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そんな時代も・・・・・。

今日は古き良き時代のお話をします。

千葉先生(通称チバ先)と言います。
チバ先は英語の先生で、少し面長で何となく「藤田まことさん」に
似ている先生でした。

まぁ、あの時代の英語の先生のほとんんどは和製英語で
普通に外国人と話してもほとんど通じなかったんじゃないかな?と。
(だって、思いっきり浜言葉の英語ってあり?ですか?チバ先もかなり際どかったけど)

このチバ先はクラスは持たなかったのですが、なんか悪ガキ友からは
人気のある先生で、あたくしなんて英語は大の苦手でしたが、
なんかいい感じで”ユーモア”があり楽しかったです。

チバ先は「パチンコ」が好きで、よくパチンコをしていたのですが、
一度”岡橋先輩”が学ランだけ脱いでパチンコをしていると、
岡橋先輩が打っている台の裏側を「ドンドン」とやけに叩く奴がいて、
頭に来た岡橋先輩が文句の一つでも言おうと見に行くと、
(まぁ、この行為もお門違いですけどね)

台を叩いていたのがチバ先で、
「これはやばい!」と思ったのも束の間、運悪くチバ先と目が合い、
チバ先がツカツカと岡橋先輩に近づいてきて一言、「岡橋、出てるのか?」
「えっ!?まぁ」と言うと、岡橋先輩の台まで一緒について行き
何事もなかったかのように岡橋先輩の「箱」を抱えて自分の台に戻って行きました。

”岡橋先輩”曰く、「チバ先、顔を真っ赤にして大分頭に血が昇っていたぞ。」

こんなこともありました、
授業中に何かの話の弾みで、「あれだよな、急にこうやって持ち物検査
なんかすると、カバンから”タバコ”なんか出て来るんだよな」などと、冗談で
山住(やまずみ)のカバンを机の上にひっくり返したら、タバコこそ出ませんでしたが、
しっかりと100円ライターの「チルチルミチル」が出てきて、その瞬間に山住も
焦っていましたが、まさか本当にそのような関連グッズが出ると思っていなかった
チバ先の方が焦ってしまい、「なによ山住、焚き火でもするのか。」と言い、
何事も無かったように授業に戻って行きました。。。。。

まぁ、このような先生なので転勤する時には担任ではないので
クラスから何かもらうことはないのですが、あたくしたちのクラスはチバ先に
色紙を贈りました。

チバ先、まさかもらうと思っていなかったみたいで、
満面の笑顔で「ありがとう」と言いながら握手をして去って行きました。

今なら完全に「アウト!」な先生ですが、逆にこのような先生が活躍する
環境がないことも、教育現場に余裕がなくなり破棄に繋がっているような気もするのです。

英語!?ですか? いまだにまったく分りませんけどね。。。。。

君も熱かったのか・・・・・。

昨日は前々から約束をしていて、偶然健康診断でも会った、
”かよちゃん”と飲みに行きました。

都合四軒(最後のうどん屋さん入れたら五軒)行きました。
途中でお客さん(しげちゃん)と”あやこ”が合流しては別れ、
またしばらくすると”祥子”と合流して〆ました。

さかのぼる事、健康診断後にご飯を食べていて
「社長、居酒屋でどこかいいとこ知ってませんか?」と言う、
悪魔のささやきから始まったんです。。。。。

「居酒屋?居酒屋って居酒屋?どんな形態?」
「この前”キィー”に行きました。今日は一徹に行こうと思います。焼鳥屋とか?」
「なら、”ぼんち”とか”錦”とかいいんかもね」
「で、誰と行くの?」

「いえ、まだ決めてません。友達とか・・・・・。」
「じゃあ、一緒に行く?」
「いいんですか?社長、バリューム飲んだじゃないですか?」
「別に大丈夫だよ」(でも、この会話の流ではね・・・・・)

と言うことで、17:30事務所待ち合わせ。
18:00に「一徹」へ。
19:00に「千里」。(ここで、しげちゃんとあやこ合流、
しかもあたくし調子に乗って熱燗を飲み始める)

20:30分「錦」(そこの2代目?偶然にも同じ年で、あたくしの同級生とも
友達と判明する。と言うことで鏡月のボトルまで入れる)

22:30分「高山さんの店へ」(2人で1時間で帰ろうと宣言するも、
これまた途中で祥子に会い、一緒に行くことに。高山さんに最初にこれしか払わない
からと念を押す。じゃないとおかしな金額になるので)

日付は変わり0:30分「高山さんの店を出る」
店を出ると「ラーメン屋」が目に入る。が、祥子が「ここは美味しくないですよ」と。
「なら、そばでも」と言うと、祥子が「そばアレルギーです」と言い出す。

「なら、うどんでも」と言うことで、0:40分「五右衛門」へ。
結局、23:30には家に着いているはずが、家に着いたのは1:30。

でも、”かよちゃん(たけちゃん)”と話せて色々と発見できました。
”かよちゃん”かなり熱いですし、負けず嫌いです。でも、その位じゃないとね。

では、昨日の”かよちゃん語録”を2つ3つ。

「社長!やっぱり仕事も人生も全てにおいて”攻め”ですよね!
そうですよ!何事も”攻め”なんですよ!ですよね、社長!」(わかったよ)

「社長!私、自分に負けたくないんです!だからまら戻ってきたんです!
私、絶対に自分に負けませんから!!」(はいはい)

「社長!私、浩太郎さんに嫌われているんです。(いきなり何を言い出すの?)
浩太郎さんが休みの前の日に十分に引継ぎしてくれないんです!」
「かよちゃん、それは単に”コウタロウ”の怠慢じゃないの?」

「あっ!そうですよね!きっとそうです!浩太郎さんは徳太郎のことが
好きじゃないんですよ、きっと!冷たいんですね。」(うん?)

”かよちゃん”は急に自信を持ったかと思うと、次の瞬間にはかなり凹んで
おりました。これって「躁鬱(そううつ)」じゃないですよね。。。。。

質問です、なぜ?バリュームうんちは中々流れないのでしょうかね?

この人も”天然系”です。

お店のブログでも書いておりますが、今月は健康診断月間です。
本日はあたくしもしっかりと『検便』を持って行って来ました。
(食事中の方ゴメンなさい、特にカレーライスの方)

取りあえず着替えて、ぼ~んやり待合室で”つばさ”なんぞを
観ていると、「おはようございまず!」と聞き慣れた声。
声の主を見ると”かよちゃん”の笑顔。

「あっ、かよちゃんも今日?」
「はい、今日です。みんな来てないんですね。」
「うん、それぞれの都合に合わせているからね。」

そして”かよちゃん”は更衣室に着替えに行きました。
「あっ、”かよちゃん”が出てきた。あれ?かよちゃんなんか皆と違うかな?」

少し経ち”かよちゃん恥ずかしそうに更衣室へ戻って行きました。
「やっぱり・・・・・」。なんと”かよちゃん”着替えたのはいいけど、上だけで
下は私服の黒いパンツ(スパッツ?)のままで出てきていたんです。(さすが天然)

いよい診断スタート。

身長と体重を測った”かよちゃん”が、
「社長、聞いてくださいよ。私、身長4センチも伸びて体重5キロも減った
んですよ!」

「かよちゃん、30を過ぎてそんな数字になるはずないよ。」
「本当なんですよ!」
(はいはい。)

「あれ?かよちゃんもバリューム?」
「はい、ここで待っています。」

”かよちゃん”呼ばれて行きました。と、思ったら秒殺で出てきました。
「診断する部屋間違えました、今日はバリュームじゃないみたいです」
と、”かよちゃん”を連れて一緒に出てきた女性の方が逆に恥ずかしそうに
”ニヤニヤ”としておりました。

診断が終り「食事券」をもらったので4Fで食事をしていると連絡が。
あっ、かよちゃんだ。「どうしたの?」
「社長、もう終わりましたか?」
「うん、4Fで食事してるから”かよちゃん”も来ない?」
「はい、行きます。」

「私には食事券出ませんでしたよ?きっと”バリュームチーム”には出るんですね。」
と妙に笑顔。
「なに、それって35歳以上だからってこと?」
「フフフフフ・・・・・」と苦笑いする”かよちゃん”

窓側のカウンターで食べました。
「雲一つない天気ですねー。」
「そうだね。」
「でも、風が強いですよね。」
「うん、強いね。」
「風が強いから雲が流れて、雲一つない天気なんですかね?」

「かよちゃん、それ本気で言ってるの?でも、そんな単純な考えが
意外と合ってるかもね。」
「でも、本当に風で流れるんだったら、また違う雲が流れて来ますよね。」

まったくこの女は何処までが”天然”で、どこまでが”普通”なのか
大いに悩む「女心に秋の空」です。。。。。

ふと?思い出しました。

あたくし中学の部活では『剣道』などをやっておりました。
こう見えても(どう見えるか分りませんが)市内大会などでは
優勝もしたりしておりました。

一応、部長などになったりもしたりなんかしていたんです。
あたくしの中学の剣道部は男子を中心にやっておりましたが、
一つ下の学年では3人の女子が入部して来ました。

一人は小学生の時に”おてんば”で「女ドラゴン」と呼ばれて
いた女(こ)も入ってきて、少しビビりましたが中学に入る頃には
180度ガラッと変わりおしとやかになっていたのには、驚いたものです。

さて、あたくしこと「加藤孝司」は、小さい時から自分で言うのも
何なんですが折り紙付きの”スケベ”な男子で、スケベが度を越して
女の子のスカートめくりでは飽き足らず、買い物に行くと「マネキン」の
スカートを片っ端からめくり、しまいにはマネキンと本物の区別がつかず、
店員さんのスカートをめくって、一緒に買い物に来ていた”おふくろ”が
たいそうな赤っ恥をかいたものです。

そんなあたくしが女子の入部を素直に見過ごすはずがありません。
部室は一つなので、男子と女子が交合に着替えるのですが、
幾度となく着替えをのぞこうとしたことか。(いつも未遂で終わりました)

練習の時にはそーっと後に近づいていき”竹刀”で「突きー!」と
言いながら、お尻に突いたりなんかして、時には前側からも「突きー!」
なんてやっていたりしたものです。

でも、なぜなのか?そんな事ばかりしていても女子三人は辞めるどころか、
「もうー!」とか「いやらしいー!」と言いながらも、わき合いあいとした
アットホームな部活動でした。

高校生になりあたくしは工業高校へ行き、彼女たちは市内で
3つある内の一番レベルの高い、普通高校へ進学して行きました。

たま~に街で会うときがありましたが、中学ん時の一緒にわき合いあい
とした感じではなく、なんとなく「遠~い」過去のような感じで
あんなに竹刀で胸やお尻などを突いたりして遊んだ仲なのに、
年頃なのかどことなく照れくささがあり、あまり話しませんでした。

まぁ、もっともいつもあたくしの周りには「リーゼント」や「パンチパーマ」の
”学友”などが群れていたのもありますけどね。。。。。

あれから30年近く経ちました、みんな何処で何をしてるんだろうな~と、
一度会って懐かしい話でもしてみたいと思った秋晴れの夕暮れ時でした。

きっと彼女たちは会いたくないと思うけど・・・・・。

川村、横山、大江どこかでこれを見ていたら連絡してな!
きっと見ても来ねーだろうな。。。。。

これを書いていて、つくずく「人間って、あんまり変わんねーなー」と思いました。

また逢う日まで。

皆さん、こんちは”ジュリア・ロバーツ”です。

今日の秋晴れは清々しくていいですね。(少し暑いけど)

誰かが言っておりました、
「人は出会った時から、別れがある」と。

昨日で”満福や”の「マナ」が辞めました。
”マナ”は「縁・joy」からのスタッフで「縁・joy」のオープンが、
2007年8月8日なので、約2年ちょっと居ました。

うん、”マナ”を一言でいうと「頑固一徹」。
と、よく”あやこ”が言っておりました。

店長の”いくみ”も「頑固一徹」ですが、どちらかと言うと
”マナ”はそれを少し上回る「頑固一徹」なので、負けず嫌いの
”いくみ”には申し訳ないけど、「頑固二徹」となります。

あの可愛らしい顔に似合わず、ほ~んとに負けず嫌いで頑固で
芯が強い娘(こ)です。

それでいて、ものすご~く優しい。と書くと、月に1568人この
”トップギア!!”を読んでいる人の1386人くらいの人は
「月並みなこと言うな~」と思うかも知れませんが、

こ~んなことがあったんですけど・・・・・、
以前、働いていた”かずま”と言う男子がいました。
この”かずま”を知っている人は「あ~」と言うような、まぁそんな感じの男子です。

その”かずま”が、これまたイケテナイ半ズボンにサロンをまいているのを
あたくしが見て、そのおかしな格好で店に立っている姿にあたくの股間じゃなく
眉間にみるみると縦ジワが現れ、それを見た”マナ”は何も言わずに
”かずま”を更衣室へ連れて行き、自分の私服の「Gパン」を”かずま”に
貸して履かせたのです。

こんなことを”マナファン”が聞くと、羨ましいのと嫉妬で”かずま”がいたら
本気で袋叩きにあっていたんだと思いますよ、ホントに。
(それよりサイズが合った方が驚いたけど、あたくしは)

普通は大切にしてる、それも私服の「Gパン」をしかも
男子に履かせませんよね? その優しさであたくしの股間じゃなく
眉間の縦ジワも収まったんですから。

土曜日もやりましたけど、昨日は「瀬口」と”てまひま”で飲んでいて、
そのまま”満福や”へ上がり、いつのまにか”てまひま”メンバーや
「真紀、さとか、あやこ」とで急遽送別会になりました。
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最後に”マナ”から手紙をもらいました。

「社長へ
二年間、本当にお世話になりました!!もっと長かった気もしますが、
今となってはあっという間の二年間でした。

社長とは現場で一緒に働く事はもちろんなかったし、直接会っても
緊張してしまい何を話したら良いのかわからず、正面向かって接する
ことができませんでした。

きっと社長は私が社長のこと嫌ってると思ってると思いますが、
私は一度もそんな事思った事はありません。

社長の毎日書いてくれるメルマガやトップギア、社長に会いに来る
お客さんや元スタッフの方達、営業終了後に店長が何度も話してくれた
社長の想い。直接ちゃんと話すことはできなかったけど、間接的に
社長の事を少しずつ知り、人間らしい喜怒哀楽や優しさ、
あったかい心を持ってる社長の様に自分も人間らしく生きていきたいと
思いました。

振り返ると、私は皆から、もらってばかりで、加藤商店や満福や、店長に
何が出来たんだろうと思います。だから、今度みんなと会う時に胸を張って
会える様に、ここで学んだ事、経験した事を生かして人に必要とされる
人間になれる様にがんばります。

加藤商店に出会えて良かったです!
社長や部長の事を尊敬する店長のもとで働けた事、本当に感謝します!」

マナ

このような素敵なスタッフと働けるのも、お客さんたちのお蔭です。
本当にお客さんとスタッフに感謝します。

(有)丸か加藤商店 加藤孝司

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これからも”満福や&いくみ”をよろしくお願いします。
そして”マナ!”頑張れよー!!

どうなんのかな?

初めに言っておきますね、
「特別に特定の政党を支持していたり、宗教法人や団体等には属していませんし、
そのような活動は一切行っていません。」ので。

まぁ、選挙も終り予想通りといいますか、予想以上の結果になり、
昨日の20:00以降の番組は”選挙特番”ばかりで、危なく「天地人」の
時間を間違える所でした。(録画ですけどね、しかもテープだし)

あたくし改めて人間の「集団心理」というモノの怖さを知った感じでした。
確かに、昨年末から様々な言葉で不安要素や先行きが見えなくなり、
その矛先は政権与党に行くのは十分わかりますし、その責任は大きいです。

なんだかよく分らないけど誰かがスケープゴートにならないと
このご時世は収まらないようになってしまったんですね。

あたくし評論家でもないし、専門家でもないのでこれ以上は意見を
述べるつもりはありませんが、前回の小泉元総理の下の「郵政選挙」では
「大衆迎合的」なのと、一種の「ブーム的」な要素もあり政策の中身なんてよりも、
とにかく小泉総理の「ヒットラー的」な”カリスマ選挙”と、そこにマスメディアの
力が働きあのようにな結果になったと思うのですが、

今回は確かにマスメディアの「半官びいき」を煽る報道も目立ちましたが、
「もう、いいよ。民主党もあまり期待してないけど、自民党よりマシじゃネッ?」
ってな感じなのかな?と。(あくまでも主観ですよ)

まぁ、確かに新しいモノには「何か今までと違うことをやってくれるんじゃないか?」
というのも事実だと思いますけど。(十分、意見を言ってる?)

でも、なんですねテレビを観ていて感じたのですが、
民主党の若手や中堅の人たちの表情を見ていると、一応冷静さを保って
いるけど、内心は「嬉しくて、嬉しくてたまんねーぞ!」ってな感情を必死に
抑えているのが”ありあり”と感じたのはあたくしだけでしょうか?

でも、その反面「あれ!?本当に政権与党になっちゃたんだけど、いいんだよね?」と、
まるで、ずーっと念願だった事が叶って一瞬「ぼーぜん」となり、
まだ半信半疑のような戸惑い状態でもあるようにも見えました。
(それに比べて”藤井のじっちゃん”はさすが歴戦のツワモノ)


こうなると前にも書きましたが、「ダメなら、また変えればいい」とか、
「政権をとったの初心者なので、お手柔らかに」などと呑気なことを言わないようにして、
準備運動は十分すぎるほどしてきたのですから、

一気に「前進!前進!トップギア!!」で頑張ってもらいたいですね。

ちなみに、あたくしは近くの小学校に行き「投票」してきましたよ。
「新党!トップギア!!」に。(笑)

帰りの足元↓
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途中、歩道橋へ登り↓
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00ほど高いところが好きのようです。。。。。

家に着くとあまりにも空がキレイだったので↓
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がんばれよ!オレ。

あの人は今。。。。。

その昔、建築業で仕事をしていたとこの”トップギア!!”で
度々書いておりますが、あたくしは本州方面への仕事が
多く、その中でも青森が(青函トンネル系)ダントツで
次が東京の練馬でした。

練馬では仕事をもらう会社の寮に宿泊していましたが、
そこにも色々な人がいて、様々な生い立ちの人がいました。

あたくしの上司が若いときに兄弟で仕事を教えてもらうのに
そこにいた関係で、まだその時の先輩や師匠のような人達もいて、
普段あたくしたちから見れば怖い上司もそこでは
若いときのあだ名で呼ばれていて、あたくしたちを怒っても
「チャーも偉くなったもんだな。」などと言われて、小さくなってる姿を見るのが、
ささやかな抵抗でもありました。。。。。

ちなみにその上司は「パラオ」とあたくしたちから言われていて、
なぜ「パラオ」かと言うと、ショートのパーマをかけていて、短気で
怒ると顔が真っ赤になるのと、「タンパラ」が少しずつ変化して
「パラオ」と、まるで「カスティーリャ」~「かすてえら」~「カステラ」と
なったような感じだと思います。(あくまでも主観ですけど)

まぁ、「パラオ」の話は次回と言うことで、その寮にいた時に
思い出に残る人を紹介しますね。

エントリナンバー1
”あきやん” この”あきやん”は東北から出稼ぎに来ている人で
普通東北からの出稼ぎは雪が降り農家仕事がなくなる冬に来るの
がセオリーですが、この”あきやん”は猛暑真っ盛りの”夏”に
2ヶ月ほど来て、その間ほとんど休みなく昼夜働いていたので、
ゲッソリ痩せて、がっぽり儲けて帰っていくのでした。

なので、よく他の人達から「あきやん、そんなに稼ぎすぎても体を
壊したら元も子もないぞ。」と言われていましたが、いっこうに聞く耳なんか
持たずに、黙々と昼夜問わずに2ヶ月ほどで100万以上を稼いでおりました。

最初”あきやん”を見たときには「えっ!旧日本軍って、まだいたの?」と思うくらい
目はくぼんで頬は痩せこけて、体も骨と皮状態だったのを今でも忘れません。。。。。

エントリーナンバー2
”ゲンさん” ゲンさんは寡黙な人で、あまり人と話している姿を見たこと
がありません。日曜日の昼下がりに屋上にある洗濯場へ行くと、いつも
そこには”ゲンさん”の姿があり、何時間も洗濯機のぐるぐると回るのを
見ていました。

一度、意を決して”ゲンさん”に話かかけてみました。
「ゲンさん、いつも洗濯機を見てるけどどうして?」
「別に理由なんてないよ、ただ、見てるだけ。けど・・・・・」
「けど?」
「なんか心も洗われるような気になるんだよな。」
2ヶ月いて、”ゲンさん”と会話をしたのはそれだけ。
でも、あたくしより何年も働いている人もほとんど会話してない感じでした。。。。。

エントリーナンバー3
”若林さん” この人は「超有言実行」で、どんな状況でも
一旦自分で口にしたことは実行に移す人で、酒の席で”若林さん”と
話の流れで約束などしようものなら、こっちが忘れていようと”若林さん”は
一人でも実行に移す人なので、酒を飲んでいるからとは言え”うかつ”な
ことは言えなく、ある事件があってからはいくら一緒に酒を飲んでも酔わないのでした。。。。。

「あれ!?なんでまだそこにいるのよ?」
「えっ?なにが?」
「だって、若林さん、今日は北海道の奴らと飲み行く約束したからって、
さっき、出て行ったぞ?」

「先輩、そんな約束しましたっけ?」
「さぁー?」
「あっ!先週、部屋で一緒に飲んでた時
”あっちむいてホイ大会”で勝って、先輩が若林さんに来週は”スナック道”ですね。
って言ってませんでしたっけ?」

「まさかー、あれから何度も現場に一緒に行ってるし、何度も部屋で
飲んでるけど、一度もそんな話し出てなかったぞ?しかもあれは冗談だろ?」
「ですよねー。。。。。」

夜中の2時過ぎに”若林さん”が帰ってきて、
「若林さん、どこ行ってたんですか?」
「今日は”道”で飲むって言ってたよな、俺は行くって言ったら一人でも行くんだよ。」
「・・・・・ ・・・・・ ・・・・・」

暑すぎて、帰りの車の中では「ビール、ビール、アイス、アイス」と幾度もリフレイン。
寮につくなり、風呂も食事もとらずに商店へ駆け込み、アイスを一気に食べて
幻にまで見たビールを飲むと、アイスの冷たさでビールがぬるく感じることを
勉強になりました。

朝は5時半に起きて、一旦帰ってきて仮眠をとり、22:30頃に出て行き
路線脇で終電が過ぎるのを待ち、始発まで作業をしていたので
かなりハードでしたが、いま思い返してもあの経験や人たちとの出会いは
とても貴重であたくしの記憶にいつまでも残っています。。。。。

たまには。。。。。

いやいや、昨日は柄にもなくA級グルメ巡りなんかを
企てましたが、結局それらしき店は最初の一軒で、
二軒目からは「おばあちゃんのやっている炉端」へ行き、
こめもり?祥子ちゃんが働いている居酒屋へ行き、
最後は”満福や”で反省会をして〆ました。

いやはや、17:30分スタートでしかも二軒目から
日本酒の熱燗などを飲み始めたので、まだ、20:30位
なのに、な~んかもの凄い時間飲んでるような
得した気分になっておりました。

でも、あれですね、ビール~日本酒~ハイボールときて
”満福や”では遂にハイボールをチェイサーにして、
日本酒の熱燗を飲んでしっていました。。。。。

いつもはB級、C級グルメなどがパターンなのですが、
たまには「こじゃれた店」もいいもんだな。と思いました。

やはり偏って店を見に行くよりも、色々と勉強になりました。
これからもたまに行こうと思いますが、日本酒は辞めておきます。


追伸、こめもりさん?いつから「副店長」なんていうポジションあったっけ?

常に”逆境”の後には・・・・・

思い返せば、あたくしのこれまでの人生においての
”ターニングポイント”は、そのほとんどにおいて「逆境」の
時だったと思います。

何かの本で読んだのですが、人が何かの切っ掛けで
大きく飛躍する時があるそうで、それは大まかに3つあるそうです。

一つ目は、家が火事にあって何もかも消失してしまった時。
二つ目は、大病を患ったとき。(生き死にの掛かった)
三つ目は、親、兄弟というもっとも近しい人が死んだ時。
だそうです。

これら全ては出来ることなら避けたい事柄ですが、不幸にも
起きてしまう事は生きていく上では覚悟しなければならないですよね。

あたくしも一つ目と三つ目は経験しており、二つ目は
生き死にまでは行かないまでも、二回にわたっての頭部の
手術をして、約2ヵ月半掛かりました。

自分で経験したので分るのですが、このような状況になると
普段とは違う状況なので、物事の根本から考えさせられるんですね。

要は360度、うん?360度なら元に戻るか、180度とまで行きませんが
それに近いくらいに”価値観”が変わってくるんですね。

そうすると今までの自分や周りを、そして将来を冷静に見つめ直せて、
「言動」が変わり、自分のやるべきことが明確になるんです。

なんて言うか、「人間は必ずいつかは死ぬんだな、それなら思いっきり
自分の思うままに生きてやれ」とかと、いったような”覚悟”が決まると言うか、
”開き直る”とでも言うか、そんな考えになるんです。

これを筑波大学の名誉教授でもあり、遺伝子の研究で有名な
「村上和雄先生」によると、”遺伝子”にスイッチが入り、ONとOFFが
あるとすると”ON”になるのだそうです。

だから順風な時よりも、何かがありそれを乗り越える時の方が
より強くなれるし、やる気も出てきます。

周りの人に聞くとほとんど全ての人が、「自分の分岐点になったのは、
あの辛い時期を乗り越えた時だな。」と必ず”逆境”の時を挙げるんですね。

これって、ビジネスの場じゃなくても恋愛でも子育てでもスポーツでも
色々な分野でも言えることなんですよね。

でも、”逆境”というやつは誰にでも乗り切れるわけではなく、
「ここ一番逃げないで、その場に踏みとどまり踏ん張った人」が
その恩恵を受けるんじゃないのかな。と思うのでございます。。。。。

児玉さん、やっぱり「のりピー作戦」はうまく行くと思うよ。

早々変われないモノなのです。。。。。

人生は「バランスとタイミング」だという人がいる。
また、人生は「運だよ」と言う人もいる。

人生は「決断と行動」だという人がいる。
その逆で、「待つことを知れ」と言う人もいる。

どれが正しいとか間違っているとかではなく、
その時々の状況なんだと思う。

以前は「決断と行動」を標榜していて、
そのようにしてきた方が多かったけど、

最近になって、と言うより薄々感ずいていたけど、
自分では「決断と行動」をしたつもりが、ほとんどは
気だけ焦ってる”おちょこちょい”になっているな~と。

気が小さいのと、それだけの冷静な知識に裏打ちされた
頭脳がない分、「あ~あ、もう少し待てばよかったな~」
と後悔をすることが多々あった。

特に人に関して、その中でも恋愛関係が6割、
人事関係が3割、残りの1割はよく思案しない衝動買い。

「あ~あ、あの時もう少し待てば」とか、
「なんで、あんな余計な一言を言ったんだろ!どうして、
もう少し様子を見てあげられなかったんだろ!」とね。

元来、驚くほど「単細胞」に出来ているので当然と言えば
当然なのですが、そんな自分が嫌でしょうがありませんでした。

でも、歳を取ったからなのでしょうか?
最近は「待つ」と言う言葉が頭の中に浮かぶようになりました。

と同時、何でも「行動が早ければいいもんじゃない」ことも理解できるようになって来ました。

しかし、これも若いときから「小心者でせっかちで深慮がない」
行動をとり後悔ばかりして来たから分るんでしょうね、きっと。

そう考えると総合的に見ると、
人生は「バランスとタイミング」なんでしょうね。

と、昨日も「しでかして」しまい”後悔”している、
25℃残暑な今日この頃です。。。。。

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この場を借りて、
社長、先日はありがとうございました。
来週、瀬口出れそうです。

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