1985年 ある春の日。

なぜか?一番近いはずの(と言っても34年前)高校の時の卒業式が
ほとんど、いえ、全くと言っていいほど覚えていません。(笑)
 
3年生は一足早く春休みになってから卒業式だったかな?そのまま、
卒業式直前まで学校へ行って卒業式を終えたのかな?今度、同級生に
聞いて見ようと思いますが、きっと期待は限りなく薄いですけど。
 
ただ、高校の卒業式を終えると既に車の免許を取っていたので、
家の車(私の場合は兄貴の車)が乗れるので、各人、それぞれが芦別を
出るまで遊んでいましたね。それは残り少ない芦別と学生気分を満喫し無理矢理に
でも思い出を残しておこうと言う感覚でした。(笑)
 
卒業式と同時に芦別を出る人もいましたが、一週間目、二週間目と出て
行くのが殆どで、「明日か~。よーし!今日は思いっきり遊ぼうぜ!!」と
そんなのが徐々に増えて行き、比較的遅かった私は寂しい気分でしたね。
 
私は、3月末に札幌へ行く予定だったのですが、3月の末頃には居るのは
地元芦別に就職する友人ばかりになっていました。
 
その中でも保育園から高校までクラスは違えど一緒だった”進藤君(シーロー君)”
は、地元に就職だったので最後まで遊んでいました。しかし、そんな私も
翌日に札幌へ行く日になり、二人して車を運転し滝里の先辺りまでドライブしました。
芦別へ帰って来る時に片側一車線なのに、対向車が来ないのを見計らって並行し

顔を見合わせて爆笑しながら最後のバカをやったりして芦別へ帰ってきましたね。
 
でも、お互いに心の中では「これで最後のバカだな~」と思っていたのが
痛いほど分った、1985年春の日でした。。。。。

芦別を離れる時は両親と芦別駅から札幌へ行きました。芦別の街並みと自分の住んでいた家、そして見慣れた母校が過ぎ去るのと同時に過酷になって行きました。

歌詞とは違って、とても良い想い出でした。

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