これは、2010年10月16日(土)に「旧トップギア!!」で書いたのを多少修正したものです。
昨日、久しぶりに”上海月(シャンハイムーン)”のことを書いて思い出したというか、先日久日ぶりに行った店があるのですが、
そこはススキノで50年以上営業している”君町”という、おでんとかすべの煮こごりの美味しい店です。
そこへ行っていたのは、まだ”上海月”がそれほど忙しくない初期の頃で、朝までやっていたのでちょくちょく”細B”や他のスタッフ達と顔を出しました。
おかあさんとたまに手伝いの女性の方と2人でやっておられました。
あたくしたちが行く時間は午前2時頃なのですが、お客さんがいない時は決まっておかあさんはカウンターの壁側のベンチシートの椅子で寝ていて、
「こんにちは!」と元気よく入ると「よいしょ」と起きだすのです。
で、何度か行くうちに色々な話をしてくれるようになり、と言うかあたくしたちが聞いていたのですけどね。
「おかあさんススキノは何年になるんですか?」
「52年」
「・・・・・ごめんなさい。」と、あたくし「52年」と聞いてなぜだか思わず謝っておりました。
当時あたくしは31歳で、飲食業経験は10年くらい。
勢いのある会社だ、ススキノに何十店舗もやっているという多少の自負心のありました。
が、「52年」としかもサラッという目の前の”おかさん”に対して、いい気になっていた青二才のあたくしが
恥ずかしくなったものです。。。。。
歳を聞くと83歳だか84歳とのこと。
何でも30代で色々とありススキノで働いたと。
長年、ススキノで朝までやっていただけあり、時々なじみのスナックのママさんなどが来ていたり、アフターでお客さんと来て小上がりにあるカラオケなんかで盛り上がっているお店でした。
で、久しく行っていなく、でもよく”細B”とは「君町のおかあさん元気かな~?」
「いや、もういくらなんでも死んでるだろ?だってよ、生きていたら100歳くらいだぞ?金さん銀さんじゃないんだから。」
「あそこの”かすべの煮こごり”美味しかったですね~。」
「うん。」
などと会話をしていたのですが、先日ついに行く機会がありまして、のぞいて見ると、カウンターに見知らぬ年の頃で言うと60過ぎの男性が一人。
って言うか、男性からしたらあたくしたちが見知らない。
「まだ大丈夫ですか?」
「どうぞ。」
「ビールお願いします。」
「はい。」
「あの~、ここ昔おかあさんやっていませんでした?」
「あっ、はい。私の母です。」
「あ~っ!そうですか!?で、おかあさんはお元気ですか?」
「10年前に。」
「あっ、そうですか~・・・・・。」
「何時迄ですか?」
「十一時半です。」「23時半ね)
「おでんいいですか?」
「どうぞ。」
「あの~、おかさんの”カスベ”好きだったんですがありますか?」
「ありますよ。」
「じゃあ、下さい。」
おでんも”カスベ”も美味しかったです。
人間の記憶なんて曖昧なものなので、「きっとこんな味だったよな~」と
思いながら懐かしんで食べました。
何でも息子さんはまったく違う仕事をしていたのですが、
おかさんが具合が悪くなっても「お客さんが待っているから。」と言って、
言うことを聞かなかったらしく、それでしょうがなく畑違いだった息子さんが
手伝うことになって今に至ると。
息子さんが継いだ当時は朝までやっていたそうですが、「時代なんですかね~。朝までやっていてもね~」と。
確かに、一時ススキノはヘルス、キャバクラ、ニュークラなどができて昔ながらのクラブやスナックはここ12,3年ほど壊滅的な打撃をこうむり半分以上が店を辞めております。。。。。
しばらく、懐かしい話をして店をあとにしました。
あたくし自身も現在は拠点をススキノから移しているので分かるのですが、こんな所にもススキノの”栄華衰退”を見る思いでした。。。。。
おかさんは年に一度の旅行が楽しみだと言っており、友達たちと行った旅先のアルバムを、楽しそうに見せてくれてもいました。
おかさんは今ごろ自由に旅しているだろうな~・・・・・。

はい、ここまで。
調べると、もう「君町」は営業しておりませんでした。
体調が悪くなっても「お客さんが待っているから。」と店に出る”おかあさん”。
常連さんだって減って来ていて大した売り上げにもならなかっただろうに。
それを見かねて、長年の勤め人を辞めて”おかあさん”の手伝いをする息子さんは本当に心優しい人です。
その息子さん、奥様も慣れない飲食の仕事をたまに手伝ってくれるとも言ってましたね。(立派なご夫婦)
追記 飲食店なんて星の数ほどありますが、それぞれにドラマがあるんだろうね。
と言うことで、本日は「丸かの今夜も一人バックドロップ!!」ですよ。




