炭山川~釣り

何も娯楽のない”西芦別”のこの時期で、あまりスポーツを得意としない私はもっぱら自転車に乗っているか、「釣り」でした。
よく行く釣り場所は東頼城へ続く”頼城橋(らいじょうばし)”の下で、その橋は昔一度台風か何かで倒壊して、その時のコンクリートの残骸がありその上に陣取って釣りをするのです。
7丁目にはその台風で被害に遭った方々を供養するためにお地蔵さんがあり、よく”ばあさん”におぶさって手を合わせに行きました。 今でも西芦に行くと必ずお参りします。
その頼城橋には”海坊主”が出ると東頼城の友人が言っていました。 何でも、「新幹線より早く渡らないと捕まる!」と言うことでしたが、 かなり真剣に信じていたんですけど、一度も見たこともないし、 「海坊主に遭った!」と聞いた話は未だにありませんが・・・・・。
もう一つ”啓南橋(けいなんばし)”と言う1坑病院から上芦別方面へ抜ける高~い橋があり、そこは大物が釣れるのですが何となくアウェー という感じで落ち着かなく、ほとんどは頼城橋でしたね。
”炭山川”と言うだけあって、石炭を洗った水が川に流れ込んでくるのでほとん川は大雨が降った後の濁った色をしていました。単に濁るだけではなく、クリーム色の濃い色になる時あり子供心 に「こんなに濁っていたら魚は餌を見つけることが出来るのかな?」などと思ったものです。
たまに透き通っている時があり、その時は橋の上から魚が見えるので急いで釣り支度をして釣り糸を垂れますが、そのような時に限って10センチ程度の小物しか釣れないんですよね。
餌は田辺商店で買ってくる”さし”です。 ”さし”とはヤクルトの入れ物におがくずの中に入っている”うじ”のことで、 今から考えると「何てモノを使っ ていたんだ!?」と思いますが、当時は何でも食べる”うぐい”が主だったのでそれを餌にしていたんです。
でも、一番良く釣れたのは”糸ミミズ”なのですが、面倒なので”さし”を買ったり小腹が空いた時に食べるように”ちくわ”を餌にする時もあり、今思うと”うじ”や”魚”を触った手で食べているんですから子供は無敵です。 (たまに自家製白玉団子もありますが、すぐに溶けてダメでしたけど)
一度、友人の振りかぶった釣り針がこめかみに刺さったことがあり、 釣り針は返しが付いているので、自分では中々外れなくてたまたま家に居た”親父”に芦別の野口病院まで連れて行ってもらいました。
家には車がなくバスで行くのですが、恥ずかしいので釣り針が刺さっている方を窓側に座って手で隠しながら乗っていました。
で、野口病院へ着きいざ診察室へ行き隠していた手を離すと3、4人いた看護婦さん達が一斉に吹き出したときには、思わず あたくしも苦・照れ笑いをしてしまいました。
先生はこめかみに刺さっている釣り針の所に脱脂綿に染み込ました麻酔なのか?消毒なのか分かりませんが、それをチョンチョンと付けて ニッパーのような物で簡単に外しました。
痛くも痒くもなかったですが、針が取れた後に四角い絆創膏を貼られそれが目立つのでかなり恥ずかしかったです。(笑)

でも考えてみると、あの時の釣り針についていた餌は何をつけていたんだろうか?
”さし”か・・・・・。
あと悲しかったのは愛用のグラスファイバーの竿を投げた瞬間に先が抜けて、竿がユラユラと下流に流れていく光景は、本当に切なかったです。

  
平日も週末も関係なく、本当に良く炭山川へ魚釣りに行きました。。。。。

他の記事

PAGE TOP