西芦別の啓南橋(けいなんばし)の近くに「三井芦別鉱業所病院」がありました。 まぁ、地元ではそのようなまどろっこしい名前ではなく、単に「一坑病院」とか「炭鉱病院」と呼んでいました。
何色と言ったらいいいのか?濃いピンク色とでも言えばいいのでしょうか? なんかそんな色の印象が強い病院です。(芦別物語さんに画像がアップされています)
私は幼稚園の時に盲腸で入院したことがあります。ほぼ同時期に、”おやじ”が足の指に岩盤が落下して入院していました。きっと、”おふくろ”は一石二鳥で助かったと思いますよ。(笑)
その”おふくろ”も私が小学3年生の頃にヘルニアで一ヶ月ほど入院しておりました。 それでなくとも西芦はクソ暑いのに、何を勘違いしたのか私は”松田優作”さんと”中村雅俊”さんの刑事ドラマ「男たちの勲章」の”松田優作”さんのマネをして革ジャンの代わりにナイロン製のジャンパーを着込み、その懐にはビニール製のホルスターを肩から掛け、おもちゃの拳銃を入れて「男たちの勲章」の中でかかる音楽を口ずさみながら、三条通りをその気なって”おふくろ”見舞いに行ったら 「たかし!?どうしたの?こんなクソ暑いのにジャンパーなんか着てきて!?」 と病室の人たち全員と大笑いされました。(笑)
病院は2階建てで、1階は診察で2階は病室でした。 1階の集合待合場の後から階段を登っていき真正面にナースステーションがあり、左へ行くと主に女性や高齢者の病棟で、左へ行くと男達や女・子供たちでした。
左側の病室の奥にもう一 つの階段があり、そこを降りて右へ行くと、また集合待合場と表玄関へ。左へ行くとゆるいスロープになった渡り廊下になっていて、突き当たりが病院食を作っている所で、L字型のその突き当りを左へ行くと売店と床屋があり、そこを通り過ぎて行くと木造の別棟になっていて、何かの検査だか何かをするところでした。
たまに夢で見る時には、そこも病室になっているのですが、イマイチ定かではありませんが、同級生の”たっか”のお母さんと、一つ下の”羽生(うしゅう?うしう?)”のお父さん(少年野球団・ブラックスネークのコーチ)が働いてた記憶があります。
余談ですが、”羽生” ってあの当時も、こうしてパソコンで変換するまで別に普通でしたが、珍しい苗字ですよね。(笑) しかも、普通は”羽生”と書いて”はにゅう”って読みますもんね。
先ほども書きましたが、今でも夢で炭鉱病院が出てきます。 表玄関、待合室、2階のナースステーション(朝・昼・深夜と)、病室の風景、トイレに水飲み場、渡り廊下、そして病院食の臭い、フルーツ牛乳やりんご牛乳の置いてある売店、補導員でもある”あずまいのオヤジ”・・・・・。
歳を追うことに、少しずつ記憶が曖昧になってきますが、夢って不思議と 当時の記憶が多少脚色されて残っているもんですね。。。。。
【炭鉱病院1F】
【炭鉱病院2F】
【炭鉱病院 別塔】