お袋とお茶とお香香

三歳の時に茂尻の雄別炭鉱が閉山になり、西芦の三井炭鉱へ引っ越して来ました。
西芦別東一条五丁目9号四舎です。その周辺は同じく茂尻から来た人たちが固まって
いたのもあり、近所付き合いもその人たちが中心でした。四軒長屋で私の家は四舎
なので、一番端でその隣の三舎が親戚の“ゆきお”おじさん。一舎が“谷川さん”。
で、18号の二舎が“高杉さん”、三舎が“青山さん”で四舎が“山田さん”家(ち)。

炭鉱は一番方(朝から夕方)、二番方(昼から夜)、三番方(夜から朝)の24時間交代で
稼働していて、それぞれの旦那さんの居ない家でお茶を飲みに行き来してましたね。
まぁ、お茶を飲むと言えば聞こえはいいですが、何も娯楽もなく、今のようにビデオや
SNSなんてないので、主婦たちの世間話(家の愚痴)が主でした。

子供心に「よく、何時間もお茶を飲めるな」と思ってみていました。
お茶あてにはお菓子や※“お香香(おこうこ)”でしたね。※漬物
帰るタイミングは来た方のおばさんがと掛け時計を見て、「あら、やだ、もうこんな時間」
と言って、ご飯自宅で帰って行くのでした。
今でもあの光景は瞼に焼き付いていますね。。。。。

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