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欽ちゃん本店、無事に執念終了しました。

お陰様で、沢山のお客さんが来てくださいました。やはり、17年は伊達じゃないですね。

先日、「にんにく唐がらし」へ来て頂いたお客さんから「社長は”欽ちゃん”に思い入れがあるもんね」と言われました。「地元なので」と。そう、知らない人も居ると思いますが「欽ちゃん」のホルモンはあたくしが育った炭鉱町で小さい頃から家族で食べに行った想い出のある原体験・原風景なんですね。

炭鉱町と言っても、芦別市自体は炭住(炭鉱住宅)もなく炭鉱マンも数えるほどで、隣のあたくしの住んでいた西芦別町、中の丘、緑線(ろくせん)、”山住”が住んでいた頼城町(らいじょう)などが主な炭鉱町です。ホルモン屋さんは芦別にあったのでバスで行っていたんですね。

芦別に居た頃は身近にあったので、そんなに意識はしてなく、札幌へ出て来てもたまに実家へ帰った時に行くとか、そんな感じで殆ど記憶の隅に追いやられていました。

意識し出したのは、きっと”おやじ”が肺がんで入院したのと同時期に新しく出来た”細B&チーフ”も一緒に働いていた「上海月(シャンハイムーン)」と言うお店が出来た時。

が、そのお店が当初は中々うまくいかない時に”おやじ”の見舞いをしてから直接店に行くのが憂鬱(ゆううつ)だから狸小路4丁目パチンコ「ドンキー」で大工の源さんなんぞを打っていた時なんですね。(はい、完全なる現実逃避ね)

ぼんやりとパチンコの玉を見ながら、「あの頃(親が元気で自分が小さかった頃)の炭住(四軒長屋)の雰囲気の店を作れないかな~と。そう考えると、当時の家の中が頭の中に浮かんできました。「でも、雰囲気はいいとして肝心の商品はどうする?何か特徴のある食べ物なんか食べてなかったしな。よく、おやじが食べていた「くじらのベーコン」?好きではなかった「カレイの煮つけ」?「ジンギスカン」?日本酒は二級酒、一級酒、ボーナスが入った時に飲んでいた「特級酒」?ん~、なんかイマイチだよな~。」と、ぼんやり考えてる内に玉が無くなって終了~。(笑)

ある時に、何の気なしに後の「ヤマダモンゴル」と言うジンギスカン屋をやることにななった”やまちゃん”に「やまちゃん、ちょっと付き合って」と言い、”やまちゃん”が「分かりました!」と軽く返事。まさか、そのまま車で片道1時間半の芦別まで行ってホルモンを食べに行くとは想像もしてなかっただろうに。(笑)

きっと、その辺から「ホルモン焼きや」を意識したんだと思います。なぜ?急に行こうと思ったのか?まぁ、これも”運命”なのか?パチンコ屋でぼんやり考えていたことが「潜在意識」にあったからなのか?いずれにせよ、思い立って行ったことが今の「欽ちゃん」に繋がっているのは事実ですね。

「欽ちゃん」をやる前の2003年に「青春の輝き」という、これはあたくしが小学の高学年から中学の時に聴いていた音楽や自分の部屋を意識して作ったお店をやりました。あの店も、どこかで炭住の想い出の一部だったんですね。

でも、まだ「ホルモン焼きや」をやろうとは思っていませんで、2004年に一人で独立をしようと思った時に「一人じゃ、その内に飽きるし寂しいもんな。それに料理は出来ないので”規夫”と一緒に”ホルモン焼きや”でもやろうかな?」的な、どこまでも思い付きなんですね。(笑)

それで、”丸か”になって四年経ち2008年1月23日に今の場所で「欽ちゃん」を開店したのです。当時はあの辺りは本当に路地裏って感じで薄暗くて小便臭かったんですよね。(あたくしがしたんじゃないですよ)

今こうして思い返しながら書いていて何を思うかと言うと、その時々に居たスタッフのこと。懐かしい顔や場面があたくしの「海馬」から次から次へと現れては消え、また現れています。。。。。

追記 次は「一条まるふじ」の周年が2月にありますのでよろしくお願いしますよ!!

はい、と言うことで本日は「丸かの今夜もひとりバックドロップ!!」ですよ。今日の話は最後の「俺の話」の所でも話しますので。

また、「村上(むら)」に会いたかったなと。。。。。

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