俺は結構?かなりわがままに生きて来られて幸せ者ね、本当に。それもこれも、“タスコシステム”で一緒に働いた仲間やお客さん、メーカーや業者さんや高田社長のお陰。それは、(有)丸か加藤商店になってからも同じで関わった人たちに本当に助けられてる。でも、“タスコ”の時は生意気だったんだろうね。(笑) 自分では特に業者さんには謙虚にしていたよ。俺自体が会社の看板を出して上からものを言う人間が嫌いだったから。そのようにならないように、思われないように部下にも言っていたし。けど、そうは言っても相手からすると個人の「加藤孝司」ではなく、「株式会社タスコシステム」の”加藤孝司”なので忖度は働いていたと思う。そりゃあそうだよね、上場までした会社なんだから。あたくしが意識してなくとも「タスコ」と書いた座布団に座ってるあたくしと話してるんだから。それが胡坐(あぐら)だろうと正座してようと相手からしたら”タスコ”は「タスコ」だもんね。きっと、俺自身も口では謙虚にと言っておきながらどこかで優越感を持っている態度だったのかもしれない。
なぜに今さらこんな話をするのか?と言うと、自分でもよく分からないんだけど、「お前、リスタート(再開)する時期な」と、どっかから心の声が頭に張り付いて離れないんだよね。で、「お前、好きなことして、周りが好きにさせてくれてたよな」と振り返ったら、なぜか?上記の話になっちまったってことね。あたくし”店長”として現場に出ていたのは正味3年ほどで意外と短い。それからは何店舗かを見ながら店長を置きながら現場に出ていたから。叩き上げなのでマネージメントなんか出来なくて、店長時代と変わらない仕事をしてたんだよね。そりゃあ”店長”は大迷惑だっただろうね。(笑) だって、”店長”が居てもあたくしの意見が通るんだから。(それは今もあまり変わらんか)
あたくしね、”(有)丸か加藤商店”の一応”社長さん”(なぜか他人行儀の言い方)の仕事を今年で19年間やって来たけどズーッと不完全燃焼ね。何かやり残してることがある気がしてならないんだよね。まぁ、この一年で掛け替えのない仲間が死んじゃったのもあるけど。あと、「お前、家に帰って週に4日もYouTubeを見ながらしゃぶしゃぶなんて食ってんじゃネーよ!!」ってのもある。(笑) つーか、だからと言ってこれまでのように飲みに行くのはお金も掛るし、体もキツイ。なら、始末はちゃんと自分で付けるのがこれまでお世話になって来た皆への恩返しと自分自身の生き様と言うか、奴等への後ろ姿ね。
別に総決算とか大げさなのではなく、こっから”リスタート”(再開)させること。思えば、当時“タスコ”に居る時もそのようなことを考えて「青春の輝き」という70年代、80年代をコンセプトにした店をやったのが、今からちょうど20年前ね。あの時は、どちらかと言うと”タスコ”での総決算で悲壮感的な思いでやったよね。今回は、一番の思いは自分自身への挑戦。(暇なだけだろ!)これまでは色々と先々のマイナス面ばかり考えて一歩踏み出せなかったのよ。色々と思うことがあってね。会社を立ち上げた時にある人の紹介で「神棚」を買い、その時にその「神棚」を作った人に会社と自分の画数を見てもらったのね。すると、あたくしの名前の画数はダメだけど「(有)丸か加藤商店」の画数は良いって。良かったよね、あたくし自身よりも一緒に働く仲間とお客さんが良くなるんなら。で、その時に言われたのがあたくし自身は大器晩成型なので58歳から運気が上がっるって。正直、ガッカリだよね。だって、その時30代後半で”丸か”を立ち上げたので「あと約20年も!?」って。ぶっちゃけ、そんなに会社をやろうともしてなかったし、また出来るとも思ってなかったからね。でも、皆のお陰で何とか出来てるよね。(笑) だからこそ、「人生、待ったなし!やりたいこと、やってみたいことを後先考えないで(多少考えるけど)、やろうじゃないか!!」と。(笑)
「動けば変わる」ってやつだね。
追記 目標、カトザップで-4キロ!”すーさん”は-20キロ!!(勝手に仲間に入れる)
まだね、何処で何をするかはハッキリと決めてないのさ。(笑) 出来れば、老体なのでなるべくひっそりと「カッパドキア専門店」を席数が3席位かな?と。(なら、事務所でいいだろ)
そうそう、「神棚」と一緒に「印鑑」も買いました!!(怪しい?笑)お守りの代わりにあたくしに何かあった時には身代わりになってくれて、その時には割れてしまうんだとか。(やっぱ、怪しいか)
一緒に付属している朱肉は使わない方が良いとのこと。あと、印鑑を使用した後に朱肉を拭かないで朱肉の色が印鑑(一応、象牙)に染み込んでくれば来るほどお金が貯まるんだとか。人によっては、このように朱肉の上に置いている金亡者もいるんだってさ(言い方よ)。と、思い出したのでやってみました。(笑)