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「人間万事塞翁が馬(じんかんばんじさいおうがうま)」

あたくしはよく、「禍福は糾える縄の如し(かふくはあざなえるなわのごとし)」と書いているし、自分自身”座右の銘”にしています。

意味としては、中国の古典に由来する言葉で、「幸福と不幸はより合わせた縄のように交互にやってくる。災い転じて福となり、また福が転じて災いとなりますよ」という意味なんですね。世の中は表裏一体なので、今現在はしんどいけど、その次には良い状態になりますよと言った感じですね。

で、本日の「人間万事塞翁が馬(じんかんばんじさいおうがうま)」も似たような比喩で、中国の古い書物の「淮南子(えなんじ)」に書かれている話です。では↓

「中国の北の方に占い上手な老人が住んでいました。さらに北には胡(こ)という異民族が住んでおり、国境には城塞がありました。

ある時、その老人の馬が北の胡の国の方角に逃げていってしまいました。この辺の北の地方の馬は良い馬が多く、
高く売れるので近所の人々は気の毒がって老人をなぐさめに行きました。ところが老人は残念がっている様子もなく言いました。「このことが幸福にならないとも限らないよ。」

そしてしばらく経ったある日、逃げ出した馬が胡の良い馬をたくさんつれて帰ってきました。そこで近所の人たちがお祝いを言いに行くと、老人は首を振って言いました。「このことが災いにならないとも限らないよ。」

しばらくすると、老人の息子がその馬から落ちて足の骨を折ってしまいました。近所の人たちがかわいそうに思ってなぐさめに行くと、老人は平然と言いました。「このことが幸福にならないとも限らないよ。」

1年が経ったころ胡の異民族たちが城塞に襲撃してきました。城塞近くの若者はすべて戦いに行きました。そして、何とか胡人から守ることができましたが、その多くはその戦争で死んでしまいました。しかし、老人の息子は足を負傷していたので、戦いに行かずに済み、無事でした。」ここまで。

長い人生において楽しい事や嬉しい事もあれば、辛い事や悲しい事と「喜怒哀楽」の繰り返しで何が幸福で何が不幸かは直ぐに決まるものではないとね。

この話をすると長いので、あたくしは「禍福は糾える縄の如し」として自身にも、時にはお節介にも人にも伝えます。まぁ、殆どの人は「???」とミジンコの脳なのでアホな顔面をしていますけどね。(言い方な)

追記 ホントに、人生は大なり小なり何らかの連続だよね。いちいちクヨクヨしてられないけど、でも時には心が折れそうになるよね。でも、それは一人で生きていないと言う証でもあるんだよね。(人間関係が殆どだからね)

しかし、そのように良い方向に考えないと心が持たないよね。。。。。

この歌はあたくしも山賊右側さんもお気に入りの曲なんです。詩もメロディーも透き通る声も本当に好きな曲の一つです。

それにしても、歌詞を見ると「好きだけど愛してない」って言われたら、胸に刃物を「ブス―ッ」とジワジワと刺されたよな感じなんですけど。それに輪を掛けて「恋人から友達へのけじめをつけるように あなたが」って、女性から言われてもかなりショックなんですけどー!

極めつけは、「錆びついたバス停で降りると指さすの 違う径(かいと書いて道と呼ばせていますけど、意味を調べてみると「車が通れない小道」って詩を書く人は深いですよね~)もうあなた 歩き出してるのね」って、これって女性が朝方に車から降ろされて「お前はこれから自分の足で歩いて行け」と言う意味?それとも、女性が運転して来て男性が下りて女性に「君は君の人生を歩いて行きなさい」ってことかな?

まぁ、どっちでもいいけど切ないよね。しかし、これも「人間万事塞翁が馬」に例えたら、その後にそれぞれに良い人が見つかったってことになるんだよね。(笑)

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