目映くも・・・・・。

早いもので、この”想いでの後に”を書き始めて三年の月日が過ぎました。
特に中学三年生までの”西芦別”の想い出を中心に書いて来ました。
何気ない日常のことで、しかも歳を追うごとに記憶も曖昧な所もあります。
それでも、あの当時の目映く輝いて見える当時を思い出すたびに自然と
笑みがこぼれて来ます。

今の私よりも若かった両親が信じられません。
たまに西芦へ行くのですが、木造の炭住はありませんけど、私が小学5年生
から高校2年まで過ごした七丁目の改良住宅52-2-7はまだ在ります。

行く度に「あ~、ここで過ごしていたんだよな~」と、高校を卒業してから現在に
至るまでの基礎が詰まっている光景を目にして、少しだけ誇らしい気持ちにもなります。
小さい頃から”ばあば”に連れられて七丁目から東頼城へ下る坂道の所にある
”お地蔵さん”にお参りに行っていたのもあり、今でも必ずその”お地蔵さん”へ行き
お参りをします。そこから、友人の住んでいた東頼城や釣りをした炭山川が一望できます。
「昔、大洪水があって沢山の人たちが死んだんだ。その供養のためにこのお地蔵さんが
あるんだ」と”ばあば”が言っていました。

それからゆっくりと西芦の町を車で通る。
「この辺には外山が、この下の方にはめっちゃんや西後マンが、朝学校へ行く時に
この辺で工藤の家が家族喧嘩していたよな~。誠の家はこの辺だったよな?
と言うことは、ちくんの家はこの辺り・・・・・」

あんなに家から学校まで遠く感じた道のり、広く感じた町並みが大人になった
目から見ると・・・・・。

今ではほとんどが野地となってしまい町と呼べるほどではない西芦。
当時とはかけ離れた光景だけど、記憶の中の”西芦”は今でも全力で自転車を漕いで
いた想い出なのです。

いつの頃からか、急に不安になったり寂しくなりました。

いつの頃からでしょうか、まだ元気だった両親が懐かしくなったのは・・・・・。

あの頃に帰れない事実を認めつつも、なぜか夢の中ではあの日のままなのです。

遠い、遠い、目映くも少し切なく、それでいて懐かしい想い出と西芦をあとにして日常の現実に戻るのです。。。。。

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