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遅くなったけど、「ゆずり葉」。

本日は致知の連載中の「人生を照らす言葉」からです。

「子供たちに何を譲り渡すのか」を私たち人間にとって死は決して避けられるものではありません。誰もがこの生を終えて、次の世代にバトンタッチする時が必ずやってきます。死は忌み嫌うものでも恐れるものでもなく、自然の摂理そのものであると素直に受け入れられる人は、幸せだと思います。ここでご紹介する詩人・河井醉茗(一八七四~一九六五)の『ゆずり葉』は、そのことを私たちに教えてくれる作品です。

 『ゆずり葉』

子供たちよ。これは譲り葉の木です。この譲り葉は新しい葉が出来ると入れ代わってふるい葉が落ちてしまうのです。こんなに厚い葉こんなに大きい葉でも新しい葉が出来ると無造作に落ちる新しい葉にいのちを譲って──。

子供たちよ。お前たちは何を欲しがらないでも凡てのものがお前たちに譲られるのです。太陽の廻るかぎり譲られるものは絶えません。輝ける大都会もそっくりお前たちが譲り受けるのです。読みきれないほどの書物もみんなお前たちの手に受け取るのです。幸福なる子供たちよお前たちの手はまだ小さいけれど──。

世のお父さん、お母さんたちは何一つ持ってゆかない。みんなお前たちに譲ってゆくためにいのちあるもの、よいもの、美しいものを一生懸命に造っています。今、お前たちは気が付かないけれどひとりでにいのちは延びる鳥のようにうたい、花のように笑っている間に気が付いてきます。そしたら子供たちよもう一度、譲り葉の木の下に立って譲り葉を見る時が来るでしょう。親が幼い子供たちに語りかける、詩のひと言ひと言が心に沁みるのではないでしょうか。子供たちに素晴らしい宝を譲り渡し、その宝を生かしながらよき人生を送り、世の人々をも幸せにしてほしいとの親の切なる思いが、そこには込められています。そして、これは親から子へという命のバトンタッチに限ったことではありません。上司から部下へ、先輩から後輩へ、先生から生徒へと様々な読み方ができます。一方、生きている私たちもまた、前の世代から大切なものを譲り渡されて、このかけがえのない人生を歩いていることを思うと、受け取った宝をどのように活かすのかという別の視点も生まれます。それぞれの立場で、一生を通して何を大事にし、何を譲っていくのか。ここまで。

やっぱり一般的に『死』というのものは経験をしたこともなく、また実体験も聞かないし習ったこともないので怖さはあります。ただ、それは昨日今日始まったことではなく、人類が生まれてから永遠と繰り返されて来たこと。ある偉い人は「不老不死」を求めて国を挙げて探求させましたが、いくら権力やお金があってもダメでしたね。確かに怖い、けれど『死』は万物全員に平等。どんな悪党でも、どれだけ善や徳を積んだとしてもいつかは『死』を迎えます。

であるならば、本文でもあったように「親から子へという命のバトンタッチに限ったことではありません。上司から部下へ、先輩から後輩へ、先生から生徒へと様々な読み方ができます。一方、生きている私たちもまた、前の世代から大切なものを譲り渡されて、このかけがえのない人生を歩いていることを思うと、受け取った宝をどのように活かすのかという別の視点も生まれます。それぞれの立場で、一生を通して何を大事にし、何を譲っていくのか」なんだと思うのでした。

追記 と言うことで、本日は「まるふじ」以外のお店は営業していますので!!

このようなコンテスが主流になり「ニューミュージック」が出て来たんじゃないかな。
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