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寮の食堂と・・・・・。

今週の「丸かの今夜もひとりバックドロップ!!」の昭和・平成のテーマが『学食・購買・社食』です。あたくしは弁当を持って行ってましたが、たまに学校の「売店(と呼んでいましたね)」でパンなどを買ったり、ベビースターラーメンを買ったりと、学校指定の上靴なんかも売っていていましたが、買う人は殆どいませんでしたね。

卒業して札幌へ出て来た時には一年間は寮生活でしたので食堂がありました。多分、朝と夕方だったと思いますが、朝に食べた記憶が定かではありません。なんせ、仕事へ行くのが嫌で嫌で仕方なかったので記憶を抹消しているのかも知れませんが、何となく希望者には昼弁当(有料)が用意されていたような。

まだ、4月なんかは現場もそれほど遅くまではならないので、帰って来た時には同期の奴らが食堂に居ました。ちょうど、その頃に「夕やけニャンニャン」がスタートしたばかりで流れていましたね。

美唄工業から来ていた「荒川」と言う鉄筋屋の同期が、いつも食堂に置いてある氷の入った大きなやかんからどんぶり茶わんに並々と入れて美味しそうに飲み干していましたっけ。

夏は食欲がないのでどんぶり飯に梅干しと水で流し込むようにしていましたね。懐かしいな~、もう39年も前になるんですね。ちょうど今時期の西日が食堂に入り込んでいましたっけね。。。。。

これから↓

このどんぶりに並々とやかんの水を入れてこぼさないように口を付けながら席に着いてましたね。残業で遅くなった人用にもちゃんと紙を掛けて残してくれていました。けど、薄暗くひっそりとした食堂でひとり食べるのは寂しいそうでしたね。。。。。

追記 大皿に盛られたおかずを皆で食べるのって楽しいよね。今は家で「一人しゃぶしゃぶ」もいいけど。

「荒川」は同じ鉄筋屋の「アッキ(あたくしと同じ芦別工業から来ていました)」と一年もしない内に東京へ行った切り音信不通です。「アッキ」は北海道へ帰ってくる時に青森まではどうにか辿り着いたけど、海を渡るお金が無いと言いうことでお金を送金したことを今でも恩にきってくれています。

「荒川」はそのまま東京に居るのかな?一緒に過ごしたのは半年くらいですが、なぜか?もの凄く親近感があるんですね。また、皆で会って懐かしい話でもしたいですね。。。。。

いかにも地方から出て来た昭和の「かっぺ」ですね。(笑)。向かって右側手前が「アッキ」、その隣が「荒川」。1985年4月佐藤鉄筋の寮にて。

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