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えっ!?マジで!!

2013年に「餃子の王将」を展開する王将フードサービス・前社長の大東隆行さん(当時72)が射殺されて、先日19日で10年だったんですね。それをニュースで見て「えっ!?マジで!!」と改めて月日の速さに”うんち”をちびりそうになりました。(コラッ!)まぁ、そう考えると、あの「東日本大震災」からだって既に12年経つんですからね。

いつも思うのは、そのような世間を騒がせた事件や震災などが起こった時の自分史と言うか、殆ど”丸か”での出来事を思い出します。その当時に居たスタッフやお客さんやエピソードなどを。10年前に居たスタッフや知り合い、お客さんは当然のごとく入れ替わっています。独立したスタッフ、翔んで埼玉なスタッフ、もうこの世では会えないスタッフ(お客さんも)、転勤したお客さん、退職してしまったお客さん、諸事情で顔を見なくなったお客さんと・・・・・。

先程も書きましたが、「餃子の王将」事件から10年の速さに”うんち”をちびるほど驚いていますが(オイッ!)、もっと怖くて不安になるのは、これだけ早くに10年が経ってしまったのなら、これからの10年を考えると本当にある意味恐怖です。しかも、歳を重ねるごとに早く感じるのだから、これまでの10年よりかはマッハ状態だと思うんですね。よく、「一日一日を大切に」などと眠たいことを言うけど(言い方よ)、そうは思うけど、悔しいけど実際にはモルモットがアホみたいにくるくると回ってるようなどうでも良い”ルーティン”を過ごして、「あぁ、また今年も早かった」となるんだよね。。。。。

追記 10年後の自分はどうなってるのか?生きてるのか死んでるのか?それは周りの人たちともどうなってるのか?それを考えると永遠などないのは分かってはいますが、とても不安です・・・・・。

浄土真宗の開祖と言われる「親鸞聖人」さんは、4歳で父、8歳で母を亡くされて「今度死ぬのは自分の番だ。死ねばどうなるのか、この世が終わったらどこへ旅立つのか、死後は有るのか、無いのか、どうなってるのやらさっぱり分からず、未来が真っ暗でした。」で、この「死んだらどうなるのか?」を解決したくて9歳で仏門に入る決意をしました。当時の僧侶は国家公務員でエリート階級だったんですね。

で、親鸞さんは9歳の春に出家が許され得度の式(髪を剃り僧侶になる儀式)が翌日になると聞かされ横にあったすずりと筆をとってこんな歌を詠みました(書きました)。「明日(あす)ありと 思う心の あだ桜(ざくら) 夜半(よはん)に嵐の 吹かぬものかは」(明日ありと 思う心に 酔いしれて 無常(むじょう)の殺気(さっき)に さらわれて行く)要は親鸞さんは「明日の桜を期待する心は、夜中に一瞬の嵐が吹けば、たちまち、散ってしまいます。私たちに明日があるのが確実なら、誰も死ぬ人はいないでしょう。人の命は、桜の花よりも儚(はかな)きもの。私に、明日は、ないかもしれません。どうか今日のうちに出家させていただきたい」と。

これを、「なんてわがままなクソガキだよ!」と思っていけません。その証拠に、それを聞いた僧は感嘆(かんたん)してその日の内に出家の儀式を行ったのですから。なので、あたくしのように10年後を心配してるなんてのは単なる凡人以下だし”うんち”にも満たない存在なんですよね。(笑)

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