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お呼ばれ。

昨日、常連さんの「小西君(こにたん)」の実家(北見、小西精肉店
から、美味しいサガリを持って来てくれたので「欽ちゃん」に集合
しました。

メンバーは小西ファミリーと「飲酒研究会&食いしん坊万歳の祥子」
とあたくし。18:00欽ちゃん集合なのですが、狸小路を2丁目で「あっ、
祥子!」と思い電話すると、調子に乗ってロビンソンでご飯んの材料を
買うところでした。(買ったのか?)

まぁ、なぜか美味しいものを食べるか!と言う時には「祥子」を思い出す
というより「条件反射」のようになっている今日この頃です。

そんなこんなで、途中参加の長男坊(ショウヤ)も参加して楽しく美味しい
ひと時を楽しみました。それにしても次男坊(ユウト)とは、会う機会が多かった
のですが長男坊とは約5ヶ月ぶりです。この前、あった時は高校へ入学前
だったんだけど、高校に入学した長男坊はたった5ヶ月の間に物凄く大人っぽく
なっていたのにはビックリしました。(まだ童貞です)

何だかんだと5時間位楽しんで(不思議と欽ちゃんは時間の感覚がなくなる)
、小西ファミリーも祥子も帰り、気がつけばカウンターで規夫のお父さんと語って
いました。(本当に不思議です)

規夫のお父さんとは「日高をどうしたら活性化できるのか!」といったと激論を
かわし(ほとんど記憶はないけど)、最終的には「オーストラリア人だ!」とニセコの
パクリで落ち着き、そこでお父さんは帰りました。

普通はそこで帰ればいいものを、あたくしはカウンターにいた20年来の常連さんの
進むさんと語り合っておりました。(マジで不思議です)

結局、何時に店を出たのかは定かではなく、タクシーで帰るお金もなく歩いて
帰り、途中むしょうに「マルちゃんのしょうゆラーメン(袋バージョン)」が食べたくなり
コンビニで買おうと思ったら「マルちゃんのしょうゆラーメン」すら買うお金もなく後ろ髪
を引かれる思いで家路に着きました。

どおりで今日、事務所で「マルちゃんダブルラーメンしょうゆ味(必殺たまご落し)」食べ
たんだ。(浩太郎にも一口)

先ほど、祥子が事務所に顔を出したので、てっきり「昨日はご馳走様です」と
言いに来たのかと思ったら「芋ようかん」を持ってきました。なんでも昨日昔の
部下が欽ちゃんに挨拶に来た時にもらった「芋ようかん」を祥子に「明日、これ
を持って事務所に来い!」とまったく意味不明なことを言っていたからだそうです。

あたくし決めました、しばらく飲みには行かないって! 金富士以外は(オイ!)

追伸、サガリも美味しかったけど、小西君のお母さん手作りのハンバーグじゃなくて
コロッケ激旨でした。
いい家族だ。

男たちよ元気かい?

お~い、男たちよ元気かい?

あたくし、よく心に残る言葉を残してまとめています。
今日、またいいな~と思う言葉があったので保存し
ようと思ったら「ひょい」と目に飛び込んで来た言葉が
「能力がないから相手にされないのではなく、努力が
見えないからだ」
という言葉。

誰が言ったのかは判りませんが、「あ~、ホントそうだよ
な」と一人で10分くらい(ホントは3分くらい)感心して
様々なことを考えました。

丸かは平均的(人によっては平均以上と言う人もいますが)
に男子より女子の方が努力を惜しみません。細Bや先月で
寿退社をして飲酒研究会を立ち上げた祥子とか不器用チャ
ンピオンの「ぶぅ!」のいくみであったり。それに、あやこやひさえ
にかよちゃん、そして忘れちゃいけない真紀といった面々は非常
に働き者で努力します。(ありがと)

その分(全員ではないですが)、男子が元気がない。今回の
オリンピックを観てもやはり女子が強くなったのか、はたまた単
にあたくしの接し方(指導)が悪いのか・・・・・?

女子に仕事を頼むとどんなに眠くても、どんなに忙しくても
最後までやってくれるけど、男子はある程度自分なりに都合
のいいように解釈をして「つめ」が甘く中途半端で終わる。

あたくしは不器用な方で要領を得るのに時間がかかります。
建築業の時、飲んだ時は優しくて面白い先輩も仕事では厳
しかったしよく怒られていました。しかし、同じことをやって進歩
のない人は段々と飲みにも誘われないし、3人一組のチーム
なのですが外されて行き、よそよそしくなって行くんですね。

先輩達に可愛がられる人間と言うのは「ゴマをする人」でもなく
、「要領のいい人」でもないんです。少しくらい不器用でも
「同じ失敗を繰りかえさないようにしよう」とか「皆に迷惑をかけ
ないようにしよう」と自分なりに努力を重ねる人なんですね。

人より仕事が遅くて皆に迷惑をかけるのなら、昼休みを返上
してでもやるとか、先輩達が少しでもやり易いように道具を揃えて
置くとかといったことを努力している人なんです。

そういう人は先輩達から可愛がられる。可愛がられるとは、別に
失敗しても怒られないという意味ではなく、失敗しても普段から
努力しているし、向上心があるので諦めないで仕事を教えてくれ
ると言うことです。それと「アイツは決して器用じゃないけど、信頼
出来る奴だと」言って、よく先輩の家に誘われたり飲みに行ったりして
仕事の話をしている内に知らず知らずのうちに先輩達の仕事に
対する考え方や「呼吸」が掴めて来て「腕」も上がっていくんです。

要はそういう人間は責任を持って面倒を見てくれるんだよね。

能力なんて差があって当たり前、一番重要なのは「それならそれで
どのように工夫をして努力をしたか」ということなんです。あたくしが
一番頭に来るのは「我が事情ばかり考えて、一緒に働いている仲間
やその店に来るお客さんのことを十分に考えないで中途半端な仕事
をする輩です」

今日の言葉じゃないけど、社会って「能力がないから相手にされないの
ではなく、努力が見えないから」
なんだよ。もうひとふん張りを平気で怠ける。

古いかもしれないけれど、男は仕事の難易度が上がるにつれて「成長」
して行くんだろ。なら後悔や懺悔ごっこをしていつまでも自分を楽させて
いないで行動に移すことだよ。

それに「良い仕事」をすることは最高の誇りです。

そう、あたくしもね。(有)丸か加藤商店

なんだ、この脱力感は・・・・・。

お盆明けです。しっかりと休んでいた人はかなり、
だるいのではないのでしょうか?

あたくしはお盆休みなんかないのですが、高校
野球も終わり、オリンピックも終盤になり、ビア・ガ
ーデンも終わったいまとなってはなんだか気分的
に疲れています。

多分、いまごろ学生なんかは残りわずかな夏休み
を戦々恐々としつつラストスパートで楽しんでいるの
でしょうね。

夏休み冬休みと言えば、宿題をいつもギリギリにやって
しまい、そのお蔭で休み中も頭の中の片隅に「宿題」
の2文字があり「ふっ」とした瞬間にブルーになるのが嫌で
、休みに入る前は「今度こそ、最初にやって何も気にし
ないで遊んでやる!」

と思いつつも休みに入ると「明日やろう!」まだ3週間
もあるし。そして次の日には「明日!」そんなことをして
いる内に「うわっ!あと二日!」となってしまうのでした。
たまに机に向かっても5分と持続しない。ホント不思議
なこともあるものです。。。。。

そう言えば始業式と言えば、高1の始業式の日に「えっ!?
弁当持ってくるの?」と、中学生気分で始業式と掃除をして
帰れるものだとばかり思っていたクラスメイトが半数以上いて
、そのほとんどが「そんなの聞いてね~よ」と言って早退
をしたり中抜けをしていました。

もっとも、一年生の夏休み明けにはクラスの数人は既に
辞めていましたが。斯(か)く言うあたくしも初めて早退を
したのですが、一緒に早退したクラスメイトでなべ(渡辺)
というのが「弁当いるの知らなかったから、弁当持って
くる」と言ったきり、そのまま姿を見せなくなりました。

あれから26年、なべを見たという友人はいません。いったい
なべはどこまで「弁当」を取りに行ったんだろうか・・・・・?

なべ、もしこの「トップギア!」を見ていたなら連絡をよこして
欲しい・・・・・。(有)丸か加藤商店、機械科ⅠAの加藤です。

あっ、高1の始業式にはもう一つ不思議な現象があり、まじめだった
同級生がありえないくらい「ヤンキー」に変身してくることです。 
変わった奴らだ。

酒場で観るテレビとビンビール。

か)「今日はお盆だけど金曜日だね~」 細B)「そう
ですねー」 か)「忙しいかな~」 細B)「どうですかね~」
か)「大丈夫そう?この人数で」 細B)「えぇ、大丈夫ですよ」
か)「そう、じゃあ、明日頑張るから金富士に行ってくる」

と言うことで、昨日久しぶりに「心とふところのオアシス『金富士』」
へ行って来ました。

ほ~う、お盆だけどそれなりに忙しいな~。隣の薬局で買った
腰・足・膝に良い飴を渡して、いつものサッポロラガーのビンビール
と「カシラ」「ブタ」を頼んでと。これで、柔道オリンピックを観る準備万端。

ん?あれれ?なんで、東八郎さんの息子の東貴博さんが出てる
の?ん?なんですか、「イヨマンテの夜」って。
え?懐かしの昭和のメロディー?(違う、違う、マスター、ここは柔道
じゃないの?と心の叫び)

そんな空気を察してか、おもむろにマスターがチャンネルを柔道へ。
なに、知ってるんじゃん。ほー、石川選手決勝ですか。嬉しいね~、楽しみ、
楽しみ。あれ、いつの間にあたくし一本空けちゃったの?しょうがないねー、
「マスター、ビール!」

隣のカップルも嬉しそう。いいね~、この一体感。ん?あれれ、マスター
なにしてんの?なんでチャンネルを変えるわけ?「野球はまだか?」って。
(マジかよ、野球なんて9回まであるし、今日は余裕のオランダ戦でしょ?
と心の中で独り言)

トイレから帰ってきた隣のカップルの女性が「!?」と言う感じ。そんなこん
なで、野球が始まっちゃいました、と同時に隣のカップルが帰っちゃいました。
(ほらー、マスターが野球なんか入れるから~と、ささやかな心の抗議)

まぁ、あれだね、酒場のテレビってお客さんの為にあるんじゃなくて、完全に
店主の私物化状態だよね、しょうがないか・・・・・。

こうなったら仕方ない、近くで働いている丸かの常連「こにたん」を呼ぼうっと。
「もしもし、えっ、九時過ぎ、分かったよー、待ってるよー」(なに、こんな時に仕
事なんかやってんだよ、と完全にマスターに見劣りしないほどの自己中心的)

ん?あれれ?このビンビール穴があいてるのかな?「マスター、ビール!」

野球は一回の裏に日本が4点を入れちゃったよ、「よし、ここだー!このタイミング!」
「マスター!4点も入ったよ」、マスターも嬉しそうな顔。「マスター、もう柔道決勝
が始まるよ」「なに?決勝?」「そう、決勝。」

おー、ちょうど今から始まるところ、他の席のお客さんもテレビの近くに。
(おい!こら!あなた、そう、あなた、そんなとこにいたら観えないでしょ!と心の怒り)

おー!やったー!優勝!あー、観れて良かった。この為に「金富士」に来たような
ものだからね。いいね~、やっぱり柔道での優勝は。よーし、繰り返し流れるVTRを
観て余韻に浸りながら飲みましょっと。ん?あれ、誰か、あたくしのビール飲んじゃった?
「マスター、ビール!」「おう!」と言いながらビールの入っている冷蔵庫の上のテレビ
を野球に戻していました。。。。。

たまんないね、いいねー、「金富士」と「サッポロ・ラガービール」は。

あんひとたち。

今日は63回目の終戦記念日です。北京オリンピック
で賑わっている分話題に上らないのと、現政権の人
たちの多くは祖国よりも隣国に配慮をする政治家が
多い為、「靖国神社参拝」も問題になりません。

不思議な国です。祖国を守るために散っていった人
達に対して敬意をはらうどころか、この国の政治家や
一部マスコミ、一般人までもが、二言目には「戦争を
美化するのか」だとか「軍国主義の復活」だとわめきます。

断っておきますが、あたくしは戦争肯定論者ではありま
せん。戦争なんて無い方がいいに決まっている。

今日はこのような話なので、このような話が苦手な方
がいましたら、ここから先はご遠慮して下さいね。

ここに一枚の写真があります。
ファイル 77-1.jpg
昭和20年5月27日に第72振部隊という「神風特別攻撃隊」
で戦死した人達です。真ん中で子犬を抱いているのが荒木幸雄
伍長(17歳2ヶ月)、向かって右が千田孝正伍長(18歳6ヶ月)
、その後ろが高橋峯好伍長(17歳4ヶ月)、向かって左が早川
勉伍長(18歳2ヶ月)、その後ろが高橋要伍長(18歳7ヶ月)
今で言えばみんな高校2年生~3年生です。

このスナップは出撃前日の26日に撮ったものです。この少年達は
”特攻ほがらか部隊”と言って、みんな明るくひょうきんな少年達でした。
中でも千田伍長は歌もうまく慰問に来てくれる村の人びとを逆に
大笑いさせる程でした。(でも、村びとは心の中で泣いていたと)

この”特攻ほがらか部隊”の第72振武隊は、27日鹿児島の万世
基地から飛び立って、敵駆逐艦2隻を捉えて突入をし見事1隻を
大破炎上させました。(17、18歳の少年ですよ)

あたくし「知覧特攻平和記念館」に出張がてら2度行きました。
そこには知覧基地から出撃した1035人の遺影と遺書が展示され
ています。皆、17歳~23歳くらいの人たちです。

その遺書には「親や家族を思う気持ちや故郷のこと」を綴った遺書
がほとんどです。特攻隊で散華したほとんどの人達は、本気で日本が
勝てると思っていなかったけど、自分が死ぬことによって少しでも自分の家
族や故郷、日本が生き延びられればと。

そういう人達が出撃30分位前に車座になって談笑しながら(これから
死に行くのに談笑とは・・・)、「いいか、靖国の大鳥居の入って右側
の2本目の桜の木の下で会おう!」と誓いあったりしたそうです。

このような話もあります。地獄の戦場といわれたニューギニアのウェワク
で六門の高射砲がたった一門になるまで戦った約550名の生存者
はわずか32名。 その生存者の一人で横浜で呉服商を営んでいる
Y元二等兵は、慰霊巡拝団の一員としてウェワクを訪れたとき、いまも
木一本生えていないという高射砲陣地跡で、彼らが最後まで死守した
あの高射砲が一門、天をにらんでいたそうです。
それを見た瞬間、Yさんは赤さびた砲身に抱きついて、「日本へ帰ろう!
みんなのところへ、靖国神社へ行こう!」と声を叫(あ)げて哭(な)いたと
いいます。
その高射砲を、Yさんたちはとうとう靖国神社へ持って帰ってきました。
特攻隊員の命の声が聞こえるより 神坂次郎

そのような人たちの心の拠りどころを無視をして、何が国政か、といいたい。
アーリントン墓地(アメリカ軍の戦没者墓地)や外国の無名戦士の墓に参
拝する閣僚が、自国の靖国神社に参拝しないというのは、戦没者への裏
切りではないですか。 とこの本の著者は語っています。(まったくです)

あたくし達は単にあの人たちを「戦争の犠牲者だ」「かわいそうだね」なんて、
安っぽく他人事のように言えますか?言うにこと書いて「特攻隊は洗脳され
ていたんだ」などと、どうして言えるのでしょうか?昨今の「自爆テロ」とはまったく
次元が違うのです。

トラックに乗り込んだ、少年、成年達は皆一様に微笑です。逆に見送る
子供たちや女学生の方が頭を垂れて泣いています。本当に泣きたいのは
あと二時間あまりで死ぬ彼らなんです。でも、じっと涙をこらえて、笑顔で見送
られて行く、あの微笑は彼らの精一杯のやさしさなんです。残る人たちを悲し
ませなくないという思いやりなんです。 

これほど純粋で神々(こうごう)しい若者を「自爆テロ」扱いですか?洗脳なん
て言葉で片付ける自体あきれるばかりです。もし、この人たちが今の日本を見
たらどう思うでしょうか?17歳~23歳の若者が家族のため日本のため葛藤
のなか覚悟を決めて逝ったのです。

あたくしの立場で本日の「トップギア!」を書くことは、かなりリスクをともないます。
が、しかし、あえて書きたかったのです。せめて終戦記念日の今日くらい「自分達
の代わりに、素晴らしい日本を作って欲しい」と託し逝った人達の悲壮なくらい純粋
な姿を。

最後に先ほどの”特攻ほがらか部隊”の一番明るくてひょうきんで人気者
だった千田伍長を出撃の前日に偶然見かけた女学生がこのように語っています。
(多分、子犬と戯れた後でしょう)

「略~朗(ほが)らかで歌の上手な十九歳の少年航空兵出の人が、出撃の
前の日の夕がた「お母さん、お母さん」と薄ぐらい竹林のなかで、日本刀を振
りまわしていた姿です。 立派でした。あんひとたちは・・・・・」。
今日われ生きてありより神坂次郎

おまけザ・コクピット

こっちは時間あるときに

第三弾、丸かと行く「大空と大地の中でツアー」。

みなさん、すっかり夏も過ぎようとしている今日この
頃&お盆はどのようにお過ごしでしょうか?お前に
関係ないだろう。と言われればそうなんですが、一応
話の流れと言うものがありますので。

たまの実家に、お墓参りに、ゆっくりと高校野球や北京
オリンピック観戦、もちろん仕事の方やこの際一人飲み
放題の方と、様々に過ごしていらっしゃると思います。

多分、お盆真っ盛りで、この「トップギア!」を見ている
人はほとんどいないと思いますけど(いるとしたら、こにたん
と祥子くらい?)、
本日は「丸かと行く栗山農業体験&バーベキュー&自由
参加レクレーション(罰ゲームあり)ツアー第三弾」の告知です。

今回はいよいよ『収穫』です。とうきび、トマト、枝豆
、大根?だそうです。

日時は8月24日(日) サイバーシティー前 8:45分
集合9:00出発(いくみが遅刻しなければ)。
多分帰りは15:30~16:00の間です。
会費は3000円 現地集合の方は1500円
(中学生以下は無料ですよ)

家族で最後の夏休みの思い出や、お盆明けで「ったく、
仕事なんてかったるいよね~」と少し思っている「熊さん」
とか、この前行けなかったから今回は全財産を使ってでも
、あるいは微妙な空気の流れているカップルが「自然の中
にいるあなたって、す・て・き」もしくは、「トマトを一心不乱
にもいでいる君の姿に惚れ直したよ」と、また仲良しになる
のを期待しているカップルや男同士や女同士の友情という
名に借りて出会いを求めている全ての人たちは奮って参加
をお待ちしております。

あっ、言い忘れた中学生以下無料だからといって、ジャポニカ
学習帖と昆虫採集セットを持ってきて、いかにも「僕は小学生ですよ~」
、なんて『虫』の良いことをいってもすぐにバレますからね~。

それでは問い合わせはツアーコンダクターの欽ちゃん鈴木(有)丸か加藤商店三浦まで。

この曲が聴きたい気分。

略語の思い出。

本日はあたくし達丸かや飲食店で使う簡単な略語
をお送りします。

・ハイセット→灰皿(灰皿セッティング)

・ダスター→ふきん

・バッシング→片付け

・Off・JT→現場前教育(座学)

・OJT→現場教育

・大福帳→顧客管理

・リピ→リーピートのお客さん

・F/L(エフ・エル)コスト→Fは原価、Lは人件費

・SV→スーパーバイザー(チェーンレストランにおいて店舗を回り商品や
サービス、清潔感をチェツクして店舗の基準を満たしてより良い方向に
向かわせる人)

・FC→フランチャイズ(加盟店)

・直営店→会社直営の店

・F・F(エフ・エフ)→ファーストフード店

・F・R(エフ・アール)→ファミリーレストラン

・K太郎→浩太郎(おちょこちょいだけど、人当たりが良くあまり責任感
のない仕事をさせると無難にやってくれので重宝する。が、ここぞ、と言う
時には必ずミスをする)

そういえば、もう18年位前にあたくしが「祭や」という店にいた時に、根室の
伊澤書店の息子で、いつもニコニコ顔でついたあだ名が「いい奴伊澤」とい
う、その通りのいい人がいました。

かなりの勢いで急がしい時に、あたくしがバッシングを終えて「伊澤君!ハイセット
(灰皿)を頼む!!」と言った時に少し戸惑ったニコニコ顔で2、3度聞き直して
きたので、忙しかったのもあり「ハイセットだって言ってるだろう!」と言いながら、
アーネスト・ホーストばりの愛情のこもったローキックをお見舞いした所、どういうわ
けか「消火器」を持って来ちゃいました。

「伊澤君、いい加減しろよ!」「ハイ、すいません!」「しかも、なんでこんな時
にニヤニヤしてるんだよ!」と。すると伊澤君「すいません!生まれつきこの顔な
んです。」と、かなり焦りながらニコニコ顔のまま真顔で答えてました。

そのやり取りを固唾をのんで観ていたお客さんとスタッフが大爆笑したので、忙しくて
「ピリピリ」していた店内が一気にアットホームになりました。

伊澤君、元気かな~・・・・・。

そうか、23年前になるか・・・・・。

先日「クライマーズ・ハイ」と言う映画を観てきました。

23年前、1985年8月12日に羽田発~大阪行き乗員
乗客524名を乗せた日航ジャンボ機123便が群馬県
の御巣鷹山に衝突して524名の内520名が死亡した
大変いたましい事故でした。

その大惨事を取材する地元の新聞記者達の熱狂と
苦悩に満ちた一週間のストーリーの映画です。

あたくし的には非常に印象に残っている事故なんです、
それは、前にも少し触れたと思いますが、あたくし高校
を卒業をして「国際技研」と言う建築業の会社に就職
しました。

札幌では主にビルの鉄筋と鉄筋を圧接する仕事で、
本州ではレールとレールを圧接する仕事をしていました。

あたくしは、レール班で一年の三分の二は本州で仕事
をしていたんです。最初の出張は大宮、それから練馬
、神奈川の金沢文庫、熊谷、入間、茨城、青函トンネル
と、行ったり来たり。

中でも一番きつかったのは、金沢文庫です。なんせ暑い。
一服の時に買った飲みかけのジュースを仕事が終わった後
に「思いっきり飲もう!」と、それだけを楽しみに暑い中「ジュース
、ジュース」と念仏のごとく唱えて「いざ、ジュース!」と言う時
「アリンコ」が沢山、あたくしの変わりに飲んでおりました。
(慎司、今こそお前の出番だ!詳しくは8月12日のトップギア!で)

本当に何かが崩れ去る時には目の前で「ダダダダダダー」って
言う感じなるんですよね。本当にあの蒸し暑さには参りました。

練馬では、昼・夜とほとんど寝ないで働きましたし、埼玉の入間
(あっ、いるまと呼びます)で仕事をしていた時に、暑すぎて弁当
がアメっていて食欲もないのでご飯に水をかけて食べていた時に、
カーラジオから「タレントのたこ八郎さんが海で溺れて死亡」という
ニュースが飛びこんで来ました。

スポーツ新聞で「タコ溺れる」と言う記事には不謹慎ですが、
笑ってしまいました。

移動は飛行機なんか使いません、トラックに荷物を積んで
室蘭や苫小牧~青森や仙台にフェリーに乗りそこから移動です。

ちょうど、あの日もお盆で大洗~苫小牧行きのフェリーの中で
日航ジャンボ機墜落という大惨事を知りました。しかも、坂本
九ちゃんも乗っていたのにはかなりショックでした。(日曜日の朝
9時からのふれあい広場・サンデー九のファンだったので)

あたくしにとって、日航ジャンボ機の事故はそのニュースと同時に、
あの暑くきつかった日々を思い出すのです。

一番、楽しかったのは青森の三厩(みんまや)村です。そこでは主に
青函トンネル内に従事して、開口部まで徒歩で5分、開口部ついてから
「リニア・モーター」に1時間程のって、津軽海峡の真ん中まで行き作業
をします。仕事中オシッコやウンチをする時はトンネルの壁側に溝があるの
で、そこで用をたすんですね、だから青函トンネルはあたくしがおしっこや
ウンチした記念すべき場所でもあるのです。エヘン!

ねぶた祭りも二回も観たし、気候もよく、一軒家を借り切って常時10名位で
いました。
毎週土曜日は三厩村から青森市内へ約2時間かけて繰り出し、トラックの中で
寝て、めいいっぱい蚊に刺されて次の日に帰ってきます。

宿舎の目の前は海で、ウニをとったり泳いだり、夜にはイカ釣り
の漁火がきれいだった。

ねぶた祭りでディスコへ行ったときに、通路の真ん中で柱にぶつか
ったと思ったら、大きな黒人の米兵でした。多分、三メートルは
あったかな~。

毎日、掃除や洗濯、食事とお世話してくれたおばさん元気かな~。
駅前に一軒だけあった「赤ちょうちん」まだあるのかな~。

楽しいことも辛いこともあったけど、物凄く凝縮された二年間だった。
ファイル 74-1.jpg
青函トンネル内にて、二十歳。(この9ヵ月後に辞めてアメリカへ行きます)

久々のテレビ三昧。

昨日、起きてテレビをつけると「高校野球」やら
「北京オリンピック」やらで、なんだかテレビが賑やか
で嬉しくなり、出かけるつもりが結局家で回転寿司
のまぐろ三昧ならぬテレビ三昧でした。

あたくし柔道に釘付けで、残念ながら19歳の中村
選手は健闘しましたが惜しくも銅メダルだったけど
その分、内柴選手が金メダルに輝きました。

それにしても二人のインタビューが印象的でした。
内柴選手は「普段からイメージをしていたことなので」
と。そしてこうも言ったよね「自分の仕事ですから」
う~ん、いいぞ、いいぞ、うっちゃん(勝手にあだ名に
してる)。

柔道も仕事、金メダルを獲るのも仕事。いいぞ、いいぞ
、うっちゃん!

そして、あたくし中々に興味を持ったと言うか凄いな~
と思ったのが19歳の中村選手。彼女のポーカーフェイス
には世のM男性は間違いなく何かを感じたのではないの
でしょうか?個人的には中村選手と2回戦で戦ったドイツ
の「ロミー・タラングル選手」が好みなのですが(試合に
集中しろ!このバカチンが!!)。

インタビューでは、あの正念の座った顔つきで「金メダルを
狙っていたので、金メダル以外は同じです」と。あっちゃ~、
どうなの、中には「何を生意気なことを・・・・・」なんて言っちゃ
う人がいると思いますが、あたくしはここまでキッパリと言えるの
は、凄いし好感を持ちます。あたくしたちには想像も出来ない厳し
い練習に取り組んで来たからだと思うんですね。

みっちゃんも(あっ、これもあたくしがつけたあだ名ね)、よく頑張
った!また次のオリンピックに出てきて「金メダル」に輝いてよ。

そう言えば、みっちゃんのインタビューを聞いていて、昔同じよう
なことを言っていた人がいたな~・・・・・、デジャブかな?と
しばらく考えていたら、中学の時のサッカー部の顧問で柴田先生
(柴セン)の言葉でした。

この柴センは、多分、先祖代々体育教師の家系じゃないかと
思うくらいな生粋の体育会系の先生で、サッカー部の生徒が学校
をさぼって家にいたら、「学校には来なくてもいいから、部活には来い!」
とご丁寧にチャリンコでその生徒の家まで迎えに行って、それこそ首に
縄状態で連れてきていました。今ならアホなマスコミの格好のネタにされ
かねない人物です。

この柴センが「中体連」で2位になった時、表彰式が終わった直後に
サッカー部の生徒の前で2位の賞状を「ビリッ、ビリッ」に破いて「優勝
以外はみんな同じだ、クソも同然なんだ!」って、あーた、クソと同じな
訳はないけれど、まぁ、似たような感じなのでしょうね。今なら、生徒の親が
しゃしゃり出てきて問題にされちゃうんだろうね。

でも、あれだね、こうして書いていると、そこまで感情あらわにしたり
、気合の入った先生がいると生徒も悪い奴らだったけどかえって親しみ
を感じて、そういう先生の言うことは聴いたもんだよ。
(確かに、すぐ殴られたけど)

あたくし?あたくしは「剣道部」だよ~ん。ちなみに得意技はフェイント
から入る「抜き小手」。(わかんないよね)

関係ないけど「中村選手」の目って、仲村トオルの目に似てない?
似てないね。。。。。

まだ、まだ!2

それでは夏休みの思い出、第1位は!
じゃがじゃがじゃがじゃがじゃが・・・・・!

「釧路」です。

おふくろが釧路市阿寒町出身で、おふくろの
お姉さんが釧路に住んでいたこともあり、小さい
時から夏休み、冬休み、時には春休みにも
釧路へ行っていました。それはまるで疎開のよう
に休みの次の日から学校が始まる2日前位まで。

中学に入るまでは、特に何かスポーツをやって
いたわけでもなく、学校以外で遊ぶ友達もいな
く(小6の夏は泳ぎを覚えたので、村とびっしり
プールに行っていましたが)、釧路へ行くとおばさん
の子供(従姉弟)が4人いて可愛がってくれたの
で、それを楽しみに行っていました。

それは高校2年生の冬休みまで続きました。
あたくし、酒も女性も大人になる過程は全て釧路
で学んだんです。

小学生の時は家族で行きました、帰る時は皆が
釧路駅まで見送りにきてくれます。電車の席を取る
ために駅地下の長い通路を、まるで元旦の年男を
決めるような勢いでみんな一斉に走って席をとるん
です。

帰る前におばさんたち家族とあたくしたち家族で駅前
のデパートで買い物やら、つぶ焼きの「かどや」でつぶを
食べます。こんなこともありました、あたくし小さい時か
ら「ドスケベ」と言われていただけあって、デパートへ行
くと必ずマネキンのスカートめくりをしていたんですね、す
ると「キャー!」と言う声。

そうなんです、マネキンだと思ったらデパートの店員さん
だったんです、あまりにもマネキンのスカートめくりに夢中
になり人間とマネキンの区別がつかなくなっていた、6歳
の夏の思い出でした。。。。。

中2の冬休みに初めて連れて行ってもらった「スナック」
、そこで貰ったおもちゃのマイクはずーっと大切にしまって
いました。ミル・サンバというディスコで緊張のあまり女子
トイレに入って、ヤンキーのお姉さんに優しく「隣だよ」と
言われ、慌てて男子トイレに駆け込んだり。
(今でも、あのシーンは覚えています)

高2の時、まだ男になっていないあたくしを不憫に思った
のか、いとこ思いの従兄のおにいちゃんが、丸三鶴屋という
百貨店のお姉さんを紹介してくれました。でも、ホテルに
はなぜか、その従兄のおにいちゃんも保護者代表として
一緒におりました。ええ、どこまでも従弟思いのおにいちゃん
なんです・・・・・。

中高と友人も増えて行くのと反比例して釧路へ行くのも
減って行きました。

芦別から根室本線に乗り長い狩勝トンネルを抜けると新得。
調度半分です、ここまで来ると釧路までは以外と早く、帯広を
超えて白糠へ近づくに従い太平洋が右手に見えてくる。
車窓に顔を近づけ頬づえをつき子供ながらに旅の余韻を楽し
んでいる。

そして、いよいよ待ちに待った釧路駅。ホームへ降りると港の
匂いと鉄道の匂いとが混じった独特のにおい。その匂いを嗅ぐ
度に「あー、着いた、釧路に着いた。」と。


6年前におばさんが亡くなってからは2回しか行っていません。
今度、行くのはいつのことになるやら・・・・・。

生まれて初めて行ったスナック、これまた生まれて初めてうた
った歌は、なぜか「ラブ・イズ・オーヴァー」でした。

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