こんなに美味しくて、感じの良いサービスを
して頂いてありがとうね、また来るから頼むね」ということなんです。

その御代は、私たちにとっては良い仕事をしたという「おひねり」なんです、
いわば自分達の仕事を認めてもらったという。

だったら、偉そうにしてないでもっと貪欲に喜ばれることをしろよ。
スタッフ同士で気を使いあっている暇があるんなら、アホなスタッフを
引っぱたいてでも貪欲に喜ばれることして、もっと沢山の「おひねり」をいただけよ。

それが嫌なら人間やめろって。だって、これって飲食店じゃなくても生きていく上で
必要な考えで、そうじゃなく自分の都合ばかりで仕事してる勝手な奴は非常に
迷惑な存在だから。

ぎっちぎっちに固くてもダメ、かといって気が利かないのもダメ、横柄なのもダメ、
ペコペコともみ手でゴマすりでもダメ。それだけ、洞察力、直観力、判断力、感性が
求められる仕事なんです、深い商売です。

飲食店はバカじゃなれず利口でもなれず、中途半端じゃなおなれずだよ。

編集後記
一歩、踏み出せばいいだけだよ。









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