炭鉱祭り

小さい時の5月の楽しみは何と言っても”炭鉱祭り”でした。 毎年、第二週くらいに行なわれるのです。(炭山(たんざん)祭りとも言いました)
待ちきれなくて”お祭り”の出店(でみせ)が並ぶ所へ行くと、場所ごとに白いチョークで区分けして「ここには何が出るのかな~」などとニヤニヤしながら友達と話していたものです。
娯楽らしい娯楽のなかった炭鉱町では、この”炭鉱祭り”は一大イベントなのでした。事故のないように山の神様を祭るのですが、子供のとってはそれよりも”お祭り”と聞いただけでウキウキ・ワクワクしたものでした。
お祭りといえば何と言っても”出店”です! その中であたくしは”くじ引き”が大好きで、おこづかいのほとんどをくじ引きに使っていました。(今でも好きです)
100円玉で500円分を貰うのですが、まず1本100円のフレンチドッグ(アメリカンドッグとも)を買い、それを食べながら”型抜き”をやりながらいよいよお目当ての”くじ引き”に行くのです。
型抜きのおじさんは結構上手く出来ても「表満点!裏0点!」などとごまかして、2、3枚新しい型抜きを子供に渡したりしていました。(笑)
あの何等が出るか分からない緊張感は子供の好奇心をめい一杯くすぐるには充分でした。しかも、1等はおもちゃのライフル銃や模造刀 などがあり、それを欲しさに残りの全おこずかいをつぎ込んではゴムで出来たヘビやらトカゲのゴムのおもちゃしか当らなかったのでした。
他の男の子達の一番の人気は第三浴場(上の風呂)側から入ったすぐ側にあった”スマートボール”でした。やはり中にはズルイ人がいて、ボールが下に出てくる所の木を引っ張ると、もう一度ボールが全て元の戻ってくるので、 お金を払わなくてももう一度出来るようにしたり、 端の方の台ならばこれまたおじさんが見ていない隙に素早く台のガラス扉を開けて、良い位置にボールを手で入れてもう一度出来るようにしてもらうのです。(笑)

私は小学の低学年まで西芦神社で”子供相撲大会”などをやっており、家ではじいさん、ばあさん、おやじ、おふくろが「あれ、お兄ちゃんなにやってんだろうね~」とか「孝一はどこに行ったんだ?」などの心配をよそに、兄貴は子供相撲大会で優勝をしてノートや鉛筆やらを貰って来て取り越し苦労をしていた家族は大笑いという、昭和のほのぼのとした光景を思い出します。 ちなみに私は参加しませんでしたが、カルミンを貰った記憶があります。

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べっ甲アメやら金魚すくいに亀すくい。 そういえば、同級生の”横山”という女の子のお母さんがおでん屋さんをやっており、行くと少しサービスをなんかもしてくれました。(笑) 小学2年か3年の時に、じいさんとばあさんが西区3丁目”老人クラブ”の管理人になりそこへ引越ししたので、よりお祭り開場が近くなりおこずかいが無くなると東一条五丁目の家まで帰らなくても、上手く行けばそこで資金調達が出来ました。(笑)
小学4年か5年の時に釣り仲間の”中畑正美君”とお祭りに行った時には私の大好きなくじ引きは”中畑君”のお父さんの古くからの友人で、そのこともあり私と中畑君は前夜祭・本祭り・後祭りと、ずーっとそのくじ引きに入り浸っていました。
ある時そのくじ引きのおじさんが私と中畑君(おじさんは”マーちゃん”と呼んでいました)にそっと耳打ちをして「くじ箱の中にある角がめくれたくじを引いてくれるか?」と言うので、その通りにしたらなんと!1等の模造刀が当たりました!! って言うか、単に私と中畑君がサクラをやらされただけなんですけどね。
でも、その甲斐あって他の子供達もくじを引くようになりましたが・・・・・。 お祭りの最後の日は夕方になると少しずつ出店を閉まっていくので、なんとも言えない寂しい気持ちになったものです。。。。。

追記 炭鉱祭りが終わると、なぜか電線には”アメリカクラッカー”が引っかかっていました・・・・・。

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