早い物でこの「想い出の後に」を書いて1年が経ちました。 これは”欽ちゃん”の「炭鉱ホルモン」語る上で、地元でもある芦別は西芦別という炭鉱住宅で育った想い出を語る。 という主旨で始めました。
まぁ、既に郷里を離れて36年の歳月が経っていますので記憶の方が曖昧な部分もありますが、 何とか辿りながらまた分からない部分は友人などに聞いて書いて行きます。
ここ最近、「炭鉱ホルモン”欽ちゃん”」には芦別出身の方や今でも芦別にいてたまたま来た人、人から聞いて来た人が増えてきました。
大体は芦別市の方で芦別高校出身の方達なので、しかも私より年上の方なのであまり接点はないのですが、 それでも芦別というキーワードだけでも何だか懐かしい気持ちになるものです。
直接お話が出来ればどこかで必ず接点があるのはずですから。 それは人でなくとも、三つ丸やら壺や関口楽器、赤シャツのラーメンに池下商店(次男坊が一つ上の先輩でした)などの話で大いに盛り上がると思いますので。
先日芦別から仕事で来て頂いた方は、芦別ターミナルの近くの「富士家具店」の社長さんでした。(2代目かな?)
その方は私の同級生の平山のふみちゃんのお姉さんと結婚されているとのことで、本当に世間って狭いな~。 と思ったのと親近感を覚えました。(笑)
これからも「炭鉱ホルモン”欽ちゃん”」と「想い出の後に」をどうぞよろしくお願いします。
それにしても故郷っていいですね。。。。。