今年の前半は新型コロナウィルスと言う”チャイナの武漢”発症の訳の分らない
ウィルスが流行して、しまいには「非常事態宣言」我で終い世の中”自粛”一辺倒に
なってしまい、会社や学校も在宅勤務や授業も課題を家で行い、各施設や百貨店
などの人が密集する場所は軒並み休業や時間を短縮するようになりました。
それは我々飲食店も例外ではなく、ススキノも殆ど休業で他の地域の店も休業もしくは
時短営業で昼から酒類の提供は19時までと言う制約の中で、慣れないながらも
お弁当やテイクアウト売りなどをして頑張っていました。
でも、こうしてふと振り返ると「一体、今回の騒動はなんだったんだ?様々なイベント、
特に学生の大会などが軒並み中止に追いやられてしまい、本当にそこまでするような
騒ぎだったのか?」とね。
そうした時に思ったのが、私たちの小さい時だったらここまで騒動になっていたかな?と。
今はSNSが盛んなので、世界中のことが瞬時にわかるのはいいことだけど、却って
そのお蔭で余計な情報が増して、人間の営みや社会生活がとても窮屈に感じます。
炭鉱住宅に住んでいた当時は、水洗トイレではなくボットン便所で、中には外に
便所がある町内もあったし、炭鉱風呂だって決して衛生的でもなかった。
そこらじゅうで遊んでいる子供たちも常に汚かったし鼻を垂らしていて、その辺で
おしっこもしていて、うんちもしていました。隣の組が風疹やインフルエンザなどが流行って
学級閉鎖になったら心底悔しい思いをしたもんです。
あの当時なら、そんな騒いでいる余裕もないし、誰も気にしていなかったんだろうな~。
と思うと、今よりは不便だったかも知れないけれど、精神的にはとても満足していましたね。