小さい時に、じいさんとオヤジとで山へ笹を採って来て
何メートルもある棒の先に付けて、その下に鯉のぼりを何本か付けていました。
時期的には、確か茂尻から西芦に来たばかりの年か翌年位(昭和45年前後)だっと思います。
記憶では、その年限りだったような気がします。
その鯉のぼりも今風なライトな色鮮やかなのではなく、黒い鯉のぼりは
まさしく炭鉱町に合わせたような“石炭黒”と言わんばかりの“真っ黒”で、
黄色い鯉のぼりは大漁旗にあるような、これまたレモン色系の黄色ではなく
「これを“黄色”と言わないで何を黄色と言うんだ!!」と言うくらいな
大変自己主張の強い黄色でしたね。(笑) なので、お母さん鯉のぼりの“赤”も
推して知るべしな“赤”でしたね。(笑)
今にして思えば、オヤジは40手前でじいさんは60歳位。
今の私の年はどちらかと言うとじいさんに近い年齢になりました。
山間の西芦の5月初旬はまだ肌寒かったのでしょう、じいさんは黒い襟なしの
ジャンパーを着て、オヤジは小豆色のアノラックのようなを着て二人で鯉のぼりの付いた
棒を立てていました。
年を重ねるに連れ、何の責任も不安もなく、当たり前のように日常を過ごしていた日々も
こうしていつかは思い出になることを気づかされます。。。。。