先日、西18丁目駅から地下鉄に乗ろうとしていたら前から白い杖をついた30代後半位のサラリーマンの方が歩いて来ました。
ちょうど、大通方面へ行く地下鉄がホームへ入って来るアナウンスが聞こえ、あたくしは少し足早に階段を下りて行ったんですね。
「あっ、白い杖の人は間に合うかな?」と少し不安になりながらも地下鉄がホームに到着。
少し後ろの階段を気にしながら(下りにエスカレーターはないので)、振り返りながら乗るのを一番最後にして、もしギリならばあたくしが扉の間にまたがって運行を少し遅らせようかと。
それか、なぎら健壱さんの名著「東京酒場漂流記」の中の一節にある、なぎらさんが先輩と一緒に飲んでいて次の店に行くのに電車を乗ろうとした時に、出発を告げるベルが鳴り響き、その刹那(せつな)「なぎら、行くぞ(ついて来いよ)」と言うなり猛ダッシュで階段を駆け上がって行ちゃいました。
なぎらさんが「えっ!?」と驚いてる間に既に先輩の姿はもうなく、「なぎら行くぞ(ついて来いよ)」の声だけが残されていたんだとか。(つまり音より早かったと”なぎらさん”は書いていました。な、バカな・笑)
仕方ないので、なぎらさんも酔った身体に鞭を打ちながら全力疾走でホームまで駆け上がって行くと、信じられない光景が飛び込んで来ました。
そこには先輩が閉じたドアに頭を突っ込んでいて、したがって胴体はホームの上にあったんだとか。
そしてその時、先輩が大きな声で「なぎら、乗れたも同然!!」と・・・・・。(笑)

はい、あたくしはこのくだりが大好きだったので、「よし!もし、ギリならここでやらないでいつやるんだ!!」と覚悟を決めていたんですね。(アホ)

しかし、その白い杖の方はいっこうに降りてこない・・・・・。上から下りて来たら階段下の透明なアクリルから見えるんですね。
その時、「あぁ、あの人は気を使って途中で止まって地下鉄が行くのを待ってるんだな~」と周囲への気遣いが切なく感じたのと、同時にいかにも「日本人らしいな~」と感心しました。
よく、一部の外国人がマナーやルールを守らないで列に割り込んだり、公共の場で我が物顔で大きな声で話したりする”CHINA人”がいますよね(言っとるがな)。
それぞれ民族性や育った環境もありますが、日本人独特の感性や情緒は周りの”気配(けはい)”を察するのがとても敏感ですよね。
それで、「日本人は本音を言わない」とか、「自己主張がない」などと言われますが、それはこの”気配(きはい)”が人一倍長けているからなんだと思うんですね。
この”気配(きはい)”さえもコミュニケーションの道具として「思いやり」や「気遣い」といった想像力が働くんだよな〜と思った話でした。
追記 つくずく、日本に生まれて日本人として生きていて良かったと思うのです。
あっ、もちろん外国人の方も”気配(きはい)”を察して道をあけてくれたり、こっちが道をあけると軽く会釈をしてくれる人も居ますよ。そこはあたくしも合点承知の助です。(若い子は漢字も意味もわからないし、初めて聞く言葉なんだろうな~と)
その昔、荷物が重くて市電に乗りこむと「次で降りるのでどうぞ」と席を譲って頂きました。しかし、実はあたくしも次で降りる予定だったんですね。(タイミングよく来たから乗っただけ)
でも、折角のご厚意を断れなく、結局はその方にお礼を言い、その方が降りる際にもまたお礼を言い、あたくしはその次で降りて重い荷物を抱えて歩いて戻って来たと言うね。(笑)
と言うことで、本日は「丸かの今夜もひとりバックドロップ!!」の更新日ですよ〜。
今週も色々とあったので、ちょっぴり癒される歌でもとね。