あたくしは小学二年生の時に「理科」で100点を取りました。それまでクラスでは36人中31位~35位を見事にキープしていたので、担任の”佐藤妙子先生”が教室の前で採点をしている最中に「かとうくん、100点!!」といきなり大声を張り上げました。100点どころか60点以上どの教科でも取ったことのないあたくしにとっては一瞬「・・・・・?」と。(笑) しかし、直後に(きっと、クラスメイトもあたくしと同じ思い)教室中が「オーッ!!」と地鳴りのように歓声が鳴り響きました。今にして思えば100点なんて後にも先にもあの時以来で、学生生活での頂点だったのでは?(早ッ!)と思っています。その後はどちらかというと社会科や時たま行う漢字テストでも中々良い成績を収めていましたが、数学(算数)や英語などはからきし苦手で特に数学の方程式などは今で言うところのヘブライ語と似た感覚でしたね。(笑) しかし、そんなあたくしも英語は別として(後に米国へ行った時に身振り手振りの単語で何とかなると分かった)、時に数学でごくごく簡単な方程式を解ける時があり(宝くじで100万当たるくらいの確立)そうすると「おもしれえー、数学って!!」となるのですが、その数分後に何かでつまづくと途端にちんぷんかんぷんになり「やーめた」と。(根気が足りません)でも、当時の時たま算数や数学の入り口の先っちょの先っちょが分かって先走りの汁(つゆ)が出た時の楽しさは今でも鮮明に脳裏に残っています。(表現よ)
で、思うことは勉強も仕事も嫌々やってる内は覚えないし上達もしないってこと。小中生の頃は「勉強が好きです!」なんて言おうものなら途端に「ガリ勉!!」と言われて一気に冷やかしの対象になるから「勉強が好きです」などと言えない雰囲気でしたが、「好きこそ物の上手なれ」ってことだよね。また、先生や上司は「今まで分からなかったことが、学びを深めることで分かるようになり、自分の心の世界が広がり、分からなかったことが分かるようになり、さらに知りたくなる。そこに楽しみ、喜びがあるということに気づかせる」のが役割なんだと思うのです。決して、生徒や部下に迎合して「やれ友達と仲良く」とか「やれコミニュケーションが大切だ」とか「厳しくすると辞めちゃうから」ではなく、勉強も仕事も最初は分からなかったり難しくても少しずつ分かるようになり、出来てくるようになると成績が良くなるし、周りからも徐々に認められるし、期待されるようになり、試験で合格したり資格が取れたり結果比例して役職も上がり給料などの待遇も上がり「やりがい」が出て来ると。けど、さっきも書いたけど変に子供の親のクレームや教育委員会、仕事で言えば「何も見ないふり、言わない、聞かないふり、しない、させない」ことが仕事になってるよね。(それって猿だろ)そうではなく、多少の負荷が掛かっても「学ぶ」楽しさを教えて、その場を作るのが先生や上司の務めなんだとね。
と、商売の計算以外は出来なく、「理科」でみみずのテストで1回しか100点を取ったことのない野郎がのたまいましたとさ。(笑)
はい。