西芦の二条通を真っ直ぐに南へ降りて行くと、川端町や泉町を経て 私たちが言っていた”炭山橋”を超えて東頼城へ行くのですが、その途中の 七丁目の所に”お地蔵さん”があります。 小さい頃、ばあさんにおぶってもらってお参りに行ったもんです。 「昔、台風が来て洪水になって沢山の人が死んで、それでこのお地蔵さんが 出来たんだ」とばあさんから聞きながら一緒に手を合わせていました。 確かに、”炭山橋”から下を見るとコンクリートで出来たでっかいのが横たわって いて、小さい時にはそこにのっかって釣りをしたもんですが、少し大きくなって 見るとそれは橋の橋脚の部分で、きっと台風なのか暴風雨なのかは分り ませんが、そんなので倒れたんでしょうね。 その時の被害者の
西芦の二条通を真っ直ぐに南へ降りて行くと、川端町や泉町を経て
私たちが言っていた”炭山橋”を超えて東頼城へ行くのですが、その途中の
七丁目の所に”お地蔵さん”があります。
小さい頃、ばあさんにおぶってもらってお参りに行ったもんです。
「昔、台風が来て洪水になって沢山の人が死んで、それでこのお地蔵さんが
出来たんだ」とばあさんから聞きながら一緒に手を合わせていました。
確かに、”炭山橋”から下を見るとコンクリートで出来たでっかいのが横たわって
いて、小さい時にはそこにのっかって釣りをしたもんですが、少し大きくなって
見るとそれは橋の橋脚の部分で、きっと台風なのか暴風雨なのかは分り
ませんが、そんなので倒れたんでしょうね。
その時の被害者の鎮魂のために七丁目のお地蔵さんが建立され、
そのお地蔵さんの方向が東南で川端町、泉町、東頼城の方角を向いて
お地蔵さんが手を合せているんですよね。
で、ばあさんが「このお地蔵さんの頭は違うんだ」と言っていたのですが、
子供心に意味が分らなかったんですが、ある時そのお地蔵さんのすぐ下に
今のお地蔵さんの頭よりも大きなお地蔵さんの頭だけが置いてありました。
きっと、最初に作った時のお地蔵さんの頭が無くなり、違うのにして
誰かが元々のお地蔵さんの頭を見つけたんだと思います。
一年に一度は芦別へ行くのですが、必ずそのお地蔵さんへ行き手を合わせて
来ます。。。。。