先日、知り合いの店に行くと(と言うか、ここ最近は何時も)店がどんよりとしてるってね。照明を落としてるわけでもないし、レイアウトを変えたわけでも、見た所は何も変わってないんだよね。
そう、店は「生きもの」なんよね。(物ではなく”もの”ね。あとで意味が分かると思います)
そう、そこで働いてる人や雰囲気が大いに関係するしね。
例えば、同じ店で照明も変えてないのにどんよりと見える時がある。
同じ店なのに「店長」が変わったり、あるいは輝いていたスタッフが居なくなっただけで別店舗のようにもなったりね。
なので、「店長」にも言うんです、「店は生きものだからな」って。
調子のよい時も悪い時もその存在は表さないけど、ジッと見ています。
また、こうしろとかこれはダメなどとも言いません。
ただ、そこで働いてる「店長」を筆頭にスタッフたちの表情や声や動きなどの「ありさま」をジッと見ています。
ものごとや仕事への考え方もちゃんと見えていますしね、当然のように。
それならば、「努力してるから」、「頑張ってるから」それをちゃんと見てご褒美をくれるか?と言えば、そんな甘いものでもない。
なぜか?それは、「人生と同じ」だから。
トントン拍子の時には油断をして足をすくわれ、どん底を這いつくばってる時には一筋の光が見えるのが人生だから。
単純に商品を作るとか売るとかではなく、店や仕事を通しての「喜怒哀楽」を経験させ人間としての「山あり谷あり」の成長をジッと見てるんですね。
そう、「生きもの」の店は=自分でもあるからね。(物ではない)
追記 面白いよね。
店(業績もスタッフも)だけが先に行くことも、自分だけ楽しむ(業績も悪く人も育たないのに)というアンバランスな店はいびつです。必ず、どこかの時点で店か自分かその両方かが壊れます。
今この店でなかったら縁もゆかりもないスタッフやお客さんと働ける喜びと感謝を持ちながら、テーブルやイスや備品に対しても感謝しないとね。
どのように感謝を伝えるかってた?
それは、「人との関りを大切にし、上辺じゃなく本質を語り人間の成長の為に一所懸命に努力する。」ことと、「テーブルを囲む笑顔を作り続ける。」ことを常に意識し、スタッフと共有すること。
常に言葉にしても良いし、後ろ姿で伝えるもよし。意味がよく分からない人は、自分なりに一つ一つの言葉を辞書やchatGTPなんかで調べながら自分に落とし込み、周りと自分自身に感謝しながら働き生きることね。
店の成長は自分(達)の成長、自分の成長は店の成長と比例してないとダメなんです。さぁ、その点で言うと「欽ちゃん支店」と「白木」、今日から十六周年です。今後が楽しみです。
と言うことで、本日は「丸かの今夜もひとりバックドロップ!!」の更新日ですよ。
やっぱ、”天”にしか見えないんだけど。(笑)
土曜日は15時から営業してる「にんにく唐がらし」で鶏と野菜を甘辛いタレで味付けした「タッカルビ」なんぞを野菜で巻いて「生マッコリ(冷凍も旨い)」を飲み干し、電車の走る音を聞きながら優雅な時間を過ごしませんか?(出来過ぎか?)
あっ、今日は「夏至」で、一番長い日。