“チバセン”は転勤した。

3月はお世話になった先生が転勤になります。

芦別工業の時には英語の“千葉先生(通称チバセン)”が高校3年生になる前の春休みに転勤になりました。

思い返せば“所ジョージ”さん似で、少し面長で色付きの眼鏡を掛けていましたね。

あたくし思うに今にして思えば、

きっと一度も英国どころか米国、いや海外になんていってないんじゃないか?

と思っています。(笑) 

“千葉先生”は生徒に人気がありました。と言っても

決して甘いわけではなく叱る時にはきちんと叱ってくれましたからね。

まぁ、俺らのような生徒を甘やかしたら穴の毛まで抜かれるので、

新米の先生以外は「奴らをつけ上げさせるな」とでも伝統のようになっていたと思います。(笑)

でも、当時の先生は今と違って、もの凄く人間らしかったと思いますね。

“岡橋先輩”なんて駅前の芦別会館と言うパチンコ屋へ行っていて
(下は学ボンで上は学ランを脱いでタートルネック)

自分が打っている台の向こう側で「ドン!ドン!」としきりに叩くので

「うるせーぞ!」と言うと、

叩いてた本人がやって来たと思い身構えたら、

なんと!“チバセン”で、しかも“岡橋先輩”はタバコ吸っていたので

パチンコ台の灰皿にシケモクまであったので「ヤバイ!停学かよ!!」と思っていたら、

“チバセン”何も言わないで“岡橋先輩”が出していた箱を2つ持って

そのまま何事もなく自分の負けこんでいた台に戻って行ったと言う・・・・・。(笑)

また、今でも付き合いのある同級生で同じクラスだった“山住”なんかは

ある授業の時に何か話の延長で“チバセン”が

「まさか、“山住”カバンの中にタバコなんか入ってないよな?」

と“山住”のカバン(正式には当時流行ったガバンという薄っぺらいやつ)

をさかさまにしてふったら「ポロン!」と百円ライターの“チルチルミチル“が出て来てました!

その一瞬で血の気が引いて青くなった”山住“よりも

まさか本当に出て来るとは思っていなく、

何かの話の流れの中で出て来た“チルチルミチル”を見てしまった“チバセン”の方が声を失くしました。

私は前の席に居たのでその一部始終を見ていたので「ヤバイ!停学か!?」と。

それは、殆どの同級生も同じ気持ちだったと思うのですが、

なんと!“チバセン”はその“チルチルミチル”を何事もなく

自分のポケットに入れて教壇に進み授業を続けました。(笑)

まぁ、そんな先生だから生徒からは親しまれたんだと思います。

なので、せの“チバセン”が転勤になる時にと言うか、

教頭先生が亡くなりお寺で教師も生徒も焼香に行った時に色紙なんぞを渡したんですよね。

別に担任でもなく工業科の先生もないのですが、

俺らにとっては好きな先生だったんんですよね。。。。。

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