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人柄だな~。

その昔「大東京」と言うレストランバーで働いていた時のキッチンに「純平(ジュンペイ)」と言うのがいまして、お母さんの風水に従って自分でお店を始めてから三十三周年になりました。(風水?笑)

居酒屋「水城(みずき)」。きっと、居酒屋らしからぬ店名だし”水”と”城”で「みずき」なので、ここでもお母さんの風水の影響大かと。(笑)

純の本名は「佐藤純」で自分から「ジュンペイと呼んでください!!」と入って来たので、それから「純平」ね。

以後面倒なので”純”で行きますが、この”純”は”丸か”の店舗の周年祝いにはいつもお祝いを贈ってくれます。この前も「にんにく唐がらし」の一周年では、きっと途中で知ったんだろうけど、奥さんがわざわざ日本酒を届けてくれるほど律儀なんですね。

「大東京」時代から、面白い?と言うかいじられキャラで当時はあたくしが店長で料理長が現「せもりな」の”西チーフ”。

あたくし23歳、西チーフ26歳。(若ッ!!)

”純”、当時19歳?くらい。中国料理の「東天紅」から「大東京」がオープンして少ししてから来たんですね。(この頃から”松方弘樹”風だったんだな~)

もうね、当時は皆若かったしお店は平日でも朝の5時までやってたので、そこから片付けて飲みに行くので完全に陽は昇っていたし、夏なんかは7階でガラス張りだったので営業中から店内には陽が差していましたもんね。(東向きの窓だったので)

今のあたくしとは違いけっこう厳しかったので(?)、皆本当に真剣に取り組んでいましたし、終わってからはよく飲みに行きましたね。(一休、ぽえむ社には本当にお世話になりました。)

まぁ、でも仕事が終わって飲みに行っても最初の5分は「乾杯!!」とか「お疲れ~」ですが、それ以降はそこから第二ラウンドの仕事のゴングが鳴らされるんですね。(笑)

なので、24時間、365日来る日も来る日も仕事の話で夢中になっていた時代ね。

ここ最近は、”純”の店には中々足を運ぶ機会がないく2~3年に一度くらい。昔と違い、”純”も三児の父親だしあまり遅くまで店をやってないのもありますけど・・・・・。

「”純”、どうした!?そのジーパン!!」「店長、気づいてくれましたか~、さすがですね!これ自分で作ったんですよ!!」

いや、そうでなくて・・・・・。確かに”純”は白と赤のジーンズをよくはいて来てたんですね。何でも、どっちかが穴が空いたとか何かで二つをくっつけちゃたんだとか。(暇か・笑)

まぁ、それにしても「してやったぜ!このセンス!!」みたいにドヤ顔で(きっと、休みだったと思います)見せびらかせに来るその神経がね。(笑)

あと、あたくしの着なくなったスーツの上下を上げたらもの凄く喜んでね。で、当時「水車町」にあったセントラルキッチンに住んでいた”純”はその前で乗っていたバイクでグゥオン、グゥオン吹かしてローリングしてる時に転倒してスーツを破いちゃいました。(頭の中は完全に”舘ひろし”だったようです)

はい、そんな”純”のお店に周年祝いのおを兼ねて久々に行って来た時の話を明日話しますね。

追記 どうにか明日で終わらせたいと思っているんですけどね・・・・・。

でも、仲間がこうして元気で頑張ってくれてるのは嬉しいよね。

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