老人ホーム

先日夢を見ました。どんな夢かと言うと、西芦の「老人ホーム」の夢です。 

私のじいさんとばあさんは、私が小学校1年か2年生の時にそれまで一緒に

住んでいた東一条五丁目から「老人ホーム」の管理人として、西区3丁目の

一番前で上の風呂の道路を挟んだすぐ目の前に住み始めました。

なので、小学生の頃はそこへ泊まってそこから学校へ行ったり、学校帰りに

「老人ホーム」へ寄ったりしていました。四軒長屋を1つにした建物で、

じいさんばあさんの住居兼でした。

常に20人弱のお年寄りたちが集まっていて、花札や碁、将棋などする人や

テレビを見たり、それぞれに話を楽しんでおりました。色々なお年寄りの

方達が来るので、中には誰とも話さないで、何時もひとりソファーで横になって

ハーモニカを吹いていたおじいさんがおりました。ほとんどは軍歌だったので

きっと戦争へ行った方なのだろうと子供心に思いました。

今から思うと息子さんが仕事へ行っていてお嫁さんと居るのが居づらくて

仕方なく「老人ホーム」来ていたのかな?とも。

よく、おじいさんやおざあさんたちのやる花札にまぜてもらい一緒に花札を

やって得意になっていたら、突然ばあさんに襟首を掴まれ引きずられて

仕切り一枚で繋がっている住居の方へ押し込まれました。(笑)

きっと、孫が他のおばあさんたちと和気藹々としていたのが面白くなかった

のか?単純に「大人の邪魔をするもんじゃない!」と言う意味なのかは

知る由もないですが、引きずられる私を見ておばあさんたちは「あー」とか

「別にそこまでしなくてもいいのにね~」と言うような声も聞きました。(笑)

まぁ、気の強いばあさんだったので・・・・・。(笑)

秋になると菊の展覧会があるので、それを飾っていましたね。

大中小の大きさで子供私にはその価値がイマイチ(今でも)分らなかったのですが

金賞を取る様な菊もあったのでお年寄りたちも気合が入っていたんでしょう。

大体、夕方の4時半か5時頃に終わってカーテンを閉めるのを手伝ったり

していましたね。それからじいさんばあさんと一緒にご飯を食べて、寝る時は

大広間にしかテレビが無かったので、その前に布団を敷いて寝ました。

ばあさんが桂小金治の「それは秘密です!!」と中村梅之助主演の

「伝七捕物帳」が特に好きで、私もこの二つを見るのが好きだったので

火曜日によく泊まっていたんだと思います。ばあさんはいつも「それは秘密です!!」

を見て司会の桂小金治と一緒に泣きながら見ていましたね。(笑)

結局、いつまで管理人をやっていたのか?は定かでありません。

私たちは東5丁目から途中で改良住宅(7丁目)へ引越しし、おやじがじん肺

になってから少し経ち芦別へ引越ししました。私達が芦別へ引越ししたのが

高校2年の時で、それから間もなくして管理人を辞めたのか?閉鎖したのか?

は分りませんが、じいさんとばあさんも芦別で八十八か所と呼んでいた桜山

レジャーランドの下の養鶏場の近くの場所へ引っ越しました。

そんな「老人ホーム」で遊んでいた夢を見たのです。

今でも鮮明に「老人ホーム」のことは覚えています。。。。。

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