職員や商店街の人たちとは違い、一般の坑夫が住む炭鉱住宅には
風呂がないので、3つある浴場の内の近い風呂へ行きます。
私の場合は1条五丁目だったので三条六丁目にあった風呂へ行っていました。
15時から21時位までやっていて、小学生は18時半、中学生は19時半まで
だったと思います。たまに、何時も行く風呂とは違う所へ行くともの凄くアウェーを
感じて、緊張したのを覚えています。あれって、何時も行くホームに違う風呂から
来ると何となくわかるんですよね。そう、何となく人の目を気にするのが。
また、炭鉱の人でない人が来るとこれもそのぎこちなさから分ります。
上の風呂は「じいじとばあば」が老人クラブの管理人で住んでいたので、その道路を挟んだ
目の前にあったのでたまに行くことはありましたが、下の風呂は炭鉱住宅に住んでいた
約十三年間で数回と数えるほどでしたね。
そこそこの風呂場の管理人さんや来てる人の特徴がありました。
六丁目の風呂場の管理人さんは、元々は中の丘スキー場の管理人さんが
私が小6か?中1の頃に来ました。不思議なもので、その前の管理人の方が
長かったのに顔を思い出せません。確か、たまにおばさんも座っていたと思います。
そうだ、その中の丘スキー場から来た管理人さんは、同級生の女子からは
「エロ管理人」と呼ばれていましたね。(笑)
今は、家に風呂はありますが殆どシャワーで済ませているので、風呂へ入る機会は
温泉に行った時くらいです。そうだ、風呂場には三、四人も入ればいっぱいになる
薬風呂なるものがあり、そこに入ると体がヌルヌルとして子供心に「なんか、体に
良いんだな~」と思ったものです。
一体、あれは何を入れていたんだろ・・・・・。