トップギア

趣味。

あたくしは趣味でサバイバルゲームなんぞをやっております。(通称サバゲー)元々、小さい頃からオヤジが「コンバット」と言う第二次世界大戦のノルマンディー上陸作戦以降の米軍小隊の物語を米国のTVドラマでやっていたのをよく一緒に見ていました。夜中にやってたので、ちょうど”おやじ”が二番方(にばんがた)で昼に行って夜に帰って来る時に起こしてもらい見てました。たまに、途中で起きて「なんでお越しくれなかったんだ!!」と文句を言うと、”おふくろ”が決まって「お越しに行ったら、うん、わかった。って言ってた」と本当なのか?忘れてごまかしたのか?分かりませんが言ってましたね。で、あたくしはしばらく「だはんこいて」いました。(笑)

プラモデルも歩兵や戦車などを作っては、一人で戦争ごっこをしていました。そう、戦争ごっこと言えばこれまた部屋とか雪山を利用して味方側と相手側に1人で分かれて戦争ごっこをしていました。(笑) なので、クリスマスプレゼントは鉄砲などが殆どでしたね。少年ジャンプの一番後ろにモデルガンのカラー写真がズラリと並んでいるのですが、欲しい順に番号を付けて「先ずはこれを買って、次にこれを買って・・・・・」といつもその銃を買った時の空想にふけっておりました。(笑)

で、20代後半から社内の人間とお客さんとで「サバイバルゲームをやるか!?」となり、十数名ほどでやることに。大体、土曜日の営業後の朝の6時過ぎに「メトロビル」の前に集合し各々の車で相乗りして出発。今のように有料のサバゲーフィールドがないので、誰か彼かが見つけて来た場所で勝手にやってました。(時効です)昼くらいに終わり帰って来るのですが、その日休みの人はいいけど仕事の人はかなりキツかったとか。(笑)

その頃には「東京マルイ」と言う国内メーカーから「電動ガン」(小さいバッテリーで動く)が出ていて(それまではエアコッキングかガスが主流)、少ししてから「ホップアップシステム」と言うBB弾に回転を掛けてより遠くへ真っすぐに飛ばす仕組みが確立されて、飛距離が30~35メートル飛ぶようになりサバゲーがより面白くなりました。また、その頃は規制がなかったのでカスタムをして威力を増したり、50メートル以上飛ぶ電動ガンもありましたが、危険が危ないので「銃刀法」の中に当てはめられて規制されてからは、BB弾が当たっても血が出たり火星のクレーターのように穴ぼこだらけにならなくなりました。(笑)

こんなクレーターのようなBB弾の痕が背中などに・・・・・。(笑) そんな、楽しかった時期も1997年に「上海月(シャンハイ・ムーン)」がオープンして終了しました。原因は満を持してオープンした「上海月」が極度の成績不振に陥り、サバゲーをやる余裕と言うか「やってる場合じゃないだろ!!」的な罪悪感ね。

それから15年の年月が経ち、時は”丸か加藤商店”で”いっく&中川”がお客さんとの話でサバゲーの話題になり、「そう言えば、社長も昔サバゲーやってたから声を掛けよう!!」と言うことであたくしの耳にね。元々好きなのであたくしは二つ返事で承諾し、一応、閉まって置いた銃やら装備などを引っ張り出して動くことを確認。それから11年が経ちました。スタッフ、元スタッフ、それぞれのお店のお客さんや同級生、下は18歳~上は67歳までのまさしく「新人からベテランまで撃ちつ撃たれつ、老若男女たちが気兼ねなく楽しむ!!」をスタンスに掲げていて、「大人が熱く夢中になれる遊び」をこれからも楽しんで行きたいと思います!!

追記 と言うことで、サバゲーに興味ある人、やってみたい人を絶賛募集中です!!(笑)

10年前からチームを作ろうとなり「蝦夷虎」と言うチームにしました。

まぁ、単純にあたくしが”虎”が好きなのと、迷彩服の柄で「タイガーストライプ」と言うベトナム戦争時の米軍の特殊部隊が着ていたのが格好良くて、チームの制服も「タイガーストライプ」にしました。

で、23日は「納会」を行い一年の労いと年間MVPの受賞者発表、ビンゴ大会などで盛り上がった次第です。

第10回の節目の受賞者は同級生でもある”山住君”でした!!(笑)

”やま”は第3回とで2回目の受賞です。因みにこの御方は第6,7,8回と前人未踏の三連覇を成し遂げております。↓

「その動きを仕事で出せよ!!」や「仕事と変わんないな~」などそれぞれの性格や知らない才能を見れて楽しいですよ。(笑) で、納会の時に観た「2023年蝦夷虎ダイジェスト版」(約40分)ですので、興味と時間がある時にでも観て下さいね。(笑) あっ、サバイバルゲームは日本発祥なんだとか。

はい、本日14時からの「丸かの今夜もひとりバックドロップ!!」はリスナーでもある「ニラ・ジャック」襲来です。(笑)

PAGE TOP